episode 6
入口も出口もない迷宮


アーサーは外の倉庫でマグルの製品をいじっている。おそらく、フレッドとジョージはその周りをちょんちょんと飛び跳ねているだろう。パーシーは部屋で読書に勤しんでいるし、ジニーとロンの子守りはチャーリーが引き受けていた。ビルはもう1人の女の子の姿が見えないことに気付き、リビングへとやってきた。
遊び疲れてしまったのか、クレアは随分と深い眠りについていた。最初はモリーの側で本を読んでいたのだが、ソファに座っているうちに、段々と眠りが勝って来たのだろう。読んでいた絵本は、地面に落ちていた。その音に気付いたモリーがクレアを見れば、愛らしい寝顔を見せながら、くーくーと小さな寝息を立てているではないか。自然と、そのふくよかな頬に笑みが浮かんだ。

「ママ、クレアは――」
「しーっ!ここにいますよ」

やってきたのは赤いポニーテールを揺らしたビルだった。彼はモリーの、しーっという態度に目を瞬かせてから、ゆっくりとなぞるように視線を移した。――寝ている。余程疲れていたのだろうか、ビルの声にも起きようとしない。ビルは、モリーと同じように、小さな笑みを浮かべた。

「でも困ったわね。ここで寝たら風邪をひいてしまうわ」
「僕がベッドまで運ぶよ。今日からジニーと同じ部屋でいいんだろ?」

華奢な見た目に反しては力強くクレアの体を持ち上げ、所謂お姫様だっこの形で横抱きにすると、モリーの方を一瞥した。昨夜は、さすがにまだ、ということでモリーやアーサーと一緒の部屋で寝たクレアだったが、遊んでいるうちにジニーとも打ち解けることができた。女の子同士の方が色々と都合がいいだろう。

「ええ。部屋の前に、黄色い布団を用意してありますから、それをクレアにかけてあげてちょうだい。お願いね、ビル」
「了解。っと…危ない、な。あんまり揺らさないようにしなきゃね。眠り姫を起こすわけにはいかないから」
「あらもうこんな時間なの?夕飯の支度しなくちゃ」

一瞬だけ、彼の体はぐらりと揺れたが、ビルはクレアを軽々と持ち上げていた。愛らしい寝顔は、少しだけ苦しげに眉を寄せていた。嫌な夢でも見ているのだろうか。彼女の汗により、ぺったりと頬に付着した銀色の髪の毛を振り払ってやると、少しだけ表情を和らげた。
モリーが魔法で動かしていた編み針をテーブルの上に置いて、パタパタと台所へと姿を消したのを見送り、ビルはゆっくりと階段をあがった。少しの振動でも、クレアの目がぴくりと動くのが何となく面白かった。
部屋に辿りつけば、少しだけ玩具が散乱していた。まったく、と呟いてから、少し大きめのベッドにクレアの体を転がす。小さな部屋なので、二人ベッドを置いてしまえば、他のものなど置くスペースがない。身長の高いビルは、狭い部屋の中で思わずコケそうになった。
こんこん、と控え目なノックが聞こえ、ビルは短く返事をした。

「…ビル」
「ん?…なんだ、パースか。どうした?」
「彼女、寝たんですか?」
「そんな他人行儀な呼び方するなって。…うん、そうだな。疲れたみたいだよ」
「どう、思ってますか」

眼鏡の奥から、真っ直ぐな瞳で射抜かれ、ビルは思わず瞬きを繰り返した。まだ年齢も顔つきも幼いが、厳格さはビルやチャーリーを抜いて、一番だ。思わずビルは顔をくしゃりと和らげ、ベッドの片隅に腰をおろした。ぎし、とスプリングが軋んだ。

「…この子は孤独に怯えている。たぶん、無条件に愛をもらってきた僕たちとは異なった環境に身を置いていたんだろう。だから愛に飢えているし、愛に満ち溢れたこの家に連れて来られて戸惑っている。―たとえ何者か分からなくても、どういった状況下に置かれているのか分からなくても、僕――俺はお前たちを可愛がるように、この子も可愛がるつもりだ」

いつになくそのハンサムな横顔が、真摯な色を付けくわえた。ビルが自分を『俺』と呼ぶのは、いつも誰かを説得しようとする時だけだ。パーシーはそれに気づき、俯いた。ビルはパーシーにウインクを飛ばし、窓から差し込む夕日に照らされ、輝きを放つ銀の髪を撫でつけた。安らかな寝息とともに、彼女の穏やかな表情が心を癒してくれた。
パーシーは、眉間にしわを寄せたまま、クレアを見下ろす。真面目な性格を懐に抱いているパーシーは、受け入れたい心半分、危惧する心半分といった調子なのだろう。真一文に結ばれた唇を見て、ビルは目を細め、笑った。

「冬の休暇が終われば僕とチャーリーはまたホグワーツに戻らなければならない。次に帰ってこれるのは夏だ。そうなったらパース。それまでの間、お前がこの子を守ってやるんだよ」
「けれど、僕は、」
「来年からはお前もホグワーツ。そうしたら今度はフレッドとジョージの番だ。あの二人の見本となれるのは、お前しかいない」

ビルはなるべくベッドを軋ませないように立ち上がると、パーシーの肩に手を置いた。赤毛のポニーテールがさらりと揺れる。やっぱり、兄は、尊敬すべき人物だった。

「…はい」

一回、眠るクレアを一瞥し、パーシーは頷いた。そしてもう一度力強く頷いた。兄は経過を見守るというのだ。兄の行うことに、間違いはない。―もちろん、格好のこと以外は、だが。

「よし。いい子だ、パース。――さあ、外に出ようか。パパの手伝いをしよう」

大して変わらぬ身長差だからか、ビルは朗らかに笑い、パーシーと肩を組んだ。少し照れくさそうなパーシーは、やがて、同じように小さな笑みを零しながら、ジニーの部屋――今日からはジニーとクレアの部屋――をあとにした。

  


緑色の閃光が、目の前を横切った。頭から爪の先まで、すぅ、と冷たい空気が駆け下りて行った。( アバダ ケダブラ )それが、死の呪文であると、その時知った。パッと輝いた閃光によって、その先の杖が瞳に映った。死の瞬間、更に目を素早く動かせば――冷酷な横顔に、一筋の涙が、伝っていた。ふ、とそこで意識は途絶える。すべてが、無に染まっていった。

「っ」

クレアはがばっと起き上がった。荒い呼吸を数回繰り返すと、肩が上下した。小さな手で、自分のふっくらとした頬をさわる。―触れる。

「………」

幼い脳内では処理しきれない感情が、胸のうちから溢れて行く。ほとりと首を傾げ、それでも恐ろしい感情は抜けおちない。己にかけられていた黄色い布団を端っこに寄せ、ベッドからおりると、柔らかいものを足の裏に感じた。どうやらジニーのぬいぐるみを踏みつけてしまったらしい。足をどけ、ぬいぐるみを持ち上げ、ベッドに乗せておく。少しずつ潤んでいく瞳から、涙がこぼれるのを必死に我慢した。とて。とててて。小さな駆け足で部屋の扉へと向かい、背伸びをしてドアノブをまわす。がちゃりと鈍い音を立て、それは開いた。

「ほらほら、夕飯にしますよ。フレッド!ジョージ!手を先に洗ってなさい!つまみ食いしないの!パーシーを見習ってちょうだい!」
「モリー、そんなに金切り声をあげなくても…」
「あなたが叱らないから、この子たちはいつもこうなんですよ、アーサー・ウィーズリー!」

階段下から、にぎやかな声が聞こえてきた。その中に、飛び込みたい。けれど。(アバダ ケダブラ)あの地を這うような、恐ろしい声が、クレアの行動を阻止するようにつきまとう。一歩、踏み出した足を、一歩、後ろにさげた。

「ロン。手は洗ったの?うがいはした?――よろしい。なら、クレアを呼んできてちょうだい。眠っているでしょうから、優しく起こしてあげるんですよ」

自分の名前が出て、クレアはびくりとした。部屋に戻ろうか、どうしようか。ロンとは、まだ一度も口を交わしていなかった。
ロンも自分の名前が出るとは思ってもみなかったのか、驚いたように目を瞬かせている。「早く行っておいで」アーサーの優しい催促に、鞭を打たれたように立ち上がると、ロンはクレアのもとへと急いだ。
クレアは慌てて背伸びをし、ドアノブに手をかけ――「クレア?」ロンがその名を呼んだ。燃え盛るような彼の赤毛は、少しばかりくりくりといたるところに向いていた。始めて、ロンの声で名を呼ばれ、クレアはやはりびくりと身体を揺らし、ゆっくりと振り返る。

「お、起きてたの?もう…ご飯だよ。降りておいでよ」
「……」

二人ともおっかなびっくりで、お互いの瞳を見つめる。ロンは、クレアの大きくて、自分と同じように燃え盛る深紅の瞳に見入っていた。

「クレア?」

何も言わぬクレアに、ロンは戸惑ったように首を傾げた。つい、と顔をさげたのはクレアだった。( アバダ ケダブラ )あの冷酷な声が、何故か重なって聞こえる。びくりと、肩を揺らした。

「……ッ」
「ど、どうしたの?お腹痛い?」

おろおろとロンは目の前で泣きだすクレアの顔を見つめた。――ロンの幼い脳内では、泣いてしまうことが具合が悪くなってしまったことに繋がってしまう。どうしよう!慌てるロンに、クレアは無意識にその手を掴んだ。赤毛を揺らす目の前の少年の顔は、髪の毛と同じように朱に染まる。

――…消えてしまう温もりが、遠ざかる優しさが。
――…ここにあった。

――…こわいものが、消えて行った。

「えっ?え?」
「……」

彼女は終始無言であったし、ただ瞳からあふれ出る涙だけが、その場を潤した。どうしていいか分からずうろたえるロンに、クレアは、ちょっとだけ笑う。ロンも、その笑顔を見て、照れくさそうに笑った。
中々降りて来ないロンとクレアを呼びに来たはずのビルは、何となく二人の雰囲気を邪魔できず、階下でその様子をうかがっていた。―ロンとクレアはこれで大丈夫だろう。同じ年くらいの二人であるから、ロンと仲良くなるのが一番だった。しかしロンは思わぬ少女の登場に、中々進むことができずにいたし、クレアも己から進みだすことはない。母としては単純に授けた使命であったとしても、結果、良い方向へ向かったのではないかと思う。

「おーい。二人とも。ご飯、冷めちゃうぞ」

そう告げれば、ロンはクレアの手を掴んで、「ご飯行こう!」と。クレアも小さくこくんと頷いた。

守りたいって思ったのは嘘じゃない。
いつまでも、この笑顔が見たいって、思ったのだって。

嘘じゃないよ。



back next

ALICE+