10-4
「ねえちょっと読んでいっても良い?」
「好きにしろ。」
懐かしいな。
ぶっきらぼうなこの返事。
でも私知ってるんだ。
ローは気のおけない人が近くに居るのが嫌いなこと。
嫌な時にははっきり拒否や否定をすること。
「好きにしろ」は、良いよってことでしょ?
革張りのソファーに腰かけてぱらぱらとページをめくりながら
素直じゃないローがお湯を沸かしてる様子を眺めてた。
コーヒーでも淹れてくれるのかな。
なんか私、ローにもてなされてる。
ヤカンを持った時に腕の筋肉が筋張る感じとか
意外なのか想像通りなのかはよく分からないけど、テキパキ準備してる様子とか
ローの見たことのない一面が垣間見れることが嬉しい。
「何一人で笑ってんだ気色悪ぃ。」
「えへへ。」
本で顔は隠してたつもりだったのに、ニヤけていることはバレてたらしい。
漂ってきた芳ばしいコーヒーの香り。
それを飲み終わるまでの間は、一緒にここに居られる。
気色悪くても、ニヤけちゃうんだから仕方ない。
ローが隣に座ってくれるようにって、ソファーの端にずれてコーヒーの到着を待った。
テーブルに置いてあるしおりの挟まった医学書。
きっと書いてあるのは難しい表現の、私じゃ理解できそうもない高度な医療の内容。
きっとローは、コーヒーを飲みながらこれを読むんだろうな。
「火傷すんなよ。」
「りょ!ありがとう。」
カップを受け取って口を付けると、ローが好きそうな重厚な香りと苦味が口いっぱいに広がる。
狙い通り隣に座ってくれたローの横顔を見ながら、こんなんばっかり夜中まで飲んでるから万年寝不足なんだよ!って心の中で突っ込みを入れた。
時計の秒針の音と、コーヒーの香り、大好きな人が近くに居て、読みたかった本もある。
本を開いていながら別の事ばっかり考えてる私とは違って、ローの目線の先は文字を追って規則的に左右に動くし
ページをめくるその仕草ですら格好良く思えてしまう私は本当に重症だと思う。
こんな時間が、ずっと続けば良いのに。
叶わない願いは口に出さずに飲み込んで、手の中の本に視線を落とした。
離れてしまってもまた会える。
この人と一緒に居られることがただ、幸せだ。
何も会話は交わさなかった。
言葉のいらないこの時間が、とても心地良かった。
うわー。
この人本当にバカだー。
天才的にバカだー。
ローに貰った実験書。
今回著者が実験したのは筋肉を付けるのに最適なコンディション。
体温や食事、筋肉に付加を与える時間や精神的状況等を事細かに記録して
色んなパターンで自分の体で人体実験をしたらしい。
毎回同じ状況から検証するために、実験開始前には一週間の断食と寝たきり生活で筋肉をリセット。
命懸けだ。
知的好奇心の為に一週間何も食べずに暇を覚悟で全く体を動かさないとか、本当にぶっ飛んだ人だ。
ちらりと横を見ると、脚を組んで難しい顔で本に視線を落としているローの姿。
今日は半袖のTシャツにデニムを着ていて
袖から覗く腕は、特に力が込められていなくてもそれが筋肉質であることが分かる。
くっつきたいな。
一緒に居られるだけでも嬉しいけど、私はどんどん欲張りになる。
同じ空間に居られたらそれだけで嬉しくて
近くで一緒に本を読めることに満足して
今は10センチのこの距離が恨めしい。
こっそりローの顔を覗き見ても、ローは眈々と本を読んでいて
このままでいてもローは私に構ってくれない。
いっか。
ローにお説教されるのなんて、慣れすぎてもう怖くもなんともない。
気合いを入れようとコーヒーを一口飲んで、しれっとローに寄りかかってみた。
「良いじゃんこのくらい。」
案の定呆れたように見下ろしてくる視線を受け流して文字に目を落とす。
触れている肩から伝わってくる体温が暖かくて
隠すつもりのないため息が、今ローが私のことを考えてくれてることを物語ってて
振り払われずに好きにさせて貰えることが嬉しい。
野犬みたいに狂暴で、誰にも懐かない人だから。
私には特別。
それがとてつもなく優越感だ。
満足気にページをめくっていると、コーヒーを飲む為にソファーから体を起こしたローに振り落とされる。
少しむっとしつつ、早くさっきの体勢に戻ってくれって思いながら待ってた。
でもローがソファーに寄り掛かるより前に
浮遊感と
コーヒーではない私の好きな匂いと
温かくて心地好い苦しさが体を包む。
時計の針よりも少し遅い鼓動が
ぬくもりの中から聞こえた。
「ロー?」
「いいだろこのくらい。」
いや全然良いんだけどさ。
ちょっとくらい私のこと考えて欲しいな、とか
ローは私と一緒にいて
くっつきたいとか、キスしたいとか、思わないのかなとか
そういう邪なことを考えてたんだけど
急に抱え上げられたと思ったら抱き締められて
顔が胸板で押し潰されるのが苦しくてどうにかそこから逃れるように肩に顎を乗せてみた。
ローの顔を覗き見ようと思ったけど、腕に込められた力のせいでそれは叶わない。
「なんで黙ってた。」
「え……なにを?」
私がこんな頭の中真っピンクなことをですか。
そんな恥ずかしいことは面と向かって言えないよ。
それともあれか……?
昔のこと?
「火拳屋だ。おまえ一言も言わなかっただろ。」
ひけんや……?
は?
ローは何を言ってるの。
「いつから一緒に航海してた。」
「……ああ!火拳!エースか!!……なにその火拳屋って。」
中々愉快なあだ名を付けるな。
あだ名で呼び合うのは仲良しな証拠だよね。
気が合わないんじゃないかと思ってたけど、二人は知らないうちにそんなに仲良くなってたのか。
それにしても火拳屋。
じゃあ私は?
「ねえねえ。私は何屋?酒屋?」
「……なんで黙ってたかって聞いてんだろ。」
ああ。
そうでした。
なんでって。
呑気に遊園地で遊んでて拐われかけたなんて絶対怒られると思ったからに決まってるじゃん。
「何か後ろめたいことでもあんのか。」
「後ろめたいっていうか……あれはしょうがないっていうか、私の不注意とかよりも事故っていうか……。」
突然抱き締められていた力がなくなって、肩をがしりと捕まれ顔を向き合わされた。
ちょっとびっくりしたけど、そんなことよりローは結構ご立腹のようだ。
いつもより深く刻まれた眉間の皺がそれを物語ってる。
「なにされた。」
「……ん?」
咎めるように睨み付けられている視線が痛い。
これはもしかして
いやもしかしなくても
なんか誤解されてる?
「いや違う!そういうんじゃ、ない?……あ。」
違くもねぇな。
でもそれ言ったら怒られる気もするけど
もしやこれはロイの時みたいに上書き保存が貰えるチャンスか?
いやいやいや。
ガードが弛すぎるんじゃないかって自分で自分に驚いたばっかりだ。
ロー怒ってるし。
尻軽女的な烙印を押されるのもなんか嫌だ。
あれは事故だけど!
私だって、その気がなくたってローが他の人とキスしたとか
そういうのは嫌だし。
でも、知りたい。
私と離れて夜のお姉さんのお店行ってるなら、隠さないで言って欲しい。
いや聞かん方が幸せか?
「頭ん中忙しそうなとこ悪いがさっさと質問に答えろ。」
「えっと、あの……ローは最近お姉さん達のお店行ったりしてるの?」
まずったか。
聞かれたんだから聞いてしまえと思ってつい口に出してしまったけど
ローの眼光の鋭さが増した。
掴まれている肩が痛い。
このアホを俺はどうすれば良いんだ。
ウイは基本的に、嘘や誤魔化しが上手い。
ただそっち方面の話題には免疫がないのか
顔を赤くしたり慌てたりすることが多いのは知っている。
そしてふい打ちに弱いことも。
準備していない答えを急に聞かれると、分かりやすすぎる程動揺する。
後ろめたいことが元からなかった訳ではなさそうだが
途中こいつは何かを思い出した。
その思い出したことこそ確実に、俺に対して後ろめたいこと、で間違いなさそうだ。
「なんで今急に俺が女を買いに行ってんじゃねぇかって思った?」
「お、おう……。急にローがそんなこと聞く、から?」
ローこそ何か後ろめたいことあるんじゃないの?とビビってる内心を隠すように2つの大きな瞳がこちらを睨み付ける。
誤魔化す気か、良い度胸だ。
今のウイにいつぞやの事実検証はもう役に立つ気がしない。
こいつは基本、行き過ぎなければくっつきたがりで欲しがりだ。
あれが駄目なら、他の手を使うか。
正直こっちも精神衛生上好ましいとは言えないが、仕方ねぇ。
膝に座らせていたウイの頭を打たないように抱えながら、軽すぎるその体をソファーに転がした。
見上げてくる潤んだ瞳と、朱が差した頬。
一瞬驚きに目を見開いた後の、恥ずかしがるようなこの仕草。
粗方予想はしていたものの、勘弁して欲しい。
本当は今すぐにでも手に入れたい程欲しいものが、目の前で自分を求めている。
でもこいつは欲しがる癖に、俺を受け入れようとはしない。
「懐かしいな。さっさと白状……しねぇかおまえは。」
「ちょ、ちょっと待って!落ち着くから!!落ち着いた方が良いと思うから私!」
形の良い唇を指でなぞると、頬の赤みが増した。
火拳屋に何をされたか知らねぇが、ウイのこの余裕のない恥じらう表情をアイツが見たと思うと
どす黒い感情が腹の底から沸き上がる。
大体こいつは隙が有りすぎる。
アイリーンの件でクルー達が自分をどう思っているのか心配するくらいだ。
隙以前に自分に向けられるプラスの感情に鈍感過ぎるんだろう。
「で?何された。」
「何って、あの……、言ったらどうなって言わなければどうなるの!」
本格的に良い度胸だ。
処遇を聞いてから良い方を選ぼうとは
舐められたもんだな。
「大分俺を買い被ってるみてぇだな。ナメてんのか?」
「聞かれた事には答えようよ!」
ぶっ殺すぞ。
Tシャツの袖を握り締めて俺との距離を保ちつつ、涙目で懇願するように見上げてくるウイ。
人の質問に答えずにいて、どの口がそれを言うんだ。
不満どうこう以前にこっちにも我慢の限界というものがある。
予想外の旅の同行者が、確実にウイに好意を寄せている。
ウイが自分を好きでいることを疑うつもりはないが
俺が毎回手を出さずにいることは、こいつの危機感のなさを助長してる気もしなくはねぇ。
「それ聞いて、おまえは答える中身を変えんのか。」
「……変えるかも。」
一定距離を保とうとする手を押し退けて鼻先を合わせ距離を詰めた。
途端に大人しくなったウイは、どうせこの先を期待してるんだろう。
眉を下げて期待と不安が入り交じったような表情を浮かべるこいつの顔を、快楽で歪めてやりたいと本気で思った。