episode 14
風葬の狼煙
一つのことを成し遂げたことに対して達成感に満ちていたせいか、行きよりもクレアの表情は晴れやかだった。きっと戻ったらおばはクレアのことをほめてくれるだろうし、あの兄妹たちも見直してくれることに違いない。何より今まで心配かけてしまっていたのだから、もう大丈夫なのだと胸を張って伝えたかった。
そして、もう一つ素敵なことを伝えたかった。彼の存在だ。とっても優しくて、素敵な少年とクレアは出会った。クレアの世界はウィーズリー家で構成されているので、そこに初めて入り込んだ所謂他人の彼の存在は特別なものに思えたから、自然と頬は緩んでいた。
「嬉しそうだね」
声をかけられ、クレアのおさげはぴょこんと揺れる。考えが見透かされてしまったのだろうかと焦るクレアに、セドリックは笑いかけた。
「ああ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど、すごく嬉しそうな顔をしていたから」
「あ、え、えっと…」
「あ、いいんだ。ごめんね」
「わ、私、今までお家の外、あんまり出たことなくて、おじさんたちにめいわくばかりかけていたから…」
矢継ぎ早にそう告げ、クレアはハッとして口を噤む。こんなことを話されてもセドリックは困ってしまうだろう。斜め下に視線を落とし、それからちらりと上目遣いにセドリックを盗み見た。他人と関わることのなかったクレアにとってセドリックとは本当に初めての友達になりえたかもしれないのに。セドリックにとってつまらないことや興味のないことを話して嫌われたらどうしよう。心臓が妙な音を立て大きく跳ね上がる。
「じゃあ今日は、君にとっての第一歩だったんだね」
だが不安に思うクレアの心中を包み込むように、穏やかな風が吹き抜けていった。そう言って笑ってくれるセドリックは心根の優しい少年なのだろう。ぽかん、とセドリックを見上げるクレアに、彼はまた優しく笑いかけてくれた。
心臓がことことと音を立てた。先ほどとは違って嫌な感じは何一つしない。奇妙だけれど、居心地のよくて、少しばかり恥ずかしくなるような音だと思った。クレアは何も言えず、ただ小さく頷く。どうしてだろう、頬が熱い気がした。
「着いたよ、暖炉だ」
「え、もう……?」
「ん?」
「なっ、なんでもない」
書斎から暖炉までの距離なんてたかが知れている。行きは長く感じた距離も、帰り道の今はとても短く感じた。―もっと彼とお話していたかった。正直な感想が口から飛び出たが、幸いなところ、セドリックには聞き取れなかったらしい。ぶんぶんとちぎれるほどの速さで首を横に振ると、やはり、セドリックは笑ってくれていた。
「じゃあクレア、煙突飛行だから直ぐだと思うけど気を付けて帰ってね」
「う、うん。ありがとう、…セドリック」
「僕の名前…。嬉しいよ、クレア。また会おう。いつでも遊びにきてよ」
「う、うん!」
小さいけれど、自分のものよりも大きな手が差し出される。若干クレアの手は湿っていたかもしれないけれど、クレアは意を決してその手を取る。そしてぎこちなくかもしれないが、そっと笑んで見せた。
―はじめての友達。もしかしたらもう会うことはないかもしれないけれど、始めて出会った身内以外の優しい彼のことをクレアは一生忘れはしないだろう。
「“隠れ穴”!」
行きと同じように、フルパウダーを暖炉に投げ捨て、行先を告げると、たちまち紅蓮の炎が粉と同じ深緑に染め上げられ、クレアの身はたちまち大きな火に包まれていった。炎の隙間から見えたセドリックは、やっぱり微笑んでいた。
「ごほっ…ごほ…」
深く煙を吸い込んでしまったせいで、クレアは咽てしまった。相変わらず投げ出される感覚にお尻は痛かったが、それよりもクレアは誇らしい気持ちでいっぱいだった。早くモリーにアーサーからの伝言を伝えなければいけない。そしてセドリックのことも話してみよう。きっと喜んでくれるに違いない。少し緩む頬を抑えきれず、両手でほほを包み、それから少しの違和感に気づく。
クレアが帰ってきたのだから、真っ先にモリーは迎えてくれるものだとばかり思っていた。良かったわ、お帰り。そんな声を待っていたのだが、いつまで経っても聞こえないどころか、暖炉の先は深い闇だった。どこか様子が違う。恐る恐る一歩踏み出せば、古めかしい板がギシリと軋んだ。
「……?」
見渡してそこが見知ったウィーズリーのお家ではないことがすぐにわかった。吹き抜ける風がクレアの全身を撫でて通り過ぎていくので、彼女は自分自身を抱きしめ、また一歩踏み出した。
―古い屋敷のようだった。歩くたびにぎしり、ぎしりと家がうめくように軋む。人の気配はないどころか、人が住める風貌でもなく、どこか煤けて薄汚れていた。先ほどの小奇麗なディゴリー家に比べたら雲泥の差だ。まさに明るい光と暗い闇。温かみもない。
ここはどこだろう。どうしてウィーズリーのお家に行けなかったのだろう。しっかり発音したつもりだったのだけれど、もしかしたら煙を深く吸い込みすぎてうまく発音できなかったのかもしれない。それで違うところに来てしまったのかもしれない。少し歩いたところでクレアは立ち止り、間違えてしまったのならもう一度暖炉から戻ればいいと、少し恐怖を感じながら暖炉に戻ろうとした。
「暖炉……ここにあったのに」
呆然とクレアは立ち尽くした。
そう、先ほどは確かに暖炉があったはずの場所なのに、目的の暖炉がなくなっていたのだ。その代わり、大きな蛇の像が置かれていた。大きく開いた口からは長い舌が出ていて、獲物を絡めとる躍動感がある。色などない体躯だが、瞳だけは宝石だろうか、赤色の石がはめられていた。まるで、この色に変えられる前の己の瞳と同じ色。クレアはそっと己の瞳に触れたその時。
ドォン!
突然降り出した雨に伴って、大きな雷の音が屋敷に響き渡る。古い屋敷だからなのだろうか、雷の音に屋敷自体が揺れ動いた。驚いて背後を振り返ると大きな窓が目に映る。窓の外は深い森のようだ。もしかしたら雷が落ちたのかもしれない。心臓が大きく音を立てる。嫌な感じに。
ぬるり、と足元に何かを感じたのもこの時だった。身体を揺らして恐る恐る足元へ視線を送る。
「キャーッ!」
思わずクレアは両耳を覆って、その場から逃げ出そうと走り出した。走ったところで何も変わらないし、それこそ今いる場所から動いたら自体は悪化するかもしれないけれど、困惑したクレアはとりあえず走ったのだ。
―足元に大きな蛇がまとわりついていた。白蛇だろうか。銅像と同じ、真紅の瞳を持ったとにかく大きな蛇だった。気づけば、部屋の中は蛇がうじゃうじゃと蠢いている。ぞっと、した。
急に、どうして。一体何が起こっているのだろう。幼いながらに冷静に判断してみようと試みるも、矢張り恐怖が勝る。部屋を飛び出して階段を駆け下りて、扉を見つけた。外に出る扉だ!雨は降りしきり、雷も轟いているが、蛇にやられるくらいなら外で雨に打たれた方がいくらかましだ。
クレアは勢いのまま扉に手をかけ、外に出ようとした、その時。
「――お嬢さん、もう少し遊んでいきなさいな」
あの声が聞こえた。鼻を掠める蘭麝の香り。反射的に振り返ったクレアの瞳に映ったのは、黒いローブで全身を包んでいて、ベールで顔は隠されており、表情が窺えないあの女性。足元にはたくさんの蛇を引き連れている。「キャー!!」再び叫び声をあげた。あの時は運よく男性が助けてくれたけれど、ここで助けてくれる人など誰もいない。恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
「あらあら、どうしたの、お嬢さん。こちらへいらっしゃい」
「や、いやだ!帰るっ!みんなのとこ、おじさんとおばさんのとこ、帰るもん…!!」
「あなたの帰るべき場所はここでしょう。ほら、みな、喜んでいるわ。あなたの帰りを待っていたのよ、ねえ」
濃く引かれた紅の乗った唇が動くのと同時、足元の蛇たちがクレアに向かって動き出していた。それが女性の言った通りの感情を持っているかなど、クレアにとってはどうでもよかった。焦る手つきでドアノブを回す。運よく鍵はかかっていなかったようだ。
クレアは急いで屋敷を出た。途端に雨が体を打ち付けたが、やはりそれはましに思えた。ここから出たところで、この場所が分からない。当てがない。だがあそこにいるより、ずっといい。森を抜けたらきっと誰かしらに出会えるはずだ。今の自分の瞳の色は金、誰も恐れたりはしない。そしたら助けてもらおう。見ず知らずの人に話しかけることの恐怖を、今は忘れていた。
一度だけ背後を振り返る。女性は、ただ、クレアを見ていた。
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