胃が。
胃がジーマーで死ぬ。
ゼノちゃんとSAIちゃんとナマエちゃんだけでキャパオーバーなのに、台風みたいに龍水ちゃんまでやって来た。
「ハッハー!ナマエ!久しぶりだな!」
「龍水⋯⋯ええ、お久しぶりです。見ないうちに精悍な顔つきになりましたね」
ナマエちゃんが女優さんみたいに綺麗な微笑みを浮かべて、勇者を褒めるみたいに龍水ちゃんに話しかけた。
誰もが見惚れるような微笑み。けれど、この子の中の龍水ちゃんたちへのコンプレックスに気がついてしまったせいで、綺麗な薔薇には棘があるなんて言葉の通り、瞳の奥に鋭い棘を隠しているように見えてしまう。
何も起きなければいいけれど⋯⋯。
「フランソワもお久しぶりです」
「はい、ナマエ様もお元気そうで何より」
「ハッハー!ナマエ!通貨発行権に石油にメディア!俺はこのストーンワールドであらゆる『欲しい』を手に入れてきた!今回もまた、新たな鉱山利権を手に入れたぞ!」
「ええ、SAIからも聞いています。さすがですね、龍水。天国のお祖父様も貴方の手腕を誇りに思っているでしょう」
穏やかな微笑みと掛け値なしの褒め言葉に、龍水ちゃんが「フゥン」と鼻を鳴らしながら、誇らしげに胸を張る。
花のような微笑みを浮かべているお姫様のかんばせではなく、そっと握り込まれた女の子の小さなこぶしの方に視線を向けることができたのは、きっとメンタリストの俺だけだろう。
「ナマエ、俺はこれからも俺自身の『欲しい』を手に入れ、世界は全て俺のものにする!」
「⋯⋯さすがです、本当に。海にも宇宙にも行ったんですもの。龍水、貴方にならきっとできます」
深まっていく完璧な笑顔と、それに比例して皆の視線に隠れて握り込まれていくこぶし。
痛々しくて、見てられなかった。
「りゅ、龍水ちゃーん!帰ってきたばっかで疲れてるでしょ?ナマエちゃんも、予定より長く引き止めちゃってメンゴ〜!解散して今日は帰ろっか!」
「ハッハー!ならナマエ、俺の家に来るといい!フランソワのディナーは絶品だ」
「このフランソワ、腕によりをかけて準備させていただきます」
バイヤーーー!!!
ナマエちゃんのコンプレックスを踏み抜いてく龍水ちゃんとナマエちゃんを引き離すための解散なのに、断りにくいお夕飯のお誘いが出てきちゃった!
「あっ!いっけな〜い!ナマエちゃんに手伝ってもらおうと思ってたお仕事の説明忘れてた〜。ナマエちゃん、ちょっと一緒に来てもらってもいーい?」
とにかくナマエちゃんを龍水ちゃんから離さないと⋯⋯。
苦し紛れにそう言うと、頷こうとしていたナマエちゃんの肩を、指に綺麗な菱形のヒビが入った龍水ちゃんの手が抱いた。
「フゥン。ゲン、悪いが明日にしてくれ!俺は今ナマエとの時間が欲しい!」
「いや〜、明日は明日で頼みたい仕事があるんだよね〜」
「ならフランソワを貸そう!フランソワ!」
「はい。ゲン様、明日に回して支障が出るなら、このフランソワが全力でサポートいたします。ここは七海家の団らんのため、ナマエ様をお譲りいただけないでしょうか」
家族の団らん⋯⋯。それを言われると引き下がるしかない。
けれど、龍水ちゃんはナマエちゃんに心の距離を置かれてること、ジーマーで気づいてないし、このままナマエちゃんを行かせたらこの子のメンタルはボロボロになってしまうんじゃ⋯⋯。
誰か助けて、胃に穴開くから。ジーマーで。神様でもなんでもいいから⋯⋯!
「おお、家族団らんのために譲りたいのは山々だが、僕が深く信用しているのが彼女でね。すまないが、科学のために僕へ譲ってくれないか?」
ゼノちゃんのナマエちゃんへの壊れ方、初めて頼もしく思えたかも⋯⋯。
⋯⋯なんか龍水ちゃんに向けている真っ暗ミッドナイトなおめめが怖いけど。
肩を抱く龍水ちゃんに対抗するみたいに、ナマエちゃんの背中をホールドしてる鉤爪おてても怖いけど。
アレ?なんか2人の間に火花散ってない?
⋯⋯状況、悪化してない???
不敵な笑みを浮かべてナマエちゃんの肩を抱く龍水ちゃんと、叡智に満ちた静かな笑みを湛えて背中を抱くゼノちゃんに、本格的に胃が痛くなってくる。コーラでも飲まないとやってらんないと心の中で涙目になっていると。ラボのドアがガラリと開いた。
「ナマエちゃ⋯⋯ピギャアアアアアア!!!龍水!!!」
ドイヒー!!!もう胃にドリルされてる気分!
ただでさえ収拾つかない修羅場なのに、一番バイヤーな子が戻ってきた!
「ハッハー!SAI!お前も一緒に夕食にしよう!」
「ナマエちゃんから離れろっ!ぼ、僕のお嫁さんだぞっ!」
あまりフィジカルが強そうには見えないのに、SAIちゃんは2人の手から器用にナマエちゃんを奪い取って、ひしと抱きついている。
「ナマエちゃんっ、か、帰ろっ!」
「SAI⋯⋯怒ってないんですか?」
「怒る?どうしてっ?」
「だって私、ひどいことを言いました」
静かに肩を落としてしまったナマエちゃんを、SAIちゃんはうっとりとした表情でいっそう強く抱き寄せた。
「怒んないよっ!だって僕は、一番ナマエちゃんのこと分かってるからっ」
「SAI⋯⋯」
「帰ろうよ、ナマエちゃんっ。僕、ナマエちゃんのお味噌汁が食べたいなっ」
「⋯⋯ふふ、そうですね。私もSAIの淹れてくれるチャイが飲みたいです」
「うんっ、寝る前にいつも淹れてるやつだよねっ」
「ええ」
いつも、と言ったSAIの目が、チラリと龍水ちゃんやゼノちゃん——そして俺の方を向く。内気で弱気なところのある好青年かと思っていたけれど、恋愛方面では周囲をきっちり牽制するタイプらしい。
「じゃあっ、僕とナマエちゃんはご飯の時間だから、帰るねっ!」
「ゲンさん、ドクター・ゼノ。今日もお忙しいのにありがとうございました。龍水とフランソワもご機嫌よう」
さっきまでの微笑みとは違う、どこか空気を柔らかくした会釈を残して、SAIちゃんと腕を組んだナマエちゃんが夜道へと消えていく。固く握られていたこぶしも、蝶のように夜風にひらひらと揺れていた。
弱い自分をひた隠しにしてなんでも我慢しちゃうあの子に、ほっと息をつける場所があってよかった。
こちらもホッとしてそう一息ついたけど⋯⋯。
「ナマエ⋯⋯。何故だ!何故俺を欲しがらない⋯⋯!俺は、あいつの『欲しい』を全て持っているはずだ⋯⋯!違うかフランソワ!?」
「は⋯⋯。ナマエ様はSAI様のチャイがお好きとのこと。このフランソワ、ナマエ様の好みに合ったチャイのレシピを完成させてみせます」
「ハッハー!俺を欲しがるナマエが欲しい!世界もナマエも俺のものだ!」
「はい。欲しいは正義です」
なんか始まっちゃった。デキる執事のフランソワちゃんまでストップかけないで龍水ちゃんをブーストさせちゃってる⋯⋯。バイヤー⋯⋯。
颯爽と帰って行った2人に呆然としながら、何故かヘッドセットを装着し始めたゼノちゃんの方を横目で見る。
「やあスタン、突然の通信で済まないね。今度のインドのフライトで茶葉を手に入れて欲しいんだが⋯⋯。いや、僕ではないよ。ナマエが飲むんだ。ああ、イタリアに行くならベルガモットも頼むよ。2つが揃えば、彼女の好きなアールグレイを作れる」
何コレ。餌付け対決⋯⋯?
SAIちゃんはチャイ、龍水ちゃん&フランソワちゃんもチャイ、ゼノちゃんはアールグレイの紅茶。
なぜか突然始まったお茶を巡る争いに乾いた笑いをこぼすしかない。
旧時代の歴史でも茶葉で戦争とかあったけど、さすがにここから戦争に発展したりは⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯十分あり得てちょっと笑えない。
「ジーマーでドイヒー⋯⋯」
好かれすぎないための心理テクニックはひと通り教えた。正直なとこ、ナマエちゃんの無自覚な魅了スキルがテクニックを上回っちゃうから焼け石に水になっている気もするけれど、何も対策していなかった頃よりはかなりマシだろう。
問題は、すでにナマエちゃんと面識があって、狂わされてる人間だ。SAIちゃんが余計にバイヤーな方向に行ったみたく、すでにナマエちゃんに好意がある子は下手に好感度を下げようとしてもドイヒーに悪化する。
「これ以上、『実はナマエちゃんと知り合いでーす』なんて子が出てこないといいけど⋯⋯」
ホワイマンちゃんに好かれてからはSAIちゃんの仕事に付き添ったり、ゼノちゃんに監視⋯⋯もとい見守られながら俺とレッスンする毎日だから、新しい被害者は生まれていないはず。
だから石化前からのナマエちゃんの知り合いなんて人物がこれ以上出てこなければ、まだなんとかできる。
「ところでスタン、今度アメリカの城を改装しようと思ってるんだ。以前少年たちからのドリルでの侵入を許してしまったからね。今度はもっと頑丈な、誰の侵入も許さない部屋を作るつもりだよ。その時は手伝ってくれるね?スタン」
「ドイヒー!!ゼノちゃん、何のためにそんな部屋作るつもり!?誰かを拉致監禁とか、犯罪はジーマーでだめよ!?」
「おお、ゲン。無用の心配だよ。ただエレガントな姫君を衆愚から守るために安全な場所で厳重に管理するだけだ」
「それを世間では拉致監禁って呼ぶんじゃないかな〜⋯⋯」
「世間?衆愚がどう呼ぶかなんてどうでもいいよ。大事なのは彼女の安全だ」
にっこりと穏やかな顔で物騒まっしぐらなことを言う天才科学者に口元が引き攣る。
明日から、俺の胃大丈夫かな。
千空ちゃんに胃薬とありったけのコーラ貰ってから帰ろう。
スタンリーちゃんにウキウキとしあわせお城改装計画を話しているゼノちゃんを尻目に、俺はラボを後にした。問題は山積みなのに、夜空には宝石を散りばめたようにたくさんの星がきらめいていた。