私と貴方の最初で最後の契約
「どうやら。知ってるようだね」
そう言って微笑む姿は、やはり見目麗しいテニス部の部長、幸村精市くんだった。確かに美しい。思わず見惚れてしまうほどに美しいのは百歩譲って認めよう。だけど、そのドス黒いオーラという何かまがまがしいものは、美しさでは隠せないようだ。うう。なんだよこの人、こわすぎるだろ!ああ、偉大なる母よ。私の寿命はどうやら今日で尽きるようである。
「し、知りませ、!」
にっこりと再度微笑まれる。お前の言葉なんて聞くかよ。調べはついているんだよ。―そんなことが、笑顔からふんわり(…そんな可愛らしい言葉じゃないくらい)とにじみ出ている。
私は思わず出かかった言葉を飲み込んで、何かが出てこないように口元を押さえ、首をぶんぶんと横を振った――はずだったのだが。頭をものすごい圧力で掴まれ、有無を言わさぬ態度で縦へと振らされた。え、何コレ。いじめ?いじめなの?
「そうか。やっぱりね。まあ蓮二のデータに狂いはないから知ってたけどね。その――忍足侑士くん、とは、イトコだよね」
「――!!」
汗がたらりと背中を伝った。あ、れ。なんで、なんで。バレて、るんだ。隠し通したつもりだった。
別に侑士が嫌いとか、そういうのはない。けど。けど。誰にだって知られたくない血縁関係の一つや二つあるものだろう。戸惑うように目の前が揺れ、私は、幸村くんを視界に入れた。 …ああ、楽しんでいらっしゃる…! なんて恐ろしい人だろうか。天才的なプレーを披露する彼を、人は神の子と言うらしいが。目の前で微笑みを称えて足を組む姿はまさしく魔お、 (「七瀬。それは禁句だ…」) そっとデータマンこと柳くんに口をふさがれて、私は黙り込む。汗がたらたら頬を伝った。
「まあ。そこらへんはどうでもいいんだけどね」
「え?ど、どうでもいい、って」
「別にお前が忍足侑士とイトコ同士であろうがなかろうが、関係ないというわけだ」
ならなぜそれを話に引き出されたのだ…。あまりにも彼らの考えが理解できず、もうそそろそろ泣きたくなってきた…。逆に侑士が恋しくなってきたよ…。
「…ほらね?」
「…え?な、なんですか…?」
「その態度。俺達に対する、さ。七瀬さん、さっきから媚び諂う態度しないよね。それが一番の理由だよ」
「ど、どういう…」
「自分たちで言うのもなんだけど…女学生たちはどうやら俺たちに好意を寄せてくれている子が多いみたいでね。けど。俺たちは真剣なんだ。真剣に、全国制覇を成し遂げる。そんな時に、そんな子たちに俺たちの管理を任せられないだろう?…そこで君だ。蓮二のデータから言うと、君はまず『イケメンは遠くから重宝すべき。かかわった時点でそのものたちはイケメンから除外される』という言葉をモットーにしているらしいね」
「デ、データの間違いじゃ……」
「失礼なことを言うな。俺のデータに間違いはないぞ、七瀬」
口角だけにや、とあげた、柳くんに私は肩をびくりと震わせた。あの細目からは幸村くん並の恐怖さを感じる。
ど、どうすれば彼らの認識を変えられるのだろう。私が彼らに興味津津とか、そういう態度をとれば…あるいは『やっだー私幸村くんちょー好きだよぉ?擦れ違うたびにミジンコ並の胸がドキドキしちゃってヤバいんだよぉ!てかマネジ?無理だよぉ、もう幸村くんこれ以上幸村くんの傍にいたら私心臓が口から飛び出ちゃうよぉ!だから、ごめんねぇ』これか!……いや、誰だコレ。どうやら頭の中がブリザード状態で、正しい判断ができないらしい。いや、でも気持ちよく断るためには、これでいくしか…。私のプライドの全部が許しては、…いや、許してくれるだろう。
「あ、あのねえ!」
思いがけず声が跳ねあがった。驚いたように、そこにいらっしゃる全員の視線が私に集まる。とても気まずい。とっても気まずい。大事なのでもっかい言う。とっっても気まずいんだよ。
「…どうしたんだ」
少しだけ目を見開いて、真田くんは問いかけてくる。ああ、やっぱり帽子は取った方がイケメンだよ、真田くん。ちょっと近づきがたいお堅い雰囲気がたまらないオトコノコ(…だよね。同い年だからまだコでいけるよね)。
「わ、わた、わた、し…わたし…」
だれだ。そこまで自分をアピールしたいわけじゃないんだ。そんなに私を見ないでくれ。カァ、と赤くなる頬を隠すように俯いて、先ほど考えた言葉をめちゃもろ小さな声で「やっだー私幸村くんちょー好きだよぉ?擦れ違うたびにミジンコ並の胸がドキドキしちゃってヤバいんだよぉ!てかマネジ?無理だよぉ、もう幸村くんこれ以上幸村くんの傍にいたら私心臓が口から飛び出ちゃうよぉ!だから、ごめんねぇ」そう告げれば、「え?」「え?」と真面目な顔で二回ほど聞き返された。もう死んでもいいかな。
「…まあとりあえず七瀬さん。俺たちのためを思って、マネージャー、やってくれないかな。もちろん仕事は一から全部教えるよ」
「ジャッカルがな!」
「俺かよ!」
「何だよぃ、嫌なのか?」
「フフ。ならブン太が教えてあげるといいよ」
「け、結構です!」
「あ?俺じゃ、嫌なのかよぃ?」
思わず大きな声で否定すれば――もちろん、これはマネージャーをだが――不機嫌そうに赤い髪を揺らした丸井くんは、少し眼力を強めて私を見た。ひい!も、もういやだ!なんだこの不良集団染みたテニス部!怖くね?イケメンとか全部置き去りにしちゃってもいいから怖くね?大事なことなので二回言いました…。
「ま、丸井くんがどうとかじゃなくて…!」
「じゃあなんだよ」
「わ、わたし、テニスなんて一切かかわってなかったから、全然分からないし、むしろ関わる気なんてないし、あの、それにみんなのこともちゃんとカッコイイとか思ってるから、もしかしたら心の中で変なこと考えてるかも、しれないし!」
「ほう。例えばどんなことだか教えてもらっていいか?」
「え!?」
まさかそう切り返されるとは思わなかったぜ!普通「え、七瀬、お前そんなヤツだったのかよ」「おいおい幸村、こんなヤツマネージャーとかやめようぜ」じゃないの?
「え、いや、その…。えっと…。しゃ、写真売りさばく、とか…。機密情報を女の子に流す、とか…!」
「…ぷっ!なんスか、それ!」
「ならその写真売って稼いだお金は全部没収しようかな。機密情報か…。他校にばらされたら困ることもあるけど… まあ七瀬はそんなこと、できないよね?」
「(あれ。いつの間にか敬称がなくなってる…)…はい」
もはや幸村くんに逆らう術が残されていなかった。そしてそろそろ足がしびれてきた。軽く二〇分以上は正座の状態から動いていない。…あ、さっき立ったけど…。真っ青な顔をしている私を見て、幸村くんはやっぱり綺麗に微笑んだ。
「ねえ。さっき、一番の理由はって言ったよね」
「……は、あ」
「…あれ、撤回するよ。七瀬は七瀬だから。俺は君に頼むんだ」
顔を上げれば、彼は真っ直ぐに私を見ていた。すべてが見透かされているように、闘志の炎が燃える、そしてそれを隠すように覆われた大きい眼球に、――見惚れた。
「…ず、ずるい」
「ずるい?」
「そういうこと言われると…、私、どうやって断ったらいいのか…」
「いや、普通に嫌だって断ればいいんじゃない?」
「!!(このシリアスな場面をぶち壊すの!?さすが神の子だよ!)」
「七瀬って…思ってることが直ぐに顔に出るタイプだね。面白いよ」
相変わらずニコニコと幸村くんは私を見ていて、隣に立っている柳くんは分からない表情で熱心にノートに文字を書き、後ろの真田くんは厳つい表情を崩さず立っている。背後にいるであろう仁王くんからはクツクツという笑い声が、その隣の柳生くんがそれを叱り、好奇に満ちた瞳を随時ぶつけてくるわかm―もといキリハラくんは横に。反対側にはため息をついているジャッカルくん(あれ、なんか同じような雰囲気が)、その横にはガムをプーっと膨らませて、に、と笑った丸井くん。…あれ。いつの間にかレギュラー陣に囲まれてたんだ、私。最初は前後にいただけだったのにな。逃げられないようにか。くそ。
「私、本当に、役に立てないかも、しれない」
「始めから諦めを口に出すような輩はたるんどる証拠だ!」
「ひ!?」
「七瀬!お前も今日から我が立海テニス部の一員なら軽々しく諦めを口にするな!!」
「ま、まだ了承したわけじゃ!!」
「言語道断!グラウンド一〇周だ!」
「どういう理屈!?む、無理、無理です!!」
走れってことですか?まだ決めてないのに!?ナニソレ百貨店が飛び出てくるよ!思わず立ち上がり、扉一直線まで向かっていくと、その扉付近に待機していたジャッカルくんを思わず力いっぱい押しのけて外に出た。…あれ。始めからこれすれば良かったんじゃね?なんて思いながら、私は思い切り逃げ去った。それは脱兎のごとく、まさしく龍神。とか勝手に思っている。後ろからは物凄い形相の真田くんが(あああああ!?)追いかけてくる。これは校門の外に出るが勝ちだ。マッハで加速!にげ、逃げ足だけは速いんだからな!
「…フフ。思った通り。楽しくなりそうだね」
「良いデータが取れそうだな、精市」
「変な人っスね。…けど面白そ」
「確か仁王くんは同じクラスでしたね」
「別段、目立つ存在ではないが…。どちらかと言えば真面目なタイプぜよ」
「つーか帰っちまったけど、いいのかよぃ?」
「おそらくチキンでヘタレな性格の娘だからな。サボるなんてことは心臓が許さないだろう」
「……誰か俺の心配をしてくれねぇの?」
「あ?あ、ああ。大丈夫かよぃ、ジャッカル。まあお前なら大丈夫だろ。うんうん大丈夫大丈夫」
「…逃げられたぞ」
「お疲れ様、真田。…ということだから。明日から、彼女はうちのマネージャーだ。大切に、接するようにね」
この時。レギュラー陣の各々から、賛同の声が上がっていることなど、必死に逃げ回る私には知る由もなかった。
「…あれ?真田くんは?」
いつの間にか。一人で走り込んでいたらしい。
ALICE+