ダメだ。
全然集中出来ない。
ダイニングから逃げるようにして部屋に戻った後、
頭を冷やすためにシャワーを浴びた。
髪を洗っていても
体を洗っていても
顔を洗っていても
どうしてもさっきの事を思い出してしまう。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど
恥ずかしいんだけど
でもどこか喜んでいる自分がいる。
そんな自分を叱咤するようにタオルでガシガシと髪の毛を乾かした。
今日はローがあんなに酔ってたから。
明日になればローは覚えていないし、
またそれとなく避けられるんだ。
でも、まだローが自分を好きでいてくれたことが嬉しかった。
気持ちは変わらない、と言ってはいたものの
彼の気持ちを受け入れなかった以上、他に気持ちが向く可能性はいくらでもある。
手に入らないものと割り切って、諦めてしまう事だってあり得る。
もうローとはキス、出来ないと思ってた。
ベッドに腰かけてはみたものの、まだ早い時間であるため眠たくない。
そうでなくともさっきの事件で目が冴えてしまっている。
作業でもしようかと、ローのシャンブルズ用のビーズを作ろうと奮闘していたのだが
なぜか運悪く次の手順が一番面倒な所。
こんなすぐに思考が吹っ飛ぶ今の状況ではまともに作業が出来ない。
ビーズはまた今度にしようとさっさと諦めてソファーに突っ伏した。
明日になったら、もうローは私に触れようとはしない。
今なら、触れてもらえる。
そしてそれを、明日には忘れてくれる。
さっきから何度かき消しても浮かんでくる
この邪な考え。
今なら、ローに何を言っても
何をしても、なかったことにできる。
本人の意志と自覚を無視した最低な考えだ。
ただの自己満足。
都合よくローに触れたいだけだ。
そんなことしてはいけないと思うのに
部屋の扉に目が行ってしまう。
ローのいる空間に続くその扉。
皆はまだリビングにいるのだろうか。
あんなに飲んでいたローは、
もう寝てしまった可能性もある。
普段は周りの気配に敏感なローも
あれだけ飲んでいれば眠りも深くなるだろう。
もし起こしちゃっても覚えていないだろうし。
どんどん思考が犯罪じみていく気もするが
どうしても
ローに触れられる機会を逃したくないと思っている自分がいる。
私のバカ!
変態!
えっちすけべ!
本当に、どうしよう。
皆がまだ居るか、ちょっと覗くだけ。
部屋の扉を開ければ、リビングの物音は聞こえる。
皆が起きているようならそれはもう諦めよう。
自分以外誰もいない部屋で、一人足音を忍ばせて歩く自分の姿は
さぞ変質者じみた物だろう。
実際今は頭の中も立派な変質者だ。
この際開き直ろう。
音を立てないようにそっとドアノブを回す。
リビングへ続く階段に面した廊下からは、話し声どころか物音すら聞こえてこない。
リビングから漏れる明かりから、誰かは居るんだろう。
酔ったローが消し忘れた可能性も十分有り得るけど。
さて、どうする私。
リビングを覗きに行く?
ローの部屋を覗いてみる?
それとも部屋に引き返す?
どうしよう。
このままだと私、確実にローに何かしようとしてる。
ダメなのに。
自分で忘れると決めた癖にそれが守れない自分。
ローが覚えていないのを良いことにそこにつけこもうとしている自分。
いや、ほんっと最低だ私。
もう誰にも変態とか欲求不満とか言えない気がする。
色々思考は飛ぶものの
そうしている間にも聞こえてくる時計の秒針の音が
時間が過ぎていく事を通告してくる。
寝ちゃってても、良いけど。
出来ることなら起きてるローに抱き締められたい。
ちゃんと皆がいない所でキスして欲しい。
あーもう!
なんでされること前提で考えてるんだ私は!!
例えローが起きてたって、またそうしてくれるとは限らないのに。
もうダメだ。
今自分の顔が赤い自覚がある。
今だけ、これが最後と
薬物に依存した人がそれにまた手を伸ばすように
最近の私は意志が弱すぎる。
ローというドラッグに、完全に依存している。
でも、本当にこれを逃して良いの?
一度くらい、ちゃんとローの事を好きだと自覚した状態で
彼の温もりを味わいたくない?
頭の中の悪い私の囁きが止まらない。
本当に、これが最後だ。
これでリビングにローが居なければ、
諦めて今日はもう寝よう。
もし居たなら、居たとしても、
ローの温もりに手を伸ばすのはこれが最後。
絶対に、これでもう諦める。
私は覚悟を決めて部屋から足を踏み出した。
「まだ、飲んでたの?」
居たー!!
ローが居たー!!
心の中の叫びを押し殺し、平静を装ってリビングに入る。
皆は部屋に戻っているのか
ローが新聞を読みながら、未だに酒の入ったグラスをからからと音を立てて揺らしていた。
「起きてたのか。」
「喉乾いちゃって。」
新聞から目線を上げてこちらを見るローの顔は、普段の彼よりなんだか幼く見える。
目に力が入っていないというか、どこかきょとんとした印象を感じる。
どうせなら私もお酒でも飲もうと、冷蔵庫から試作品の瓶を取り出す。
少し酔った方が、精神衛生上ましな気がする。
買い物に行ったときにシャチに買って貰ったお酒1本では全く酔えなかった。
「お前何酒なんて飲んでんだよ。」
「……今のローには言われたくないよ。」
体力だって大分回復してきている。
心配してくれるのは嬉しいけど、
如何せん今のローがそれを咎めるのは説得力がなさすぎる。
然り気無さを装って、ローの座る向かい側のダイニングチェアーに腰かける。
そういえば新聞なんて読んでたみたいだけど、
明日覚えていないのに、読む意味なんてあるのだろうかとちょっと笑える。
「ローって、明日になったら今の事覚えてないんでしょ?」
酔っ払いにこの手の質問を投げ掛けても
帰ってくる言葉は大体否定なのだが
なんとなく、ローがどういう反応をするのか気になった。
「そこまで酔ってねえよ。ちゃんと覚えてる。」
ほら、その常套句。
実際酔ってる時に、翌日に今の記憶がなくなるか分かる人なんていないと思うんだけど。
ちょっとムキになるローが、なんだか可愛い。
「ロー、あのね。私ローのこと好きだよ。」
ローはこちらを見たまま固まっている。
そんな顔も、どうしようもなく可愛い。
ごめんね、ずるくて。
どうしても、言ってみたかったの。
普段のローには絶対言えないから。
少しあどけなくて、無防備な
明日になれば全て忘れてしまう今のローに
「どうしたお前。酔ってんのか。」
酔ってるのはローだよ。
本当、可笑しい。
本当のローは、実は天然さんなんだろうか。
未だに信じられない物を見るような目でこちらを見るローを眺めながら
酒の瓶に口をつけた。
ローが私から視線を外すと、グラスに残っている酒を一気に煽った。
未開封だった一升瓶の中身はもう半分程減っていて
先ほどまでは止めようかと悩んでいたものの
今はもう止めない。
むしろもっと飲んでくれ。
確実に明日、今の記憶を残さない為に。
バーで女の人を口説くときに強いお酒を飲ませる男の人って
こんな気持ちなのかなとふと思った。
なるほど、悪い男だと思っていたけれど
実際しょうがない。
好きなんだから。
「本気で、言ってんのか?」
「嘘でこんなこと言わないよ。大好きだよ、ロー。」
普段のローには恥ずかしすぎて絶対に口にできない言葉だ。
相手の記憶に残らないということは、こんなにも人を開放的にしてしまうものなのか。
固まっていたローが椅子を引くと、腰かけたまま、両手を広げてこちらを見ている。
「どしたの。」
「ん。」
どうしたかと聞いているのに、もう一度手を広げ直してそういうローは、
これはもしかすると、ヘイカモン!とそういう事なのだろうか。
本当に、酔いすぎたローの行動は見ていて飽きない。
私より4つも年上の癖に、
いつもあんなにすました顔で周りの出来事を高見の見物でもするように振る舞っているのに
今の彼はまるで甘えん坊な子供だ。
その胸に飛び込んで首に手を回すと
ローは私の足を軽々と抱えて彼の足に座らせた。
背中に回った腕に力が込められる。
「愛してる。」
耳元で囁かれたその言葉で、胸が満たされるようだった。
好きよりも大好きよりも、
愛してるって、なんだかこそばゆくて
気持ちが大きいように感じてしまう。
今日眠るまで私たちは恋人同士。
今の私たちは、きっと世界中のどんな恋人達より
どんな夫婦よりも愛し合っていると思う。
永遠なんて信じないけど
今のローの気持ちは、何よりも信じられる。
軽く啄むようなキスをされ、鼻先を合わせて見つめ合う。
じゃれ合うようなそれが嬉しくて
顔をずらして私の方からキスをした。
前にした時は
あんなに躊躇してたのに。
唇を離して再びローの顔を見つめると
心なしかローの顔が赤い気がする。
散々もっと凄いキスを平然とした顔でしておいて
なぜ今、照れるのだろう。
赤くなった顔を隠したいのか、
ローは再びぎゅっと抱き締めてくれた。
もう私、このまま死んでしまいたいくらいだ。
「どんな心境の変化だ。」
「変化じゃないよ。あの時も、ローが好きって言ってくれた時も、好きだったよ。」
「じゃあなんで……。」
ローが体を引いて、抱き合ったまま見つめ合う体勢になる。
今なら、今までずっと誰にも言えなかった事を
言えるかもしれない。
覚えていなくていい。
むしろ、忘れてくれる今だからこそ
2年以上ずっと心に秘めてた私の気持ちを
言いたい。
言ってしまいたい。
それに対する、あなたの言葉を聞いてみたい。
「ローお散歩行こう!その前にこれ、飲んで!」
ローは私の突然の発言に首を傾げたものの、グラス一杯に注いだ度数の強い酒を軽々と飲み干し
私が差し出した手を握って立ち上がってくれた。
完全犯罪にするために更にお酒を飲ませてしまったのだけど
全くふらつかずに歩くローは、化け物並にお酒が強いと思う。
前に潰そうとした位の量じゃ、そりゃ酔わない訳だ。
甲板に出ると、ひんやりとした風が心地良い。
前を歩くローを追い越し、私が手を引いて船首部まで二人で歩いた。
夜の海は静かで
波が港に打ち付ける音が聞こえるだけ。
遠くに見える繁華街のネオンが、とても綺麗だった。
船首部の船縁に肘をついて海を眺めると、隣に来ると思っていたローが、後ろから私を抱き締めた。
触れていたいと思っているのは私だけじゃないのかなと思うと
それがなんだか嬉しかった。
「私ね、怖いんだ。」
ローは何も言わない。
でも、ちゃんと聞いていてくれるのを分かってる。
「父様がね、母様を、殺したの。」
ずっと誰にも言えなかった。
「愛し合って夫婦になったはずの二人が、殺しちゃうの。その愛していた筈の人を。」
貴族同士とは言え、婚約指輪にあんな言葉を彫るぐらいだ。
私の記憶の中の二人は、既に愛し合っているように見えることはなかったけど
きっと最初は違かった。
父様と母様も、愛し合ってた筈だ。
「父様ね、私の事も売ろうとしてたの。ヒューマンショップに。父様には好きな人が居て。その人と一緒になるのに、私の事も邪魔だったんだと思う。」
父様がでんでんむしでその話をしているのを聞いた時は、嘘かと思った。
でも、確かにそれを聞いた。
父様はいつの間にか、私よりもあの人やお金が大事になってしまったんだ。