2-6

人気がなくなっていく林道を歩くウイの足に迷いはない。
ついに台車では進めぬ程道幅が狭くなると 台車は木陰で置いてけぼりをくらい持ち主は木々の間を縫うように進んでいった。


"黒"


ローの頭にその可能性がチラつき始める。
この島を初めて訪れたローにも検討がつく。
ウイが進む先に“同じくこの島を初めて訪れた筈の人間”が目的にしそうなものはなにもないだろうことを。
そんなただの人気のない山林を、何かに導かれるようにウイは進んでいったから。

後を追おうにも 足場に生い茂る草木は対象に音という形で追跡者の存在を知らせてしまう。
迂闊には近付けない状況に ローは前を進む音の位置に集中した。

もしお仲間と連絡を取るならば このシチュエーションはお誂え向き過ぎる。
身を隠し気配を消すローは高揚とも動揺とも形容しがたいものを感じていた。
ずっと疑い続けてきたものの 信用したい気持ちもまたローの中には存在したのだろう。


音が鳴りやむと同時に立ち上がったローの視界に 既にウイの後ろ姿はない。
四方の気配に注意しながら なるべく音の立たぬ道を選びローは草木を掻き分けた。










「うっわー!きれーい!!」


前方から聞こえて来た聞き覚えのある声にローは足を止める。
緑の合間に差し込む木漏れ日とは段違いに明るい場所。
陽の光を遮るものがないそこから声は聞こえた。
その場所へと近づくにつれ感じるのは 水場独特のにおいと水のせせらぐ音―――

明るい場所の正体は 林の中にぽっかりと空いた空間。
その中央に鎮座するのは樹齢の検討も付かぬ程の大木。
周りを取り囲む湖は空と木々を映し太陽の光を受けキラキラと輝いていた。
あまり景色に感銘を受けるタイプではないローですらその絶景には心を奪われる。
幻想的な湖を ウイはスカートの裾をたくしあげ中央の大木へと向かって進んでいた。

女の膝上程度の水深しかない湖の中央には 人の気配がない。
この状況は 仲間と待ち合わせていたというより景色を見に観光で訪れたという方が適切。
浅瀬で一人水遊びを楽しむウイにローは無意識にほっと胸を撫で下ろした。

水を蹴り上げてみたり 手で掬って放り投げてみたり 空中で弾けキラキラと輝く水の粒がウイは大層気に入ったようだった。

心ゆくまでそれを楽しんだ後 ウイは地上に這い出た大木の根へと飛び乗る。
そこは座れば丁度爪先がギリギリ水に触れる絶好のベンチ。
その場所に腰掛けたウイの表情はローの位置からも確認出来た。
例え何度目であろうとも 蹴った水が空中でキラキラと舞うのを夢中で眺めるウイを見てローはため息をつく。

これは飽きもせず同じ事に夢中な誰かへの呆れではなく ダンゴムシ相手の完全武装というくだらない事に執着していた自分への呆れ。

疑いを解く事は決めたものの 一度ならまだしも水遊び如きの何が楽しいのかが到底理解出来ないローは気配を殺しつつ草陰からウイを見守った。
結果疑いが晴れて良かったとはいえ、やはりこの男は価値の感じられない時間を好まない。

またしても鼻からため息が逃げたその時 ローの鼓膜を聞き覚えのある声が揺らした。


「ローもこっち来たら?いつまでもそんなとこ居たら蚊とかに刺されちゃうよ?」













ローにとって、ここ最近で随分と聞きなれてきた声。
しかしそれは今ここで聞こえる筈のない、いや聞こえてきてはいけないもの。

有り得ない、そうは思いつつも声を掛けられている以上尾行はバレている訳で 無視する訳にもいかずにローは観念し立ち上がった。
バツの悪さ丸出しのローに対してウイはいつも通りヘラヘラ笑っている。


「綺麗でしょ?ここ。昨日の子達が教えてくれたの。秘密の場所なんだってー」


バレてしまっている以上 声を張らねば聞こえない程度に離れている距離のままで居る理由もなくローは湖の側へと足を進める。
ウイの言い様はまるで ローが昨日のウイの行動を 子供達と色鬼で遊んでいたことを把握している前提で話しているかのよう。


「いつから気付いてた」
「え?昨日からずっと」


ローはウイから目を離さない。
状況が変わった。
尾行がバレていた以上、見られている前提での行動はウイの信用度合の判断要素になり得ない。
尾行がバレたことの落ち度を問うならば それはロー以外に有り得ない。
自分のヘマで判断期限の延長を申し出る事などこの男には出来る筈もなく、それはこれからのウイの言動で判断せざるを得なくなった。


「…なんで今更声なんてかけた」
「…虫に刺されたら痒くない?」


ロー虫刺されも治せるの?となぜそんな事を聞いて来るのかが解せない顔のウイにローは深いため息をつく。

やはり何かが微妙に噛み合わない。
質問の答えには違いない。
だが状況諸々を考慮すれば その問の答えはそうはならないだろう というのがローの感覚。

ローは目を伏せ考えた。
今自分はどうするのがベストかと。


「そんなに怪しい?私」


そんな中聞こえて来たのは 感覚がズレまくっている面倒臭い相手と思っていた人物の声。


「怪しまれてる事に気付いて普段のアレなら、おまえのそれは素じゃねぇと」
「素??…それは…難しいご質問で…」


相変わらずぱしゃぱしゃと水を蹴り上げながらもウイは考え込む。
顎に押し当てられた拳と45度斜め上を向く視線。
唸り続ける彼女はその答えを見つけだしそうにない。


「バカやってる割にやらかさねぇ。知識もあれば地頭も悪くねぇ。空気も読めてンだろ本当は」
「おお!お褒めに預かり光栄です!!そうなの!皆アホだバカだ言うんだけどね、私ちゃんと空気読めてると思うの!!」


痺れを切らして追い打ちをかけたローに 想定していなかった角度からのカウンターパンチが襲う。

疑い監視して得た情報を元に導き出されたウイへの評価。
“本当のおまえはバカじゃないんだろ”と
そう聞いた答えがまさかの本人からの全力の全肯定。

動揺を隠しつつローは尋問を緩めない。


「…はぐらかす為にそうしているように見える」
「何を??んー…ローは私を何者だと思ってるの?」


ローの動揺は恐らくウイには伝わっていない。
伝わってはいないのだが…問いかけに対するウイの返答は尋常じゃない程早かった。

せっかちなのか早口なのか 頭の回転が早いのか思い立った事をその瞬間に口に出しているのか…


「それがわかればこんな面倒臭ぇこと誰がするか」
「わかんないのに怪しいの?私の目的とか動機は??」
 

考えたいロー。
瞬速で答えては質問を上乗せしてくるウイ。
自分だけが回答に時間を使う事はローのプライドが許さない。
そのプライドに何の意味があるのか 何のプライドかはさておき、だ。
ローは言い回しで誤魔化しながら即答のペースを維持した。
いや、維持したかった。

だがウイに裏があるとして、その目的と動機。
確かに無償の親切にもメリットを見いだせないが
巷で名の通った商人がわざわざ海賊を出し抜く目的も動機もこれといって思いつかない。


「皆の命を狙ってるとか?…あぁ!賞金首狩りだと思われてる??最近は全然やってないよ!」
「狩ったことはあンのかよ…」


そこまで間は空けていない。
だが即答しなければウイがその僅かな間を埋めてくる。

ウイの過去を知らないローは賞金首狩りをした事があると認めた張本人に驚き呆れ本音が漏れる。


「っていうかさ、私殺すならとっくに殺ってると思うけど。ご飯とかお酒に毒混ぜたら一番手っ取り早くない?」
「…」








「確かに〜って思っちゃったけど気付かなかったの格好悪っ!って気まずい感じ??今」
「…普段話通じねぇくせにここぞとばかりに深読みしてくンじゃねぇよ」


始まりのボロネーゼのせいだろうか。
最初の食事を食べた後 死ぬ者も体調を崩す者もいなかった。

だからローは見逃したのかもしれない。
殺すのであれば最も手間もなく確実にそれを遂行出来る毒殺という手段を。

見逃したのは事実。
それを的確に言い当てられてバツが悪いのも事実。

どんなに頭の良い医者で海賊頭の頭をもってしても この状況を即座に整理は出来なかった。
これは白なのか黒なのか 本人を前にして見逃していた新たな事実を考慮してローは考える。


「まぁいいけど。…で?まだ疑わしい?私はどうしたら良い?」


悟られないように必死で頭を回転させるローとは打って変わって こちらの即答女は意図してか無意識かローが嫌がるパスを回してくる。
疑わしかろうが疑いが晴れようが 結局ローは極力この船主に対して負い目のある関係でいたくはない。
人より優位に立ちたい。
それが恩というアドバンテージを取られた相手なら尚更。


「てめぇは助けてやってる人間にここまで疑われて腹たたねぇのかよ」
「腹…?あー…確かに腹立てるとこなのか ここ」


聞かれた事への上手い返答が見つからず 苦し紛れの質問返しへの返答は またしても想定外のそれ。


「なんていうか…ローは私を嫌いで疑ってるんじゃなく皆の安全?を心配して疑ってる?ってわかる?から??…なんかよくわかんないけどそんな感じ」
「…何言ってン゙のか俺にも理解できねぇが…なんでか腹落ちはした」


しっかり考えて 状況を整理しての答えではない。
感覚だ。
この女は嘘を言っていないと ウイの何かがローに刺さった。

嘘にしては下手くそ過ぎて
本当ならば奔放過ぎる

だが現実が理屈通りでない事をローはよく知っていた。
理屈通りであるならば有り得ない天国と地獄を ローは実際に見た事があるから。
理屈なら有り得ない天国を見せてくれた人は 全体的に下手くそで奔放過ぎるけれども 一本筋の通った矛盾のない人であったから。
これまでのウイの言動に 矛盾のなさをローは感じた。


「じゃあもう夜はちゃんと寝てくれる?」
「は?」


尾行がバレていようと 結論白だと。
ローの中で全てが丸く収まりかけた時 ウイはまたしても想定外の話題を提供してくる。


「そのくま、夜中皆が寝静まった後こっそり私がサクッてやらないように夜通し気配とか探ってるんじゃないの?」
「……本」


サクッと刺すポーズを取りながらウイはローの顔を伺い見る。
聞かれている意味と 現状と 色んな事がなんとなく噛み合って納得したローが発した言葉は“本”。


「は?」
「本を読んでいる」


なんとなく ローはウイがどうにか疑いを晴らそうとしている理由が思い当たった。
だがもしそれが当たっているのであればそれは更にバツが悪い。


「…そう、だったんだ」
「…本読んでようと夜中に近くで人が動けば流石に気付く」


ウイが集めた本が読書欲を擽り睡眠時間が削られたのは事実。
文字を目で追っていても何かが動けばそれを察するのも事実。


「後付け感半端ない」


実際寝不足の状態にあるローの主原因は読書。
だがそれを聞いたウイの拍子抜け感がローは気に食わない。
後付けと指摘されたそれは結構図星。
それを面白く思えないローは更に優位を主張した。


「…寝てても気付く」
「え、本当に?凄っ!それ寝てないって絶対!」


そもそもローの優位の基準もプライドの持ちどころも何のメリットも根拠もないただの拘り。
そんな勝ち負け等どうでも良いウイは寝ていても周りの気配で起きられるビックリ人間具合に大層驚いた。


「でもそっか。なんだ…じゃあ別に疑われてたままでも良いのか…?」
「…おまえの感覚上、俺に疑われる事で何か不都合でもあんのか」


もうローは白と決めた。
この先相当の事がない限りウイはメリットがなくとも海賊相手に親切を働く不可解な人間で決定だ。
だが更にこのエキセントリック謎人間に好評価をつけねばならない可能性の裏をローは取りにいく。


「ローは私が監視されて喜ぶ変態か何かだと思ってるの」


だがやはり返答は噛み合わない。
言葉尻だけ捉えれば噛み合っているこの問答。
本当はわかっているんだろと、そうじゃねぇと、そんな気持ちを乗せてローはウイを睨みつけた。


「いや、まぁ、なんていうか…そんな寝る間も惜しむ程疑っていただくのも畏れ多いっていうか…」


ローの鋭すぎる眼光のせいなのか照れなのか 理由は謎だがウイはローが求めていた答えを話し出す。


「皆の大事なキャプテンでお医者さんが倒れちゃったりしたら大変だし…」


やはりそこか、とローの鼻からため息という形で何かが出ていった。
疑わしい以前に 好ましい人間性であると、ローはウイをそう判断した。


「あとローとも仲良くなれたら嬉しいなって思ってたよ」
「おまえこそ後付け感半端ねぇな」


ジト目で睨むローの視線を受け止めたのは その返しを待っていたと言わんばかりのニヤついたウイの顔。


「じゃあさ、――――はい!!」


木の根から飛び降りバシャバシャと湖の中を歩くウイはローの前まで来ると 首の後ろに手をやり何かを握った拳を突き出した。
意図が読めないローは取り敢えず拳の下に掌を出すと 落ちてきたのは金の細いチェーンと赤い宝石の付いた指輪。


「…これは」
「私の大事なもの!預かっててよ」


ローは話の流れが読めない。
手の中にある貴金属がウイの大事なものであることは理解した。
だがそれを渡される理由に検討がつかない。


「ローの大事な仲間の命はお預かりします。だからこれでおあいこ!お互い様!」


ね?と満面の笑みを浮かべるウイにローは得体の知れない何かが内側から湧き上がるのを感じた。
ゾッとするような モヤモヤするするような それは何にも形容しがたい不思議な感覚。
そう感じるのはきっと ウイがコミュニケーション含め未知の個性を持つ相手だから。
ローは自分の中でそう納得した。





destruct at reality.