10-8
剥き出しの殺気に、昨日は受け流して済ませた火拳屋が応じて来た。
全身に走る緊張感。
強い、そう思った。
間合いは十分。
一瞬で首を掻かれる距離じゃねぇ。
だがこれはなんだ。
喉元に刃を突き付けられているような、そんな感覚。
「ロー!」
階段を降りてくる足音とその声に、ヤツに向けていた殺気を解いて振り返る。
「どうした。」
「ねぇ今日お昼ってどうするの?」
皆で食べる?と書類のケースを抱えて戻ってきたウイが首を傾げた。
「どっかで食って来れば良いだろ。」
「んー。じゃあ夜ご飯は作ったげるね!シャチとベポが私のご飯食べたいって!」
それは俺も食いてぇ。
何作ろうかな、と鼻唄でも歌い出しそうな程上機嫌のウイを見ていると
我ながら大人げない思考が頭に浮かんだ。
「運ぶのこれだけで良いのか。」
「うん!思いっきりシャンブっちゃって!」
シャンブルズに勢いとかはねぇだろ。
心の中で突っ込みを入れつつも、首の後ろにチリチリと感じる殺気の主へ実行しようとしている当て付けを思うと
自然と口の端がつり上がる。
「運んでやる。その代わり礼よこせ。」
「いいけど、なに欲しいの?シードル?」
言質は取った。
ウイの視界に火拳屋が映らないよう腕を引くと、きょとんと首を傾げながら不思議そうな顔で見上げてくる。
「キス。」
「……はい?」
何言ってんだとでも言いたげな表情を浮かべるウイに、背伸びをすれば届くように顔を寄せた。
「おまえからキス。礼はそれで良い。」
「……さっきいっぱいしたじゃん。」
怪訝そうに身を引きながら眉を寄せるウイに若干腹が立たないこともない。
普段は物欲しそうな態度しか取らねぇくせに。
「しねぇなら運ばねぇ。」
「え、なに?本当にどうしたの。」
迷うような素振りでお得意の癖を発動するウイが、普段はダメだって怒るくせにとぶつぶつ文句を言い出した。
なんだか本格的に腹が立つ。
したくねぇのかってとこにも納得がいかないが
なんでこいつはいつもこっちの思い通りに動かねぇんだ。
「大体、そういう気分にならないようにってお散歩来たんじゃん!」
「散歩じゃなくておまえのパシリだろ。」
ぐっ、と言葉を詰まらせるウイの腰を引き寄せた。
「良いっつっただろさっき。さっさとしろ。」
近くなった顔の距離に、ウイの頬が染まる。
潤んだ目を少し泳がせつつも、おずおずと伸ばされた手が首の後ろに回った。
さっきのような、愛おし気に見つめられながらのキスも中々悪くねぇとは思ったが
こんな恥じらいながらの上目遣いもそそるものがある。
俺からしたら意味がねぇ。
近付いてくる柔らかそうな唇にかぶり付きたいのを堪えて、それを受け入れた。
ちらりと横目で様子を伺えば、俺の殺気にも全く動じなかった火拳屋が息を飲むのが見てとれる。
ざまぁねぇな。
ウイの頭に手を回して、触れるだけのそれを深いものへと変えてやる。
「……ふっ…。」
この声も、色気をはらんだこの顔も、あいつには見せたくねぇ。
俺の前でだけ、こうしていれば良い。
逃げることなく舌を絡ませてくるウイを満足気に見下ろしながら、舌先を吸い上げ唇を離した。
足りないとでも言うような物欲しそうな顔。
本当にこいつは、どうしようもねぇ。
「掴まってろ、……ルーム。」
「あ、うん!」
別にそんな必要はないものの、ウイを抱き寄せてルームを展開する。
素直に背に手を回すウイの頭越しに、苦虫を噛んだかのような顔でいる火拳屋を睨み付けた。
「シャンブルズ。」
落ち着いて考えれば、余裕がないからこその威嚇だ。
でもあいつに知らしめたかった。
ウイが好きなのは、おまえじゃなく俺だ、と。
ガガガガガガガガ
「ウイうるさい。」
「えー?なにー?ベポ、聞こえなーい。」
ガガガガガガガガ
「ウイ、うるさいってば。」
「なに?はっきり喋ってってば!」
ガガガガガガガガ
本当にうるさいな。
後でやれば良いのに。
いつの間にか姿を眩ましていたウイとキャプテンが帰ってきたのは夕方で
二人仲良く夕飯の食材が詰まった買い物袋を抱えていた。
久しぶりにウイの作ったご飯が食べたいなって思ってたから
本当に作ってくれるんだって思ったら嬉しかった。
キャプテンと新婚さんよろしく買ってきた食材を片付けるその様子は、昨日の出来事が嘘だったんじゃないかって思うほど幸せそうで
どこかほっこりする気持ちでその様子を眺めてた。
ウイのご飯を初めて食べるエイジは
「シャチさんの飯って別にウマイ訳じゃなかったんスね!」
となんとも素直な感想を述べ、シャチに睨まれウイを笑わせていた。
食後久しぶりに麻雀するかって話になって
ルールは覚えたもののまだまだビギナーなエイジとカレンを囲んで、久しぶりの賭博大会が開催された。
人数も増えれば人も余る訳で、参戦の権利を逃したウイはキャプテンにシャンブって貰ったらしいミシンでエイジのつなぎを縫っていた。
「ウイ次やらないの?」
「やるやるー!」
ここだけ縫っちゃうから積んどいて、と喧しいミシン音を響かせるウイを横目に
次の参戦権を得たキャプテンとカレン、シャチは既にスタンバイ完了だ。
仕方ないから場所決めと親決めを代行してあげて
ルンルンしながら糸を切っている、あの可愛い顔をした大魔王がこれから捌く手牌を整える。
このメンツなら、ウイが狙うのはシャチかな。
さっきも負けたのに気の毒。
きっと恐らくターゲットなシャチに心の中で黙祷を捧げ、ウイに場所を譲った。
自分に被害がないと思えば、久しぶりにウイのえげつないまでの快進撃を見るのは楽しみだった。
「さっき誰勝ったの?」
「俺。」
ウイが手牌を並び替えながらそう口にすると、名乗りを上げた勝者がウイのすぐ後ろのソファーに腰を下ろした。
「えー、どうしたの。ペンギン勝つとか皆カス過ぎるー。」
「うっせ。」
打ち方を勉強するつもりらしいペンギンは、広げて座った足で小さな大魔王を挟みながらいつかみたいに頭を顎置きにするスタイルだ。
痛いんだけどとじゃれ合っている二人に
当然のことながら誰かさんの殺気が直撃する。
「おまえらはニワトリか。」
苛立っているのか、端の牌を回転させながら並べた手牌の上に打ち付けているキャプテンはいつものことながら結構ご立腹だ。
「あ!!ペンギン退いて。」
「別に良いじゃん。忘れてた訳じゃなくて納得いかねぇだけだし。」
さっさと切っちゃって、とキャプテンを無視して親のカレンに開始を促すペンギンに
ウイは戸惑いキャプテンは更に眼光を鋭くした。
異様な雰囲気の中、ゲームは進行していく。
「なんでそこ切んの?こっちじゃねぇの?」
「んー、こっち入ればそれも良いけど。ここ残しときたいんだよね。」
「え、なんで?」
ウイの打ち筋に納得いかないらしいペンギンがいちゃもんを付けだす。
ペンギンは副船長になってから、麻雀だとかチェスだとか、そういうのが日に日に強くなった。
勉強したりもしてるんだろうけど、だからってそれだけでこんなに急速に強くなるもんなんだろうか。
キャプテンはペンギンの素質に気付いてて、やれば出来るってことを見抜いて
それで副船長に抜擢したのかな。
皆に聞こえないように、っていうのは分かる。
でもそれは流石に、キャプテンの逆鱗に触れる行為なのをウイはそろそろ学んだ方が良いと思う。
「あー、なるほどね。なら納得だわ。」
「でしょ?やるでしょ?そういうやらしいこと!」
ウイに耳打ちされたペンギンが納得したのと同時に、キャプテンの苛立ちが限界点に達したらしく
乱暴に牌を河に切った。
「おい、いい加減にしろ。」
「なにが。諦める必要ないんでしょ?俺。」
ヤバいと思ってる事がありありと滲み出た表情で固まるウイと、バチバチと火花を散らし合う二人。
全く。
微笑ましいんだか見苦しいんだか。
「全く学ばねぇな、ウイ。」
「いや、あのね!そういうんじゃない!でもごめん!ペンギンも退いてってば。」
「やだ。なんで彼氏でもねぇキャプテンにそんな気ぃ使うの。」
これは、ペンギンの方に分があるな。
いくら好き合ってようと、二人は付き合ってる訳じゃないし。
キャプテンもそんなに怒るならさっさと付き合っちゃえば良いのに。
「今日、ウイにしつけぇくらい何度も何度もキスされた。」
なんだそのカミングアウトは。
あながち嘘じゃないのか、ウイが赤くなった顔を隠すように両手で覆った。
「俺今日ウイの尻揉んだ。真っ平らだったけど超柔らかかった。」
負けじと張り合うペンギンに、ピシリと固まったウイが立ち上がる。
面白いかなって思ったのと、必要だろうなって思ったから。
前に使わなくなった模造紙で作ったそれを無言で差し出すとウイは無言で頷きそれを受け取った。
まさか誰かさんは、自分に被害が及ぶとは思いもしないまま先端を画用紙で補強したんだろうなって思うと
笑える。
いつ繰り出されるか待ちきれない一撃を期待しながら、二人の動向を見守った。
「俺は生で揉ん……
スパンっパーン!!
「いてっ!」
「セクハラやめてよ!プライバシーの侵害!!」
特大ハリセンで謎の張り合いを続ける二人を薙ぎ払ったウイの怒鳴り声が響いた。
流石キャプテン。
赤くなった頬は結構痛そうなのに、声ひとつ上げないとは。
「確かにウイはもうちょっと胸とかお尻とかあっても良いかもね。」
スパーンっ!
静まり返ったリビングで、場違いな発言をかますカレンにもハリセンの脅威は降りかかった。
「いった!!何すんのよ!」
「自分が胸あるからって威張んないでよ!」
ギャーギャー騒ぐ女子二人の騒がしさのせいか
不意討ちに食らったハリセンの威力に面食らったのか
キャプテンとペンギンは呆れ顔でその様子を眺めてた。
その内垂れるとか、肩凝らなそうで羨ましいとか
必死の形相で罵り合う本人達には悪いけど、なんだか賑やかで微笑ましい。
騒ぎに乗じて、こっそりリーチをかけたシャチが
その後上がれたのかどうかは、また別のお話。