だから、君を拒めない


あの日以来、部活の最中、切原くんは私によってくる。「すごいね、七瀬。どうやって手懐けたの?」なんて、いつもはそんなに話しかけてこないのに、幸村くんの変な一言が妙に心に乗しかかる。私、何もしていないのに。はぁ、とため息をついた。

「緋莉先輩、知ってます?ため息ついたら幸せって逃げるらしーっスよ!」
「知ってるよ…」

さあて誰が私にため息をつかせているのだろうか。かんがえてごらん。胸に手をあてて。考えて御覧。
以前、真田くんから私を任された二年生の子――…確か田中くん、だっけ。に教えてもらったドリンクを作ろうと裏手に回って来たのだが、何が面白いのか楽しいのか、切原くんはラケット片手に私のあとを付いて回っていた。

「あの、さ」
「! なんスか?」

声をかければ、嬉しそうな声色。うっ。そういうの弱いんだけど、ね。心なしか、彼の尻付近(いや、べ、別に変な目で見てるわけじゃ、)に尻尾のようなものが見える。更にいえばそれが左右に動いているように見える。―君は犬か!

「練習、やらなくていいの…?」

なるべくその尻尾を見ないように視線をずらして問いかければ、至極不思議そうな声色で「え?」と言われた。うん、何その「え」って。

「今、練習の時間、だよね…」

部活のスケジュールは最初の日に真田くんから手渡されたから、頑張ってその日のうちに覚えようとしたけれどやっぱり無理だったから2日かけて覚えたのだ。毎日同じことの繰り返しなので、もうきっちり頭の中に入っている。私の呟きを聞いてか、切原くんは、「あー…」とラケットで自分の肩をたたいた。

「俺の出番もうちょい後なんで。先輩手伝います!」
「え」
「今から何するんスかー?」

今の「え」で気づいてもらいたい。あまり、近くに寄られると、お姉さん方からの視線が痛いことになるのだ。「ドリンク、作る…」もはや諦め気味に呟けば、「あっ」と切原くんが声をあげる。「えっ」何かやらかしたのかと声をあげれば、切原くんはにっと笑った。…相変わらず清々しいくらい人懐っこい笑みだな。

「そういや昨日のドリンクうまかったっス!」
「え…ほんとに?」
「ほんとほんと。先輩たちも言ってましたよ」
「うわ、わわわ…!なんだか嬉しい…な!ありがとう!」
「いてっ!」

家で試行錯誤を重ねた甲斐があったということか。嬉しくなって思わず切原くんの背中をバシッと叩いてしまった。しかも思い切り。あちゃーと思った時には時すでに遅し。

「何するんスか!痛いっスよ!」
「ご、ごめん。テンションががーっとあがってしまって、あ、…ごめんなさい、」
「え、いやいやいや!土下座までする必要ねえっスよ!?」
「え、でも、みっちゃんはテニス部に謝る時は土下座しろって、」
「みっちゃんとんでもないっスね!」

みっちゃんの教えはもはや体に叩き込まれているといっても過言ではない。テニス部のことに関しては彼女の過激さは一段と鋭さを増す。五箇条くらい鉄則があるのだ。
思わず地面に手をついたところで、切原くんに腕をとられて立ち上がる。おおおおおおお。ちょ、触って、あああああ。

「しょっと。あーあ、ちょっと汚れてますよ、ここ」
「あ、あああ?え、う、うん。大丈夫、だから、その、手!」
「え、手?あ…あー、これくらいいいっしょ」

( よくねえええ! )

たかが土下座するために地面に向かったのが失敗だったのか。どこか楽しそうな切原くんは、私の腕を掴んだままだった。

「さー先輩、ドリンク作りにいきましょ、へぶ!」
「おーおー。この後輩は部活サボって何する気なんだろうなー。なあジャッカル」
「赤也、お前そろそろ番だぞ」
「丸井先輩、!と、ジャッカル先輩」
「俺はついでかよ…」
「マネージャーといちゃいちゃしてる時間なんてねえんじゃねえのー?」

ぷくう、と緑色の風船を膨らませ、丸井くんはラケット片手ににやりと笑った。ちょ、ちょっと誤解が生じている。別にちゃいちゃいなんてしていない!焦る私を見てか、丸井くんは、もう一度口角をあげた。

「おー?緋莉、焦ってんじゃん。なんだよ、赤也。手ェ早いっての」
「そ、そんなんじゃないっスよ!」
「へえ、どもるところが益々怪しいな?」
「先輩っ!」

いや、あの、助け求められても。じり、と一歩下がれば、ジャッカルくんがため息をついて丸井くんの頭を叩いた。

「いい加減にしろ、ブン太。赤也も七瀬も困ってんだろ」
「ちぇ。二人して面白い反応してくれるから楽しかったのによー」
「か、からかわないでよ…!」
「赤也も楽しいけど、お前もなかなかだな。赤也見捨てようとしたし」
「え、ちがう!」
「先輩、マジっすか…!?」
「や、ややや!だ、だって…!」

「ぷっ。やっぱりおもしれえな、緋莉!俺の目に間違いはなかったな!」

そう、丸井くんはケラケラと笑った。…うん、心臓に悪い。丸井くんは愛らしい顔立ちをしているから、その笑顔は殺人級だと思った。ハァ、と思わず口から洩れたため息に、丸井くんはきょとりと目を丸めた。

「なんかしんどそうだけどどうかしたのかよぃ」
「…まあ、色々…」

皆さんが話しかけてくる度に私のミジンコ級の心臓がびくびくしていることや、あっち行ったりこっち行ったりでそろそろ足腰さんが文句言ってることや、お姉さん方の視線やら。マネージャーさんには付いて回るものだと思う。けれどそれを彼等に言ったところで何になろうか。「部活入ってなかったら、…ちょっと大変なだけだよ」だから曖昧に笑った。その言葉に嘘はない。本当のことだ。…さて。そろそろお仕事しないと真田くんにグラウンド100周行かされるな。

「じゃあ…あの、みんなはがんばっ、うわあああ!?」

不意に丸井くんのふわっふわの髪が目の前で揺れたかと思えば、彼の少しばかり骨ばった手が私の頭に触れていた。思わず悲鳴に近い絶叫をあげる。キャッなんて可愛らしい声は出せません。というか出ません。「何、触られんのも無理なわけ?」ちょっとだけ不機嫌そうな声に、首を高速球で横にふった。(…く、首もげる…!)

「ならいいだろぃ。…つかさ。一人じゃねえんだから、あんまり背負うなよ」
「――だな。頑張ってくれてんの見て分かるし、大変だっつーのも分かる。けど、七瀬は一人じゃねえよ」
「で、でも…」

負担を減らすためにマネージャーっているもんだと思うのだけど…。余計に、みんなの負担になってるような気がしないでもない。口ごもる私に、切原くんは、やっぱりにっと笑った。

「だから俺、手伝いますって。何つったって俺は立海大テニス部エースですからね!」
「おーい赤也、自称、が抜けてんぞ」
「何言ってんスか、丸井先輩!俺は自他ともに認めるエースじゃないっスかー!」
「だから自称だろぃ」
「おいおいお前ら…」

基本的に、この人たちのことを知らない人間であったから(外見的には文句なしにイケメンだから拝んでいたいとは思うけれど)、ここまで騒がしい ゲフン 賑やかな人たちだとは思わなかった。まあ色々な意味で華やかな方々だとは思うが。 だから、素直に、良い人たちだなって思った。彼等を好きになる全女学生は、外見のみでなく内面にも惹かれているのだとしたらそれはしょうがないことだ。本当に、暖かい人たちだから。
勝手なイメージで、イケメンだから、ナルシストみたいなものも固定概念の中になかったわけじゃない。むしろ思考としてはそっち寄りだったりしていたわけで。 ごめん、と心の中で呟いた。これからはきっと見る目が変わると思う。みっちゃんたちにもちゃんと言っておくよ、みんなは結構良い人だったって――。

「ねえ、緋莉先輩!緋莉先輩はどう思います!?俺はエースですよね!?」
「ま、まだその話続いて、たんだ…」
「すぐカッとなるヤツにエースは無理だっつーの」
「な!言いましたね、丸井先輩!!勝負っス!アンタなんか5分で倒してやりますから!」
「言ったな一年坊主!よし返り討にしてやるよ!…ジャッカルが!」
「俺かよ!?」

「みんな…そろそろ練習に戻った方がいいと思うな…」

訂正。
基本的に、騒がしい人たちで間違いはないと思います。


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