幼馴染みのシャチとペンギンは今を遡る事7年前、故郷の島で喋る白熊と遭遇した。
今よりも更に打たれ弱く弱気であったベポは、見るからに悪ガキ感満載の二人が話しかけても 返事もできずただ俯いて泣いていた。
熊が話すのを見たかっただけの二人は、返事もせずに泣き続けるベポが面白くなかった。
ペンギンがつまんねぇのと蹴った小石が偶然ベポの足に当たり、危害を加えられたと思い込んだベポが
やめてよと声をあげる。
理由はさておき、熊を喋らせる事に成功した二人は喜んだ。
もっと喋らせたい二人の行動はどんどんエスカレートし、それはただのいじめと化した。
そこに偶然通りかかったローがシャチとペンギンを止める。
邪魔された二人はオモチャを取り返そうとローに飛び掛かり、2対1の喧嘩が勃発。
結果はローの圧勝だ。
全てかわされる攻撃、スカした態度。
幼いながらも圧倒的な強さを持つローに、シャチとペンギンの少年心に火がついた。
カッコイイ!!
桁違いの戦闘力と、少年らしからぬ雰囲気。
二人はローの虜になった。
ローに憧れを抱いたシャチとペンギン、いじめから救われた事でローに懐いたベポの四人は 後にハートの海賊団という名のつくグループになった。
最初こそ、纏わり付く子分達を鬱陶しく思っていたローも 真っ直ぐに慕ってくる彼らに絆され 徐々に心を開いていった。
ハートの海賊団が結成され何年か経つと、彼らにもお年頃と呼ばれる時期が訪れる。
人間の女に興味のないベポはさておき、シャチとペンギンは島に着けばナンパに酒場にと、女の尻を追いかけ回すようになる。
しかしローは全くと言って良いほど女に興味を示さない。
そっち系の病気か男色家かと仲間から密かに疑がわれたことすらあった程だ。
幼かろうと性格はさほど変わらないわけで、シャチもペンギンも面白そうな疑念をからかわずにはいられない。
あらぬ疑いをかけられるのは御免だとでも言うかのように、ローは言い寄って来た女を抱くようになった。
整った顔立ちに長身。
自分から追わずとも、ローに女達は群がった。
しかし来る者拒まず去る者追わず。
ローが女に執着する事はなかった。
ハートの海賊団にとってローは頼れるキャプテン。
しかし僅かに年上のシャチとペンギンには、壮絶な半生を送ってきたローの幸せを願う兄心を いつも心の隅に持っていた。
何にも動じなかった男が、遅れて訪れたと思われる初恋に振り回されているのがただ面白いのも事実ではあるのだが。
「なぁこれ、どうなると思う?今後」
「賭けっか。ベポも誘おうぜ!」
二人はニヤリと顔を見合せ、人の降りてくる気配のない階段にほくそ笑みながら もう一人の賭けの参加者の元へ向かうべくドアを開けた。
所変わって時も少し遡る。
ローは何で俺がと不貞腐れながらも リビングで眠りこけたウイを抱え階段を昇っていた。
不満は感じつつも、先ほどまで感じていた謎の苛立ちがなくなっていることに本人は気付いていない。
ローは人間を投げた事も蹴り飛ばしたこともある。
路銀稼ぎで行う治療も男だけが対象ではない。
ありとあらゆる全てが把握出来るルームの中で 年頃の女の体をスキャンしたこともある。
だが腕の中で眠るのウイが驚く程に軽く柔らかいことを、ローは内心驚いていた。
人に対して、感触を感じた事が久しくなかったのかもしれない。
意識しない経験など何の意味もなければ、記憶にも残らないものだから。
それはそれで、ローが過去関係を持った女性達への扱いの雑さが伺える。
階段を昇り終えウイの部屋の前まで来た時、ローはこれまでこの部屋に立ち入った事がないことに気付く。
初日案内された時は扉の前で自室だと紹介されたウイの部屋。
ウイが眠り、自分の時間を過ごすこの部屋を
ローは見たことがなかった。
年頃の女の部屋に勝手に入って良いのだろうかと一瞬躊躇はしたものの、その責めは運べと言ったシャチとペンギンのせいにする方向で片付きローは扉のノブを回す。
アイボリーの壁紙と濃いブラウンの床板、そこは他の船室と何も変わらない内装の大きな部屋だった。
部屋の奥のクイーンサイズのベッドがローの目に入る。
いつも食事をしている、手作りだと本人が言っていたダイニングテーブルと同じ素材のそれも恐らくウイが作ったものなのだろう。
部屋には他にもソファーやローテーブル、作業台の上に乗ったミシン。
それらを一通り見回したローは、片付いた他の部分とは明らかに異なるごちゃついた机が目にとまった。
ローはウイを抱えたまま、片付いていない机の方へと足を進める。
間近で見るそれは、鉱石関係の図鑑や物体の強度に関する文献、自分の腕についているミサンガとデザインのよく似た沢山の紐やビーズや型と工具類であった。
午前中、なんて事もないように受け取ったそれ。
いつも通り食事を用意し洗濯や掃除をこなしながら頻繁に訓練にも顔を出していたウイは、夜部屋に戻ってからこれを作っていたのだろう事をローは悟る。
今日初めて、ローはシャンブルズでの空中移動を成功させた。
結果状況も相まって海に落ちこそしたものの、使いこなせれば戦闘力は格段に上がる。
それを実現させたのはウイの思い付きと課せられた訓練、そしてこのミサンガのおかげであった。
毎晩ここで自分の為に、調べ物や試行錯誤を繰り返していただろう痕跡にローはあれだけ怒り狂ったウイの背景を知る。
そこに生まれる感情は、申し訳なさと他のなにかが入り混じった不思議で複雑なものだった。
そんな気持ちの発生源は自身の胸に頭を預けすやすやと寝息を立てている。
ローはベッドへと向かい布団をめくると、そこにそっとウイを寝かせた。
ベッドから香るのは、昼間ローをらしくもなく異空間へと誘ったあの香り。
起こさぬようそっと腕を抜くローは確かに名残惜しさを感じていた。
そんな内側の感情に無意識に気を取られていたローは、寝ぼけた女が無意識にしがみつこうとする温もりへの対処が一手遅れた。
思いがけず引き寄せられた体がウイに覆い被さるように倒れる。
普段のローであれば、呑気に眠る女の力ごときで体勢を崩すことなどなかっただろう。
かろうじて顔面からマットレスに突っ込むの事を防いだ肘が寝こけるウイの首元に着地した。
局所的な力には弱いマットレスは、思いの外ローの肘を飲み込む。
嗅覚のデジャヴとでもいうのだろうか。
ローの鼻にまた、あの香りをが強く香る。
甘く爽やかなその香りを、ローは無意識に強く吸い込んだ。
「んぅ…」
身動きと共に聞こえたウイの声に、ローはピシリと固まる。
覆い被さるとしか形容しがたいこの体勢は、寝込みを襲っていると疑われても致し方ない。
急に働いたローのメタ認知が、言い逃れ出来ないこの状況に焦りをもたらした。
思考も体も緊急停止したローの耳に、規則的な寝息が届く。
それは徐々に強張る全身の筋肉を緩ませていった。
そっと体を起こすと、そこには先程までとなんら変わらない穏やかな顔で眠るウイの顔。
透き通るような白い肌に、小さいながらもすっと通った鼻筋。
閉じられた瞳は長い睫毛で縁取られ、少し厚目の唇は李のようだった。
島に降りなければ化粧っ気のない船主。
けれどその唇の張りと色は色素の薄い顔の中では一際鮮やかで。
ローの思考がそこに引き寄せられた。
体の柔らかさとこの唇は同等のものなのだろうか。
それとも異なる質感なのだろうか。
顔にかかる髪を払っている事も、自身の指がウイの輪郭をなぞっている事も、本人からすれば自覚がないのかもしれない。
ただ誘われるがままに、ローの体は動いた。
こつん、と鼻に何かがあたる感覚に ローははっと我に返る。
目の前には先程まで眺めていた顔。
動揺した頭で勢い良く体を起こしたローは素早くウイから距離を取った。
ドクンドクンと煩い程感じる脈を刻む音と、背に汗を感じる程の熱が体の内に籠っていた。
焦りに身を任せ雑になった動作で、起こしたのではと覗き込んだウイの顔は相変わらずすやすやと寝息を立てている。
ローはそっとウイに布団をかけると、足早に彼女の部屋を後にした。
戻ったリビングには先程まで居たはずのシャチとペンギンの姿は消えており、そこはただしんと静まり返っている。
ソファーに体を埋め脱力したローは、誰もいないのであればもう少しあの場に留まっても良かったのではと悔やみ 少し間を置いてそんな思考にいたった自分に疑問を抱く。
ガシガシと頭を掻き ローは頭を抱えた。
なんだか最近の自分は、本格的に様子がおかしいと。
「あれ?キャプテンウイは?」
ちょうど甲板から戻ったシャチとペンギンがソファーで頭を抱えるローに ニヤリと目を合わせつつもしれっと声をかける。
「てめぇらが連れてけって言ったんだろ。…部屋だ」
「あぁ、まだ寝てんだ」
何かしらのハプニングを期待した二人は、特に動揺した様子のないローにつまらなそうに肩を落とした。
「そろそろ河口見えて来たみたいだぜ?」
「そうか」
グランドライン。それはローにとって重要な場所。
造船所も勿論目的の一つではあるが、そこにはローが長年目的としてきた島がある。
決意を誓って早7年。
ようやく入り口まで辿り着いた。
「行くぞ。グランドライン」
ローは信念の象徴として刻んだ胸の刺青を見下ろし、立ち上がり甲板へと続く扉に足を向ける。
「え?ウイ起こさなくて良いの?」
「…寝せとけ」
一度は足を止めたものの、そのまま外に出ようとするローに二人は慌てた。
シャチもペンギンも、早くくっついて欲しいのだ。
事件の起きそうな二人きりというシチュエーションは、1つだって無駄にはしたくない。
「え、じゃあ俺起こして来っかな。ウイ楽しみにしてたし、なぁ?」
「だよなー。山なんて昇ったら転げ落ちてケガしちまうかもしんねぇし」
誰が見ても三文芝居。
そもそも設定がおかしい。
寝せに行く部屋は分からないのに起こしに行く部屋は分かる矛盾は誰が聞いても明らか。
そして先ほどベッドに寝せた方が良いと言って今、然程時間は経っていないのに今度は起こせと言い出す。
「…先行ってろ」
「「へーい」」
しかし起こしに行くと言うペンギンを、ローはウイの部屋へは立ち入らせたくはなかった。
謎の意思がローに踵を返させた。
何に対してか分からぬ舌打ちと、足早に階段をかけ上がっていく足音を聞きながら 二人は声を殺し笑い転げた。
「やっべ!!マジうける。何あれマジで自覚ねぇの?」
「さあなー。頭抱えてたとこ見ると…眠り姫何かやらかしたんじゃね?」
さっきお前にしてたみてぇに、とシャチがペンギンの肩を指差す。
二人はケタケタ笑いながら、言われた通り一足早く甲板へと出ていった。