9-15


「ねぇ、私聞いちゃったのよ。」
「なんだい?」


昼間から、堂々と妻の居る屋敷で不貞行為を働く男女。
お互いに体を絡ませながら、これからの人生について語らうことが、二人の楽しみだった。


「あの子を嫁がせるとするなら、王族の次男坊か、レクサス家の子息でしょう?……どっちも、婚約者が内定したらしいわよ。」


アイリーンの言葉に、男は息を飲んだ。


「それ以外の貴族の頃合な子息達は、どこもあなたの家より格下でしょう?そんな所に嫁がせても、あなたが今まで頑張ってきた対価には見合わなすぎるわ。」


アイリーンは夜の店で働いている分、客から表に出ない有益な情報をどこよりも早く入手できた。

ウイを格上の家に嫁がせる為に
娘から笑顔と自由を奪い、妻との関係も悪化させた。

その結果が、これだ。

男はどこか現実を受け入れられないながらも、どこかで失った物の対価を得ようと必死だった。

ウイが理想的な家に嫁げば
妻も娘も、いつか自分の行いを正しかったと認めてくれると期待していた。

感謝され、自分達が間違っていたと考えを改める日が訪れると思っていた。

その希望が今、潰えた。











「ねえ、あなたは十分頑張ったわ。悪いのはそれを理解する頭のない周りと、タイミングよ。」


誰からも肯定されることなかった男に、アイリーンの言葉は侵食するように染み入ってくる。


「やり直しましょう、私と。あなたは認められるべき人間よ。」


妻に手をあげ、連日のように愛人を家に連れ込む男にも
妻への家族としての愛情は僅かに残っていた。

太陽のように周りを照らす笑顔を奪っておきながら、娘の幸せを望む気持ちも、消え失せた訳ではなかった。

男の心に微かに存在するその気持ちが今、消え失せようとしている。


「私はあなたがこんなにつらい思いをして頑張ってきたのに、その努力が全く報われないのなんて許せない。ねぇ、分からず屋のあの女と子供なんて、捨ててしまいましょうよ。」


男の心情を、我が物であるかのごとく悲痛な表情を浮かべるアイリーン。

男の拠り所は、もうここしかなかった。

アイリーンは、男に妻と子供をヒューマンショップへ引き渡すことを提案した。

どんな値が付こうと、あなたの受けた傷には見合わない。
それでも、このまま手元に置いておくよりはマシでしょう?と。

力量や努力の方向性、それが望んだ結果に対して適切であったのかは誰にも分からない。

しかし男は男なりに、死に物狂いで生きてきた。
目標を見失った者の前に訪れる自暴自棄。



「そうだな、もう……疲れた。」


力ない声で紡がれる言葉。
アイリーンは男の頭を抱き寄せた。


「大丈夫。私が傍に居るわ。」


自身の豊満な胸に、男の視覚を司る部位が埋もれているのを良いことに
アイリーンは笑った。





これで全てが手に入る。
この屋敷も、地位も。

邪魔者も全て消せる。
脅威に等なり得ない、腑抜けな女も。
閉じ込められている人形も。























「奥様、お話があります。」
「どうしたの?」


家を出る為に、悟られぬよう少しずつ自身の身辺整理を進める女主人。
そんな彼女に、長くロレイシル家に使えるメイドが声をかけた。


「信じたくはありません。しかし……旦那様ならやりかねません。」


神妙な顔で佇むメイドに、不思議そうな顔を向け手を止める女主人。

使用人の口から紡がれた言葉に、彼女は息を飲み固まった。

















「奥様、どうかお嬢様を連れてお逃げ下さい!このままでは……!」
「……ありがとう。とにかく他の皆にはこのことは内緒よ。ウイにあの人に内緒で出かけると伝えて来てくれる?」


準備はまだ整っていない。
でももうそうも言っていられない。

これまで貯めて来た僅かな蓄えと必要最低限の物だけを持って、早くこの屋敷を離れなければ。


「かしこまりました。」


二階に消えて行くメイドの後ろ姿を見守って、深く息を吐く。



いつ?
私たちを売り飛ばす日は、迎えが来る日はいつなのだろう。



女主人は少しでも役立つ情報を得るために、最近ではめっきり近寄らなくなっていた夫の部屋を訪れた。
扉に耳を押し付ける。




「……ええ。……14歳の生娘が一人と、30過ぎの女です……容姿はどちらも良い部類で……はい………ご連絡お待ちしています。」



聞きなれた夫の声。



メイドの話は、嘘ではなかった。





「母様……おでかけって、私行かないよ?」
「どうして?ウイお外好きでしょう?」


いつかこっそり庭に出た件をまだ引き摺っているのだろうか
いつでも焦がれるような視線を窓の外に向けている娘は、外の世界への誘いに頷こうとしない。


「でも……。」
「もう決めたの。ウイが行かないって騒いでたら、父様に見つかって私たち怒られちゃうわ。」


だから静かにね、と人差し指を唇に当てて
愛しい我が子にウィンクを飛ばした。

それを受け止めたウイは
戸惑っているような、複雑な顔を浮かべている。


親の贔屓目を抜きにしても、この子は可愛い。
そして誰よりも人の心に敏感で、優しい子。

我が子には望む人生を生きて、幸せになって貰いたい。

今まで奪ってしまった自由を、掴む権利がこの子にはある。
私が、この子を運ぶ翼になろう。
焦がれた外の世界へ、解き放ってあげなければ。


「父様や使用人達に見つからないように、玄関の植木の影に隠れていられる?」


ウイは無言でこくりと頷く。

物分かりの良い娘の頭を優しく撫でると、先に部屋から抜け出させた。










ウイのタンスから、比較的質素な衣類と下着を取り出しカバンに詰める。


夫の恐ろしい企てを教えてくれたあのメイドにだけ別れを告げて、早くこの恐ろしい場所から逃げ出さなければ。


決意は決まっていたものの、動揺や恐怖も感じている。

まさか一度は心から愛した夫に、売り飛ばされる日が来るとは思わなかった。
自分の血を分けた我が子すら切り捨てるなんて信じられなかった。













さようなら、あなた。
もうあなたには



何も、言うことはない。


母様は一体、どうしたんだろう。

急に出かけるって、どこへ?
いつもは行かないって言えば、それで引いてくれるのに。
今日の母様はなんだか変だ。

父様に見つかったら、またひどい目に合わされるのに。



ウイは足音を立てぬよう、慎重に広い廊下を進む。
生まれ育った家である筈なのにどこか懐かしむような目で辺りを見渡す少女は、母親に感じた違和感の原因に思考を馳せた。









「…………。」



ふと聞こえた話し声に、びくりと体が震える。

聞こえた声の出所は両親の部屋。
そしてその声は、父親のもの。


誰か、お客様でも来てるの?
父様はお部屋から、出てこないかな。


そっと扉に耳を押し当て、中の様子を伺った。





「いつでも問題ありません……ええ、親子です……暴れると運ぶのも面倒でしょう、薬で眠らせておきます……。」




何の、……話?




「合わせて500万ベリー……本当に容姿は良いんです……娘の方はまだ生娘で、使い道なんて色々でしょう……もう少し高く売れませんか?」



父様は……なんの話をしているの……?



「分かりました、600万ベリーで手を打ちます……引き取りは夜で……ええ。人目に着くと困るので……では3日後、お待ちしております。」











ガタン



「誰だ!!?」












どういう、こと?






近づいてくる足音に、はっとして
ぼーっとしていた頭を思い切り振る。

想像すらしなかった言葉に目眩を感じ、よろけたついでに肘を置物にぶつけてしまったようだ。


逃げなきゃ。
母様を連れて逃げなきゃ。


ウイは足音を忍ばせることも忘れてただ走った。
向かう先は玄関。


母様はもう待っているかもしれない。



「ウイ!!?なんでここに……くそっ!」



後ろから聞こえてきた父親の怒鳴るような大声。
追ってくる足音。


捕まったら売り飛ばされる。


部屋の中で過ごした長い年月は、ウイの脚から走る為に必要な筋力を奪っていた。
それでも、ウイは走った。


「母様っ!!早く!!」


鞄を抱え玄関前の階段を降りてくる所だった母親は、娘の尋常ではない焦り方に即座に事態を悟ったように眉を寄せた。



階段を駆け降りる母親と、玄関の扉へと手を伸ばす娘。

少し遅れて玄関ホールへと姿を現した男は、娘が部屋の外を出歩いているだけに留まらず、妻までもが外出用の荷物を抱えていることに動揺を隠せなかった。


「ウイ先に行って!!」
「やだ!!母様も早く!!」







パァーーン


























「……母様!!!」


あと数秒で、駆けてくる母様に手が届く所だった。

母様の手をとり次第、屋敷から出て父様から逃げる筈だった。

街へ出れば沢山人が居る。
大勢の人の前で、父様は逃げようとする私達を無理には捕まえられない筈。 




こちらへ駆けてくる母様が、急に後ろを振り返ったと思ったら
足を私とは違う方向に出し、進行方向を変えた。




何かが破裂したような音と共に、母様は重力に従って崩れ落ちた。


あと少しで手が届いたのに。



玄関に力無く倒れこんだ母様の周りには、赤い血溜まりができていて
その先には

こちらに銃口を向けたまま目を見開いて固まっている、父様の姿があった。








父様が、母様を……撃ったの?

……違う。
父様は私を狙って、……母様が庇ってくれたんだ。




「うっ……。」
「母様!大丈夫!!?しっかりして!!」




聞こえて来た呻き声に、立ち尽くしている場合ではないことを思い出す。

駆け寄って体を起こすと、母様の服は胸元を中心に赤黒く染まっていた。


「誰か!!誰かお医者様を早くっ!!」
「ウイ……。」


力無く腕を伸ばしてくる母様の左手を両手で包み込む。
それにほっとしたように表情を柔らげた事に安堵しつつも、早くなんとかしなければ命が危ないという事には変わりない。


「母様、私お医者様呼んで「良い、のよ……ウイ。ここに居て?」


痛い筈なのに、苦しい筈なのに
言葉を紡ぐ母様の顔は、やっぱり笑ってた。


「いつ、でも、見守ってる……わ。望む、こと…を……絶対に諦めない、で。」
「母様!!やだっ!!ねえ母様っ!!」


お別れの言葉のようなそれを、聞きたくなかった。
母様は私の手をぎゅっと握って、大好きだった笑顔を浮かべると

糸が切れたように、目を閉じた。


母様の指に填められた指輪の金具が
握りしめる掌に食い込んで、痛かった。


destruct at reality.