目立つとロクなことがない。
勉強や部活で先生に褒められればクラスメイトにえこひいきと言われ、男子と仲良くなるとほとんど顔を合わせたことのない女子から「ぶりっ子」と呼ばれて仲間はずれにされる。1人と仲良くなりすぎると、「自分のことを分かってくれるのはナマエだけ」とどこへ行くにも着いてこられるようになる。
うんざりだった。
依怙贔屓されようと振る舞ったこともなければ、色目なんてものも使ったことがない。相手を理解しようとする努力もした記憶はなく、「私はこの人を理解できた」などと慢心したことは一度たりともない。なのに皆、「ナマエはこういう奴だ」と勝手にレッテル貼りをする。
目立つからいけないのだ。
それが、小学生の終わり際になって気づいたある一つの真理だった。人の記憶に残らないよう、地味に生きる。常に誰かの半歩後ろを歩き、会話は相槌で済ませる。
そして何より、目立つ人とは一切関わらない。
そうするだけで謂れのないやっかみや妬み嫉みはめっきり減って、私の学生生活は穏やかになった。重石の足し引きで天秤の均衡を保つように誰とどれくらい関わるかを調整するのはルーティンの作業となってひどく退屈に思われたけれど、人間関係に波風を立てないという一点で役に立った。
目立つ人はダメだ。私が守る天秤の均衡を1人で変えてしまうから。穏やかに暮らしたいというささやかな願いの成就を、目立つ人は本人の意思に関わらず歪めてしまうから。
そう、分かっていたのに。
「行こうぜ、ナマエちゃん!」
目立ちすぎないように。そう努めて地味に徹していた私を大好きだった幼馴染に見つけてもらえたことが嬉しくて——ついその手を取ってしまった。
あの時、やっぱり地味に徹するべきだったと強く後悔した。
もちろん、幼馴染——けいちゃんは、悪くない。問題はけいちゃんと友人関係にあるらしいこの男である。
「ナマエさん、夜遅いし泊まって行きなよ」
「うーん」
まずいことになった。お仕事先からの電話でけいちゃんが席を外した瞬間、真経津くんが仕掛けてきた。
バレないように周囲の様子を伺う。
けいちゃんの作った食後のデザートをもぐもぐと食べている医者が1人。「自分は分かってますよ」と言わんばかりにウンウンとゆったり頷き、慈愛の微笑みを浮かべてこちらを見守っている神父が1人。ストリーマーの人はちょっと目が合ったか合わないかで何故かとても嬉しそうな顔をするので彼の方はあまり見たくない。
直感するまでもなく、誰もこの状況から助けてくれる雰囲気がない。ひどい。
「帰ろうかなと思ってて…」
「そう?じゃあ送るよ」
意外とあっさり引いたことに背筋が粟立った。だって、狩りを楽しむような表情と行動が合っていない。
「家どの辺?」
これが目的か、と眉を顰めそうになった。この男、自然な会話のように私の住所を探っている。
「えっと……都内?」
「そっか〜!お揃いだね♡」
道行く人皆とお揃いになりますが?
会話を広げたくないのであははと適当に笑って都内住み=お揃い発言を流す。一目見た瞬間に息を飲むほどに「目立つ側」だと分かるようなこの男と、私は今日限りで関わりを断ち切りたいのだ。交際、ましてや結婚なんて冗談じゃない。
大丈夫。余計な情報は出してないはず。適当に相槌を打つだけで、私はこの男に自分の情報を一切出していない。だからきっと大丈夫。この一夜さえ乗り越えれば――。
……本当に?
本当に「大丈夫」だろうか。
けいちゃんとの男女の関係を疑うこの男に、幼なじみだと答えてしまった。会話から、小学生の頃の同級生だということはバレているに違いない。それに、ホテルで会った時に私は明らかに結婚式の装いで、あのホテルを出た時、どの会場が何に使われているかを示すフロントパネルには、友人たち夫婦の姓が書かれてはいなかったか。友人――新婦の旧姓は少し珍しい。そこから辿って行けば、私の実家や今の住所なんてあっさり割り出されてしまうのではないだろうか。
「あれ?どうしたの?顔色が悪いよ」
「大丈夫だから…」
「無理しないで?やっぱウチで休みなよ」
「迷惑かけちゃうのはちょっと……」
「迷惑なんて思ってないよ。だって、ナマエさんはボクの大切なお嫁さんだから」
……けいちゃん早く帰ってきて!!
ソファの隣から身を乗り出し、心配そうに手を取ってきた真経津くんに、心の中で叫ぶ。
なるならけいちゃんのお嫁さんがいい。そう思いながらこのリビングに続くドアの方を心待ちに見ていると、ぐるんと視界が反転した。
「……え、」
「ダメだよ」
「真経津くん……?」
「ナマエちゃんはボクのお嫁さんだから、浮気はダメ」
いつの間にかソファに押し倒された私を、真経津くんが真っ直ぐに見下ろしている。整った顔に浮かぶ怒りにも似た執着が恐ろしくて動けない。
身のこわばった私の首筋を、男にしては滑らかな、それでいて節のしっかりした手が撫でた。
きっともう、逃してもらえない。そんな予感に、震える声で幼馴染の助けを呼んだ。
「や、やだ……けいちゃ……」
「呼んじゃダメ。ボクと――」
「おい」
けいちゃんではない声。
意外にも、この危機に声を上げたのは医者の男だった。
「ところ構わず盛るな。マヌケが」
ピシャリとそう言う声は冷たくて、自分が怒られているように錯覚してしまう。
「あの、」
貞操の危機を救ってくれたことにお礼を言おうと呼びかけると、のし掛かっていた真経津くんが上から退いた。
やっと一安心。そう息を吐こうとすると、ぎゅうとお腹を抱きしめられた。
「ごめん。自分でも驚いてるんだ。こんなに抑えられないなんて——」
「あの、事故だと思って忘れるから、とりあえず離して……」
「ヤダ」
やだじゃない。人の話を聞こう。そして匂いをくんくんするのもやめようね。
また助けてくれないかと医者の方へ視線を送ると、彼は医学書らしい本を読んでいて、一切目が合わなかった。
「もうちょっとこのままでいたい。……ダメ?」
「うん。みんなの目もあるし、ね?」
「そっかー!じゃあ今日はもう解散!」
「!?」
突然解散を言い放った真経津くんに目を剥いてしまう。
いや、解放してもらえるのはいいことなんだけど。
「って、あれ?」
「どうしたの?」
「いや、どうしたのじゃなくてね」
解散と言っていたのに、手放される気配のないこの腕はなんですか?
もうこんな時間かーなんて帰り支度を始め出したストリーマーたちが捕まったままの私を気にする気配は皆無だ。皆ちょっと個人主義を貫きすぎでは?
「私も帰らないと」
「えー?皆の目が気になるんでしょ。だから解散なんだけど?」
知らないよ。なんで「君のためにしてあげてる」みたいな言いぶりをするんだ。
サッと立ち上がったストリーマーが横を抜けていく。もしかしたら助けてくれるのかと見上げると、個性的な赤いコンタクトと目が合った。
「今度は俺のことも『見て』ね」
今度の前に今私を見捨てないでください。愛嬌良く手を振ってくる彼に手を振りかえす気分にはなれない。ストリーマーの彼に続くように、今度は神父服の男が通る。
「姦淫は罪。罪を改め、救いを求めるならば神はいつでも手を差し伸べよう」
今。救いが欲しいのは今なんだよ。姦淫に及んだ事後想定で神の救いを話さないで、今この場で私を真経津くんから救おうよ。
私の切実な目線での訴え虚しく、神父はにっこりと上品に微笑んで見せた。そしてストリーマーと共に「罪人を裁きに行こう」と言葉の不穏さの割にキャッキャとはしゃぎながらマンションを出て行った。医者も2人とはちょっと距離を置きつつ、部屋からは出て行ってしまった。
「これで2人っきりだね」
「そんな……」
よりにもよって人生で一番避けたいレベルの「目立つ側」にこうやって捕まってしまうなんて。目立たず、自己主張せず、地味に徹してきた今までの私の努力は一体。
「ナマエさん、今まで頑張ってきたんだね。これからはさ、頑張るのは楽しいことのために使おうよ」
「真経津くん——」
見透かされている。私が女子グループの中で浮かないようにとそれだけ考えて目立たないようにしてきたこと。
……どんなに面白そうと感じてもでも、目立つ人とは最初から距離を置いてきたこと。
「つまらないことのために、ナマエさんまで無理してつまらなくならなくたっていいんだよ」
たぶんそれは、私がこれまでずっと欲しかった言葉だ。
目立たないようにするには好きなこと・得意なことをほどほどのところに収めないといけなくて、目立つ人と関わらないということは、その人の考えや知識に触れる機会を失うということで。私の「普通」は、楽しいことや面白いことを削ぐように犠牲にした上で成り立っていた。
私はきっと、誰かにそれを否定して欲しかった。
「大丈夫。楽しいことはたくさん、ボクが教えてあげるよ」
「真経津くん——」
顎を掬われ、真経津くんの方を向かされる。関わらないようにとなるべく見ないようにしていた顔は端正に整っていて、瞳は磨かれた鏡のように澄んでいて、多重反射するそれみたいにどこまでも続いていた。
ああ、絶対に関わったらダメだ。こんな魔物みたいな人。
そう頭で理解しながらも、私は近づいてくる彼を受け入れるように目を瞑った。
催眠にかけられたみたいに、そうしたくなってしまった。
「ナマエちゃん!!無事か!」
聞こえてきたけいちゃんの声と足音にハッとする。
「けいちゃん!」
「ナマエちゃん!?コラ真経津!テメェ俺のこと締め出して何する気だった!?」
「締め出したって何のコト〜?お嫁さんとするコトなんて1つに決まってるでしょ」
「すっとぼけてんじゃねえ!返せゴルァ!」
ベリッと接着剤が剥がれる音のしそうなくらい強い力で、けいちゃんに抱き上げられる。いわゆるお姫様抱っこ。筋骨隆々の逞しい腕にそうやって抱えられ、顔にきゅうっと熱が集まってくる。
「けいちゃん!」
「どーしたナマエちゃん」
「えっと、降ろしてほしいかな、なんて」
「悪りィ!」
私をふわりと床に降ろしたけいちゃんの顔が、ボンッと火をつけたように赤くなった。
港区にいるような美人をとっかえひっかえして付き合えそうな今のけいちゃんがそうしてあたふたしていると、何だかとても面白い。
「もう1回してみる?」
「ハアッ!?いいから!!帰ろーぜ!……送る」
「うん!」
ついからかってみたら期待通りの反応が返ってきて笑ってしまう。
痩せっぽっちだった頃のけいちゃんも、「一人じゃ危ねえだろ」とこうして送ってくれたっけ。
「ナマエさん」
ゾクッと寒気を感じるような呼びかけに後ろを振り向くと、ソファに座ったままの真経津くんと目があった。
本当に、鏡のような目。そして――。
「またね」
ニッコリと笑う真経津くんと私の間に、私を映す巨大な鏡の幻影が見えた気がした。
YA'ABURNEE