3-10

階段を登る足取りは乱雑。
この必要以上の足音を立てる足の主が苛立っているのは誰が見ても一目瞭然。
忍ばせるつもりもない足音も十分だが、更にはほぼ八つ当たりで苛立ちをぶつけられた扉が 結構な音を立てては開きって壁に激突した。

命令など、誰もしていない。
例えされたとしても今ウイはローにとって命の恩人だ。
何のしがらみもなければこの役目がローを苛立たせる事はなかっただろう。

言語化出来ない感情の乱れ。
実際にローを苛立たせているのは雑務ではなくそれだった。

苛立ちが歩調を早めた末にたどり着いた部屋の最奥のベッドで、相変わらず船主は幸せそうにすやすやと寝息を立てていた。
呑気すぎる寝顔に、ローはもはや怒りすら覚えた。

先ほど優しくかけてやった布団を思い切り剥ぎ取り、胸糞悪い心情をただウイへとぶつける。


「いつまで寝てんだ!起きろ!!」
「…ぅん」


返事はあった。
“うん”は了承の意味を持つだろう。

だがしかしウイは、目を開ける気配も起き上がる様子もない。


「リバースマウンテンに入る。いい加減起きろ!」
「はー…ぃ」


返事だけは達者なウイに、ローはそうかもしれないと思っていた感情を本格的に自覚しだす。
苛立ちだ。
あと呆れも少し。

客観的に見たこれまでのウイは、朝食の時間には身支度も朝食の準備も済ませニコニコと機嫌良くハートの海賊団をリビングで迎えた。
寝起きは良いのだろうという誤解が生じても致し方ない。

今ローの目の前で繰り広げられている、寝ながらそれっぽい返事を返すという特技の披露会は 寝起きが良いどころか大分寝汚い。


「おい」


ローはウイの腕を掴むと、そのまま肩をガクガクと揺さぶった。
ペンギンが先ほど起こそうとしたそれの数倍の勢いで。


「んんんんん??ぅえぇぇー?」


ようやく覚醒したウイが、薄目をあけてぼんやりと自身の肩を揺さぶる腕の持ち主の顔を辿る。
自分を起こした存在に目をとめる。


「…ロー?」
「他の誰かに見えんのかよ」
「無事で良かったぁ…」


ウイはそれだけ言うと、あろうことかそのままベッドへと倒れこみ 再び寝息を立てだした。

ローはピシリと固まったまま動けない。
まだ性懲りもなく睡眠を貪るこの存在を起こさねばならぬと言うのに。

寝惚けたウイが見せたふにゃりと微笑んだ顔。
常日頃ケラケラ笑っているウイではあるが、ほっとしたように微笑む寝ぼけたその笑顔に ローは当てられた。
食らった。
ローの内側の何かを、ウイは激しく揺さぶった。

そんなことなど露知らず、枕に顔を埋めるウイの身動ぎにハッと我を取り戻したローを少し遅れた動悸が襲う。
ぐしゃりと前髪を掻きむしるローの頬には 僅かに赤みがさしていた。

ほんの数秒。
けれど本人にとっては区切りをつける大切な時間。
そこを経て少し落ち着いた後、今度こそローはウイを起こしにかかった。
ウイの貪欲すぎる睡眠への執着は、ローにとっても都合よく働く。
一般的な寝起きでは見られたくない一面を 晒した自覚がローにはあったから。

腕を引かれ無理矢理起き上がらせられるウイは、先程の揺さぶりで浅くなったらしい眠りのおかげか意外にもあっさり目を覚ます。


「…あれ?ロー?」
「他に誰に見える」
「んー?…ローに見えるよ。なんかね、…ローの夢見てた」


伸びをしながらそう話すウイの様子に、先程の様子は寝惚けではなく寝言なのではと ローは夢の内容が気になった。


「なんか、ローすんごい大きい植物に食べられてた」


なんかこうパクっと、と身ぶり手振りでそれを説明するウイに ローはただ固まった。

ウイがローの無事を喜んだ事に変わりはない。
だがしかしローは、あの顔の源を摩訶不思議な夢による物ではない事を期待したに違いない。


「あれ?私リビングにいなかったっけ」
「…運んだ、俺が」
「起こしてくれたら良かったのに。ごめんね重かったでしょ」


どの口がそれを言う。

本人は寝起きが悪い自覚がないのだろう。
ウイはベッドから立ち上がり、腕を引っ張り再び体を伸ばす。


「…そろそろ入るぞ。リバースマウンテン」
「あ、そうだったね。行こっか!」


パタパタと部屋の扉へ向かうウイの後ろを、ローは黙って着いていった。




甲板に出た途端、強い向かい風に歓迎される。
海流に乗った船は中々のスピードで走行していた。


「お、やっと起きた。そろそろみたいだぜ!」


ペンギンの指し示す親指の先で
常識では信じ難い山を逆流する運河が目前に迫っていた。


「うーわー!凄い!!」


まさに大迫力。
ウイは手すりから身を乗り出し、重力に逆らう水の流れに釘付けだ。


「あと2、3分位で急流に乗る筈。凄いスピードになるからしっかり掴まっててよ」


ベポが真剣な顔で、海図と潮の流れを交互に見つつ注意を飛ばした。


「天然ジェットコースター!!楽しみー!!」


ウイはいても立ってもいられないようで、ぴょんぴょん跳び跳ねながらも
オッケー!と船縁の手すりをしっかりと掴んだ。





先程まで晴天であったはずの空模様を厚い雲が覆い始める。
昼過ぎだと言うのに、辺りは薄暗い。
湿気の多い強風は、それが肌をも濡らす程。

パッと辺りが明るくなり、直後心臓に響く程の轟音が彼らの鼓膜を揺らす。
それとほぼ同時に降り出した雨は、徐々にその勢いを強めていった。


「たーまやー!」
「おいウイ、それ花火だろ」


これから待ち受ける緊迫するだろう状況に似つかわぬ能天気な声と
そこに冷静に突っ込むペンギン。


「あ、それだそれ。なんか音聞いたらつい」
「適当過ぎんだろ。全然違ぇじゃん」


この二人は所詮、ただ流れに身を任せるだけ。

だが立ちはだかる未知の自然現象に肝を冷やす白熊や、一応身の危険を感じているシャチ。
元よりそんな性格ではないローは、とてもではないが今このタイミングで呆けた日常を繰り広げる神経は持ち合わせてはいない。


ゴロゴロ、ドォォォオーーン!!


「「たーまやー!!」」


結局この二人は、能天気で適当。
そこには緊張感の欠片も感じられなかった。


「ねぇねぇ、かみな…りぃーっ!?」


急にスピードを上げた船は、油断していた二人に仲良く尻餅を付かせた。
自業自得である。

どうやら船は山を昇る急流に乗ったようだ。
臀部の痛みよりも、それに至った原因を察知した二人は
目を合わせ互いに頷き、ガバリと立ち上がった。


「ペンギン!ウイ!そろそろ本当に危ないから!ちゃんと掴まってて!」
「「はーい」」


無事に渡り終えようという意気込みが、この航海士は今人一倍強い。
飛んできた本気の注意に、お調子者達は叱られたのを察して声を合わせ返事をした。

元よりペンギンはお調子者。
楽しいこそ全てな彼はウイと気が合った。
二人が揃うと、暴走と言って差し支えない程の状況に陥る事も今に始まった事ではない。

そんな彼を誰よりも良く知り、今彼が無心でこの状況にはしゃいでいる訳でもない事を理解しているシャチは
この緊迫した事態の大元であるリバースマウンテンではない方向を、面白くなさそうな目で見つめる男に目をやった。
ペンギンの思惑にまんまと嵌まっているその様子には、苦笑いしか出てこない。


俺も勝つ為に何かしら動こうかね。


懲りずにまた騒ぎだした二人を、シャチはそんな事を考えながら眺めていた。




「すっごっ!!速い速ーい!!」


急流に乗ったフリーウィング号は吸い込まれるように河口へと辿り着き、山を昇り始めても尚加速を続ける。
飛び込み大好き!と公言するウイは本当に、猛烈なスピードで海を走るこの状況を心から楽しんでいるようだった。


「見て!頂上だ!!」


ベポが指差す先には、赤い大地に挟まれた水面が
灰色の空と境を作る線が引かれていた。


「下りはもっと速くなる!!ペンギン!ウイのことちゃんと捕まえてて!!」


普段鍛えている海賊とは異なる非力な女。
加速を続ける海流に合わせて下降する重力も加われば、吹き飛ばされるリスクが最も高いのはウイ。


「はいはーい」


面倒臭そうな口振りとは裏腹に、ペンギンはすぐさまウイの体が飛ばされぬよう手摺を持ち変えた。
例え勢いに負け彼女が手を離してしまっても、彼の腕の中に留まれるように。


あっという間に頂上に到達した船は、頂の水溜まりでそのスピードを緩める。


「ねえ、これちょっとヤバくない?ヤバいやつだよねこれ」
「下りっつーよりも…落下だな」
「ぅうううわぁぁっ!!皆本当にしっかり捕まっててよ!!?」


急速に山を昇るスピードに慣れた体には、それは寧ろ船が停止したかのように感じられた。
だがしかし、ゆっくりとそこに引き込まれる流れの前には
絶壁。

リバースマウンテンの頂上には、東西南北から昇ってきた海流の他に
際立って幅の広い行き先が見て取れた。

4本分の山をも昇る流れが一気にそれを運ぶそこは
海流を読めずともその角度が、先程の非でははない勢いを物語っていた。


「…ねえ、待ってペンギン。多分…私よりヤバい人がいるじゃん…!!」


それに気が付いたウイはペンギンの腕をすり抜け、反対側の船縁へ走り出す。


「ちょっ!!待てウイ!危ぇからっ!!」


予想外の事にあっさりウイを取り逃がしたペンギンは、彼女が駆け出して行った方向に自身の船長の姿を捉え
少し遅れてウイの言動を理解した。




これだけの高さからほぼ垂直に運河を下れば
着水した際、波は水飛沫へと形を変え飛んで来るだろう。
そもそも
この落下とも言える急流を下り終えると同時に
船首部は海面に刺さり一時海中に潜るのではないだろうか。

この船には、女の腕力等比べ物にならぬ程に
そこで無力な人物がいる。


全力疾走で反対の船縁へと辿り着いたウイが、その勢いのままローを抱え手すりを掴んだ。
謎に突進してくる彼女に何事かと眉を寄せたローは、更には抱きつかれ驚きのあまりその身を逸らせる。

一日で二度も女に危機を救われた船長を、ニヤついた顔で眺めるペンギンの耳に届いた口笛。
それを吹いたシャチも恐らく、同じ事を考えているのだろう。


「もうダメだ!落ちるぅぅうわぁぁぁっ!」


ベポの叫び声がこだまする。
ここは海で山。

山びこが繰り返すベポの叫びと、波と強風のBGMを背負ったフリーウィング号はゆっくりと流れに乗り
そのままグランドラインへと突っ込んだ。








ザッバーンッッッ!!!!!







着水と同時に予測通り海中へと潜った船首部は、海面へ浮かび上がる際相当量の海水を空へと巻き散らした。

正に濡れネズミ。
船首部でガタガタと震えながら丸まっているベポに、口に入った海水をぺっと吐き出すシャチとペンギン。
そしてウイに抱きしめられ脱力するローが、ほぼ滝とも言える急流下りを無事全員の生存という形で成し遂げた。


「ウイいなかったらキャプテン、今日二回は死んでたな」
「だな」


海賊の憧れの聖地、グランドライン。
そこに足を踏み入れるということは、それ相応に容易な事ではないのだ。


「ロー大丈夫?」
「…ああ」


最も命の危うかった者が踞る一角。
口ではそう言うローは、とてつもなくダルそうだ。
そんな彼の姿に、ウイはほっと胸を撫で下ろす。


「良かった。間に合って」
「…助かった」
「どういたしまして!」


照れているのか、礼を言うなり顔を背けるローに差し出されたウイの手を
彼は取り立ち上がった。

先程までの雷雨が嘘のような、真っ青な空とキラキラと輝く海が水平線まで広がる壮大な景色。


「グランドライン、無事とうちゃーくっ!!」


心地よい風が、彼らの濡れた体を乾かすように吹いていた。



destruct at reality.