猿呼ばわりをされた衝撃のはじめましてから早3日。
「今なら僕は、遠い銀河からやってきた宇宙人とも会話ができる」と思わされるようなナマエとのトリッキーな会話を積み重ね、ようやく最低限の意思疎通はできるようになった。
意思疎通さえできれば驚くほど純粋で従順なナマエは、質問したことには素直に答える。
⋯⋯ただ、だからといって尋問がスムーズに進むかといったら、決してそんなことはなかった。
「船にいた君の弟たちの数を教えてほしいな」
『数えたことないから分からない』
「では外見的な特徴は?」
『猿の見分け方、分かんない』
⋯⋯最低限の意思疎通ができるようになったと思ったのは、僕の勘違いかもしれない。初日にこんなことを言われたら「そんな嘘は通らないよ」とでも言ったのだろうが、今では「ナマエなら本当にそうなんだろうな⋯⋯」という嫌な方向の信頼ができてしまっている。なんせ彼女は、妙な家訓で自分以外を人として数えなかったり、人畜無害な愛くるしい笑顔で「よろしくね、アメリカの猿!」なんて失礼極まりない挨拶をしてくる人間なのだ。
だがここで挫けてはいけない。これだけ気苦労させられているのだから、そろそろ彼女から1つくらい情報を引き出したい。
「でも君、僕とゲンの見分けはついているだろう?なら、君の弟たちの見分けもついていたはずだ。君はどうやって僕とゲンを見分けている?」
『全然違うから簡単だよ?」
「おお、どう違うんだい?興味があるから聞かせてほしいな」
長かった。やっとこれで少年科学団の情報を引き出せる――。
『蠅頭とか、ちっちゃいのをたくさんつけてる方がゲン』
「ヨウトウ?」
『すごく弱い呪霊』
「⋯⋯ウン、そうか。では、他のメンバーはどうだい?たとえば科学者のドクター・大樹とか」
この際、霊がどうとかいう彼女のオカルト話に乗っかろう。少年たちの情報が手に入るならそれでいい。
『一体、白菜の呪霊みたいな弟がいる』
「ごめん分からない」
弟の数え方も、認識の仕方もおかしい。
白菜のゴーストだと?野菜だぞ。野菜のゴーストなんかいるわけないだろう。
唖然とする僕を置いて、ナマエがスケッチブックに黒のマジックペンで何やらガリガリと描いていく。
『白菜の呪霊みたいな弟→』
そんな矢印がつけられた、少年科学団の1人が描かれた絵。
⋯⋯どう見ても、黒い円がぐるぐると何重にも重ねられた何かだ。人間にも白菜にも見えない。ブラックホールやダークマターを描いたと言われた方が余程納得できる。
「⋯⋯ありがとう、ナマエ。現代アートのように前衛的な絵だね。君の協力的な態度には感謝するよ」
そうとも、何を描きたいのか分からない絵のでき栄えはともかく、ナマエはきちんとこちらに協力しようとはしている。少年科学団の情報に関して今日も何の進展もないが、態度だけでも褒めてあげよう。
そう思って口にした言葉にナマエはニコリと微笑み、「白菜の呪霊みたいな弟」の隣に何やらまたガリガリと書き込んだ。
『甚爾くんに似た弟→』
⋯⋯誰?
新たに大きく書き足された大きな黒い円と新たな登場人物に首を捻っていると、甚爾の漢字の下に「とうじ」とふりがなが付け足されたが、今知りたいのはそこではない。
『あげる』
「⋯⋯ウン。ありがとう」
スケッチブックから破り取られた似顔絵(?)のページを渡されたが、こんなものを貰ってもなんの役にも立たない。
無理だ。ナマエは素直になんでも答えるが、尋問しても余計な情報ばかり増えていく。白菜のゴーストや甚爾くんという謎の人物に例えられても、船員の特徴は何一つ分からない。
情報を引き出すのは諦めて、仕事に専念させよう。Mr.ゲンの言葉通り、ナマエの地味な雑務をこなすスピードはとてつもなく早いのだから。
「ナマエ、引き止めてすまなかったね。もう仕事に戻っていいよ」
ちょうどナマエの見張り交代でシャーロットがやって来たところだ。
ナマエの面倒を見るようシャーロットに目配せすると、彼女は何やら助けを乞うような目で僕を見た。
「⋯⋯トイレに行っていない?」
報告された言葉を繰り返すと、シャーロットは困った表情で頷いた。
捕虜となってから今日で丸3日が立つというのに、シャーロットの監視している限り、ナマエは一度もトイレへ行っていないらしい。
⋯⋯あり得ない。人間が3日間も排便を我慢するなんて。まさか、監視の目を掻い潜って城を徘徊しているのだろうか。自由に歩き回る彼女に見られて困るものは何もないが、米軍特殊部隊の監視の目を掻い潜る能力があるなら彼女の危険度は格段に上がる。
「ナマエ。レディにこういったことを聞くのは気が引けるが⋯⋯君、トイレに行ってないのかい?」
ストレートに聞いてみると、ナマエはキョトンとした顔をした。
『トイレ?』
「まさか、トイレを知らないなんて言い出さないだろうね?」
ついいつものクセで皮肉混じりにそう言うと、彼女は心外だとでも言うようにムッと頰を膨らませた。
『トイレくらい知ってる』
それはそうだ。いくらさすがに彼女でも、トイレを知らないなんてことはないだろう。
『猿が囲んできて、ハサミで髪切ろうとしてきたり、どついてきたりする場所でしょ?』
「違うよ。絶対に違う」
トイレはそんな物騒な場所ではない。いったいどんな生活を送ってきたらそんな風になる?
⋯⋯もしかして、過去にトイレでそういったいじめを受けたせいで誰かに監視されながらトイレへ向かうことを恐れているのだろうか。
「ナマエ。軍と聞くと怖いイメージがあるかもしれないが、ここにいる皆が君を不用意に害することはないよ。だから安心してトイレを使ってほしい。我慢は身体に毒だからね」
『わかった。ハサミ貸りていい?』
「トイレは正しく使ってくれ」
シャーロットの髪をしげしげ見ながらハサミを要求するんじゃない。何に使うつもりだ。
「ナマエ、トイレは人の髪を切る場所じゃない」
『わかった。どつく方にする』
「違う。そうじゃない」
『?』
トイレは人の髪を切る場所でも、誰かをどつく場所でもない。どこの誰だ、ナマエに変な刷り込みをした衆愚は。
「いいかい?トイレは人を害する場所じゃない。排泄する場所だ。何度も言うようだが、ここには理屈なく他人を攻撃する衆愚はいないから、安心して使うといい」
『うんこしろってこと?』
「⋯⋯命令ではないが、せっかく作った場所だからね。君も遠慮せず有効活用するといい」
『私がトイレ使うと、ゼノは嬉しい?』
「⋯⋯そうだね。なにぶん、このストーンワールドで何もないところから作り上げた居城だ。使うべき場所は我慢や遠慮をせずに使ってもらえると嬉しいよ」
『わかった!じゃあ今から行ってくる!』
「おお、行ってらっしゃい」
本当に素直な子だ。嬉しいかという質問に肯定を返したら、さっそくウキウキとトイレに行く準備を始めたようだ。別に今すぐ行かなくてもいいのに。
他人の喜ぶことをするのが楽しいのだろう。トイレに良くない思い出があるようなのに、僕の言葉一つで前向きになるなんて。おお、健気で可愛い子じゃないか。普段の会話の苦労もその笑顔で少しは報われる——。
「ゼノちゃん、ナマエちゃん、おつ〜。あれ、ナマエちゃんどっか行くのー?」
『私がうんこするとゼノが喜ぶからうんこしてくる』
「ドイヒーーーー!!!どーいうこと!?字面バイヤー!!!」
ゲンの叫びを受けて、ナマエがキュッキュッと大便を意味する単語の上に二重線を引き、代わりにソレの絵文字を書いた。さっきの人間を書いているとは思えない前衛アートと違って、こちらはやけに立体感を感じさせる絵だ。
監視でゲンの隣にいたスタンが、絵文字で書かれたソレに指を差す。
「何よコレ。ウンコしてえの?」
「おお、そうだったらどれほどよかったか⋯⋯」
「じゃあなんて書いてんよ?」
「⋯⋯あらぬ誤解を招くことが書いてある、とだけ言っておくよ」
僕が少女の排便で喜ぶ変態かのように書かれているだなんて、スタンに言えるわけもなかった。
『うんこは縮んでからしたことないけど、がんばるね』
「お姉ちゃーん、せめてうんちって書こ?」
ゲンがナマエを諭しているが、コメントすべきところはそこではない。もっと奇妙なことが書いてある。
「ナマエ、縮んでからというのはどういう意味だい?」
『どういう意味って、そのまま。懲罰部屋にいれられて、乳とか縮んだ』
「——!」
懲罰部屋。普通の会話ではまず出て来ない単語に目を見張る。
十分な食事を与えられずに痩せてしまい、排泄もできないほどに栄養状態が悪くなったことがあるということだろうか。
「ナマエ⋯⋯、」
『ゼノ、そんな顔しないで。大丈夫だよ』
「おお、ナマエ⋯⋯」
気丈な子だ。過去のつらい体験に触れられているというのに、他人の僕の気持ちを心配するなんて――。
「乳ならちゃんと戻るから」
「……what?」
乳???
なんだ、なんの話が始まったんだ?
『縮んじゃったの、せっかくエエ乳しとったのにって直哉兄さんも残念そうにしてた』
「ドイヒーーー!!!ジーマーでどうなってんの禪院家!!!」
僕もゲンのように叫びたい。
ひどすぎる。彼女のいた環境は劣悪だったという他ない。
そして「兄さん 『も』残念そうにしていた」と、僕までバストサイズの心配をしているかのように言われるのはものすごく心外だ。
「ナマエ。胸部の大きさはどうでもいいんだ」
『ゼノは尻派!』
「NO!そういう話をしてるんじゃない!」
まっっっったく。不要な知識ばかり与えて、ナマエの実家の人間たちはどうなっているんだ。
『ゲン、ゼノ怒ってる?女がベラベラやかましいから?』
「それはないと思うなー。ゼノちゃん忙しい人だから、ちょっと疲れてるみたい」
『非術師って大変だね。ゼノ、元気出して』
『⋯⋯ウン。ありがとう』
ストレスの元凶に励まされて余計に複雑な気持ちだが、もう何も言うまい。
⋯⋯いや。1つだけ言っておくべきか。
「ナマエ。僕は女性が喋ること自体を疎ましく思うことはないよ。特に、仕事の早い君が科学の知識を身につけようと質問してくれるなら大歓迎だ」
『うんこするより嬉しい?』
「おお、もちろんだとも」
『じゃあ科学の質問する!』
目をキラキラさせて、スケッチブックを持ったナマエが笑う。
やはりサイエンス・イズ・エレガントだ。排泄物の話をされるより、科学の話をする方が何倍もいいに決まっている。
『猿は科学の武器で潰し合ってる愚かな生き物ってほんと?』
「バイヤーー!!ナマエちゃん、ちょっと質問考え直そっかー?」
『なんで?ちゃんと科学の質問だよ?』
「そこはホラ!『水はなんで青いの?』とかさー!もっとイイ質問があると思うなー」
『最初の質問の方がゲトー様みたいでかっこいいと思う!』
「わーーー!待って待って!お水の質問にしとこ!お姉ちゃん!!!弟からのお願い!!」
『弟のお願いならしかたない』
大人しく聞き分け、新たなページに書きこんでいくナマエにゲンがホッと胸を撫で下ろした。苦労の浮かぶ彼の顔に、ここ数日の自分の姿が重なって「分かるよ」と彼を励ましたい気分になる。
『血はなんで赤いの?』
「お姉ちゃん!?お水は!?」
『弟の考えた質問丸パクリはできないよ』
「じゃあホラ!『空はなんで青いの?』とか!もっとカワイイのがいいと思うなー!」
『そうなの?』
困ったようにほんの僅かに眉を下げたナマエがスケッチブックの文字を隠すようにギュッと握る。
どうしてか、レールガンを作って逮捕された若い日の自分が重なった。
「おお、そんなことないとも。ここでは何に興味が湧くのも自由だよ。そうだね、血が赤いのは赤血球に含まれるヘモグロビンが酸素と結合すると、鉄分によって赤く見えるためだ」
『ヘモグロビン?』
「タンパク質の一種だよ。鉄を含む色素のヘムと、タンパク質のグロビンから構成されているからヘモグロビンだ」
『水が青いのも、タンパク質?』
「いや。水が青い主な理由は光の散乱があるからさ。レイリー現象といって⋯⋯」
水が青い理由に、空が青い理由。はじめはゲンの差し金でしてきた質問だったが、いつもどこか無気力なナマエの目に光が灯っていく。
『ゼノ!科学って面白いね!』
「ああ、そうとも。サイエンス・イズ・エレガントだ」
血の赤色に空の青、水の青。サイエンスであらゆる色が説明できて、世界が色づいていく。意思疎通さえままならず、宇宙人と話した方がマシとさえ思えた少女と、この楽しさを分かち合える。
おお、まさに、サイエンス・イズ・エレガントだ!
『ほかにも、気になる色のこと聞いてもいい?』
「おお、もちろんだとも」
『五条悟の赫は、なんで赤いの?』
⋯⋯誰?何?
やっぱり、宇宙人と会話した方が意思疎通が図れるかもしれない。
ワクワク顔で意味不明な質問の書かれたスケッチブックを抱えているナマエに、今日も天を仰ぎたくなった。