「ねえ、明日の夜、時間取れない?」
夜通しの仕事を終えて、わざわざ私の家に寄ってくれた恋人の後頭部に話しかける。よっぽど眠いらしく、再会の挨拶もそこそこにソファに沈んだ彼に毛布をかける。ゆっくり休んで欲しいけれど、眠りに落ちてしまう前に予定を確約したかった。寝ていたと思ったらいつの間にか家を抜け出してまた仕事、なんてザラだからだ。
「おぉ……」
「仕事、入ってない?大丈夫?」
はいってない、と唸るように発したのを最後に、完璧に沈んだ。
約束は出来た。欲を言えば今晩は夕飯がいるのかも聞いておきたかったけれど、仕方がない。とりあえず二人分作って、要らないようなら明日また自分で食べればいい。
☆
翌日夕方、私たちは街中にある噴水の前で待ち合わせた。ギアッチョは時間ぎりぎりまで仕事らしい。忙しい合間を縫って会いに来てくれるのだから、感謝しなくてはいけない。
待っている間、行き交う人々をつい観察してしまう。買い物帰りらしい親子連れ、これから飲みに繰り出すのであろう若者たち、夜が更ける前から甘い雰囲気でくっつく恋人たち。この中にこれからギアッチョと共に紛れるのかと思うと、心が弾んだ。
「おい」
聞きなれた声に振り返る。乱暴な声がけはいつも通りだけれど、今回はその響きに相応しい若干の怒気が混ざっていた。
「ギアッチョ!流石、時間ピッタリだね」
「流石じゃねぇ、お前が早すぎんだッ!」
掴みかかるような勢いでこちらを指さす。そんなに怒ることだろうか。慣れてはきたけれど、彼の怒りの沸点は私とはかけ離れていて、相互理解に時間を要する。
「いつも言ってるよなァ……約束の時間キッカリに来い!」
「うーん、なんかそわそわしちゃってさ。準備できたらすぐ出てきちゃった」
ははは、と笑って誤魔化す私を見、更に眉間に刻まれたシワが深くなる。指で伸ばしたくなる。
「そう言っていつかもボーッと突っ立ってバカに連れ去られそうになったのはどいつだ!?いい加減にしろッ!」
連れ去られそうになったことなんてあっただろうか。記憶を巡って行き着いたのは、初めてのデートの時の出来事だった。そういえばあの時も、待ち合わせはここだった。
「ああ、ナンパのこと?そんなに心配しなくてもそうそうないよー」
初デートでもやっぱり緊張していた私は、やっぱり早めに家を出て恋人を待っていた。たしかに、男の人に声をかけられた気がするけれど、タイミングよく現れたギアッチョのおかげで事なきを得た。その時ギアッチョが「話つけてくる」とナンパ男を物陰に引っ張って行ったのが印象深い。彼は無事に家に帰ることができたんだろうか。
思い出に浸っていると、顎と頬を雑に掴まれた。痛くはないけれど、頬を押し上げられて唇が突き出たこの顔はきっと不細工で、抗議として出した声は「ひゃめて」なんて情けない響きだった。
「そうだなあ、こうブスじゃナンパなんてされねーよな。ずっとこうしとくか」
「ひゃから、ひゃめてって」
「時間通り来い」
了承するまでこうしているつもりだろう圧を感じ、すぐにコクコクと頷く。やっと彼の無骨な手が離れた頬をさする。せっかくお化粧したのに、と恨めしい視線を送ると、それを上回る強すぎる眼力で抑え込まれた。私が悪かったです、と呟くとやっと機嫌を直してくれたらしく、「メシどこにすっか」と腕を組んだ。
「あ、ご飯ね、実はもう決めてあるんだ」
「あ?……珍しいな」
普段は行き当たりばったりなデートしかしない。ギアッチョが違和感を持つのは当然だった。が、あえて返事をせずに笑って歩き出す。
我ながらわざとらしい仕草だけれど、隠し事は得意じゃないのだ。そしてそれを見逃してくれるような彼氏でもなかった。
「……今日、随分めかしこんでねーか?」
「えっ、そう?デートだし、いいじゃない?」
彼女がデートに着飾っているだけなのにこの訝しげな表情。疑い深い性格なのは百も承知だけれど、ちょっと失礼すぎやしないだろうか。
と思いつつ、まあ半分は嘘なのでドキリと心臓が跳ねた。
そう、今日はただのデートじゃない。
『付き合って100日記念』のデートなのだ。
わかってる。ギアッチョがそんなことを気にするタイプの男じゃないことは重々わかってる。付き合って何ヶ月だとか1年だとかの、カレンダーを見ればわかるような記念日でもなく、わざわざちまちま日数を数えた自分の細かさもちょっとどうかと思う。だからこそ、彼の負担にならないように普通のデートを装ってみたのだ。あとは最後に「そういえばたまたま数えてみたら今日で付き合って100日経つらしいよ?」なんて軽く切り出して、さりげなくささやかなプレゼントを渡す。これが今日の計画の全貌だ。
素直に記念日デートがしたいと言えばいいだろう、と言われてしまえばそれはそうなんだけれど。だってまだ付き合って100日なんだ。三ヶ月ちょっとなんだ。重い女、と失望されたら……なんて考えが過ぎってしまうくらいには、私とギアッチョは恋人として成熟していなかった。
彼はまだ疑わしい視線を向けてきたが、それに気づかないふりをして「一回行ってみたかったバールなんだよね」などと話を振った。本当は調べに調べて、雰囲気のいい店を選んだのだけど。
「着いたよ、ここ!」
店は雑誌で見た通り、女の子が好みそうなセンスのいい造りだった。ムードのある音楽が流れ、そして予想通りカップルだらけだ。
近づいてきた店員に事前に伝えていた名を告げると、奥のテーブル席に通された。周りの客から少し離れているのは、話がしやすいようにという気遣いなんだろう。
店員が一旦離れると、ギアッチョは背もたれに寄りかかって「落ち着かねえな……」と呟いた。その顔は珍しく困惑を浮かべていて、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「なんだよ」
「ごめんごめん、こういうとこ普段こないもんね。私もなんか慣れないな」
言いながらも笑いが抑えられない私を見て、いつもより小さい舌打ちをしているのも、また面白い。
デートとは言っても、話す内容はいつもと変わらない。お酒が入っている分お互いに饒舌ではあるけれど、変わった同僚に付き合いきれない、最近公開された映画が気になる、林檎が安くてつい買い込んだから消費したい……そんな、恋人らしいわけではないたわいないものだけれど、打てば返ってくるギアッチョとの会話が好きだ。ご飯を食べているうちに店の雰囲気も気にならなくなったらしく、ギアッチョもリラックスしたように見える。
「失礼致します」
また思いついた話題を挙げようとしたとき、私たちのテーブルの前に人が立った。案内してくれた店員だ。
頼んだ食事は全部来たし、グラスはまだ空になっていない。なんの用だろう、と首を傾げると、店員は人好きのする笑顔を浮かべた。
「本日はお二人の大切な記念日だそうで……ささやかながら、こちらサービスです」
「……記念日ィ?」
聞き耳を立てていたのか店内のそこかしこから「おめでとうございまーす!」と声がかかる。店員全員で言っているらしい。
状況が理解できないまま、頭をフル回転させる。ああそうだ予約の電話のときだつい浮かれて「付き合って100日なんです」なんて店員さんに口を滑らせたような気がするいやだからってまさか頼んでもいないサプライズを受けるなんて思わないじゃないか!? 一通り過去の自分の言い訳をしてから、真顔でこちらを見ている恋人にはどう言い含めたものか必死で考える。怒っているだろうか。怒ってるだろうな。サプライズとかきっと好きじゃないだろうし、なんの記念日かすらわからないだろう。
控えめなサイズのケーキを置いて、無責任に店員は立ち去っていた。ギアッチョの顔を見られず、チョコプレートに書かれた『Auguri per l’anniversario(記念日おめでとう)』の文字を見つめる。
「いや……うん……」
「…………」
言葉が見つからない私を怒鳴りつけるかと思いきや、なんと待ってくれている。こうなっては仕方ない、私に言えるのは事前に用意した台詞だけだった。
「たまたまね、気づいたんだけど……今日で付き合って100日なんだなーって……はは」
半ばやけくそで、用意していたプレゼントを渡す。相変わらず顔を見る勇気はなく、俯いて差し出すこの光景はまるでマフィアに上納する一般人だ。……あながち間違いではないけど。
……が。
一向に手は軽くならない。気に入らなすぎて受け取ってすらもらえないのか、と恐る恐る顔を上げると、視線は合わなかった。ギアッチョが頭を抱えていたからだった。
「ど、どうしたの!?そんなに嫌だった!?」
「……違ぇ……」
嫌なわけではないらしい。どうにも様子のおかしいギアッチョを、今度は私が待つ番だった。
「……そうか、あー、なるほどな」
「……なに?」
初日が1か。
恋人はたしかにそう呟いた。
それだけでは全く意味を理解出来ず、てっきり説明があるのかと思ったが、頭を掻きむしってそっぽを向いてしまった。
「え……え?なに?説明!!」
「…………明日だと思ってたんだよ」
「……明日?」
「だから!付き合った当日を『0日』として数えてたんだよ!!クソッ!!」
プレゼント置いてきちまったろうが!!と怒鳴る彼。え、つまり、私は付き合ったあの日を含めて100日を数えていて、ギアッチョはあの日を含めずにやっぱり100日を数えていた……?とここで私の中で一つの仮説が生まれる。
『えっ、ひょっとしてギアッチョも祝おうとしてたの?』と。
思ったまま訊ねると、ギンッと鋭い視線を向けて、でもすぐにバツが悪そうに逸らし、「……明日な」と零した。
「え……うそ……ほんとに?」
「なに引いてんだテメェ!?つーか祝うんならそう言っとけや!!」
「や、引いてない引いてない!」
すごく嬉しい。顔がにやついて仕方ない。
というか、明日祝おうとしてくれていたのに私が知らなかったのだから、「言っとけや」はお互い様じゃないだろうか。
知らず、笑い声が喉から漏れていた。
「……すれちがっちゃったね?」
「クソ、カッコつかねぇな……」
「今後はどっちかに合わせようか?私、『0』派になっていいよ」
意識していた訳では無いけれど、茶化すような言い方をしてしまう。いつになくかわいらしい彼が、とんでもなく愛しく思えてしまうからだろう。
ギアッチョは激しく振り返ったので文句を言うのかと思ったけれど、私の顔を見て毒気を抜かれたように「……『1』でいい」とため息をついた。
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Auguri per l’anniversario !
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2016- やぶさかデイズ
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