9-16
音が、聞こえる。
父様から
銃声に驚き集まってくる使用人の皆から
自分から
玄関脇に植えられている、母様に隠れているように言われた待ち合わせ場所の植木から
何かが流れ出るような
溢れ出るような音が聞こえてくる。
でもその音は、母様からは聞こえて来なくて
それは何となく
もう二度と母様が目を覚まさないんだってことを私に突きつけた。
「ウイ、部屋に戻りなさい。」
背後から聞こえてきた、父様の声。
部屋に戻る?
今?
そんなに私が部屋に戻ることは大事なんだろうか。
母様が
死んでしまったというのに。
「お前に当たらなくて良かった。」
ガチャリ
「部屋に戻りなさい、ウイ。」
振り向かなくても分かる。
父様が弾を込めた銃口を、私に向けていることくらい。
玄関ホールに集まってきた皆が、そんな父様の様子を見て息を飲んだことくらい。
「何もかもが台無しだ。こうなっては、暴漢に襲われたことにでもすべきか……。」
本当にこれは、父様の口から紡がれている言葉で間違いがないんだろうか。
優しい笑顔で頭を撫でてくれた父様は
私を好きだと言ってくれた父様は
何を言ってるの?
何、してるの?
母様の左手の薬指から、指輪を抜き取った。
血まみれの体に不相応なほどに、穏やかな顔をしている。
握りしめていた手を、そっと胸の上に置いて立ち上がった。
「良い子だ、ウイ。疲れただろう。部屋で休んでいなさい。」
「……勝手ばっかり、言わないで。」
後ろを振り返ると、嫌でも”私に銃口をむけている父親”の姿が目に入る。
部屋から出るな
怪我をするな
本を読むな
女らしくしろ
大人しく黙って売られろ?
私を狙って撃っておいて、当たらなくて良かった?
自分の奥さんが死んだと言うのに
殺したのは自分だと言うのに
父様が取る行動は、それなの?
「いい加減にして!!」
この人を、許せないと思った。
「……あっ………。」
父様の、様子が変だ。
膝を付き、涎を垂れ流し、気を失っているのか茫然としているのか
焦点の定まらない目で宙を仰いでいる。
銃を、取り上げないと。
銃は怖かった。
それを持っているのが母様を撃った父様だということも、怖さを増させた。
でも、今は大丈夫。
理由なんて分からないけど、今父様は私を撃てないって分かる気がした。
隣まで歩み寄っても、私が傍に来たことに父様は気付いていないみたいだった。
見るからに力の抜けた手に握られた拳銃は、簡単に父様の手から離れた。
「ウイ!待ってくれ!!助けてくれるよな??!だって私はお前の父親じゃないか?!」
銃が手から離れた刺激で意識が戻ったのか
私の手に握られた銃の銃口が、自分に向くものだと勘違いでもしたのか
父様は手を合わせ懇願するように命乞いを始めた。
「頼む!!何でも欲しいものを買ってあげよう!だから……助けてくれ、ウイ。父様が悪かった!」
捨てようとした、売り飛ばそうとした娘に
意思も気持ちも全部無視して、良いように使おうと思っていた娘に
父様は頭を床に押し付け、必死で命乞いを続けた。
これが、私の父親か。
私は目の前のこの無様な人間の遺伝子を半分継いで生まれてきていて
そんな無様な人間にすら、必要とされてない。
父様の言う通りにしたのに
我慢もした。
努力もした。
それなのに、私の何がいけなかったの?
手の中の拳銃を、思い切り玄関に叩き付けた。
何かが折れたような、硬い物同士が衝突する音は
少しだけ私の心の靄を払ってくれた気がした。
「まぁ、私が駆けつけた時にはあの人はもうガタガタ震えてて。人殺したの初めてだったみたいだし、気でも触れたのかしらね。」
「母親が死んだ次の日よ、ウイが忽然と姿を消したのは。売り物はなくなっちゃったけど、あの人もあの後はしばらく様子がおかしかったし、邪魔者が消えただけいっかって。」
「それが今や天竜人の御用達職人?稚魚が立派な成長魚になって戻って来たわ。あの時あの子が消えてくれて、ヒューマンショップに売らずに済んで、勝手に酒作りなんて始めてくれて、……本当に良かったわ。」
アイリーンは決してウイ本人が口を割ることはないだろう話を、それはそれは楽しそうに話した。
いつもへらへらと笑っているウイの過去にしては、衝撃的過ぎる内容だ。
『私は大丈夫だから死なないで』
以前ウイが海賊に捕まった時、譫言で呟いたあの言葉。
やはりあれは、母親に向けた言葉だったのか。
あいつがスキンシップが好きなのは
長いこと人と接することなく過ごしていたからで
父親と母親の話題に心を閉ざしたのは
俺とウイの関係をそこに重ねて考えるのが、怖かったから、か?
新しい情報が入手できたとは言え、どこかしっくり来ない。
衝撃的な経験だろう。
父親に、母親を目の前で殺される。
その父親に自身も裏切られる。
それが、あいつの中でどう凝り固まって
俺の気持ちを受け入れられなくて、仲間にもなれねぇ方向に辿り着いた?
俺も悲惨な経験はしている。
でもそれは、恨むべき相手を心置きなく恨めた。
“大切な人”はいつでも誰かに奪われて
“大切な人”に裏切られる経験を、俺はしたことがねぇ。
その辺りだろうか、あいつが恐れている何かは。
可能性の一つとしてあり得そうな仮説だが、経験したことのない感情には確証が持てねぇ。
「それで?いつウイを連れて来てくれるのかしら。」
「……そうだな。今日になるか明日になるか。あっちの都合も聞かねぇと。」
もう俺は、この女に用はねぇ。
ただ、ウイを売り飛ばすことを父親に唆したこの女。
ウイのトラウマに関わる女。
それを反省するどころか、再びウイを利用しようとしている、アイリーン。
「ルーム、メス。」
翻した指と共に、手の中に収まる見慣れたもの。
今すぐにでもこれを握り潰してぇ。
「え!?なにしたの!?」
「情報感謝する。あいつがお前に何か言いてぇことがあるなら、その時は連れて来てやるよ。」
心臓を宙に放り投げ、それを再び掴む。
胸元を抑え顔を歪めたこの女は、俺の手の中のこれが何だか、察しがついたようだ。
「お酒!……あの子のお酒はいらないの!?」
「んなもんいらねぇ。」
奥歯を噛みしめるように顔を歪めるアイリーン。
これを握り潰すべき人間は、俺じゃねぇ。
「ちょっとロー!良いの!?あの女放っておいて!」
「あいつは、ウイは本当に店に顔出さなきゃいけねぇ用でもあんのか。」
ローがウイの継母と二人で話を進めて、勝手に切り上げて。
席を立つローに何も言わずにそれに倣う海賊団ズ。
ちょっと一発あの女をぶん殴りたい気持ちでいっぱいだったけど、皆だって同じ気持ちだと思う。
自分が考えなしに行動してしまう性格なのはちゃんと分かってる。
彼らの船長が、色々とそういうことに頭が回るのも
それを信頼して付き従う彼らの行動が、それまでのローの行いを知っているからこそのことであるのも。
だから我慢した。
そうした方が良いのかなって思ったから。
「いずれは顔出して貰わなきゃいけないけど……別に急ぎの用事なんてないと思う。」
「なら船だな。」
「ちょっ……私の話は無視!?あんたはアレ聞いて腹立たない訳!?」
こいつはいつもいつも……
人の話を聞かなさすぎる。
何を思って行動してるのかも、理解できなさ過ぎて付いていけない。
「まぁまぁ、落ち着けカレン。」
「ペンギンも!腹立たない訳!?あんな……ウイのことコケにされといて!」
宥めるように脇に並んだペンギンが、呆れたように眼を細める。
あんたはローが考えてること分かってるのかも知れないけど、こっちとしてはウイの親の仇をみすみす取り逃して来た気分でいっぱいよ!
「一番キレてんのキャプテンだから。」
「は?」
おー、よしよしと頭を撫でてくるペンギンに、若干馬鹿にされてる気もしなくない。
キレてる?
アレが?
だったら何であの女をぶん殴ってやらなかったのよ。
期待してたのに。
ローなら、ウイのこと大事に思ってるローならそうしてくれるって信じてたのに。
むしゃくしゃし過ぎてペンギンの腕を振り払った。
やっぱり納得いかない。
「まあ状況見ようぜ?とりあえず。必要とあらばカレンにもぶちかますとこ作っといてあげるから。」
ペンギンをキッと睨み付けた後に前を歩くローの後ろ姿に目をむけた。
ローが前に言ってた推測もほぼ当たっていて、ウイが居場所のない子供を助けたい理由もなんとなく分かった。
ローもムカつく。
でも、
何も言ってくれなかったウイも、ムカつく。
手の震えが止まらない。
動悸も止まらないし、頭から血の気が引いていくような変な感覚だ。
頭に血が昇るってよく言うけど、本当に怒りを感じているときは逆に引いていくものなのか。
動悸のせいで血の循環は良い筈なのに、手先は冷たくて震えも止まる気配がない。
貧血でも起こしたんじゃないかと思うほど、頭が自分のものじゃないみたいだった。
なんで、あの人がこんなところに。
耐えきれなくなって、逃げてしまった。
あの人の顔を見たら
最近の慌ただしさでいっぱいだった記憶が
皆と過ごした楽しい思い出が
あの家で過ごした頃のものに差し替えられた。
まるで魔法が解けてしまうみたいに。
家を出る前、お手伝いさんに聞いた。
私と母様をヒューマンショップに売るように唆したのはあの人だって。
父様をあんな風にしてしまったのは、あの人だって。
どうしたら良いのか分からない。
頭が回らない。
……船を出した方が良いんだろうか。
あんな家になんて
父様とあの人が暮らすあの家になんて
あの部屋になんて、戻りたくない。
大人しく着いていく気なんてないけど、それはあの人だって分かってる筈。
このまま同じ島に居たら、あそこに連れ戻されてしまわないだろうか。
それだけは絶対に嫌だ。
あの人は、ローに、皆に
私の話をしてるんだろうか。
私が人殺しの遺伝子を持つ人間で
惨めな幼少期を送ってきて
親にすら見捨てられた子供で
それを今までずっと言えずに居て
いつか捨てられたら怖いから。
信用してないとも言えるようなこんな思いを抱いてることを、皆は気付いてしまっただろうか。
ずっと一緒に居てほしい。
絶対に一生捨てないで欲しい。
私がそんな面倒臭くて重たいことを望んでるって、バレてしまっただろうか。
あの人が何を話すかなんて分からない。
父様みたいに、皆もあの人の味方になってしまうんだろうか。
逃げて来なければ、ちゃんと見張っていれば良かったけど
あれ以上あそこには居られなかった。
怖い。
今何とかしないと
もしかしたら皆が離れて行ってしまうかもしれないのに
うまく考えが纏まらない。
気付いたら、見慣れたアイボリーの船の前に立っていた。
私は今、どうするのが正解なの?