一つの大きな枕を抱え、潤んだ赤い瞳は、ただパーシーを見上げていた。彼女は確か、慣れない環境の変化に体調を崩してしまっていたはずだ。まだ免疫力の少ないジニーに移すわけにはいかないからと父母の部屋に寝ていたはずだが――わずかに上気した頬を見ながら、パーシーは戸惑いを隠せなかった。父親はもちろん魔法省に仕事に出ているし、母親は弟たちを連れて買い物に出かけている。兄二人はと言えば、勉強中・邪魔するなの看板をぶら下げ、らしくもない課題制作をしている。ということは、彼女にとって頼れる存在は、パーシーだけとなる。そこまで推測して、思わず口元がひきつりそうになった。
パーシーは兄二人とは違い、弟たちの面倒を見るのが苦手だった。どちらかと言えば静かに本を読んでいたいタイプ。あまりはしゃぐのは好きではない。それはジニーに対しても同じだが、もちろん、ジニーはたった一人の妹なのでパーシーなりに可愛がっているつもりだ。本を読んであげたり、文字を教えてあげたり。少し高慢ちきになってしまう箇所があり、ジニーにも鬱陶しがられているのを、彼は気づいていない。
ともかく、そんな彼は、未だ、目の前の少女の存在を認知することが出来ないでいた。謎だらけの少女。父も母も何も言わないから、余計に戸惑う。ただ両親と一緒に住めず、預かるのだという。別に預かるということに対し、何ら不信を抱いているのではない。ただ―彼女の赤い瞳。それがパーシーの不信感を煽るのだ。パーシーが勉強をした中で、最も凶悪とも思える人物も同じ瞳をしていた。今はもういないが、当時は全てが闇に染まり、誰もがいつ現れるか分からないその犯罪人に恐れおののいていた。当時、パーシーは幼かったため、その知識はすべて書物に描かれていたことから吸い取ったのだが。 その人物と同じ目の色をしているということだけだが、なぜだか第六感的なものが彼女を避けているのだ。
嗚呼、はやく帰ってきてくれ。そうじゃなければ早く勉強を終わらせてくれ。いつもならそこまで真面目に取り掛からない兄たちなのに、どうして今日に限って徹底しているんだ。パーシーの口からは思わず重たいため息がこぼれ落ちた。
「……っ」
瞬間、目の前の少女の肩がビクリと揺れた。思わず、パーシーの方がびっくりした。一体、どうしたということか。目を瞬かせれば、彼女は泣きそうな顔をして、ぎゅ、と枕を抱きしめた。
息を最小限にしているのか、時折苦しそうな吐息が聞こえてくる。できればあまり関わりたくなかったというのが本音だが――というよりも関わり方が分からないという方が本音だが――椅子から降りて、目の前に立てば、彼女は身長差のあるパーシーを再び見上げた。何かを言いたいようで、言えない。そんな表情をしていた。ならばなるべく優しい声で話しかけようと、クレアと視線が合うよう、屈み込んだ。
「どうしたんだ?」
硬い口調になってしまった。言ってから少しだけ後悔する。しかし彼女は口調に関しては特に問題ないようだった。クレアはまばたきを繰り返し、一瞬のうちにぺったり、とパーシーの足元に抱きついた。 思わず、硬直した。
「お、おい、」
「……くるしいー…」
「! ね、熱があがってきたのか?」
抱きついてくる体はとても熱く、ぐってりとしている。彼女の小さな体を引き離し、その額に手を置けば――なんということだろう、軽く40度はあるのではないだろうか。慌ててパーシーは周りを見渡す。時計の針に描かれた家族の顔―主に母親の部分だが―は未だ外出中を指していた。どれだけゆっくり選び抜いているのだ。大方、フレッドとジョージあたりが喚いてなかなか買い物できないというところだろうが―何度も言うようだが、パーシーは弟たちの面倒をあまり見なかった。つまり、見方が分からないことにつながる。いまいち抱っこの仕方も分からなければ、気の利いた言葉も言えない。
「大丈夫か…?」
「あついー……いたいー……」
「と、とりあえず、ベットに…」
勢いよく抱き上げてみる。よくビルがロンやジニーにしているのを見ているので、何となく記憶には残っているもので試してみた。記憶力はいいのだ。少し不格好な気がしなくもないが、寝室まで運ぶだけだ。誰かが見ているわけでもないし、からかわれることはないだろう。
アーサーとモリーの寝室は、それなりに小さくて、それなりに汚かった。サイドテーブルに氷水が入ったバケツがあり、タオルもある。おそらくモリーが出かけの際に魔法をかけていったのだろう、タオルはバケツの中で何度もゆらめき、クレアの存在を察知すると自ずと自身を絞って水気をなくしていた。
「ほら、きちんと布団をかけろ」
「いたいよぅ、」
「今、母さんたちが薬を買いに言ってくれているから、それまで我慢しなさい」
「うー…うー…」
苦しくて、熱くて、脳内は正常に動作していないのだろう。癇癪を起こした子供のように、低いうめき声を続けている。自分でもどうしたらいいか分からないといった様子だった。
魔法のかかったタオルは、ゆっくりと彼女の額におりた。その冷たさが心地いいのか、少しだけ頬をゆるめる。ほっと安堵の息を吐いた。ベッドの上で安静にしていた方がいいというのに、どうしてわざわざリビングまでやってきたのだろう。ベッドの上に散らばる銀色の髪を見ながら、パーシーはさらに心の中でため息をついた。
「安静にしてなさい。すぐに母さんが帰ってくるから」
そう言って、キビキビとした動作でパーシーは踵をかえす。さて、先ほどの続きでも読むとする―か――ぱし、と小さく熱い手が、パーシーの服の裾を掴んだ。思わず振り返り、眉を寄せると、目をつむったまま、苦しそうに息を吐いていた。
(僕にどうしろというんだ!)
少しだけ待ってみたけれど、一向に、その手は自分を離す気がないようだ。思わず、深い、深い、ため息が漏れた。
唸るように声を漏らすクレアに視線をやれば、苦しそうにもがく姿が見て取れる。わずかに眉を寄せた。
「そんなに着込んでいたら余計に熱があがるだろうに…」
「さむいよう…」
ガラガラの声はいつもと違って、老婆のように拉げていた。一瞬にして言葉に詰まる。不覚にも、という言い方は可笑しいかもしれないが、目の前で苦しむクレアを、パーシーは哀れに思ったのだ。そして直ぐに、ぐすぐすと泣きながら寒さを訴えるクレアに、何もしてやれない自分を少しだけ恥じた。
「――クレア」
思えば、初めてこの子の名前を呼んだかもしれなかった。不器用ながらも、優しさを、愛を込めて名を呼べば、目の前の少女は赤く潤んだ瞳を己へと向ける。
母さんが、帰ってくるまでの、我慢だ。そう、自分に言い聞かせなければ、何となく、恥ずかしかった。
「僕が……傍にいるから」
服を掴んでいた手を、ぎゅっと握りしめてあげた。あつい。子供体温といえど、遥かにそれを超えた熱を持っている。パーシーの冷たい手が気持ちいいのか、少しだけ頬を緩ませる。今度は―不覚にも――愛おしいという気持ちが生まれた。この小さな体を、守らなければならないという使命感が生まれた。
今まで兄たちのいいところばかりを自分のものにしようと、生真面目に生きてきたパーシーにとって、弟たちや妹を大切に思うものの行動には示せなかった。故に、初めてと言っていいほど、己から触れている。ああ、なんて愛おしい命なのだろう。不意に強く手を握られ、パーシーは静かにそう思っていた。