気持ちを立て直そうと、頬をパンと叩く。
普通にする。
そう決めたんだ。
早く泣き止めば泣き止むほど
この顔もマシになる筈だ。
残り少ない水風船を作り終えてしまおうと
蛇口に口を伸ばしたそれを取り付ける。
ローはどうだろう。
ローも、離れてもまた私に会いたいと
思ってくれるだろうか。
一時でも、彼のターゲットになってしまった私のことなんて
きっと無敗である彼の記録に傷をつけた私の顔なんて
ローはもう見たくもないだろうか。
『必要ねぇ。』
少し苛立った声でそう言った彼の言葉が頭の中で再生される。
あれは、キツかったな。
「何やってるの。」
「水風船!この前買って貰ったでしょ?」
リビングに戻るとそこにウイは居なくて
甲板に続く扉が少しだけ開いていた。
少しの隙間なのに、そこから吹き込んだ雨で扉の周りには水溜まりが出来ている。
こんな雨の中まさかとは思ったものの
扉を開けて外に出ると
甲板の水道の前で彼女は傘もささずにしゃがみこんでいた。
「こんな雨の中一人でそれやるの?」
「だってこんな雨久しぶりなんだもん!雨の中遊んでみたいって思ってたの!」
こちらに振り向くこともせず水風船の口を縛るウイ。
確かにそれは、朝も言っていた。
彼女の隣に置かれたバケツには、既に大量の水が詰められた水風船が入っている。
まだ体調も万全ではないと言うのに
どれ程長い時間雨に打たれていたのだろう。
「ねえ。絶対めそめそしないって、昨日約束したよね。」
「してないじゃん。めそめそなんて。」
変なの、と笑う彼女の口調は
わざとらしい程明るかった。
そんな彼女の腕を掴んで無理矢理こちらを向かせると
ウイの目は思った通り
赤く充血していた。
「先に作っちゃうから待ってて!」
そう言ってまたこちらに背を向けようとするウイの腕に、力をこめた。
「キャプテンのこと振ったらしいね。」
ウイは顔を伏せたまま何も言わない。
「記憶飛ばしてる振った相手と、昨日一体何してたの。」
「ちょっと気まずくて。その時聞けなかったこととか聞いてただけだよ。」
本当にウイは、誤魔化すのがうまいな。
確かにそうかもって
思ってしまうかもしれない。
「雨に濡れれば、泣いてるのバレないとでも思ってるの。目、赤いけど。」
「ゴミ入ってさっき擦っちゃったの。もう、どうしたの本「いい加減にして、ウイ。」
ウイが怯えたような目でこっちを見上げる。
「本当は、ウイもキャプテンのこと好きなんでしょ。これからもずっと、一緒に旅したいんでしょ。」
覚えていないからこそ
話したいこととか
聞きたいことがあったんでしょ。
「それは……。」
「嘘ついたのはウイだよ。言って良いんだよね?キャプテンに。」
ウイの目が動揺で揺れる。
「ごめ、なさい。お願いベポ。黙ってて。本当に、お願いだから。」
「今のウイが幸せそうには、とてもじゃないけど見えないんだけど。」
もう、どんなに雨で濡れていても
違う水分が目に溜まっていることは明らかだ。
どうしてウイは
そんなに好きで、仲間になりたいと思ってくれてるのに
それを素直に言えないんだろう。
「分かんないよ、ベポには。」
「分かんないね。何も言ってくれないし、こっちの言うことは全部無視だし。」
吐き捨てるようにそう言ったウイは
今まで見たことがないような、
本気で怒りを露にしたような目でこちらを睨み付けた。
「言ったってどうにもならないことがあるのっ!!私がこれで良いって言ってる!!だからもう、ほっといてよ!!」
「どうせ私が全部悪いの!!私がこんなんだから、だからいけないの!!良かったね、こんな面倒な人仲間にしなくて!」
肩で息をしながらウイが声を荒げる。
「笑って別れようって。ずっと一緒じゃなくてもまた会えたらなって、そう思ってたのに。なんでそれすら邪魔するの!!?」
すごく自分勝手で
捻くれてて
投げやりだけど
これはウイの本音だ。
「言えば?!言ってきなよ。ローにも、皆にも!言えば良いじゃない!それで私が幸せにでもなれるっていうなら、やってみせてよ!」
他の人に、こんな言い方をされたら
流石にイラっとするかもしれない。
開き直りも甚だしい。
本当に悪いと思ってるのか、と。
「言えるじゃん。ちゃんと。」
でもウイだから。
優しくて、強情で、人に頼らないどころか
本音を言ってくれないウイだから。
こっちを睨み付けていた目から徐々に力が抜けて、
顔が歪んでいく。
目に溜まっていた涙が、ポロポロと溢れだした。
「別にウイに良い子であることとか、聞き分けあることなんて俺、求めてないよ。悪くても面倒でも良いじゃん。今のウイの方がよっぽどマシ。」
やっとちゃんと、泣いてくれたね。
もう。
本当に世話がやける。
「貸し1つだよウイ。歯、食い縛っといて。」
「え?」
理解が追い付かないウイは、呆けた顔をしていて
それじゃちょっと痛いかもなと思ったけど
彼女にとっては痛い方がマシなんだろう
「お前ら何騒いでんだよ!こんな雨の中!」
バシーン
「へぶっ!!」
「なっ!!?ベポ!!てめぇ何やってんだ!!」
船室から顔を出したペンギンが慌ててウイに駆け寄る。
ペンギンの大声のせいで、キャプテンとシャチも何事かとそれに続いた。
「仕方ないからこれで許してあげる。これでチャラ。文句ないでしょ。」
ウイは急に平手打ちを食らったため、そのまま甲板に倒れこんだ。
叩かれた頬を押さえながら、顔を歪めている。
さすがにちょっと、やりすぎたかな。
「何あったか分かんねえけど!何も殴るこたねえだろ!ウイ大丈夫か!?」
「こういう時ばっかり泣かないで。自業自得だよね?次やったら本当に許さないから。」
「ベポのバカぁー!!痛ぃー!!本当に痛かったぁ!!ぅわーん!!」
「ちょ、泣くな!!手ぇどけろ!っておいベポ!!ウイも一応女だぞ!!?何顔なんてぶん殴ってんだよ!!」
わんわん声をあげて泣くウイの頬は、本当に結構腫れてしまっていて。
ペンギンとシャチは状況を読み込めずウイを泣き止ませようとあたふたしている。
もう一人は、完全に怒ってるけどね。
「おい。何やってんだ。あ?」
「キャプテンには関係ない。これは俺とウイの問題。」
胸ぐらを掴んで凄い目付きで凄むキャプテンからは、今にも拳が飛んできそうだ。
パンっ
「いてっ!」
「これで、本当におあいこ!ごめんなさい。……ありがとう。」
しゃくりをあげながら頬を押さえて立つ彼女に、
平手打ちをかまされた。
その様子を見たキャプテンが舌打ちと共に手を離してウイへと駆け寄る。
確かにおあいこだ。
ウイに叩かれなければ確実に
その数10倍は威力のある拳を食らっていただろう。
「お前もこれしきで泣くな!もっと他に泣くとこあんだろうが!」
「これしきって何よ!?殴られたら痛いの!痛覚の基準を皆と一緒にするな!!」
すっかりいつもの調子に戻ったウイ。
さて、朝も本当に遊びたいって言ってたことだし。
手伝ってやりますか。
「痛いってば!痛いんだから触んなぶほぉっ!!」
ウイに向かって投げた水風船は、狙い通り彼女の顔面に当たって弾けた。
「冷やした方が良いかなって。」
「んのやろぉ!!」
ウイが蛇口脇に置かれたバケツから水風船を取り
それを片手に追いかけてくる。
残念だけどこっちは既に補充済みだ。
「私が作ったんだから勝手に使わないでよ!!」
「じゃあ貰うね。えいっ!」
「ぶっ!……良いって言ってないよドロボー!!」
「ぶはっ!大体これ買ったの俺だし!!」
「なに?これもう一件落着な感じ?」
「あー。そうかもな。」
「なんなんだあいつらは。」
怒鳴る声が聞こえたと思えば殴り合い
泣き出したかと思えばいつの間にか水風船を投げ合う二人を呆然と見つめる彼らに
水風船が飛んでくるのは時間の問題だった。
「私が買って貰ったんだからこれはもう私の、っとぅわぁ!!」
「シャンブルズ。……危ないから走るな。」
雨で滑りやすくなった甲板を走り回るウイは
案の定足を滑らる。
彼女の体が甲板に叩きつけられる前に、腕のビーズをちぎり彼女を腕の中へと呼び寄せた。
腕の中で体に襲いかかる筈だった衝撃に備えて固く瞑っていた目を開けたウイは
一瞬呆けたものの、ニヤリとこちらを見上げた。
バシャーン
「隙有り、だよ!」
得意気な顔で俺の顔面に水風船を投げつけたウイは
今度はシャチとペンギン目掛けてそれを放り投げた。
全くもって懲りていない。
助けて貰っておいて
その恩を仇で返した彼女は
悪びれる様子もなく楽しそうに次の標的を追いかけ回している。
「おい、お前本当に余計なこと言ってねえだろうな。」
「言ってないってば。言わないって言ったでしょ。」
先ほどまでウイの標的だったベポが水風船の補充もかねてこちらに戻ってきた。
「なんで殴った。」
「ウイが約束を破ったから。それ以上は言わないよ。さっきも言ったけどこれは俺とウイの問題だから。」
「だからって殴ることはねぇだろ。」
「キャプテンも、約束ちゃんと守ってよ。絶対にドフラミンゴを倒して、必ずウイを仲間に入れてよ。」
「……当たり前だ。」
本当に、何があったというのだろう。
普段温厚なこの白熊はたまにブラックな面を覗かせる。
だからと言って仲間に、しかもウイ相手に手をあげるなんてことはしないヤツだ。
「てめぇ調子乗んなよ!!」
「きゃー!!」
ペンギンとシャチから集中砲火を受けたウイが甲高い悲鳴をあげる。
仲間にするのを諦めると言った時の下手くそ過ぎる笑顔の面影はすっかりない。
ウイを殴ったことは許せないものの
本人同士もそれで納得しているのであれば
これはこれで良かったのだろうか。
仕方のないこととはいえ、できる事なら辛い思いはさせたくない。
「タクト。」
やるべきことも、分からないことも沢山ある。
でもまずは、彼女にさっきのお返しをしてやらなければ。