蒼い春が飛んできた
「え…あの子が?」「なんだ普通の子じゃん」机に突っ伏していても聞こえてくるざわざわした声には、いくらなんでももうそろそろ慣れそうな気がする。視線には中々慣れないけれどね!彼女たちは視線で殺人を犯す気なんじゃないのかな。すごい能力だよね、うん。
「……全く、鬱陶しい」
「ハハハ…ごめんね、」
けど、イライラしているのは、私というよりもみっちゃんの方だった。私といつも一緒に行動しているから、もちろん、彼女にも視線は向かうわけで。元々気性の荒いみっちゃんだから、直接言ったりはしないけど、視線を感じたぶんだけ睨みつけている。ちぃちゃんは、苦笑しているけれど。なんだか申し訳なくなってくる。
元々クラスメイトに仁王くんがいるというだけで、見学客というか、なんというかそういう人たちは少なからずいたけれど、ここまで人が集まることもあまりなかった。しかも女子オンリー。乙女の力ってすげー。
実際のところ、マネージャーという名目だけど、役に立っているかと言われれば首を捻るしかない。―ただ、一昨日、切原くんに言われた言葉は今でも胸の中に留まっている。ドリンクが美味しかったって。些細なことだけどとても嬉しかった。あ、ちょっとでも役に立ってるんだな、って思えたから。頑張ろうって、思えた。
テニス部の人たちとは、みんなが羨むような関係性ではないことは確かだ。そんなもので、十分だと思った。…切原くんだけは、何故かとても懐いてくれているけれど。まあ可愛いしカッコイイし目の保養にはしている。いわないけどね!けれど以前に比べたら、だいぶ、距離は縮まったのではないかと自負している。幸村くんや真田くん、柳くんは部活中、私に指示をしてくれるから話す方ではあるのかもしれない。丸井くんは会えば話しかけてくれるし、物をせがまれる。残念ながら私はお菓子は常備していないのだ。それを悟ると至極残念そうな顔をして立ち去って行く。時々丸井くんに対して遠い目をしてしまうのはそのためだろう。桑原くんや柳生くんは戸惑っているとさりげなく助けてくれる。そういうさりげない優しさはとてもポイント高いと思います。
ただ、仁王くんだけは、あれ以来話したことはなかった。私自身、仁王くんは目の保養にさせてもらっているけれど、よく分からない人だと思っていた。否、今もまだ思っている。
授業はあまり真面目に出ている方ではないし、出ていたとしても机に突っ伏しているか窓の外を見ているかくらいだ。よく観察しているのは目の保養にさせてもらっているからだ。私は開き直るよ。
「七瀬」
だから、教室で話しかけてくることもない――はずなのに、あれ、おかしいな。目の前にいるのは、確かに仁王くん、だよね。思わず目を瞬かせていると、彼は小さく首を傾げた。
その時、キラッと光る髪が揺れる。相変わらず、綺麗な髪の毛だ。
「ど、どうした、の?」
ドギマギしながら返事をすれば、彼は持っていたファイルを私に差しだした。差し出されたら受け取らないわけにはいかない。おっかなびっくりファイルを受け取れば、彼は満足したのか自分の席へと戻って行った。
…え、ええええ?こ、これどうすればいいの?説明もなしなの?な、なんて鬼畜使用な仁王くんなんだ…!もうちょっと優しい仁王くんが欲しいよ!
振り返って後ろの席を見ても、彼はもう机に突っ伏していた。そして相変わらず女子はざわっとどよめく。…聞こえないふり聞こえないふり。仕方なしに前を向いて、受け取ったファイルの中を見た。
「…これ、」
中にはA4二枚のプリントが入っており、下の方には、柳と書かれていた。とすると、これは柳くんからの贈り物なのだろう。途中でばったり会って頼まれたというところなのだろうか。それにしても誰からかくらいは言っても良いと思うのだが――心の中で、小さな小言を呟きながら、プリントに目を通す。
「なんだって?」
「……練習試合あるから、それを知らせるプリントを部員分作成してくれ、by柳」
「おわ、それはそれは…」
「部員分、柳、」
「…がんばって、緋莉」
魂が抜けるとはこのことだと思う。きっと私の口から、ひゅーっと私の魂は抜けていることだろう。
別に文を作るのは嫌いじゃない。淡々とした作業は好きなんだ。もちろん詳細や連絡事項なんかはプリントに記載してあるし、それを元に作成すればいいんだろうけど―今日、残りの授業で課題が出ないことをひたすらに祈った。
■ □ ■ □
「ふぅ」
黙々と与えられた指示のもと、自分の業務をこなしていた。
足腰はやはり悲鳴をあげているけれど、最初の頃よりはだいぶ慣れたのではないかと思う。「筋肉すごくなったよ、お母さん」「アンタそれやばいんとちゃう」そうお母さんに言われたのは記憶に新しい。このやろう、少しくらいの優しさを見せてほしかった。
とりあえず今のところは洗濯終わるの待つくらい、かな。洗濯機から発せられる音を聞きながら、カゴを地面に置き、壁に寄り掛かった。テニスコートの方からは、パコーンパコーンという小さな打ちあいの音が聞こえ、少しだけ気分が高揚する。頑張ってるなぁ。精が出るなあ。少し前までそんなこと微塵も思わなかったのに。
「そういえば練習試合ってどことなんだろう」
昼間のプリントを思い出し、ふと疑問が浮かんだ。特にどことするとは書いてなかったので、近隣の中学とするのだろうな。…そこまで考え、ふとした不安が過る。今はまだこうして部活の最中にみんなのサポート―と言えるか分からないが―をすることに集中すればいいのだが、練習試合となると他校と交わらなければならない。つまり、私の出来無さっぷりが向こう側に伝わるわけで、みんなの恥になったりしないのだろうか。…とても不安になってきた。お腹痛い。
ピーピーと、洗濯終了の音が聞こえ、ハッと意識をこちらへと戻す。赤く点滅したランプが消えるのを待って、蓋を開けた。おおう。自分で洗濯しといて何だか、とても多い量である。せめてもの慈悲で洗濯機と物干し場くらい、近場にあってほしかったかな!―家でも家事手伝いなんてしたことない私だけど、最近はイロハを覚えてきた。もちろん、家で実践なんてしないけどね!
「よいしょっと…、干してこようかな…」
ピギャッと腰が悲鳴をあげるけど、ごめんねと軽く謝って洗濯かご二つを持ち上げる。確かに、これを部員がやるのと関係ない人がやるのでは訳が違う。その分、部員は練習できるわけなのだし。
最近寒くなってきたとはいえ、部活をしている彼等の発汗量は半端ない。だから夏に比べたらまだまだかもしれないが、これでも結構な量の洗濯物だ。初見さんは吃驚するだろう。もちろん、私は腰を抜かした。
「それにしても良い天気だなあ。これじゃあ直ぐに乾いちゃうね」
独り言をぶつぶつ言いながらってのも結構寂しいものだ。けど大丈夫、慣れてるよ。だってみっちゃんと一緒にいても、シカトされることが多いから、結果的に独り言してるようなものだし。
ていうか洗濯機置き場から物干し場までの距離感が否めない。初見さんは吃驚するだろう。もっと近くに設置してくれても良かったんじゃないかな。初めの時真田くんに案内してもらったけど、次の日、早速迷ったから、私。
パコーン、パコーンという音が、ちょっと遠くなった。頑張ってるなぁ、とどこか他人事のように感じた。
「…うぎゃっ!」
その時だった。
投げ出された何かに足元をすくわれ、そのままの勢いで地面へダイブする。もちろん、洗濯物は死守したぜ…!これもう一回とか行ったら、たぶん、私、幸村くんに殺される。がたぶる。
「一体何なんだ… って… うお!?」
長い脚を投げ出し、壁に身を預け、いつも人を見透かすように鋭い瞳は、今は閉ざされていた。日陰だからか、いつものように彼の髪色が輝くことはないが、それでも綺麗なことには違いなかった。
そういえば、さっきから姿が見えなかったと今さらながらに思う。真田くんがぷんすか怒って探していたが、確かにこんなところに居れば見つからないわけだ。一つ、ため息を零す。そんなにも長い脚をさらけ出していたら、私が躓いてしまうではないか。…まあ、躓いたわけなんだが。それでも微塵も動かないところから、よくよく眠っていらっしゃるのが分かる。良い御身分ですね。 彼が、人の前で眠ることなんて無さそうだから、少し貴重だとは思うが。
「そろそろ行かないと…」
折角死守した洗濯物を干さなければ、逆に私の命が危ないのかもしれない。今度は自分の命を死守しなければならない。がたぶる。別にあんまり幸村くんと会話しないけど、やっぱりあれだ。第一印象ってとっても大切だ。
急いで洗濯物を干さなければと、先ほどよりも足早にその場を立ち去った。
「…変なやつじゃ」
■ □ ■ □
目の前には物干し竿が三本設置されていた。ぶっちゃけこれじゃあ足りない。ってことは実は乾燥機は洗濯機の横に一台あったりする。最初見た時は、え、何それ。優遇されすぎじゃない?とか思ったけど、これは、仕方のないことだと今なら思える。ぶっちゃけ足りない。忙しく無くても乾燥機の手すら借りたいと思う程なのだから。むしろ物干し竿売りはらって、全部乾燥機にしちゃえばいいんじゃないかな!
ぶつぶつ文句を心の中で呟きながら、一枚一枚丁寧に物干しざおにかけていく。ぐちゃってなるのは仕様だよ、しょうがない。性格補正が出来ない限り、私に丁寧な仕事は無理なんだ。
「帰ったらプリント作んないと…でも良かったなァ、課題出なくて。本当先生今日だけは空気読んでくれたんだな」
晴れ渡る空に、ほんの少しの雲がかかり、その狭間から顔を出す太陽が、この洗濯物を暖め、乾かしてくれる。乾燥機にかけたもので半分が終わってるから、干すのも半分で終わりだけど、何分、半分って量が半端ない。
ていうか私さっきからすごい独り言だな…。周りに誰もいないからいいものの―「お疲れ様です、七瀬さん」―うえええええ!人居たああああ!?
なるべく平常心を保ち、目を瞬かせながら振り返れば、そこにいたのは柔らかな物腰で有名な柳生くんだった。…心の底からホッとしたのは言うまでもない。
「な、何か用…かな?」
「ええ…仁王くんをご存知ですか?先ほどから見つからないのです」
「仁王くん?」
思い出すのは、先ほど壁に寄りかかり、長い脚を丸っと投げ出し、健やかに眠っていた同級生だった。銀色の髪はやけに輝きを帯びていた、間違いようもない、彼が仁王くんである。
「さっき…見たけど…寝てた、かな」
「…全く、彼は真面目に部活を行うということを知らないようです」
「ア、ハハハ…」
ため息とともに吐き出された悪態に、思わずから笑いと苦笑いが漏れた。柳生くんでも、こんなこと言うんだ。私は彼の紳士的部分しか見た事なかったから、少しだけ意外だった。
あと10枚。なるべく柳生くんの方ではなく、洗濯の方に集中する。
「…時に、七瀬さん。お聞きしたいことがあるのですが」
「なに?」
手伝うわけでもなく、仁王くんを探しに行くでもなく、柳生くんは暫くしてから口を開いた。あと残り5枚!…これ終わったら、幸村くんに報告しなきゃ。
「―あなたは仁王くんのことをどう思いますか?」
「へ?に、おうくんのこと?」
「はい」
思わぬ質問に、思わず目が点になる。いきなりどうしたんだろうか。首を傾げて、質問の意味を問いかければ、ずれた眼鏡を指先でちょっとだけ直した。
「私にもよく分からない方でして、あなたはどう思っていらっしゃるのかと…」
「え…っと…うーん…私もよく分かんない、かな。あんまり話したことないし」
なるべく気分を損ねないように、苦笑交じりに呟いた。
仁王くん。――仁王くん。確かによく分からないという表現がよく似合う人だと思う。何を考えているのか分からない。
「うーん…」
好きか、嫌いか、と言われれば、容姿は好みですと答えたくなるほど、見目麗しいと思う。
―ただ、得意か、苦手かと問われるのならば。
「…苦手、かな」
「苦手、ですか」
「…う、うん。私、こういう性格だから、相手もストレートじゃないと変な風に考えちゃうんだよね」
へらっとした笑いを付けくわえ、最後の一枚をひっかける。洗濯バサミで挟んで、とりあえずの仕事終了――あの銀色の髪に惹かれるのはしょうがない、と仁王くんを思い浮かべた。
「でも、さ」
「はい」
「あの髪は、すごく、綺麗だとおもう。一回は触ってみたいかなあとか」
そう付け足せば、柳生くんは少しだけ驚いたように目を瞬かせたが、その色は直ぐにメガネの奥に消えて行った。「そうですか」そう、呟いた。―結局、彼は何を聞きたかったんだろうか。首を傾げれば、 やがて、くつくつという笑い声が聞こえた。
「え?」
「そう簡単には触らせんよ」
「へ?」
「プリッ」
「え?えええええ?」
独特な喋り方、そして奇妙な鳴き声――もしかして、え、もしかしなくても、ええええええ?
焦る私をよそに、彼は髪をくしゃくしゃともどし、メガネを外した。そこにいたのは、もちろん、先ほどまで眠っていた仁王くんだった。
「見事に騙されておったのう、七瀬」
「に、仁王くん…!?」
「プリッ」
「な、ななな!」
「苦手、か。なーる。なら、今度からは積極的にスキンシップを図ってみようかのう」
「は!?」
思わぬ展開に、拙い脳内はついていかない。は?だのえ?だのくらいしか私が言葉を出せないのをいいことに、仁王くんはしゃべるしゃべる。ここまで喋ったの聞いたの始めてだ。目をパチパチとやはり瞬かせていれば、彼は口角をにやりとあげて(うっわ、色っぽ!)、私に背を向けた。
「ついでに、膝、怪我しとる。俺の長い脚が悪かったのう」
「え!」
「怪我させてしまったお詫びに、お姫様だっこしてやろうか」
「! い、いらないよ!」
「遠慮せんでもいいのに」
「遠慮じゃないって!」
そんなことを繰り返し続けてながらテニスコートに戻った私たちを、言わずもがな、幸村くんが笑顔で迎えてくれた。…ここで命が尽き果てるのかと思ったのは、言うまでもない。
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