迷わない時間なんて無いよね


あれから一週間経ちました。未だマネジメントに慣れない私に対し、部員のみなさんはそれなりに優しく接してくれている。というのも、深い意味なんてありもせず、本当にそれなりなのだ。おーいボール、なんて言われれば少しだけたるんだ二の腕あたりをフル活動させてボール補充にあたり、ドリンク、タオル、なんて言われれば足に鞭打ってグラウンドを駆けずりまわった。
どうやら、超絶人気部活とは言え、見学は許されていないらしい。というのも、きゃっきゃされると集中できないという真田くんの喝によるもだった。しかしさすがは乙女。乙女と書いて猛者と読む。彼女たちの執念というのは、いやはや称賛に値する。こそこそと真田くんに見えない程度の場所から、黄色い声をあげているのを私は横目で見ているから知っている。その間、幸村くんに頼まれたざつy 仕事は黙々とこなしているのだが。
更に彼女たちから浴びせられる鋭い視線にも、もう慣れっこだった。彼女たちもそろそろ気づくだろう。もはや、私はマネージャーなんて可愛いものではなく、ただの小間使いということに。

「はぁ…」

いつものようにみっちゃんとちーちゃんとお昼を食べる。不意に漏れたため息に、逆にみっちゃんの方がため息をついた。

「何、その脹れっ面。もう音をあげてんの?」
「…そういうわけじゃないけど。もう足腰腕が、私もうダメです!って言って聞かないんだよう」
「そういうの覚悟してたんでしょーが」

そう言いながらも、箸だけは着実に進めるみっちゃんは、相変わらず箸の使い方が綺麗だった。私なんてボロボロものを零すだけである。

「でも、レギュラーとは仲良くなれたっしょ?」
「え、別に」
「え、そんなもんなの?」
「むしろ他の子たちと仲良くなったかな、」

最初こそは真田くんがテニスのイロハについて教えてくれたり、柳生くんがマネージャーとは何かについて教えてくれたが、ぶっちゃけそれっきりである。まあ、私としては有りがたいがな!さすがに毎日話をしてたら神経すり減る、だって彼等はまごうことなきイケメンなのだから。他の子たちは(主に1年生だが)、今まで自分たちがさせられてきた仕事の負担が減ると喜んで私に仕事を教えてくれた。うん、分かってるよ。仲良くなったというか、なんというか、ってことくらいは。

「なぁんだ。マネージャーとか言うくらいだから、もっとレギュラーと密着した関係なのかと思ったのに」
「まあ、レギュラー陣なんて練習でそれこそ忙しいでしょうねえ。なんか、うん。色々ご愁傷様」
「そういうの余計に傷つくから辞めてくれません」
「でもさ、それ損だよねー。折角マネージャーになったのに、恨まれ損だよ」
「ああ、ファンの人々ですか。そろそろ目線で殺されるような気がしてきたけど、まだイケると思うよ」

ぱくりと、今日はお父さん特製のオムライスを口に運んだ。とろとろの卵が絶品の一品である。お母さん?やだな、お母さんは今日はお寝坊さんだよ。実際のところ、お母さんよりお父さんの方が美味しいような気がする。口が裂けても言わないけどね!
ずずず、と水筒をすすれば、みっちゃんに汚いと頭を叩かれた。

「でもまだテニスのことよく分かんないんだよね」
「マジか。え、自分で入門書とか買わないの、そういう時」
「真田くんに押し付けられた本なら家に山ほどあるよ。彼にテニスのいろはを教えてもらったんだけど、こう、熱く語られてね。『テニスはたまらんな!』まで言われたよ、同意まで求められたよ。死ぬかと思った…」
「うん、どんまい」
「でも緋莉、いとこがテニスやってるんでしょ?聞いたりしないわけ?」
「二人に聞いたら何だか終わりのような気がするんだ」

一応メールで、マネージャーになった、って送ったけど。どっちもどっちの返信をいただいた。それこそ遠く離れた片方からは、電話が鳴りやまないくらい喜ばれた。から、切ってやったのだが。

「でも今までのだらけた生活を見直すにはもってこいじゃない?」
「…確かに緩みっぱなしだった腹が少しだけへっこんだよ」
「悪い事だけじゃないっしょ」
「うn…え、…いや、それは」

頷きかけ、同意しかねる。
――…幸村くんのあの言葉を忘れるわけではないし、真田くんの熱いまなざしを忘れるわけでもない。素直に感銘できたし、私で出来るならなんて、単純な私はのせられた。だから、今だって頑張ってる。みんなの前ではとりあえず弱音は吐いていないはずだ。うん、はずだ。もしかしたら1年生の前ではぺちゃくちゃ吐いてるかもしれないけど、でも、真田くんの前では吐いてないよね。…この前本物の鉄拳を見てしまった。切原くんがぶった押されていた。本気で、彼の前で馬鹿な真似はやめようと思った。

「――だ―――!ざけ――!!」
「――俺―――ねぇだろ―」
「―!――けんじゃ―――!!」

黙々と食事を再開した私の耳に、どなり声と反抗するような声が聞こえて、数人の男子が、一人の男子を囲んで連れて行っていた。顔をしかめているのはみっちゃんだった。

「やあねえ、不穏は空気が裏っからから立ち込めてる」
「ベタに校舎裏でのケンカはやめていただきたいね」
「…でも危なくない?避難する?」

こっちにまで飛び火がくるやもしれない。ちぃちゃんの問いに、みっちゃんは頷いた。「緋莉、はやくオムライス食べちゃって。教室帰ろう」いそいそとお弁当箱をしまいはじめるのを見て、私は急いでオムライスをかっ込む。ごほっ。変なところにチキンライスが…入った…。咳き込む私の背中に手を置いて、ばんばんと叩くみっちゃんは立ち上がった。げほ。水筒をずずず、ともう一回すすって、鞄の中にしまうと、お弁当箱の方は既にちぃちゃんがしまってくれていた。

「ほら、行くよ」
「う、うん。あ、ちぃちゃん、ありがと」
「どういたしまして」

さあ、騒がしい教室に戻るとするか。こんなところでベタにケンカしないでよ、まったく。―…ところどころ聞こえてくる声は、「生意気なんだよ!」とか「調子に乗るな!」とかだった。嫉妬、かなぁ。いやだな。平凡でよかった。妙な陰険をつけられることはない。
たとえ、調子に乗っていなかったとしても、才能を求める側からすれば、ただ勝利をしたとてそれは調子に乗ったことになる。努力しても掴めないものだからこそ、それを持っている人が憎くて仕方なくなる。同じ人間なのだから、分からなくない。 その時、私の目に映ったのは、うねうねと跳ねる特徴的な髪だった。見覚えがあるなんてものじゃない。毎日顔を突き合わせている。

「―緋莉?」
「……」

ぶっちゃけ特に会話なんてしたことなかったし、彼との初会話なんてあんまり覚えてない。確か、ぶつかってこられたから、謝られて―くらいだったと思う。それから話したことなんてなかったし。

「緋莉、何して、」
「みっちゃん、先行ってて。ちょっと用事あるみたい」
「は、ちょ、何言って―」
「え、鞄持ってってくれるって?ありがとう!」
「言ってない!ちょ、緋莉!」

半ば強制的に鞄をみっちゃんに押し付け、慌てる二人の背中を押して、自分はもう一度さっきの場所まで戻る。ちょろっと覗きこめば、やっぱり、見知った顔。
生意気な態度がたまらない!あのうねうねなワカメは切原くんの象徴!と評判の中々に整った顔は、重たい拳を受けたのか、真っ赤に染まっていた。口端からは、つぅ、と血の筋。「っ、」思わず口を押さえた。ぎゃーっ!と叫びそうになるのを抑える。
相手方は興奮しているのか、罵声に似た声が響き渡る。そんな声量じゃ、先生にバレちゃうよ。手には汗。残ったところで、あんな中に颯爽と現れて「君たち、止めたまえ」なんて出来っこない。そんなことができるのは白馬に乗った王子だ。それか柳生くんだ。どうしよう、むーんむーんと考え込んでいると、殴られたままの状態で尻持ちをついていた切原くんが、ゆらりと立ち上がった。その、まとう空気が、一瞬にして冷えて。思わず、びくりとした。

「アンタ――」

こきり、と首を回し、口端を伝う血を拭った。

「潰すよ」

はっきりと、聞こえた。まずい。本能的に悟る。だ、だって、部員が不祥事とか起こしたら、あれ、だよね。活動停止、とかあるよね…。まだ大きな大会はないようだけれど、新しく幸村くんたちを先頭に始めたばかりの部活動なのに、そんなこと。(実質上は実力のある幸村くんたちが、今までも部活を支配していたようだが)それでも、あんなに必死に練習して、三連覇を目指す彼等の輝きを失わせたくなくて。「せ、せんせーい!こっち、こっちですって!」我ながら、演技力の欠片もない言葉だった。

「ま、まずいぜ!!」
「ちっ、おぼえとけよ!」

え、えええ!ちょ、ちょっとこっち来ないでよ!思わずしゃがみ込んで木の影に隠れる。私のつたない演技力に騙された彼等は、慌てて切原くんから離れ、確実悪役の台詞を吐き捨て、去って行った。あ、っぶなかった!バクバクと鳴りやまない心臓をおさえ、深い息を吐いた。

「…くしょ、っ」

さあ、私の役目は終わりだと、その場を離れようとした時(勿論、心臓を抑えながら)、彼の声が聞こえた。ばんっと、思い切り壁を殴り付け、唇を噛みしめていた。
それは何に対しての悔いなのだろう。殴り返せなかったから?それとも、抑えきれなかった感情をコントロールできなかった己へ対して?
口から洩れる血を、制服の袖で乱暴に拭う仕草に、どうしても、居ても経ってもいられなくなった。たぶん、ここらへん、いとこと同じ血が混じってると思う。絶対、彼もこんな状態になったら見捨てはしないと、思うし。
怖いけど。めちゃくちゃ怖いけど!ポケットからハンカチを取り出した。(――うわ、めちゃくちゃぐちゃぐちゃ…)

「切原くん!」

足音をバタバタと―自分からしても随分とはしたない足音だと思いながら、彼に近づいた。驚いた目をした彼に違和感を感じる。その目が、うっすらを赤味を帯びていた。
そういえば、確か、切原くんはラフプレーが目立つ選手だとか。その理由が、キレると目が充血し、更にいえば凶暴的性格になるとか。そんな目で見られたら、うん、チビる。ちょっとだけ震える手で、ハンカチを差し出しても、受け取らない。…このやろう。人の好意をなんだと思ってる。チキンな私がここまでしてるんだぞ!と、ハンカチを彼の口元まで持っていき、ゆっくりと丁寧に拭いてあげた。

「大丈夫、?痛くない?」

未だ驚いたまま固まっている切原くんに、なるべく優しく問いかけても、返事はかえってこない。

「切原くん、?大丈、」
「あー。…平気っス。いつものことっスから。てかアンタはなんでココに?」
「なんか話し声が聞こえて、―そしたら切原くんが連れてかれたでしょ?なんか、ヤな予感がして…。でも出てく勇気なんてないから…」
「へぇそっスか。いやー助かりましたよ、七瀬先輩。あのままだったら俺、ぜってー理性利かなくなって殴ってましたから」
「だめ、だよ。そんなこと」

やっぱり、あれは、殴れなくて後悔してたのか。くしゃりと顔が歪んだ。別に親しいわけでもないし、話したことなんてこれがほぼ初に近いんだけど、遠くからテニスをしていた切原くんは実に楽しそうで。それを犠牲にしてまで、彼等を殴りたいって、思ったかと思うと、かなしくなった。

「なんでそんな顔するんスか?アンタにはかんけーないと思うんだけど」
「、関係なくないよ」

思わず、口を出た言葉だったと思う。
勝手に「へい、七瀬。マネージャーにならない?なりなよ。なるよね。なれよ」と言われて連れて来られ、電話口では嵌められ、だけど最終的なジャッジを下したのは自分だ。マネージャーになるって、そう、決めたのは自分だ。ぐ、と顔をあげて、切原くんを見た。自分よりも身長は高い。ちゃんと目を合わせるように。怖いけど。

「私、不本意だけど、…一応マネージャーだし。不本意だし、本当ならあんまり関わりたくないけど、もうただの顔見知り、とかじゃないし」

語尾がだんだん小さくなっていく。それにつられ、頭も下がっていく。
ぶっちゃけ関係あるようにしたのはそっちなのに、関係ないとか言わないでもらいたい。こっちがどれだけしんどい思いをしているか分かっていらっしゃるのか。私、今までずっと、真田くん曰く「たるんどる!!」な生活を送っていたのに、急に部活動なんて。しかもマネージャーなんて。体力が持たない。女の子たちの視線も痛い。そろそろ心臓も持たない。

「だから、かんけーなくないよ!」

イラっとしたのは事実だったから。思わず顔をぐっとあげて、切原くんの目を見た。私の苦労、分かればいいさ。じっと見つめ合うこと数十秒、切原くんの目が段々と丸くなっていき、口元があがっていった。あ、血。そう思ってハンカチを渡そうとするけれど、それよりも早く、彼は流れた血を乱暴に袖で拭った。

「先輩」
「え?」
「名前。なんつーんでしたっけ」
「緋莉、だけど…。え、今の話の流れで普通はそこいかないよ?どうしたの、急に」
「名前で呼びますね、今から。先輩も俺のこと、名前でオッケーなんで」
「は?え、ちょ、いやいや。いいよ。遠慮するよ」
「ええ?そんな恥ずかしがることないっスよ、緋莉先輩」

そういう問題じゃねーよ!!思わず突っ込みたくなった私、でも寸でで止めた私を褒めてほしい。何故か切原くんはキラキラとした笑顔を向けてくる。え、今のどこに懐かれる要素があったの。戸惑う私に、切原くんはにこっと、それはもう可愛い笑顔を向けてきた。心臓が掴まれたのは言うまでもない。

赤也視点はシリーズから


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