八方斎に成功ののろしを上げて、シナ先生に連れられてくのたまの長屋――私の新しい部屋へとやって来た。
⋯⋯どうして八方斎は、突然忍術学園への入学を勧めてくれたんだろう。思えば彼が挙動不審になったのは「八方斎と結婚したい」と私が言ってからだ。

「八方斎、そんなに私との結婚が嫌だったのかな⋯⋯」

どんがらがっしゃん。

私がつぶやいた瞬間にひっくり返る音とともに見覚えのある人が降ってきた。

「尊奈門?大丈夫?」
「大丈夫だ!それよりナマエ、八方斎と結婚って何があったんだ!?」
「八方斎に告白したら、たぶんフラれた」
「こっ告白!?八方斎に!?」

クリクリとした目玉が飛び出すんじゃないかというほど驚いた尊奈門の顔を見ながら、自分の言葉がじわじわ効いてくる。
フラれた。八方斎に。いつも親切にしてくれる八方斎に、見限られた。
見限られたから敵対関係にある忍術学園に捨てられたのだ。こんなことなら八方斎と結婚したいなんて言わなきゃよかった。

「ナマエ!やめとけ、八方斎なんて!奴に嫁入りするくらいなら、わ、私と⋯⋯!」
「なんで八方斎のこと悪く言うの?八方斎のこと何も知らないくせに!尊奈門のバカ!」
「なっ⋯⋯!?バカ!?」
「出てって!」

思ったよりも大きな声が出て、言い過ぎたかもしれないと首がすくんだ。
でも、尊奈門が悪い。父親に存在ごと忘れ去られ、後ろ盾なんて無いに等しい私をずっと支えてくれたのは八方斎だけだ。それを何も知らないのに悪く言うなんて。

「尊奈門なんて、大っきら――」
「待った。そこまでにしてあげて」

大柄なのにほとんど音を立てずに着地した男が、尊奈門を庇うように立ち塞がった。

「誰?」
「尊奈門の上司――雑渡昆奈門だ」

ざっとこんなもん。ざっとこ、の語感がとっとこと似ている。

「関係ないでしょ。ざっとこコナ太郎さんは黙っててください」
「雑渡昆奈門だ」
「あっ間違った」

雑渡こ――ざっとこ昆奈門?さんは呼び間違いにやれやれといった風に腕を組んでいたけれど、スッと膝をついて頭を下げた。

「尊奈門の無礼を上司として謝ろう。許してやってくれないか?」
「⋯⋯ずるい」

大の男がこうして頭を下げているのに怒り続けてしまったら、なんだか私が癇癪を起こしている子どもみたいだ。

「尊奈門が先に謝って!⋯⋯そしたら許してあげる」
「なっ!なんで私が——!」
「尊奈門」
「組頭——。⋯⋯ナマエ、その⋯⋯よく知りもせず、俺は⋯⋯、すまなかった」
「私も⋯⋯、言い過ぎちゃってごめん。⋯⋯これからも友だちでいてくれる?」
「もちろんだ!」

力強く頷いた尊奈門に手を差し出すと、彼は不思議そうに首を傾げた。

「仲直りの握手。⋯⋯嫌なら、いいけど」
「嫌なもんか!」

食い気味の尊奈門が手をむんずと掴んで、ブンブンと振り回すような握手をする。転生して初めての握手は、尊奈門が子ども体温なのかとてもホカホカしている。

「これからもよろしくね、尊奈門!」
「ああ!」

嬉しい。
友達だ。私にも友達ができた。
尊奈門の上司の人が間に入って納めてくれたおかげだ。

「尊奈門の上司のざっとこ昆奈門さん、ありがとうございます!」
「『こ』が一つ多いよ。雑渡昆奈門だ」
「へけっ」

首を傾げて名前間違いを誤魔化すと、雑渡さんは私につられたようにほんの少し首を傾げた。

「君、私の顔見て何かないの?」
「何かって?⋯⋯あ!ちょっと待ってくださいね」

雑渡さんは包帯ぐるぐる巻きで、片目だけを出している。出ている目の周りは火傷跡のように赤い。
ということはつまり⋯⋯。

「はい、どうぞ」
「何これ」
「カサカサの皮膚を乾燥から守る塗り薬です!火傷にも使えます!」

雑渡さんは、「火傷している人間に女子として気の1つくらい遣え」と言いたかったんだろう。まったく、室町人は女子力に厳しい。

「なんでそんな薬持ってるの」
「八方斎が念のためにって。乾燥の時期じゃないしいらないかなって思ってたけど、置いてこなくて良かったです」
「甘い匂いがするね。薬って感じがしない」
「そうですね。薬草は入れないで作ったから、薬っていうよりもへちま水と同じく化粧品に近いかも⋯⋯」

主成分は蜜蝋。甘いものが食べたくて仕方がなかった私は、転生前の養蜂体験で見聞きしたことを死ぬ気で思い出して、手伝ってくれた八方斎と試行錯誤の末にハチミツ作りを成功させた。蜜蝋はその副産物だ。せっかく蜜蝋があるなら蝋燭に、余った分は乾燥対策のクリームにという使い方でできたものがこれなので、薬としての効果はほとんど考えていない。
本格的に火傷や皮膚炎への塗り薬として使うなら、漢方で使われる芍薬や紫根を混ぜればもっと効果を出せるかもしれない。馬油とかの別の油と混ぜた方が塗り心地も良いかも。
⋯⋯塗り心地。忘れてた。

「雑渡さん、ちょっと手を出してくれます?」
「こう?」
「はい。塗り方なんですけど、そのままだと伸びがあまり良くないので、手のひらであっためてから、こんな感じで伸ばしていってください。保管はなるべく涼しくて湿気の少ないところで」

こくりと頷いたあと、雑渡さんは手のひらに残った分を反対の手の甲にも塗りつけて、油分でツヤツヤと光る手の甲をしげしげと眺めている。

「この薬、他のと混ぜても平気?」
「はい。ただ、これ自体が雑渡さんの身体と合わない可能性もあるので、他の薬と混ぜたりデリケートな部位に使うのはもうちょっと時間を置いて様子を見てからがいいと思います」
「君、随分詳しいね」
「えっ⋯⋯」

まずい。喋りすぎた。
八方斎は「タソガレドキ忍軍が忍術学園に出入りしているようだからくれぐれも注意するように」言っていた。尊奈門と雑渡さんが、おそらく八方斎の言っていたタソガレドキ忍軍なんだろう。
ハチミツや蜜蝋を山へ採りに行かず、養蜂で生産しているのはうちの領だけだ。技術を知っているのが私だとバレたら、企業秘密を吐かせるために拷問にかけられたりするかもしれない。
⋯⋯というか雑渡さんの顔の火傷って、もしかしてそういう系⋯⋯?
拷問の痕、的な⋯⋯?

「ワタシ、ナニモ知ラナイ。ゼンブ八方斎言ッテタ」

八方斎に任せよう。「私は姫だから、領のための秘密ならどんな酷い目に遭っても守ってみせる!」って言える姫でありたいけど、元は平和な時代の一般人だった私にこの時代の「人権?何ソレ?」な拷問を耐えるのは無理だ。
八方斎には悪いけど、盾にさせてもらう。

「そっかそっか。ふーん。八方斎殿が」
「ソウ。ゼンブハッポーサイ知ッテル。私知ラナイ」
「じゃあさっきみたいに、」

言いながら、雑渡さんが指の先でミツロウをほんの少し掬って私の手の甲の上へ置く。甲の上でじんわりと溶けていくそれを、彼はすっぽりと覆うほどの大きな手のひらで塗り広げていった。

「八方斎殿も君の手にこうやって塗りながら教えてくれたのかな?」
「え、わ、わ⋯⋯」

教えた通りの塗り方のはずなのに、手のひら全体で肌理へ擦り込むような雑渡さんの手つきは何というか——卑猥だ。
男子の手に触れるなん前世の文化祭でやったハンドマッサージで慣れているはずなのに、ぶわりと顔に熱が集まってきて、指先がピクリと震えた。
この手つきはわざとだろうか。そろりそろりと雑渡さんの表情を伺うと、目のあった彼はニヤリと目を三日月形に歪めた。

「は、っはれんち!破廉恥です!!」

ぴょんと後ろへ飛び退くと、意外にも彼はすんなりと手を離してくれて、私は障子へと背中を貼り付けるようにして雑渡さんの方へ人差し指を向けた。

「これ以上破廉恥なことするなら人呼びます!タソガレドキ忍者はくノたま長屋に忍び込む変態って学園中に噂撒かれたくなかったら大人しく出てってください!!」
「手強い手を使う。また会おう、ドクタケのお姫様」
「!!」

バレてる?
八方斎の縁者っぽく振る舞ったはずなのに、領主の娘だって勘付かれてる⋯⋯?
まさかそんな。父の名前は一言も出していないし、八方斎に勧められたいかにもな高い着物じゃなくて、町人っぽい普通の小袖を着てきたのに。
どうかバレてませんように。そうだ、雑渡さんはきっと、ナンパ男が女子を「子猫ちゃん⭐︎」って呼ぶのと同じ感覚で女子を「お姫様⭐︎」って呼ぶタイプの人なんだ。バレたわけじゃない、たぶん。うん。きっとそう。
バレてないバレてない。



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