9-19
夕陽を眺めながらローの腕に包まれていたら、肌寒さにぶるりと体が震えた。
帰るかという言葉と共に離れていってしまったローの腕が戻かしい。
なんで身震いなんてしちゃったんだろうと、とてつもなく後悔した。
こんなこと考えられるくらいには、落ち着いて来たんだろうな。きっと。
立ち上がり、服に着いた砂を払っていると
ローが少し先で待っていてくれているのが視界に入る。
あれは無意識なのかな。
ポケットに手を突っ込んで、こっちに顔だけ向けているローが
少しだけ首を傾げているようでなんだか可愛い。
「何笑ってんだ。」
「笑ってちゃ悪い?」
私の笑ってる理由が、ローにとっては面白くないものなのがバレてるんだろうか。
不機嫌そうな顔でこちらを見下ろすローに駆け寄ると
当然のように握られた手が、あったかくて嬉しかった。
いつも助けて貰ってばっかりでごめんね。
来てくれてありがとう。
心の中で、お礼を言った。
ローはきっと
言葉にしなくても分かってる。
私がこの気持ちを無理に言葉に換えるよりも
ぴったりで的確な形で、ちゃんとそれを受け取ってくれてる。
怖いのも
憎いのも
不安なのも
どうしたら良いのかも
頭の中がごちゃごちゃ過ぎて分からないし、変わらない。
でも今は大丈夫って思える。
私はまた、いつもみたいに笑える。
全部は解決できなくても
楽しいことを楽しいって、また心から笑えると思う。
大好きな人がくれる言葉の力は、絶大だね。
「明日、ちゃんと来いよ。」
「勿論!あ……、ねぇロー。」
フリーウィングの前まで送ってもらって、繋いでいた手をほどこうと思った時
解決していない心配ごとがまだあったことを思い出した。
「なんだ。」
「あ、えっと……。」
ローとはもう、なんか平気だ。
けど皆は、あの人の話を聞いてどう思ったんだろう。
気にもしてないのか
問い詰めようとしてるのか
蔑んだ目で見られるのか
明日彼らの潜水艦を
どんな顔をして訪れるのが一番良いのか分からない。
「……やっぱなんでもない。」
急にごめんねって、謝った。
結局殆ど何も話すことができなかったのに、私は何をローに聞こうとしてるんだ。
「…っ!?」
ねぇ。
ローの瞳は、綺麗だね。
「そこまで言ったなら言え。」
鼻先が当たるくらい近くに、ローの顔。
急に腕を引き寄せられてびっくりした。
少し苛立ってるみたいなローには悪いけど
凄い勢いで脈打ち出す鼓動の音で、頭がいっぱいだ。
「本当にごめん。なんでも、ない。」
「良いから言え。気になる。」
至近距離で真っ直ぐに見つめられてることが恥ずかしすぎて視線を逸らそうとすると、腕を捕まれている手に力が込もった。
逸らすなってでも言うように。
この距離が久しぶり過ぎて、悪いけどもう相談事どころじゃない。
絶対にこのドキドキはローにも聞こえてる。
「言うまで離さねぇ。」
じゃぁずっと、黙ってようかな。
ローの瞳に映る自分の顔に既視感を感じた。
同じ景色を前に見たのは、確か皆とお別れした時。
「おい。」
ドスの利いた声が、鼓膜を震わせる。
駄目だ。
ローさんはそろそろ本格的にご立腹らしい。
「えっと。皆に明日、どんな顔して会いに行ったら良いのかなって。」
「……好きにしろ。」
聞いといてその素っ気なさはなんだよ!
少しは真面目に考えてよ!
盛大なため息と共に、近くにあったローの顔が離れてく。
なに。
言えって言うから言ったのに。
結構真剣に悩んでることなのに。
その態度は酷すぎやしないだろうか。
「おまえいつもそればっかりだな。」
「え?」
呆れたような、ローの顔。
それ?
なに?それって。
「良いも悪いも関係ねぇだろ。“おまえは”どうしたい。」
なるほど。
確かに私は何かを決めるとき
自分がしたいこととかじゃなく、いつもそれが合ってるかどうかばっかり気にしてる気がする。
「ふざけてねぇ時も、少しは自己主張しろ。」
「……はい。」
返事をした私を見て満足気に頷いたローは、優しく頭を撫でてくれた。
私がしたいこと。
潜水艦へと戻るローの後ろ姿を見送りながら考える。
私は一体、どうしたいんだろう。
「おかえりキャプテン!あれ、ウイは?」
「今日はあっちに送ってきた。」
船に戻りリビングに顔を出すなり、ベポに呼び止められた。
こっちに来ると思っていたんだろう。
あからさまに落胆した様子のこの白熊は、ウイのことをとてつもなく気に入っているから。
「なんで?やっぱりウイまだ元気ないの?」
「頭ん中整理したいんだと。」
不満げな顔を浮かべるベポがぼそりと毒を吐いた。
何のために一人で行ったの。役立たず、と。
それが聞こえたらしいクルー達とカレンが、ゲラゲラと腹を抱えて笑いだす。
こいつらはもう、問題など解決済みとでも言いたげな程、普段通りだ。
本人も元気が出たとは言っていた。
昼間のような強張った表情も大分良くなった。
我ながら奮闘した方かとは思っていたが、こいつらの評価は成果至上主義らしい。
ちらちらとこちらに目線を寄越しながら笑い転げるクルー達を無視して、ほぼ指定席と化している一人掛けのソファーに腰を下ろした。
「キャプテンそれ、ウイに渡して来なかったの?」
「あぁ、いらねぇって突っ返された。」
アイリーンの心臓をポケットから出してテーブルに乗せると
その場に居る全員の視線がそこに集中した。
「優し過ぎるわよウイは。殺しはしなくたって、こう……痛め付けるとか、謝らせるとか、……したら良いのに!」
「死んだところで許す気ねぇらしい。だからいらねぇって。」
俺も正直、ウイの口からこれを聞いたときには息を飲んだ。
そしてこいつらも、思うところは同じらしい。
「で?キャプテンはこれどうすんの?」
「検討中だ。」
ウイにその気はなくとも、このまま返してやるのはこっちの気が済まない。
何か有効な使い道はねぇもんか。
「じゃぁそれ、俺に頂戴。」
そう言ってキューブに閉じ込められた心臓を指差すペンギンの表情は、チェスの相手をしている時によく見るそれだった。
「……任せる。好きにしろ。」
「どうも。」
返事をするなりひょいとそれを手に収め、軽く宙へ放って玩んでいるこいつは何を企んでいるのか。
「カレン、デートしよっか。」
「は?」
突然指名されたカレンが間抜けな声を上げた。
まぁ良い。
あとの事はペンギンに任せよう。
「ちょっと待て、俺も行く。」
上着を羽織って出かける準備をしていたカレンが、目に見えて嫌そうな顔を浮かべた。
「別に良いけど。」
「えー。」
ペンギンは特にどうでもよさそうな様子だが、カレンはやはり不服らしい。
ペンギンがアイリーンの心臓をどうしようと考えているのかは分からない。
ただ、何かしら企んでいるだろう事を考えると人手は多い方が良いだろう。
不要であればただ見ていれば良いだけだ。
「じゃ、いってきまーす。」
遠足にでも行くかのように意気揚々と船室を出るペンギンと、その隣に駆け寄るカレン。
二人の後ろを、ただ着いて歩いた。
「ねぇ、どこ行くの?」
「これの持ち主のとこ。」
この島の夜道はあまり騒がしくないせいか、二人の会話は十分聞こえてきた。
一応目的地はアイリーンの元らしい。
「どうするつもり?」
「ぶちかましに行こうと思って。約束したじゃん。」
何をどうぶちかますつもりだ、おい。
良いの!?と肩を回しながら目を輝かせるカレンの横顔。
ヤる気だ。
この女はヤる女だ。
まだそんなに長い付き合いではないが、分かる。
カレンは絶対に不満を体当たりで発散させるタイプだ。
「でも良いのかな。ウイ、何もしたくないんでしょ?」
「よそで誰が何しようと、ウイが許す許さないに関係ねぇだろ。」
確かに!とカレンはとびきりの笑顔でペンギンの腕に飛び付いた。
許す気がないから、殺さない。
それはつまり、死んでも許さないと言うことで
ウイの心の傷は
アイリーンの命ごときで癒えるものではないと、つまりそういうことだ。
文句を言ったり、腹を立てていたり
そういうウイなら見たことがある。
でもそれはいつも下らないことで、本気で怒るとか
そういう感じじゃなかった。
前を歩く二人ほどではないかもしれないが
大事な妹を傷付けた借りを返したい気持ちは自分にだって勿論ある。
「おいシャチ。取り敢えず宿回るけど。」
ペンギンの声にはっと我に返る。
考え込んでいたせいで足を止めた二人に気付かなかった。
そうか。
どこの宿にアイリーンが泊まっているか知らねぇんだ。
しらみ潰しに当たるしかねぇのか。
結局、5件目の宿に目的の人物は宿泊していて。
部屋を訪れるなりあからさまに眉を寄せたアイリーンは
話なら外で、と宿の脇にあった裏路地へと俺らを先導して歩いた。
「で?何の用?返してくれるの?私の心臓。」
「おまえさ、ウイに悪いことしたとかちょっとでも思ってんの?」
心臓を握られているにしては胆が据わったこの女の態度に、反省の色は微塵も感じられない。
昼間の態度からして、そんな素振りは全くなかったが。
「……っとに、何しに来たのよ。返す気がないならさっさと帰って。」
「おまえの心臓、ウイに渡した。」
流石のアイリーンもウイに恨まれている自覚はあるらしい。
身の危険を感じてか、ペンギンの言葉にピクリと目元をひきつらせた。
「それが今、なんとこんなところに。さぁ、なんででしょう。」
心臓を片手に挑発するような口調でそう話すペンギンは、何をしようとしてるんだろうか。
ボールでも投げるように、宙にそれを投げて玩ぶペンギンに視線を向けているアイリーンの表情が
不快を示すように歪む。
「まどろっこしいのは嫌いなの。言いたいことあるならはっきり言いなさいよ。」
「おまえが死んでも許す気ないって。だからいらないって突っ返された。」
それを聞いたアイリーンが
ふっと鼻で笑った後、声を上げて笑い出した。
何が可笑しいのか。
曲がりなりにも貴族だろうに。
全く品の良さを感じないその様子は、自分もよく世話になる夜の女のそれと重なって見えなくもない。
「あはは!……別に、許して貰おうとなんて思ってないわよ。それなのにあの子は本当に、馬鹿で助かったわ。」
どこか勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべているこの女は、本当に根っこから腐っているんだろう。
「あの子に許されなかったところでそれが何だって言うの?本当に、世間知らずの……っ!!」
パァンッ!
小気味の良い音が辺りに響いた。
随分良い音をさせるもんだ。
これ以上この女の話を聞いていたくない、俺も丁度そう思っていた。
「ウイが良くても、私は気が済まないから!」
華麗な平手打ちをぶちかましたカレンの背中は、少し震えていたような気がした。