今日も、霊とか相談所は暇を持て余していた。『今日も』と言うといつもみたいだろ、と経営者は怒るかもしれないが、そう間違いでもないのが現実だ。
「……今日はもう客来なそうだな。モブ、」
帰っていいぞ、と弟子に呼びかける声は、ドアの開く音を聞いて引っ込んだ。
「ようこそ!霊とか相談所……」
いつもの営業スマイルと言い慣れた定型文で出迎えようと入口に体を向けるが、すぐに動きが止まる。
「……名前さん……」
「……新隆、くん」
霊幻が呆けた顔で湯のみから手を離したのを超能力で止めながら、モブも遅れて振り返った。大人の女性だ。知り合いだろうか、と思いながら、地面につくギリギリ直前で止めていた湯のみをそっと床に置いた。客人に不審に思われたかもしれない、と改めて彼女の様子を窺ったが、霊幻と女は互いに見つめ合って微動だにしない。ほっ、とモブが息をつくと右肩でエクボが「気付かれてねーみてーだな」と言った。
「名前さん、どうしてここに」
霊幻が問いかけると、名前と呼ばれる女は戸惑ったように床に視線を這わせた。もう1度呼び掛けてやっと顔を上げる。
「久し振り、だね。その……風の噂で新隆くんのこと聞いて。のぞきに来ちゃった」
名前が困った様に笑うと、霊幻の表情が明るくなった。「そうだったんですか!」と喜んだかと思うと妙にたどたどしく挨拶を始める。いつもの師匠らしくないな、と眺めるモブの視界の隅で、なるほどなあとエクボが頷く。
「あっ、どうぞこちら座ってください!……ほらモブ、片付けるぞ」
返事をする前に湯のみを持たされ、来客用のソファから追い出されてしまったモブは、自分の定位置である受付のイスに腰を下ろした。楽しそうな声は聞こえてくるが、仕事に関係ありそうな単語は聞こえない。
「ふふ、新隆くん変わんないね。でも会社辞めたとは聞いてたけど、まさかこんな。」
「いやぁ、ハハ……自分の才能を活かそうと思いまして」
さいのう、と霊幻の言葉を小さく繰り返す女の表情が、モブはなぜか気になった。
『シゲオ、こりゃあオレ様たちは帰った方がいいみてーだぞ』
「? でも、除霊の仕事になるかもしれないし」
『……お前は案の定っつーか……そっち方面も激ニブだなぁ……』
エクボは無い肩を落とした。モブの前に回り込んで、人差し指を立てる。
『霊幻の奴、完璧に惚れてるぜ、ありゃ』
意地の悪い顔で言いのけたが、モブからの反応はない。思わず真顔になって様子を窺う。
『シゲオ?』
「えぇっ!?!!!?!」
「おわっ!?どうしたモブ!」
普段のモブからは想像がつかないほどの大きな声を聞いて、近況報告や思い出話に花を咲かせていた2人も振り向いた。
「し、師匠……」
師と女性を見比べる。この、恋とは無縁に見える師匠が、この、美人で優しそうな女性に、恋をしている?とてもイメージが湧いてこないが、確かに霊幻の様子はいつもとは違う。仕事中の作り笑いでも、何か企んでいる笑みでもない。モブは混乱した。
その様子はその場にいる全員が注目したが、名前だけは何か勘違いをしたようで、あっ!と声を上げて立ち上がった。
「ごめんなさい、私あいさつもしないで。名字名前です。霊幻くんの大学の先輩……で、いいのかな」
よろしくね、と笑いかける名前を、眩しそうに目を細めて見つめる霊幻が見える。しかしそれも一瞬だった。霊幻は立ち上がると、左手をモブに、体を名前に向けて口を開く。
「紹介が遅れました。弟子のモブです。すみません、今帰らせますから……」
言いながらモブに近づき、名前には見えないようにポケットから小銭を取り出して握らせる。
「モブ、今日もお疲れ様さん。気をつけて帰るんだぞ。じゃあまた……」
「あっ、新隆くんいいよ!私もう行くから、気にしないで」
霊幻のわざとらしい労りの言葉を遮ったかと思うと、名前はいそいそと帰り支度を始めた。
「えっ、名前さんちょっと」
「元々、顔出すだけのつもりだったの」
じゃあまたね、と笑顔を振りまき、名前は背を向けてドアに手をかける。
『また来いよー』
「ふふ、ありがとう」
名前が目を見開くのと、霊幻とモブが「えっ」と声を上げるのは同時だった。
『やーっぱりオレ様が見えてやがったか』
「名前さん、エクボが……霊が見えるんですか?」
ドアノブを握ったままうつむいて動かない彼女に、霊幻が一歩近づく。
「……また、来るから」
消え入りそうな声で言うとそのままドアノブを捻り、振り返らずに走り去った。
☆
名前と再会してからもう2ヶ月が経つ。時間が許す限り手当たり次第に情報をかき集めたが、得られたのは「大学からずっと付き合っている彼氏と結婚間近」「彼氏と最近別れた」という下世話な情報だけだ。どちらか、もしくは両方デマかもしれないが、余計に霊幻を疲れさせた。
無意識にデスクについた小さな汚れを見つめながら考え込んでしまったらしい。うだうだと悩んでも仕方ない、と立ち上がり、気分転換がてら茶を淹れようと歩き出す。が、お茶っ葉の入った容器の蓋を開けて気づく。
「……切らしてたんだったな」
幸先が悪いな、と顔をしかめたすぐ後に、外に出た方がいい気分転換になるだろうと思い直した。最寄りのスーパーに向かうべくドアへ向かった。
「さっみ……」
目的のものとついでに食塩を購入して外に出ると、冷たい秋風が体をなぜた。事務所を出た時も同じセリフを言った気がする。手の露出を抑えようと、腕を組んでから再び歩き始めた。
行きと同じ道を辿る。寒さから俯きがちになる頭に、何かが乗る感触があった。
「……紅葉?」
顔を上げれば、色づいた葉が右側から風に乗って運ばれている。そういえばここらのマンションの並木道はなかなか立派だった、とぼんやり思う。紅葉狩りに来ているらしい人影も見える。その中に、見知った姿を捉えた。
「名前さん!?」
ベンチに佇む彼女に駆け寄り、思わず手首を掴む。酷く冷えているようだ。どのくらい風にあたっているのだろう。体調は悪くなってはいないだろうか、と、顔に視線を移すと、面食らった様子ではあるが微笑んでいる。
「びっくりした……まさか新隆くんの方から来てくれるなんて」
言葉に含みを感じて聞き返すと、あれから何度も会いに行こうとしたの、と笑う。それを聞いて、俺だって散々探し立てたのに、と脱力してもよさそうなものだったが、霊幻の胸は高鳴った。8年近くも前から憧れだった彼女が、あの頃から変わらない美しさで自分に笑いかけている。ここ最近では、そんな気持ちはどこかに置いてきたのではと考えていたが、大学時代から変わらずに胸にしまいこまれていただけらしい。
彼女に会って霊幻の体温は上がったように思うが、名前の手は変わらず冷たい。
この歳にもなって、中学生と変わらないような片想いをしているな、と弟子の顔を思い出して苦笑する。
「新隆くん?どうしたの?」
「いえ。相談があるんでしょう。この世紀の天才霊能力者、霊幻新隆にお任せあれ!」
☆
事務所に来てしまった。
どこから説明しようか。
霊幻がいれてくれたあたたかいお茶の水面を見つめて、名前は考える。
そもそも、目の前の彼に本当に話していいのだろうか。知り合いだからこそ言いづらいこともある。けれど、他に「こんなこと」に詳しいツテはない。今までそんな風に悩んでいたら、いつの間にか時間過ぎていった。悩んでも仕方ないのはわかっている。
『世紀の天才霊能力者、霊幻新隆にお任せあれ!』
「(……ほんとかな?)」
嘘でも本当でも、そんなことを言う彼なら、私を受け入れてくれるかもしれない。そう考えれば幾分気が楽になり、名前は口を開いた。
「幽霊って、見えなくすることは出来るのかな」
「霊を?」
霊幻は表情を変えずに聞き返す。『霊』なんて話題で彼のように平然としている人間は、少なくとも名前の周りにはいなかった。仕事柄当然なのだろうが、それだけで涙ぐみそうになる人生を名前は送ってきた。
物心ついたころには「見えた」こと、そのせいで高校までいじめやからかいがあったこと。ぽつぽつと話し始める。
「この間ここに来た時、新隆くんに会いに来たって言ったの、嘘だったんだ。……ごめん。」
霊幻はやはり表情を動かさない。
「……相談っていうのはね」
数年間連れ添った恋人がいた。互いの仕事が一段落ついたころ、どちらからともなく同棲の話が持ち上がった。結婚を意識する年だし、お互い、そうなるものと思ってきた。
それから間もなく、彼は仕事の合間を縫って探し、2人で住める部屋を見つけて来てくれた。「広さの割に安いし、結構綺麗なんだよ」と言っていたのを覚えている。忙しい彼が、時間を割いて見つけて来てくれたことを名前も喜んでいた。
問題が起きたのは、名前も部屋の下見について行った時だった。
いたのだ。居間の中心で恨めしそうにこちらを見つめる、どす黒い悪霊が。
当然名前は入るのも嫌がった。しかし、理由は言えない。霊のことはずっと隠し通して来たのに、今更暴露したら、気味悪がられるに決まっている。嫌われてしまう。
理由も言わずに嫌がる名前を彼がよく思わないのも、当然だった。
「このままじゃまずいって思って。それで、 ここを訪ねたの。藁にもすがる思い……って言ったら、失礼か。」
知らない人になら話せるかもしれないと、自分なりに意を決してこの相談所に立ち寄った。なのに、入ってみれば知っている顔が出迎えた。『霊の話をしたら嫌われる』という思考が根底にある名前には、相談する勇気はなかった。
「それで、結局自分じゃ何も出来ないまま。お前のわがままにはついていけない、って振られちゃった。」
ハハ、と眉尻を下げて笑う名前に、霊幻が驚きの声を上げる。別れたんですか、と。
「うん。こんなことで……って、なさけなくなっちゃうけど。私が悪いし、仕方ないよね。
けど、霊が見えなかったらもしかして私の人生変わるかな、って」
努めて明るく言ったつもりではあるが、傍から見れば痛々しく映ったかもしれない。
霊幻は顎に手を当て、考えを巡らせている、ように見える。やがて手は膝の上に戻し、名前さん、と呼びかける。
「まず、霊が見えるのは体質です。外部からどうこうして体質が変わる訳ではありません。」
1番重要な内容をキッパリと否定される。ショックから胸がキュッと締まるのを感じるが、霊幻のはっきりとした物言いは納得できるものではあった。
「それから、……名前さん。全て自分が悪いと背負い込むのは危険だ。」
人差し指を立て、悪霊に付け込まれますよ、と言う姿は至って真剣なのに、冗談まじりにも聞こえる。
「たしかに、あなたは恋人を信じきれず隠し事をした。が、そんなもんは相手も同罪でしょう。男なら、例え嘘で丸め込んででも女が自分を信じられるように振る舞うもんだ。」
あ、嘘ってのは例え話ですよ、と急にあたふたする霊幻に、吹き出してしまう。かと思うと、今度はソファーにふんぞり返って「大体、2人で住む家を1人で決めますかねぇーっ、俺なら絶対しないけどなーっ」と声高に叫ぶ。名前もついに声を出して笑う。
「ふふ、私も実はそこ気になってた。一緒に選びたいよねぇ」
でしょう、なんてニカッと笑う顔に、学生の頃の霊幻が重なる。彼はいつも私を励ましてくれていた、と目を細める。今だって元気づけようとしてくれている。
けれど、今回のことはやはり自分の責任が大きいと思う。
「霊の話なんて、本当に誰にもできなかったもの。信頼してるかどうかじゃなかったし、彼のせいじゃ……」
「できなかった、でしょう。現に、俺に話せてるんだから。」
霊幻は名前の言葉を遮って真顔で言い切る。その顔が、さも当然のことをいっているようで、それでもいいのかもしれないと思えてきてしまう。
彼と別れてしまったことは事実だし、復縁する気にはなれない。
何年も一緒にいた恋人に言えなかったことが、何年も会っていなかった霊幻に言えてしまったことも事実で、悩んでいたことが嘘のようで笑いがこみ上げてくる。
「ほんと、だね……ふふ、新隆くんって実はすごい人かも」
言いながら、事務所に貼り付けられたポスターが視界に入り、「すごい人なんだったね?」と笑って言い直す。
「……名前さん。」
「うん?なあに?」
テーブルを見つめて、何を言いだすのかと思えば「俺、大学のころからずっとあなたが好きだったんですよ」と言い放つ。
突然の告白に驚いて身を固めてしまう。
正直に言って、霊幻の思いに気づいていなかったわけではない。けれど、なぜ、今。
「散々探して今日まで会えなかったんなら、次いつ会えるかわからんし。」
名前の心中を察したのか、聞いていないのに答える。
「……えっと、ほら、私別れたばっかりで気持ちの整理がついてないっていうか」
「それです。」
また人差し指を立てる。癖なのかもしれない。何がそれなのか、聞き返すと、腰を上げてテーブル越しに顔を近づけてくる。
「そこに付け込みますよ、俺は」
正直すぎるセリフに、自然と笑みがこぼれる。
霊幻にとっては決め台詞だったのか、笑われて不服そうに顔をしかめた。
「じゃあ、付け込まれてみようかな」
「えっ」
自分から誘ったもののまさか了承を得られるとは思わなかった霊幻が、ポカンと口を開ける。
そんな姿も愉快で、名前は口に赤い弧を描く。
「一緒にお食事でもどうですか、お兄さん?」
「!! ぜひ!!!」
素直に喜んでくれる彼を見て、目鼻の奥が熱くなるのを感じる。涙を堪えられるようになったのは、大人になってからだ。
小さく、「ありがとう」と呟いた。
霊幻の耳に届いたかは、わからない。
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