寝て起きると、昨日の不調が嘘のように吹き飛んでいた。睡眠って大事だ。たくさん寝られたことだし、今日の授業はいつもより集中して受けられそう、と調子づいたことを考えていたのだけど、その意気込みは臨時の全校集会によってくじかれた。
「今日は皆さんに……悲しいお知らせがあります。3年3組の小西早紀さんが」
心臓を無遠慮に掴まれた感覚。守るように、胸に手を当てる。
努めてあの単語を思考の隅に追いやる。家出かな。退学だったりして。そのくらいで全校集会なんてやらない、という冷静な判断は無視をする。
「……亡くなりました。」
声が漏れそうになるのを手で抑える。周りのざわつきが遠くで聞こえる。ああ、やっぱり、と考えてしまう。行方不明だと聞いたとき過ぎった嫌な想像が、現実になってしまった。
どれくらい経ったのかわからないうちに校長の話は終わり、生徒たちは教室に戻るよう指示される。道中、様々な噂が飛び交った。「山野アナに続いて今度は電柱で」「連続殺人事件」「夜中のテレビに映っていた」……興奮した様子で、けれどあくまで他人事として。
教室に入ろうとする手前で、「いいから聞けって!」と唯一真剣な声が耳に入った。花村さんだ。悠と千枝さんも一緒に、階段前で集まっている。
つい意識が向いて、立ち聞きする形になってしまった。
「昨日の夜中のテレビ……映ってたの、あれ小西先輩だと思う。なんか……苦しそうに、もがいてるみたいに見えた……」
「なによそれ……」
夜中のテレビ。電源をつけてもいないのに夜12時になると流れ出す、あれのことだ。
「もしかするとさ……山野アナも死ぬ前に、あのマヨナカテレビってのに映ってたんじゃないのかなって」
「花村、まさか……あのテレビに映った人は死んじゃう、とかって言いたいわけ……?」
「あのっ」
「! 名前ちゃん……」
どうしても、黙って聞いていられずに結局3人の前に出た。勝手に話を聞いたことを謝ってから、思いつきを話す。
「クマが、言ってましたよね。『危ない』とか、『霧が晴れる前に帰れ』とか……」
「! ああ、そうなんだよ!たしか、『誰かが人を放り込む』とも言ってたし……あっちの妙な部屋は、事件と関係ある感じだった」
「はい……妙に、あの世界と事件に繋がりを感じるっていうか」
花村さんは私の言葉に頷くと、他の二人に顔を向け直す。
「なあ……どう思う?」
戸惑っている様子の千枝さんと、沈黙を守っている悠に、不安げに問いかける。馬鹿げている、と一蹴されるかもしれない。一緒にテレビの中に落ちたこのメンバーに否定されてしまったら、もう仲間はいないだろう。そんな焦りの見える声だった。
「俺も、繋がりがあると思う」
それをかき消すような朗々とした声、真っ直ぐな目で悠は返す。後押しされた花村さんはうなずいて、また考えを述べる。
「もしそうなら、先輩と山野アナもあの世界に入ったのかもしれない」
あちらで見た妙な部屋が山野アナと関係があるなら、小西先輩と関係のある場所もあるかもしれない、と続ける。
事件とテレビの中が繋がっているかもしれないとは思っていたけれど、そこまでの考えには至っていなかった。思わず花村さんの顔を見る。
「花村、あんた……」
「もう一度あそこに行くつもり、ですか?」
「……確かめたいんだ」
千枝さんと顔を見合わせる。昨日のテレビの中で感じた、悪寒、帰れないかもしれない恐怖、そして現実の事件を考えると、とても賛成できなかった。
「よ、よしなよ……警察に任せた方がいいって」
「アテにできないだろ!?第一、テレビに入れるなんて話、まともに取り合う訳ねーよ!」
それはたしかに、もっともな意見だった。山野アナの事件も進展はなさそうだし、この推論が正しかったとしたら、警察が真実を暴くことはできないだろう。けれど、だからって。
「……見当違いなら、それでもいい。でも、先輩がなんで死ななきゃならなかったか、自分でちゃんと知っときたいんだ……」
花村さんのきつく握りしめた拳が震えている。私と違って、小西先輩と親しく、よく知っていた人だ。好きに、なるくらい。
「悪ぃ、けど頼むよ。準備して、ジュネスで待ってっからさ……」
そんな彼を否定する言葉は、きっとこの中の誰も持っていなかった。
花村さんはそのまま、学校を飛び出してしまった。
「気持ちは、わかんなくもないけど……また出られるかもわかんないんだよ?あんなトコ……」
「俺が一緒に行くよ。放ってはおけない」
「ま、マジ……?」
千枝さんは、そして私も、まだ迷ってはいたけれど、今の花村さんを一人にはしておけない。遅れて、全員でジュネスに向かうことにした。
「来てくれたのか……!」
「バカを止めに来たの!やめなよ、帰れないかもしれないんだよ?」
花村さんは、昨日テレビの中への入口となった大きな液晶テレビの前にいた。ゴルフクラブを持って家電売り場にいるのは異様でしかないが、今日も周りに人はいない。
「同じとこから入れば、またあのクマに会えるかもしれない」
「そんなの、保証ないじゃん!」
「けど他の奴らみたいに、他人事って顔で盛り上がってらんない」
そう言われると、千枝さんも押し黙った。このまま何も知らないふりをして日常を送ったら、無責任に噂を振りまく人々と同じなのだろうか。少なくとも、花村さんはそう考えている。
いまだ決心がつかずにいると、悠が一歩前に出た。
「陽介、一緒に行くよ。ただ……なにが起こるかわからない。俺たちだけで行こう」
「えっ」
「ああ、そのつもりだ。里中と名前ちゃんには、これ」
口を挟む前に、ロープを押し付けられる。私と千枝さん、一本ずつ。
「俺ら、これ巻いたまま中入るから。二人は端っこ持って、ここで待っててくれ」
「い、命綱ってこと!?」
「ちょっと待ってください、そんな」
私たちの声は無視して、花村さんが悠にゴルフクラブを手渡す。二人はなんだか頷き合う。私の持っているロープを悠が腰に結び、花村さんは千枝さんのロープを結ぶ。呆気に取られていると、もうテレビに手をかける。
「ロープ、離すなよ!」
「ま、待ってってば!」
「もうちょっと考えた方が!」
あっさりと、悠に至っては声もかけずに行ってしまった。千枝さんが泣きそうな顔で振り向く。私も泣きそうになる。
「こ、このロープ、何メートルあるんですか?そもそも下に降りられるんですか?」
「えっ、ど、どうしよう中で宙ぶらりんになったりしてたら……!」
元々良くなかった顔色がさらに青ざめる。今のところ、ロープが引っ張られる感覚はないけれど……。二人してそうっと、テレビに刺さったロープを引っ張ると、音もなくロープの切れ端が出てきた。
…………え、切れた?
「ほらぁ……やっぱ、無理じゃん……」
膝から崩れ落ちる千枝さん。私も同じようになりそうなのをぐっと堪え、膝に力を入れる。
「ちょっと……買い物してきます」
「え……今?いいけど……」
訝しむ千枝さんを背に、家電売り場を離れる。
行くしかない。家族に何かあったら、なんて考えたら、とてもただ待つなんてこと出来ない。まあ向こうで会えたら悠には叱られるかもしれないけれど、その時はその時だ。今すぐ飛び込みたい気持ちを抑え、慣れないジュネス内を散策する。
「! おお……さすがジュネス」
『不審者・害獣対策に!』と銘打ったコーナーに陳列されたさすまたを手に取る。武器にはならないけれど、逃げる隙くらいは作れる……かもしれないし。
わりと財布に痛い金額を支払い、千枝さんの元に駆け足で戻る。
「千枝さん、私、行ってきます」
「は!?な、何言ってんのダメだよ!」
「クマが、私のことは匂いで見つけるって言ってました。大丈夫、ちゃんと二人のこと連れて帰ってきますから」
口角を上げてみるけれど、たぶん笑顔にはなっていないだろう。それでも、自分の足でテレビに近づく。私なら、悠と同じようにテレビに入れるはず……!
手が入り込んだのを確認したら、私は目をつむってダイブした。後ろから、千枝さんの悲鳴が聞こえた。
かなりの高さから落ちた気がするのに、そのわりに少ない衝撃が足に伝わる。とはいえ、下から膝にかけてしびれるような痛みがある。足で着地できたし、今度は上手く降りられたと思ったのだけど。
周りを確認。前回と同じ、スタジオのような場所だ。花村さんが言っていた、「同じとこから入れば」というのは、正しかったらしい。
しかし、クマも二人も見当たらない。護身道具を探すのにそれなりに時間が経ったし、もう探索を始めているのだろう。
前回見た感じ、スタジオから行ける場所は少なくないようだった。この霧深い中、迷わずに悠達と合流するには……。
「クマーーー!!」
声を張って気づいてもらうしかない。クマの鼻と耳を信じ、地べたに座り込む。
ここは、静かだ。
一人でいると考え込んでしまう。このまま気づいてもらえなかったら今度こそ帰れないな。実はクマと二人はもう出会ってて用が済んだら私だけ置いてけぼりになったりして。いやそもそも二人と一匹がもう会えていたら私が来た意味って……。
泣きそうになっていた頃、待ち焦がれた声が聞こえた。
「ハニーーーー!!こんなところで何してるクマー!?」
「クマ!よかった……ねえ、先に人が二人入ってきてるの、知らない?」
「会ったクマよ、いま案内してきたところ」
本当に先に合流してた。当たってほしくなかった予想が的中し一瞬固まってしまう。いや、いやいや、この世界を調べるのに人手がいるかもしれないし。横に置いていたさすまたを握り直す。
「とりあえず、二人のところ連れてって」
二人がいるのは、前にこの世界に入ってきた人間が入り込んだ場所らしい。小西先輩のことかもしれない。私もクマに案内されるまま歩を進める。道中もらったクラシカルデザインの眼鏡のおかげで、なぜか霧を見通せる。
「ちょっと前から誰かがこっちに人を放り込んでるから、クマは迷惑してるの」
クマが、二人に協力する事になった経緯を話している。誰かが人を放り込む、というのが確かなら、人を……山野アナと小西先輩をテレビに入れた犯人がいるということになる。ひょっとしたら、殺すつもりで。
「だから、ヨースケ達には『犯人を見つけてくれるって約束するなら外に出してあげるー』ってお願いしたクマ」
「うん、それはお願いっていうか脅しだね」
しばらくスタジオと似たような景色が続いたけれど、徐々に辺りの雰囲気が変わってきた。
「そろそろよ。ハニー、シャドウが出たら危ないから気をつけるクマ」
「シャドウ?」
聞きなれない単語を聞き返そうと横を見ると、ついさっきまでいたクマが消えていた。頭上に不自然な影が落ち、見上げるとクマが…………クマが、化け物に捕まっていた。
「イヤァァァほんとに出たクマーーーー!?」
球体のくせにやたら大きな口だけがあるその異形は、長い舌をクマの体に絡めている。理解出来ずにへたりこむ。視線を落とすと、周りにもこちらを見つめる化け物達がいた。
「名前ちゃん!? やばい鳴上、あっちの化け物が!」
花村さん、と言おうと動かした口からは音が出ない。恐ろしさで、声が出せない。
こちらに駆け寄る悠が見える。だめだ、止めなきゃ、悠まで。
「ペル、ソナッ!!」
悠が叫ぶと、背後から大剣を持ったビジョンが現れる。人間じゃないその何かを使役し、化け物を次々になぎ倒している。目を離せないでいると、いつの間にか辺りの化け物は倒しきっていたらしい。
「名前、無事か!」
「悠……」
頼りになる兄ではあったけれど、あんなファンタジーな所業ができる人間では絶対なかった。呆然としていまだ立ち上がれない私の元に、みんな集まってくる。
「センセーイ!こんなすごいお人だったなんて……クマはまったくもって感動した!」
「センセイ?」
クマは人に勝手にあだなを付ける習性でもあるのだろうか。笑顔で悠にすり寄ろうとするが、避けられている。化け物の唾液で身体中べとべとなので仕方ないだろう。
「つーかクマ!いきなりいなくなりやがってどこ行ってたんだよ!なんだよあの化け物は!?」
「言ったでしょー、ハニーの匂いがしたからお迎えに行ったの!」
二人の言い争いを後目に、悠に手を貸してもらって立ち上がる。まだ少し、足が震える。
「さっきのはシャドウ、この世界にはほんとならクマとシャドウしかいないクマ」
そっちに霧が出た日はこっちでは霧が晴れるクマ。そうするとシャドウが暴れだして危ないから、人間はいちゃダメなのよ。と、クマが説明する。
「……あっちで霧が出た日に死体が発見されるのは、ここで人間がシャドウに襲われたせい……ってことか?」
「そうかもしれんクマ」
悠がまとめた話を聞き、花村さんの表情を盗み見る。小西先輩は化け物に襲われて死んだのだろうか。それを花村さんがどう受け止めるか、心配だった。
「……とにかく、外からここに放り込んだ犯人がいるはずなんだろ。捜査、再開すんぞ!」
俯いていたが、すぐに顔を上げて拳を振り上げる。が、ふとこちらに向き直る。
「そういや名前ちゃん、どうしてこっち来ちゃったんだ?」
「……命綱がすぐ切れちゃったし、そりゃ心配するじゃないですか」
私がいたらクマが見つけてくれると思って、と続けるとクマがふんぞり返って「エッヘン!」と口に出した。花村さんと悠は顔を見合わせたと思うと、同時に「ごめん」と頭を下げた。
「千枝さんが心配しますから、早く調べて帰りましょう!」
「そうだな、入ろう」
first main link clap
04.4月15日(1)
Unauthorized reproduction prohibited.
2016- やぶさかデイズ
2016- やぶさかデイズ