若気の至り、なんて言い訳にすらならない
柳くんに言われた言葉を、何度か頭の中で復唱してみる。だけど考えれば考えるほど、私の脳内はパンク寸前だった。さっきからチラチラと視界の端に切原くんが映るのだけど、そのたびに私のミジンコ並の心臓はピクピク動く。かわいそうでしょう!本当にミジンコ並なんだからね! なんて心の中で幾度となく格闘を繰り返しながら、ジャージに手をかけた。 シン、と静まった部室の窓から差し込むのは、僅かばかりの明かりだけだったので、少しだけ恐怖心を煽られる。もちろん、そこまで日が落ちているというわけではないが、こう、静かなところは苦手なんだ…。それよりも――今日は本当に色々なことがあった…。仁王くんから始まり、仁王くんに挟まれ、幸村くんに怯え、柳くんに言われた一言で終わった。うん、大変だった。バックの中から制服を取り出し、逆にジャージを畳んでしまう。うん、ちょっと汗臭い。ちゃんと洗ってもらわなきゃ。
( 『デビル化と名付けている』―『赤也の精神に異常をきたすことに間違いはない』…けど…『必要な強さ』か、 )
パチン、と胸元のボタンをとめ、ちょうど目にとまった切原くんのロッカーを見つめた。―もう、関わりがないわけはない。遠慮したいところだけど、彼は私に懐いているのだという。柳くんが言うんだし、まあ間違いはないだろう。精神に異常をきたすということは――あの笑顔が、崩壊していくということなんだろうか。曖昧なものだけど、それは、とても嫌だと思った。そう感じられる私は、とっくに、感化されているんだろうけど。
「おーい緋莉、入んぞー」
「ばっ!おい、ブン太!!」
ノックもなしにがちゃりと扉は開かれた。ハッとして思わず私はかたまる。そりゃ、深刻なことを黙々と考えていたんだ、急に思考を中断させられればかたまるってものだ。その二つとも、最近とても馴染み深いものになっているし、堂々と部室に入ってくるもんだから、私は思わず、「あ、どうぞ」と返事をしてしまった。 言った後で、後ろの制止の声の意味に気付いた。 …私着替え途中なんですけどおおお!?何それ、そういうドッキリ!?それとも何か、私の貧相な体見ても何にも思わないから大丈夫だよ、とかそういう男らしい考え方を持っていらっしゃるの!?……泣いてもいいかな。まあ、もちろん、あとはブレザーを羽織るだけなんだけどさっ。 私の想像通り、丸井くんはぜんっぜん気にしてない様子だったよ。うん、 いいんだけどね…。
「おっし、着替えてんな。じゃあ行くぞぃ!」
「え?ちょ、っと、丸井くん…!」
「あ?なに?」
ニカッと笑ったのはいいんだけれども、それはそれはとても素敵なスマイルだとは思うんだけれども、急に手を引っ張られたら私はどうしていいか分からなくなるだろうに!わかってやってるんでしょ、もうわかってるんでしょ! 私が抵抗の意を持って立ち止まれば、私の腕を容赦ない力で引っ張る丸井くんは(がちで痛いんですけど!)怪訝そうに眉を寄せた。 だから!その表情は!ちょっと怖いんですって!
「行くって、どこに…?」
「ん、あー…行きゃわかるわかる。そうそう、ジャッカルと赤也もいるけど、いいよな?」
「へ?」
「あ、いや?俺と二人っきりがいい?」
「そ、そうじゃなくて!い、意味がわかんないです!」
焦る私、笑う丸井くん。 さぞかし奇妙な光景だろうな。突然行くぞと言われ、どこにと聞いても答えてもらえず、逆に他の人たちの名前を知らされ、呆気にとられていれば、自分と二人きりがいいかと笑顔で聞かれ、――そうじゃないよ!分かるよね!丸井くんならわかるよね!
「おいブン太、困ってんだろ…。説明してやれよ」
「説明したらサプライズの意味ねぇだろぃ!お前の頭はほんっとつるっぺかだな!」
「お前な、」
「どーでもいいですけど早く行きましょうよ、俺腹ペコなんスけど!」
不機嫌そうな声が桑原くんの声にのしかかり、思わず心臓が震える。やだな、これじゃ明らかに差別のような気がしなくもない。恐る恐る丸井くん越しに扉の方へと目を向ければ、桑原くんの陰に隠れたもじゃもじゃの髪が見える。思わず、口がへにょりと歪んだ。
「つーわけで行きましょ、先輩」
だけど切原くんのニッとした子供っぽい笑顔が私をとらえたから、すぐにしゃんとした表情に戻し、曖昧に笑みを浮かべた。 うわ、私、すげ嫌なやつみたいになってる。「え、と…どこに、行くのかも教えてもらえないも、かな」途切れ途切れの言葉は、シンとした部室には響き渡る。
「マックっスよ!何てったって今日は――」
「あー!言うな言うな!だからお前はバカ也ってみんなに呼ばれんだよ!」
「ちょ、何スかそれ!!つーかそれ呼んでんのアンタだけじゃないっスか!!」
「いや仁王も呼んでっから」
「初耳っス!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ二人の姿は部室から消えて行った。 これ、さ。このままいなくなってもバレないような気がしなくもない。けれども。
「わりぃな、七瀬。付き合ってもらってもいいか」
「う、うん…」
桑原くんに、ほんとーに申し訳なさそうに言われたら、誰だってついていくしかないと思います。ちょっと待ってて、とバックを持って、とりあえず今日の分の仕事は終えたと鍵を持って部室を出る。一番最後に部室を使ってるの、大抵私だから鍵をかけて直すのも私の仕事になってる。だから、ちょっくらこれ返しに行かなければいけない――「うわっ?」右手にあった固形のものが、するりと私の手から消えていた。 驚いて後ろを振りかえれば、柳くんが立っていた。 ぎゃ、☆▽×■わらおwぱrわお!? と叫ばなかった私は偉いと思う。
「や、柳くん…?」
「部室に忘れ物をしてしまってな。これは俺が返しておこう」
「え、で、でも…」
「―早く行かないと、うちの賑やかし担当二人はうるさいぞ」
「え、」
「緋莉!はやく来いよ!」 「そーっすよ!はやくー!」
素早いよあの二人。もうあんなに豆粒ほどの大きさになってるよ。隣の桑原くんは額に手をあてて大きなため息をついてる。お気持ち、お察しいたします。
「じゃ、あ…お願いしても、いいかな」
「ああ。じゃあ気を付けて行くんだぞ、ジャッカル、七瀬」
「おう。参謀も気を付けて帰れよ」
「ばいばい、!」
小さく頭をさげてその場を立ち去る。柳くんでも、忘れものとかするんだな。何忘れたんだろう。柳マル秘ノートかな…。……ばか、私!なんでこんなチャンス見逃すんだよ!もしかしたら柳マル秘ノートの中身見れたかもしれないのに!! と悔しがってる私の横で、桑原くんは至極変なものを見るような目で私を見ていた。
「精市、いるんだろう?」
「…まあね」
「ずいぶんと戸惑っているようだったが、よかったのか?」
「――なあ、蓮二」
「…なんだ?」
「最初は軽い気持ちで俺は彼女を推してみたけど―俺は無理にでも彼女にしてよかったと思ったんだ」
「―…そうか」
■ □ ■ □
マックについた途端、とりあえずお前ここ座っとけと丸井くんに無理やり座らされて、手持ち無沙汰状態でいる。結構遅い時間になりそうだから――と、とりあえずお母さんにはメールしておいた。しないと…あとでちょっと怖い目見るの私だから。
「おまたせー」
「あ、ううん…って、ええ!な、なに、この量…!」
「え、標準だろぃ」
あっけらかんとした丸井くんが、一瞬、恐ろしく思えた。ま、まあね!食べ盛りな中学生男子、しかも部活帰り、おなかペコペコby切原 なんだし、夕食にこれくらいはね!いけるよね! うちのイトコたちもこれくらいぺろりといくもんね!
「夕食にマックって初めてだ…」
「え、夕食にするつもりっスか?」
「違うんですか、!?」
「こりゃあれだよ、部活お疲れ様みたいなおやつ的な?」
「ウソ、でしょ…!みんなのおなかはブラックホールかな…!」
夜はきちんとご飯食べた方がいいっスよーなんて切原くんの軽い一言が突き刺さる。これ食ったら夕飯食えないよ、てかそんなに食ったら私いろいろダメな気がするよ…!また侑士にいろいろ言われてしまう…!
「ま、とりあえず…っと。七瀬、烏龍で平気か?」
「う、うん。大丈夫、」
「じゃあほら」
「あ、ありがとう、」
私がガッテムとしていると桑原くんが目の前にウーロン茶を置いてくれた。ありがとう。桑原くんの優しさが本当に心にしみるよ。 彼はそのあと、丸井くんと切原くんにも飲み物を渡していた。うん、切原くんは私の隣だからにしろ、丸井くんは絶対自分でもとれたよね。けど、彼、持ってく気がゼロだったね。
「んじゃ、とりあえずっと」
ニッと笑った丸井くんは飲み物をもちあげて、私の方に突き出した。呆気にとられて瞬きをしていると、つんつんと切原くんが私の手をつついた。彼の反対側の手にもきちんとコップが掴まれている。あ、ああ、とつられてコップを持てば、丸井くんはさらに愛らしい笑みを浮かべた。 …愛らしいんだよ、本当に。
「緋莉の歓迎会っつーことで!かんぱーい!」
「かんぱーい!!」
「へ…?」
「驚いただろぃ!一週間くらい前から練ってたんだよな、赤也」
「え、一昨日からじゃなかったスか?」
「…おまえほんと空気読めよぃ」
「え!悪いこと言いました!?」
「いや、お前は正しいから謝んなくていいぞ」
コップを持ったままという情けない恰好で、私はやはり、呆気にとられていた。――歓迎、会って、今言ったよね?
「あれ?先輩、どうしたんスか?きょとーんってしてますけど」
「い、いや、だって…」
「ビックリしただろぃ」
「サプライズ成功だな」
「っスね!」
三人は顔を見合わせて笑っていた。―ビックリしないわけはない。彼らが袋をあける音だけが響いて、私の脳内に伝わって行った。
「先輩、何食べます?キライなものとかあります?」
「あ、いや、だいじょうぶ…だよ」
「じゃあ、はい」
「あ、ありがとう…切原くん、」
ポンと渡されたものを受け取って、小さくお礼を言う。「緋莉先輩」急に切原くんが私の名前を呼ぶ。ビックリして思わずはいとか返事してしまった。
「俺のこと呼んでくださいよ」
「は?」
「呼んでください」
突然のことで頭がついていけず、ハンバーガーを持ったままで瞬きをすれば、切原くんはふつーに言ってくるので、「…切原くん?」と呼んだ。すると彼ははぁーと深いため息をつく。 いったい何だというのだろう。
「なんで名字なんスか!俺、名前でオッケーって言ったでしょ!」
ああ、なる。そういうことか。向けていた視線をそっと戻し、ハンバーガーの包みを剥いた。さあ食べよう。歓迎会だと言ってもらえているけれど、なるべく早く食べて、なるべく早くに帰宅しよう。
「せーんぱい?」
「な、にかな、切原くん」
「名前!」
「…はい、切原くん」
実際問題、冷や汗だらだらなのお気づきかしら。分かってくれ、るよね。助けを求めるように前をちらりと見ても、丸井くんは面白そうな顔をしており、隣の桑原くんは見てないふりをしている。ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしているから、逆になんかやりきれない。「赤也!」ハンバーガーをトレイの上において、一大決心をした。「…オケ、赤也くん」めっさもろ緊張してるんだから!譲歩して!
「くんとかいらねえっスよ!」
「赤也!!」
カッとなるのは私の悪い癖です。わかってます。結構、このせいでみっちゃんに、ああん?いい度胸してるじゃんか?的なことを言われるんだ。―言っちまった。呼び捨ててしまった。ただ今の私はやりきった感だけが胸を占めていて、ぶっちゃけどうでもよかった。たとえ丸井くんは驚いたように目をぱちぱちさせていたとしても、桑原くんも同じような顔をしていたとしても。
「そうすりゃいいんスよー」
「(やっちまった!!)」
一瞬にして後悔が押し寄せてきたが。切原くん――…赤也は嬉しそうな顔をしていらっしゃって、だから余計に柳くんたちの言葉が嘘のように感じてしまった。仕方なしと思わず笑みが漏れ、ハンバーガーをひとつ齧った。
「赤也ばっかじゃ不公平だろぃ」
これで終わりかと思われたというのに。恥を忍んで名前で呼ばなければならないというのに。今の会話の流れからして、『不公平』というのならば、『名前』のことなんだろうが。思わず嫌そうな顔をしてしまったのか、桑原くんが苦笑に近いものを浮かべているのが見えた。やばいな、私どれだけイヤでも、他人の前でならそんな表情浮かべずに我慢できるタイプだと自負していたのにな。
「俺も名前でいいぜぃ。名字で呼んでも返事しねぇから」
「え!?」
「ほら、呼んでみろよぃ」
これ歓迎会だよね。なんで、私こんなに、焦んなきゃいけないのか。アワアワと口を開けたり閉めたりしていると、ある答えを見つけた。名前、呼ばなきゃいいんじゃない?特に丸井くんと接点なんてないし、あったら、ほかの人に頼べばいいんじゃ―「名前呼ばなきゃいいとか思ってんだろ」―バレてる!「別に名前くらいよくね?減るもんじゃねえし」減るよ!たとえばあなたを名前で呼ぶ。女子の目線が突き刺さる。寿命が半分くらい減る。ね、減るでしょ!?
「でも…」
「別に俺の名前なんて結構みんな呼んでんから」
「う、うう…ブ、ブン…」
「んー」
「ブン…ちゃん」
「は?」
「これ以上は勘弁してください…」
クラスメイトの誰かが彼をそう呼んでいた。確かに結構彼をそう呼ぶ人は多い。=私が呼んだって目立たない。OK。降参とばかりに項垂れれば、しょうがねえなという声が聞こえた。…ブン太くんとは、呼びにくくてね。
「七瀬、俺も名前でいい」
「へ?」
「いや、俺の場合、名字呼びって慣れてねえんだよ」
「あ、そっか…。じゃあ、ジャッカルくん、で」
「おう」
「はあ?何だよそれ!ジャッカルの時はどうして簡単なわけ?」
「え…だって…」
ぶっちゃけ桑原くんって言いにくい…ってのもあるけど。さっきから蛇ににらまれるカエルの図になってる。「…まあいいや」飽きたのか、丸井くん―もといブン、ちゃん…なんか言いにくい…けど…はアップルパイに手を伸ばしていた。食べますね。
「なんか一気に距離、近くなった気がしますよね!」
「…そうだね…」
「?先輩なんか疲れてません?」
「気のせいだと思うよ…」
もう、年かもしれん。ハンバーガーにかぶりついて、あとで謙也にイタ電してやろうとかひっそり考えていた。
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