3-6

リバースマウンテンに到達する予定時刻は正午前後。
そこは山を逆流する謎の運河。
入口や海流に留意し、風向きにも細心の注意を払ったところで 実際何が起こるかは分からない鬼門。

航海士であるベポは勿論それを十分理解していた。
重力に逆らい山を登る程の強烈な流れ。
それは入口の河口より大分手前から派生しており
上手く乗りさえすればその後は勝手に山の頂へと船を運ぶ。
だがしかし、闇雲に近づけば最悪
レッドラインに叩きつけられた船は大破する。

ベポは潮の流れを見逃さぬよう、水面と海図を照らし合わせ海流を探っていた。
ちょうどその時 船が帆が受ける風とは微妙に違う方向へと流れた。

来た!ここだ!とベポがそれをクルー達に知らせようと振り返ると


「わー!!凄い凄い!!」


常に騒がしい船の上で、ウイが一際大きな声を上げはしゃいでいた。
両手を重ねて空を見上げ、きゃっきゃはしゃぐウイと、向かい側の端で、おお!と感嘆の声を上げ同じ方向を見上げるシャチとペンギン。

三人をそうさせた視線の先では、大分上空まで移動したローが 今も尚上へ上へと上昇を続けていた。


「キャプテンダメだ!!戻って!早く!!」


鬼気迫る声で叫ぶベポに 新技の成功を喜ぶ彼らは何事かと振り返る。
運良くローの耳にもベポの声は届いたようで 慌てた様子の航海士の言葉通り、上昇をやめたローは船へと戻るべくルームを解いた。
重力に従い落下する体は、元いたフリーウィング号の甲板へと戻れる筈だった。


「キャプテン!!落ちちゃダメだ!!」


ベポの制止も虚しく、まだそれを使いこなせぬ能力者は大きな水音と共に海へと沈む。







それは一瞬の出来事だった。







緊急事態。
大分上空まで何度もシャンブルズを繰り返し移動したとはいえ、体が落下する前に次のシャンブルズは行われる。
滞空時間は一分にも満たなかっただろう。

たかが一分、されど一分。
逆流を成立させてしまう潮の流れは、まだ河口が見えぬ程遠くても強烈だ。

ローが訓練を始めた位置は今、船上ではなく海だった。
そしてカナヅチな船長を救える唯一の場所でもある船は今もなお、遠ざかり続けていた。
誰よりも事の深刻さを理解するベポはただただ慌てた。
どうにかせねばならぬ状況を 打破する案は航海士の頭の中には思い浮かばない。







そんなベポの絶望もまた、時間にすればほんの一瞬。
絶望を打ち破ったのはまたしてもフリーウィング号のすくそばで上がった水音。








音のした方を振り返ったベポの目に映ったのは、手すりから身を乗り出し海に向かって叫ぶシャチと 服を脱ぎ、飛び込もうとするペンギンの姿。

一人足りない。
ベポが辺りを見渡しても、そこにウイの姿はなかった。


「おいウイ!!服着たままじゃ無理だ!今ペンギン行くから!!下手に動くんじゃねぇぞ!!」


シャチの鬼気迫る声が、船に響き渡る。
パンツ一丁になったペンギンが手すりに足をかけるのを、泣きそうな顔のベポが止めた。


「ペンギン!無理だ!ダメなんだよ!!」
「は!?お前何言ってんだよ!」
「この船はもうリバースマウンテンを昇る海流に乗ってるんだ!!船から出たら戻る前に…!船はあっという間に遠くだ!!」


彼らが向ける視線の先で
先ほど船のすぐそばに飛び込んだ筈のウイの姿は予想以上に遠ざかっていた。


「じゃあどうしろってんだよ!?ほっとけってのか!!?」
「落ち着けペンギン!お前取り敢えず帆を畳んで来い!!ベポ!!お前二人を見てろ!見失うんじゃねぇぞ!!」
「てめぇシャチ!!っざけんなよ!」
「うるせぇ!!説明は後だ!急がねぇと死ぬぞ!二人とも!!」


ペンギンもベポも、己の判断に確信を得られず だがじっとしてもいられない。
そんな中怒号を飛ばすシャチの姿は、二人にはどこか頼もしく見えた。

パニックに陥った時、人は縋れる物に縋りつく。
意図が掴めぬとも何か明確な意思を感じる毅然としたシャチの指示に ペンギンとベポはその身を委ねた。

ベポの視線の先で、目標地点に到達したらしいウイが海中へと潜る。
ベポは見失うものかと磁石とその地点を必死で睨み付けた。

マストに到着したペンギンが帆の結び目を次々ととき、風を受ける面積を減らした帆は若干ではあるが船が進むスピードを緩める。
そこに戻ったシャチが、持ってきたロープと浮き輪をしっかりと結びつけた。


「おい!!キャプテン達どこ行った!!」
「まだ浮いてこないけど!ウイが潜ったのはここから15メートルくらい先!北北西の方向!!」


シャチは船の柱にロープを巻き付けながら、目算でその長さを確認する。
そこだと言われた地点から目を離さず、シャチは機を待った。

ウイが潜ってからまだ十数秒。
実際は短いその時間が、三人にはとてつもなく長く感じた。


「…あれ?」


この状況にそぐわぬ素っ頓狂なベポの声。
航海士の白熊は辺りをキョロキョロと見渡した。


「いやそんな…嘘でしょ!?」


信じられないとでも言いたげなベポが船縁から身を乗り出し船と海面の境を覗きこんだ。


「なんで!?凄いや!!」
「は?なんだよ急に」


どう見ても不可解な行動をとるベポに、シャチはベポがついに混乱のあまりトチ狂ったのではと眉を寄せる。


「船だよ!!海流に逆らって少しずつ逆走してる!!」


それは誰もが予想だにしない言葉。
ベポが見てと指差す船と水面の境は、進行方向とは逆の船尾にも関わらず
水を押し返すように小さく波を立てていた。


「…っハハ!マジで何なんだこの船。どんだけウイにぞっこんだよ」
「山を昇るほどの海流なんだ。…こんなこと絶対あり得ない」


言われて見ればそれまでと異なる方向に流れる気のする船の動きに
呆気に取られていたペンギンとベポにシャチの鋭い声が飛ぶ。


「気ぃ抜くな!まだだ!安心するには早ぇだろ!」


そうだった、と二人がウイが潜ったあたりへ視線を向けると同時に 水しぶきと共にウイが顔を出した。
その腕には、ハートの海賊団を束ねる男がしっかりと抱えられている。


「よくやった!!」
「「っしゃぁあ!!」」


シャチが二人目掛けて浮き輪を投げようとしたその時


「行…かないで!!!フリーウィング!!!」


潜水により乱れた呼吸で叫ばれたその声は船上にもハッキリと聞こえた。
聞こえた?
船を呼ぶ声が、ビリリと空気を震わせたような感覚をクルー達は覚えた。

それに呼応するように、先ほどよりも速度を上げた船がまっすぐにウイの元へと進み出す。
今度ばかりはシャチも呆気に取られ固まった。


「…なんなんだよ。ったく…」


理解出来ぬ現象。
しかしそれは実際に目の前で起こっている。

喜ばしい事ではあるものの理解は追いつかない。
そんななんともいえない顔を浮かべたシャチが 先ほどよりも大分近くなった二人の元へ浮き輪を投げた。
ウイはなんとか沈まないようにと必死で立ち泳ぎで浮きながらも、意識を失っているローの頬を思い切り叩きまくる。


「ロー!!ちょっ…とっ!しっかりしてよ!!」


微動だにしない手の中の存在にウイは焦った。
すぐ近くに着水した浮き輪にローの体を何とか通したウイもそれに掴まり 浮く為にフル稼働していた力をローを揺さぶる事に注力する。


「ロー!!!ローってば!!」


能動的に揺さぶられこそすれど、その体は自発的な動きを見せない。
気道を塞ぐ水を吐かせようと渾身の力で何度も背中を叩くウイの発した言葉は、再び空気を震わせた。


「ちょっと!!私!死なせる為に!!特訓してた訳じゃ!ないんだけどっ!!!…ねぇっ!!」


離れた船上にいながらも、またしてもウイの声とシンクロするように震える空気をクルー達は確かに感じていた。
ビリビリと肌を焼かれる感覚すら覚えるこの正体は一体何なのだろうとクルー達は訝しむ。

最後の一発とばかりにローの背中をドン!と力強く打ち付けたウイの手が 咳と共にローが飲み込んだ水を吐き出させた。


「動いた!!見て!動いたよキャプテン!!無事だ!!!」


ペンギンとベポが必死でロープを手繰り寄せ、大分船に近付いてきた浮き輪の中で ローはむせこみぜぇぜぇと肩で息をしながらも意識を取り戻していた。


「良がっだー!!本当に良がっだーーー!!!」


ベポは安心で気が緩み号泣し始め シャチとペンギンもほっとその肩を撫で下ろした。
浮き輪が引き寄せられた船の真下から すっかりいつもの調子に戻ったウイの声が聞こえてくる。


「もう無理疲れた動けない登れない助けて引っぱってー!」


喧しい程の疲れたアピールに苦笑いする3人は恐らく、同じことを考えていた。
無事を喜ぶ気持ちと同時に、先程の超常現象はなんだったのだろうという疑問。
しかし二人を引き上げるのが先だと、今は誰もそこには触れない。

ローと浮き輪に必死でしがみつくウイを、意識を取り戻したローもまたしっかり抱える。
船上の三人は力の限りにロープを引いた。

二人分の体重と水を吸った衣服は意外と重く
体にロープを巻き付けたベポの力と体重で何とか持ち上げられる程になったそれを、シャチとペンギンがタイミングを合わせ引き上げる。

この綱引きは結構な重労働。
だがしかし、彼らの表情は数分前とは見違えるように明るい。
何歩かベポの足が船の内側へと進んだ時、ロープが千切れたかのように重さが消えた。
三人はそれぞれかけた力の方向へと、雪崩込む。


「へー!海水で濡れてても海から離れさえすればシャンブルズ使えるんだ!凄ーい!」


海の呪縛から解き放たれたローの能力で無事に船上へと戻ってきた二人の姿に、必死過ぎて結構な勢いで倒れこみ起き上がれぬクルー達はそのままの姿勢で安堵した。
やるなら声くらいかけろと、三人が同じことを思ったであろうことは間違いない。
小さな不満を抱きつつも 良かったと思う気持ちはそれを遥かに上回る。

そんな中、ローに支えられながら立っていたウイがペタンと座り込んだ。


「あはは…一生分、運動したー」


うつ伏せに倒れ込むウイに、過労で意識でも失ったのではと一行は慌てる。
しかしウイは、甲板の床板を撫でながら小さな声で呟いた。


「ありがとね。いつも迷惑かけてごめんね」


ローだけが、ウイのその言葉が何に向けられたものなのかを理解出来ずにいた。
労いの言葉をかけられた相手はその返事だとでもいうように、海流通りに船の進路を戻した。






「本っ当にごめん!!俺のせいだ!海流のこととかちゃんと説明しておけばこんなことにはならなかったのに…」
「ベポのせいじゃないよ!無事だったんだしまぁ良いじゃん!」


海流に乗った船は何もせずとも進んでいく。
一行はダイニングに移動し、昼食を取っていた。
今回の件に責任を感じたベポは、深々と頭を下げ 誰に責められた訳でもないのにズーンと音がする程落ち込んでいた。


「でも!俺が言っておけばキャプテン絶対あんなに上空まで行かなかった。無事だったけど…キャプテンもウイも!死んじゃってたかもしれないのに…」
「いや、でも生きてるし。そんな事言ったらあんな練習方法指示した私だって悪くなっちゃうし」
「でも!!」


自分が気にする事柄に関して、ベポは異常に打たれ弱い。
更に今回は事が事だ。
大量の幽霊を背中から沸かす勢いで落ち込むベポに、ウイは盛大なため息を着いた。


「しつこいなー…ねえあのさ。ベポのせいだって言えばそれでベポは納得?寧ろそう言って欲しかったりするの?」
「それは…」


口ごもり更に俯くベポの声は震えている。
真っ白な毛並みの膝の上で ぎゅうっと握りしめられた拳が震えていた。



destruct at reality.