その日、ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールドは浮き立つ気持ちを隠しきれずにゲンの後を軽やかについて行った。
先日、嘗ての同僚・七海ナマエが5分未満の会話でホワイマンに好かれてしまうという驚異的な事件が起きた。
さて、旧世界のような女性の人権やストーカー規制という概念がないこのストーンワールドで、彼女が少しでも男と会話をしたらどうなるか。1人、また1人とナマエに好かれていると勘違いした救いようのない衆愚が現れ、ゾンビのように彼女へ群がることだろう。
おお、考えるだけで身の毛がよだつほど悍ましい。
管理。速やかに彼女の管理が必要だ。
そう主張した僕に、ゲンは「うまくいけばSAIにも邪魔されずに僕だけがナマエを管理できるかもしれない」と言った。
僕が、僕だけが、彼女を管理できる。身内としてナマエから無条件に信頼されているSAIではなく、この僕が。
説明するゲンを見上げている彼女の華奢な身を眺めながら、甘美な未来の想像にゴクリと喉を鳴らしそうになった。
「ああ、そういう⋯⋯。他人の好意を過度に上げる言動が板についてしまっているから、抑えた方が良いと」
「そーいうことー。どうかな?俺と一緒に練習してみない?」
ゲンの提案に、ナマエは少し考えるそぶりを見せて、一瞬こちらへ視線を向けてからコクンと頷いた。
「願ってもないご提案です。少し⋯⋯、どうしたものかと思っていたので」
「あー⋯⋯、一応自覚はあった感じー?」
「いえ。ただ、昔から周りの人がよく壊れるとは思っていたんです。⋯⋯私が、壊していたんですね」
濡れたように艶めく彼女の瞳がそっと、長い睫毛の奥に伏せられる。
おお、おお!ナマエは悪くないとも!悪いのは、少し言葉を交わしただけで勘違いする衆愚共の方だ。ナマエが彼らのために心を痛める必要など1アトメートルもない。
今すぐ彼女の側へ駆け寄ってそう言い、憂いを晴らしてやりたい。
僕のそんな思惑を知ってか知らずか、ゲンの方がやや早口で言葉を続けた。
「ナマエちゃ〜ん!大事なのはこれからってカンジだから〜!ねっ、俺と練習しよっか!」
「はい、ゲンさん。お手間をおかけして申し訳ありませんが、ご指導よろしくお願いします」
ゲンの言葉に、ナマエがへりくだらない程度に小さく頭を下げた。
⋯⋯指導。ゲンが、ナマエを指導する。確かに対人スキルと心理テクニックはメンタリストである彼の専門で、僕は全くの門外漢だ。指導者として彼以上の適任はいないし、僕の出る幕ではない。
理解しているのだ、頭では。
けれど⋯⋯羨ましい。彼女に師という唯一の存在として頼られているゲンが。
師と弟子。そこには他とは違う繋がりが生まれるものだと、僕は千空という弟子を持ったことで大いに実感している。
ゲンとナマエは少し似たところがある。駆け引きに長けたところに、常に他者へと気遣いを向けているところ。⋯⋯自分の本心を口にしようとしないところ。
そんな2人が師と弟子として打ち解け、互いの本心を吐露するような関係にならないという保証はどこにもない。
⋯⋯ゲンとのレッスンなどせず、僕が直接管理すればいいのではないだろうか。
そうとも。悪いのは衆愚だ。衆愚が彼女に近づくから問題なのだ。僕が直接ナマエを管理し、衆愚を一切近づけなければいい。
アメリカの城を改装して、大事な宝を宝石箱の底へ眠らせるように、城の深奥にナマエを閉じ込めてしまおう。
「ナマエ。対人関係に不安があるなら僕とアメリカに来ないかい?誰にも脅かされず、とても静かに暮らせるところがあるんだ」
「わ、わーーー!!!ナマエちゃんナマエちゃん!よく知らない俺と2人きりだと緊張するでしょ〜!?レッスン、ゼノちゃんも立ち会うから安心してね!ジーマーで!」
「いえ、ゲンさんお一人で構いませんよ。ドクターまで煩わせるのは⋯⋯」
「いやいや!ゼノちゃんってホラ!研究者気質だから〜!珍しい現象があったら観察したいし解決したい的なアレよ〜」
「まあ」
口元に手を当てて、ナマエがクスリと上品な仕草で笑った。
「相変わらず、ドクター・ゼノは研究がお好きなんですね」
「ああ。時間の許す限り観察して、じっくり研究したいよ。⋯⋯人生をかけてね」
「ふふ。ドクターが言うと様になりますね。人類が月へ行けるようになるわけです」
穏やかに眦を緩ませた彼女へ同じように微笑みかけ、見つめ合う。
言葉の裏に隠した僕の真意にナマエは全く気付いていないようだが、今この眼差しを独占しているのが僕だと思うと、快楽に近いほどの心地良さが胸を満たしていく。
隣で「ジ、ジーマーでバイヤー⋯⋯!」と呟くゲンの声が聞こえたが、僕はこの通りエレガントな研究対象の観察で忙しいので聞こえないふりをさせてもらった。