「いつまでもだんまり?もうあなたも子供じゃないでしょう?返事くらいしたら「お久しぶりです!こんなところでお会いするなんて思っていなかったので、驚いてしまいました。」
戸籍上の母親と名乗った女に
久しぶりに見た気がする、あの取り繕った笑顔を向けたウイ。
綺麗な笑顔だと思う。
でもそれは、ウイの色んな一面を知った今改めて見ると
偽物臭くて胡散臭い。
よくもまぁ、こんな猿芝居に騙されていたものだと
過去の自分を恥ずかしくすら思う。
「なんだ。無視されたのかと思っちゃったわ。皆さんはお友達?ご一緒して良いかしら。」
聞いておいて返事を待たずにウイとキャプテンの間に割り込んだその女を、キャプテンの鋭い眼光が襲う。
「初めまして、ウイの母です。こんな世間知らずの娘と仲良くして貰ってありがとう!」
「ウイママ若くない?」
キャプテンのみならず、ベポもペンギンも
然り気無い風を装って、警戒体制を取っている。
うっすらと事情を知っている俺らが口を開けないでいる状況を知ってか知らずか
カレンが当たり障りないながらも、目に見えて当たり前の事実を口にした。
ウイの母親はもう、死んでいる筈だ。
戸籍上、と言うくらいだ。
この女は母親亡き後、父親と再婚した相手なんだろう。
「あら、嬉しいこと言ってくれちゃって!良いお友達ね、ウイ。お別れするの悲しいんじゃない?」
「ちょっと、ウイは今ブラーヴェで頑張って「大事に育てられておいて勝手に出ていったんだもの。親孝行くらいしないとね?」
カレンの言葉を遮って、好き勝手な事をほざくこの女。
楽しそうに微笑むその顔は、一見美人な部類に入る筈なのに
それがとてつもなく薄汚れたものに見えるのはなぜだろう。
「私からも説得してあげる!好きなだけお酒を作って良いわ。本だって読んで良いし、お父様の顔が見たくないなら部屋から出てこなくたって構わないから。」
ウイの顔にあの、張り付いた笑顔はもうなかった。
感情の読み取れない、なんとも言えない表情を浮かべたままで、微動だにしない。
「あなたの部屋、ちゃんとあの頃のままにしてあるの!懐かしいでしょう?」
ガタン
急に立ち上がったウイに、全員の視線が集中した。
「私、……お店の方に顔出さなきゃいけないんだった!ごめん皆、先戻ってるね。」
あからさまな作り笑い。
これはもう、俺らじゃなくても騙されるヤツはいないだろう。
「アイリーンさんも、父様が家で待ってますよ。早く戻ってあげて下さいね。」
ここまで動揺するくらいだ。
きっと本当は、この女に笑顔なんて向けたくもないんだろう。
下手くそなそれを顔に浮かべたまま、ウイは逃げるように店を後にした。
「本当に、可愛いげのない子。ムキになって怒るなり怒鳴るなり、したら良いのに。」
「アイリーンっつったか。」
吐き捨てるようにそう口にしながら
店を出ていくウイの後ろ姿を眺めていたアイリーンに、キャプテンが声をかけた。
こちらもこちらで初見では感情を読み取らせない男だ。
キャプテンなりに、威圧感を抑えようと努めてはいるんだろうが、その目には
見るヤツが見ればあからさまな、怒りのようなものが宿っていた。
「あら、良い男じゃない。私の名前はアイリーンよ。なんであなたみたいな人が、あんな乳臭い小娘なんかとつるんでるの?」
「あいつの酒は金になる。」
「……あははは!」
甲高い耳障りな笑い声が、耳に障った。
「……ふふ、あの子もどこまでも可哀想ね。周りに利用される為に生まれて来たんじゃないかしら。」
何が可笑しいのか、貴族のような身なりには全く似つかわしくない笑いを、堪えようともしないこの女。
「見たところ大分嫌われてるようじゃねぇか。」
「そうね。顔も見たくないと思うわ。でも……引き摺ってでも連れて帰る。私はあの子の親権者だもの。」
口の端を吊り上げ、ウイの意志と自分の目的が交わることがないことを、寧ろ喜んでいるようにすら見える。
「協力してやろうか。あいつは俺らの言う事なら、……簡単に信用するぜ?」
「そう言って横取りするつもりじゃないの?」
怪しげな笑みを浮かべる二人は
一見、夜の駆け引きを楽しむただの一組の男女。
昨日の宴の席で、コミュ障、態度悪すぎと散々罵っていたカレンでさえ
キャプテンの言動に込められた意図には、気付いていたようだった。
「とりあえず、あいつ縛り上げて連れて来れば良いんだろ。」
「そうしてくれると助かるけれど。それであなたに何かメリットがあるかしら?」
この女は、そこまで馬鹿でも世間知らずでもないようだ。
真意でも探るように、じっと瞳の奥を覗き込んで来るアイリーンの視線が鬱陶しい。
「今船に残ってる酒、一本残らずこっちに譲れ。」
「……それだけ?っていうかあなた達……海賊でしょう?必要なら強奪でも何でも、すれば良いじゃない。」
……心底面倒臭ぇ。
どうせこいつは口を割る。
こういう人種は
人を貶めて上になったつもりになるくらいしか、娯楽がねぇ。
ウイを“哀れな子”にする為の昔話を、こいつは腹の底では喋りたくて仕方がない筈だ。
「出来るならとっくにやってる。親でも何でもねぇ俺らが、天竜人の持ち物に簡単に手ぇ出せる訳ねぇだろ。」
「へぇ、案外厄介なのね。……まぁそういう事なら、お願いしようかしら。」
知りたいことは一つだけだ。
ウイが、人と深く関わるのを拒絶する理由。
それをこの女は、知っている。
「あぁ任せろ。……短ぇ付き合いだったがそこそこ楽しめた。育ちの良いお嬢様は、やっぱちげぇもんだな。」
「育ちが良い?……無菌栽培されてただけよ?」
クスクスと笑うアイリーンは楽しそうに見えて、僅かに目元を引き吊らせた。
醜いもんだな。
何の取り柄もない癖に、他人が称賛されるのを許せないくそ女の
周りを哀れだと思い込みたくて仕方がない馬鹿女の
トークショーが始まりそうだ。
「染み付いたもんの違いじゃねぇのか?全く違ぇぞ。その辺の売女と、貴族のお嬢様は。」
「生まれだけよ、貴族なのは。あんな子、王族にも、より身分の高い貴族に嫁ぐことも出来ない、ただの出来損ない。」
嘲笑うような口振り。
こんな女がウイを罵るのを聞くのは
情報収集の為とはいえ、正直いい気分はしない。
「その出来損ないの哀れな昔話、酒の肴に聞きてぇもんだな。」
「中々泣けるわよ?……父親に良いように使われて、大好きな母親を、その父親に目の前で撃ち殺された可哀想な小娘の話。」
見出しだけで大方のことは理解できた。
さて。
聞かせて貰おうじゃねぇか。
あいつが
ウイがひた隠しにしていた、過去の話とやらを。
北の海のとある島国。
貴族の中でも、位は中の上辺りだろうか。
ロレイシル家。
緑豊かな広大な敷地に建つ、その豪邸。
そこに17年前、一人の赤子が産声を上げた。
ロレイシル夫妻にとって、初めての子供。
夫婦は我が子の誕生を、それはそれは喜んだ。
貴族として、お互いの家の繁栄の為に婚姻関係を結んだ二人。
出会ったきっかけと結末は、あらかじめ決められた物だった。
それでも二人は、愛し合っていた。
決められた結婚相手がお互いであったことを、運命だと思う程に。
妻と子を愛し、家族を守ろう。
その為に必要な財力と権力を得る為に、一貴族として
出来る限りの力をつけようと、男は誓った。
夫を支え、子を慈しみ、幸せな家庭を築こう。
家族を守ろうと公務に勤しむ夫を支え、笑顔を絶やさずに子を育てようと、女は誓った。
幸せな家族。
笑顔の溢れる、満ち足りた家庭。
お互いの為にと重ねた努力はいつの日か
努力のみが残り、その目的は失なわれていた。
貴族として、地位を上げることは間違いではない。
妻として、母として。
従順に夫に従い、笑顔で心の内を覆い隠してしまうことを
悪いこととは言えないだろう。
ただ、コミュニケーションの相性が悪かっただけなのかもしれない。
夫の暴走しかけた努力の方向性に歯止めをかけることも
妻の笑顔の裏に隠された本音を見抜くことも
ほんの一つのボタンの掛け違えが、広がる溝の幅を広くしていく。
一見幸せそうに見える家庭で、太陽のように無垢な笑顔を振り撒く少女。
「母様!お庭の薔薇の蕾が開きそうなの!」
「ウイは本当にお花が好きなのね。」
庭から駆けて来た幼い少女は、テラスに佇む母親のドレスを掴み、開きかけの薔薇が植えられている花壇へ連れて行こうとそれを引っ張る。
「だっていつも気が付くと咲いてるの!私蕾が花になるところを見たいの!早く母様!お花になっちゃう!」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。」
母親の言葉などお構い無しに、はじけるような笑顔で花壇へと駆け出す少女。
まだ、辛うじて幸せな家庭。
ウイは迫り来る崩壊の足音には、気付いていない。
これが、幼い記憶の中で
心から笑えた最後の笑顔になる事など
一体誰が想像出来ただろうか。
「ウイ、そんなに見つめててもお花は開かないわよ?」
「見たいの!開くとこ!もうちょっとだから待ってよう?」
可愛らしい拘りを見せる我が子にくすりと笑みを漏らしながらも、流石に夜通し花壇の前にしゃがませておくわけにはいかない。
ウイの見つめる先にある蕾はまだ固く結ばれており、今日明日に花開く段階ではないように見受けられた。
「ウイ、お部屋の花瓶にさしておいたら?そうすればおうちの中でずっと見ていられるでしょう?」
「……切っちゃってもお花、痛くない?」
眉を下げて見上げてくる幼子は、優しい子だ。
植物の痛みをも、気にかけてあげられる。
親馬鹿かもしれないが、母親はそんな優しい我が子が堪らなく愛しかった。
「大丈夫よ。お水につけて、綺麗に咲くところを見守ってあげましょう?」
「うん!」
メイドを呼び、固いながらも比較的大きめの蕾を選んで切らせる。
とげとげ気を付けてねとメイドにも労りの言葉をかけるウイの様子を、母親は目を細めて見守っていた。
「私が持っていく!貸して!!」
「お嬢様!!危ないです!」
「良いの!貸して!」
薔薇のとげを取り除ききっていないそれを、大事なお嬢様に持たせる訳にはいかない。
片腕に抱えていた薔薇の花に手が届かぬよう立ち上がるものの
自分で持っていきたいと聞かないウイは地面を蹴り、メイドが束ねていた薔薇の花に向かって手を伸ばした。
「いたっ!!」
「ウイ!?」
伸ばした腕に走る、赤い線。
メイドはとんでもないことをしてしまったと手で顔を覆い、母親は娘の元へと駆け寄った。
「ウイ、危ないって言われたでしょう?腕を見せて。」
「痛いけど、泣かないよ?……ごめんなさい。」
涙目で血の滲んだ腕を付き出すウイに、母親は眉を下げため息を付いた。
責任を感じ必死で頭を下げるメイドの前に
私が悪いの、怒らないであげて!と立ちはだかる娘は、身分に驕ることなく自分の非を認められる優しい子供。
元よりメイドを叱るつもりなどなかったのだが、あまりにも懇願するように見上げてくるウイ。
母親はそんな娘に免じて、メイドを許してあげることにした。