「私が海に出たのが2年前だから、フリーウィングと出会ったのもその時だ。フリーウィングは船着き場に乗り捨てられてたって聞いた」
今から2年ほど前。
ウイが暮らしていた島に、一人の女性を乗せたフリーウィング号はやって来た。
その女性は船を一泊停泊させる手続きをしては島へ降り、翌日の夜になっても港に姿を現すことはなかった。
船着き場の人間はその後何日か持ち主を待ったが待ち人は現れず、船主を特定する為、船内を確認しに入った。
しかし船の中は驚く事にもぬけの殻。
生活用品どころかゴミの一つも落ちてはいなかった。
何か手掛かりと言えば、マストに掲げられた羽をモチーフにした旗くらい。
状況から計画的な乗り捨てと判断した船着き場の人間は、これは儲けたとフリーウィング号を島の造船所へ売り払った。
一泊分の停泊料以上であれば得に違いないと、格安の値を提示された造船所も運行試験屋細かい点検等せずに即買い取りを了承した。
その後何日かして、点検もかねて船の走行試験を行うと これはどうした事だろう。
船は風にも舵にもその身を任せず、それどころか快晴であった天候を荒れさせ怪奇現象をも引き起こすとんでもない船であった。
乗り込んだ者達は恐れ戦きながら造船所へと戻る。
ハートの海賊団がいつか、そうであったように。
造船所はフリーウィング号を返品しようとした。
いくら格安でもこれでは売りに出す事も出来ない。
だがしかしフリーウィング号は、港へ運ばれる事を拒絶した。
解体も検討した。
だが曰く付き。
怪奇的な船が増えてはたまったものではない。
造船所は頭を抱えた。
格安であった為金銭的な不利益こそそこまではないものの
大型船であるが故、保管場所を占領する。
巨大なお荷物をどうしようか思い悩む造船所を、一人の少女が訪れる。
船が欲しいと、少女は言った。
船を欲する割にまともな金銭を持ち合わせていなかった少女を、造船所の職人達は追い返そうとした。
しかし少女は惹きつけられるかのようにフリーウィング号に目を止め、この船が欲しいと口にした。
造船所としても曰く付きのお荷物を厄介払いできるのであれば有難い。
しかし何の非もない少女に曰く付きの船を押し付けるというのは、職人達も心が痛む。
そこで職人頭は、沖まで船を走らせ無事に戻ってこれれば船を無償で譲ると提案した。
船が暴走しても問題ないよう、小型船を並走させて。
最悪の場合には少女だけでも回収しようと。
少女は喜んでその提案を受ける。
だがしかしその少女は、航海術どころか帆を張ることも碇を上げねば船が出航しない事すらも知らなかった。
これはやるだけ時間の無駄かとため息をつく造船所の者達の前で、一つ目の不思議な現象が起こる。
碇の存在を教えられようと、それを巻き上げる力など見るからにない細腕。
その腕は、いとも簡単にそれを巻きあげた。
その後もフリーウィング号は帆すら張られず舵も取られず、甲板で海を眺めはしゃぐ少女を乗せたまま穏やかに だがまっすぐと沖へと進んでいった。
ある程度沖合いまで進むと、船は勝手に旋回し造船所へと戻った。
造船所の者達は信じられぬ一連の現象に驚いたものの少女に船を譲ることを決める。
こうしてウイはフリーウィング号と出会い、海に出たのであった。
「──とまあ、私が知ってるのはこれくらいかな。フリーウィング私の前にも誰か乗せてたみたいだし、私だけが特別な訳じゃないみたいだよ?」
「その前の船主は何者だ」
「だから知らないってば」
ウイの語るその話が真実だとすれば、ウイは本当にそれ以外何も知らないのだろう。
信じがたい話ではあるが、この船が信じられない船であることはここにいる全ての者が体験済みだ。
「私ね、いつか会ってみたいんだー」
「?」
ウイの主語のない呟きを、理解出来る者は残念ながらここにはいない。
誰に?と思う疑問をそれぞれが顔に張り付けていた。
しかし流石のそれには、ウイも伝わっていないことを察知したらしい。
「前の船主さん。だからいつか気付いてくれないかなって。商品のロゴとかも船から貰ったの」
えへへと笑うウイにベポが口を挟んだ。
「ねえ。でももし前の船主が現れて、返せって言われたらウイはどうするの?」
「えー?どうするもこうするも…それはフリーウィングが決めるんじゃない?」
疑問符の付く言葉は、謎でしかないものの的を得ている。
今フリーウィング号がウイを選ぶなら、どんな状況に置かれても選択権はフリーウィング号にありそうだ。
それには全員が納得せざるを得なかった。
「でも大丈夫!フリーウィング私のこと大好きだから」
「この船がウイにぞっこんなのはさっき思い知ったけどよ。あんま余裕ぶっこいてっと浮気されるぜ?」
自信満々に言い切るウイをペンギンがからかった。
だが普段ならそこに乗っかりそうなウイはそれにはのらず、ふるふると首を横に振る。
「違うよ。フリーウィングが私を乗せてくれなくなる時がもし来るなら、それは私がこの船に乗らない方が幸せな時」
「あらお熱い事で。…相手船じゃなく男だったら良かったのにな!」
うるさいな!と今度こそムキになるウイとそれを面白がるペンギンを、ベポはやれやれと苦笑いで眺めていた。
「敵は手強いな。相思相愛じゃん」
「?」
そんな中シャチが自分に向けたと思われる言葉を、ローは理解出来ない。
シャチもシャチでなんでもねえと深くは踏み込まず、さして重要性を感じなかったらしいローもあっさり引いた。
「俺ちょっと外見てくる!」
張り切って船室から出て行くベポを追う者は居なかった。
先程の一件は、一行の体力を大きく消耗させたようだ。
特に何をするでもなく
たまに誰かが口にする言葉に、適当な返事を返す事が繰り返される船内。
するとペンギンの肩にこてん、と何かがぶつかった。
その正体は、疲労した体で食事を摂取し 眠気に負けたウイの体。
すやすや寝息を立てるあどけない顔は微笑ましく、傾いた際鼻にかかった髪が呼吸に合わせて静かに揺れていた。
安眠を妨げそうなその髪を耳にかけようと手を伸ばしかけた瞬間、殺気を感じたペンギンはピシリと固まる。
眼球のみで確認したその出所には、気配以上に恐ろしい形相を浮かべる船長の姿があった。
ペンギンは伸ばした手を軋む音が聞こえそうな程ぎこちなく肩へと持っていき、ウイの肩を揺さぶった。
「お、おまえ何寝てんだよ!そろそろリバースマウンテンだぜ?!寝たら勿体ねえだろ!起きろ!!」
だがしかし、起こされようとしている彼女の眠りは深い。
脱力した体は更にその体勢を崩し、ウイはペンギンにその身を預け睡眠を貪り続けた。
常にちょこまかと動き回り海水浴を楽しんでいたりするウイではあるが、先程のあれは別次元の運動量。
ペンギンにも眠らせてやりたい思いはある。
だがしかし、徐々に圧を上げるナニカが それを叶えてはいけないとペンギンの頭に警笛を鳴らした。
「ウイ!リバースマウンテンだぜ!?天然ジェットコースター!!ヤバくね!?起きろって!!」
「…ぅん…着いたら、起きる」
寝惚けている割に会話は成立している。
より寝心地の良い体勢を求めたウイは、頭をぐりぐりと枕代わりのペンギンへと擦り付けた。
ペンギンはこの日、初めてローの殺気モドキを経験した。
仲間内にそれが向けられたことも、ローのこれ関係での不機嫌も、前例がない。
まさか本当に殺されやしないだろうかと、ダラダラ背に冷や汗をかくペンギンは、尚も必死にウイを揺さぶり続ける。
「いんじゃねえの?寝せといてやれよ。疲れてんだろ」
声をかけたシャチの顔はニヤニヤと笑っていた。
自分に被害さえなければ、珍しい物を見れるこの状況は面白い以外の何物でもない。
シャチもシャチでさっき存在感を消す事で自分を見捨てた幼馴染に腹いせでもしたいのだろう。
「…っるさいなぁ」
眉を寄せ安眠妨害に寝言で苦情を申し立てるウイは、肩から膝へとずり落ち膝枕スタイルでその体を落ち着け寝息を立て続ける。
「お、起こした方良いよな!?キャプテン!」
「…興味ねぇよ」
嘘つけよ!!
含む意味は異なるものの、幼馴染二人は心の声を揃えて突っ込んだ。
自覚がないのか素直じゃないのか。
相変わらず不機嫌全開のローと膝の上の眠り姫を交互に見つつ ペンギンは本気で頭を抱えた。
慌てふためくペンギンが流石に可愛そうになったのか、それとももう十分楽しんだのか。
シャチがそこでやっと助け船を出した。
「どうせ寝るならベッドで寝せてやれば?そっちのが疲れ取れんだろ?」
シャチは後はおまえが何とかしろとでも言うように、顎でローを指す。
「俺!2階上がったことねぇからウイの部屋とかわかんねぇわ!キャプテンマジで悪ぃんだけどウイ運んでくんねぇ?」
それは大根役者丸出しの芝居がかった口ぶり。
出来はどうあれ、救われる事を切望するペンギンは祈るようにローの次の手を待った。
「…なんで俺が」
ソファーに背を預けていたローが体勢を前に起こす。
しかし少し間を空けて眉間に皺を寄せた船長はそれを拒んだ。
お前今絶対行く気でいただろ!
もう建前とかどうでも良いからさっさと連れてけよ!!
ペンギンの心の声は間違いなくそうだったに違いない。
あともう一押しだと、ペンギンはローがウイを運ぶのに最もそうな理由を必死で考えた。
「いやウイこんなに疲れたのってキャプテン助ける為に頑張ったからじゃん!そこはやっぱキャプテンが運ぶべきだろ!俺も疲れたし!!」
「…仕方ねぇな」
渋々といった面持ちでウイを抱え階段を登っていくローの後ろ姿を、やっとのことで解放されたペンギンは大きなため息と共に見守った。
「シャチ…てめぇ覚えてろよ」
「ちゃんと助けてやったじゃねぇか」
2階から聞こえた扉が閉まる音を皮切りに、げっそりと疲れきったペンギンとくつくつと笑うシャチが言葉を交わす。
「降りて来んのかな」
「え?あー…どうだろ」
やっとなんとか面白がる側に回れたペンギンは、改めてさっきのらしくないローを振り返った。
「流石にここで送り狼はないんじゃね?でも…あーもう!マジで怖かった!何あれ?」
「ヤキモチだろ、自覚ねぇんだろうけど」
シャチは先程の、ローには伝わる事のなかった相思相愛の船の話をペンギンへと伝える。
「マジできょとん、だぜ?何意味わかんねえ事言ってんだみたいな。」
「いや自覚ねぇならねぇでさ、ウイが俺の肩で寝ててイラつくのとか不思議に思わねぇもんなの?」
そうみてぇだから仕方ねぇじゃん、とニヤつくシャチは階段に目を向け、その笑みを深めた。
「何かしらは起きてんじゃね?ただベッドに放り投げてくるにしては遅い気するし」
「放り投げはしねぇだろあれは!見たかアレ!お姫様抱っこだぜお姫様抱っこ!!」
ペンギンはもう、先程冷や汗をかきまくった事等忘れたのだろう。
ゲラゲラ笑う彼らにネタにされている船長は、果たして今天井兼床を挟んだ場所で何を思うのか。
シャチとペンギンにとって、ローは自分たちのキャプテンであると同時に しっかり者なのにどこかが危なっかしい、弟のような存在であった。