13-7
「来ていたらしい、彼らもあの場所に。火拳が守った命を、彼が救い出した。」
どうしてローがあんな場所に?
ローがルフィくんと知り合いだなんて聞いた事ない。
エースとだって、気に食わない顔見知りぐらいの、良好だなんて言えない関係だった。
ローは仲間内には優しいけど、他人にはそこまで進んで親切を働くような人じゃない。
それにどこまでも冷静だ。
野次馬精神であんな危険なところに顔を出すなんて絶対にあり得ない。
本当になんで…
「火拳は海賊で敵だ。…でも嫌いになれない。彼なら、今のウイを放ってはおかない。」
入ってきた新しい情報は、想像以上に頭を混乱させた。
忘れてた訳じゃない。
でもそれは、この世に未練を探した時に一番に思い当たることだから
他の道を選んだ私はそれにすがってはいけないから
だからずっと、見て見ぬふりをしてた。
思い浮かんでも掻き消して、そこから目を逸らしてた。
「彼が出来ないから、それは僕がする。彼の意志は僕が守る。それが最期の二人の絆を見守った…僕の役目だ!」
強く肩を揺すられてはっとする。
しっかりしろとでも言わんばかりにそこに込められた力が、ロイの目が
私を射抜く。
真剣な目。
この人はふざけてる訳でも
適当な事を言ってる訳でもないって、わかる。
でも…
「…ロイはエースじゃない!違う…!!も…やだ…放っておいて!!お願いだから!私に構わないでッ!!!」
ロイの胸を思い切り突き飛ばして、そのまま走った。
何日も一人の世界で閉じ籠っていた私には
新しくもたらされた情報や気持ちは多すぎて、複雑過ぎて
とてもじゃないけど処理しきれない。
裸足の足が、小石を踏んでは痛みを訴える。
雨で濡れた部屋着が重い。
ロイは追っては来なかった。
払い除けても伸ばされる手が大好物の私でも
流石に今は一人になりたかった。
ベガス聖のお屋敷の裏手の外壁に、背をついてずるずるとしゃがみこむ。
まだ整わない息を落ち着けながら、ザーザーと大地を打ち付ける雨をぼんやりと眺めてた。
くしゃりと前髪を握りしめた時に触れた手は
自分でもびっくりする程冷たかった。
雨は、天の恵みって言うんだっけ…
昔そんな本読んだな
ザーザーとやむ気配のない雨の音。
風向きによって吹き込んでくる雨粒が私を濡らした。
しゃがんでたら、脚が痺れた。
もうずぶ濡れだし跳ね上げた泥で服も汚れてる。
今更だって思って、膝を抱えて座り込んだ。
膝に付けたおでこ。
暗闇で慣れた目はちっぽけな自分の内側を目に映す。
私はどうしたら良いんだろう。
本当はね、知ってるの。
エースがいなくても私は生きていける。
だってこうして、今生きてるから。
辛くても悲しくても
生きられる。
きっと私は
頑張れば、立ち直ろうと思えば
今まで通りにだって出来るんだよ。
でもね
出来ないんじゃなくしたくない。
一歩脚を踏み出せば
エースを置いていってしまう気がして
薄れていって、霞んでいって、いつか消えてしまう気がして怖い。
「ねぇ…後でなって…言ったじゃない」
相変わらずやむ気配のない雨の音が
ふと、変わった。
打ち付けていた雨が肌に当たらなくなって
でも雨は確かにまだ降っていて
なんだろうって顔をあげてみれば
そこには白い服に身を包んだ、ベガス聖が傘を片手に立っていた。
「風邪引くえ。一緒に戻るえ。」
「先に戻ってて良い。ベガス聖が風邪引いちゃう。」
なんでこの人はいつでも優しいのかな。
もう嫌になってもおかしくないような事しか、私はしてないのに。
「一緒じゃなきゃ戻らないえ!ウイあれから風呂にも入ってないえ!不潔だえ!この際だからゆっくり入ってくるえ!」
ほらと差し出された手を、うっかり取ってしまった。
にっこり目を細めて笑うベガス聖が変な歌を歌いながら私の手を引いて歩く。
玄関の扉が開いた途端に流れてきた暖かい空気は
冷えきった体をぶるりと震わせた。
「うわぁ!ウイ!おまえまるでどぶねずみだえ!そこのメイド!ウイを風呂に入れて私の部屋に連れてくるえ!」
パタパタと歩み寄ってくる使用人が私にバスタオルを被せて、そのまま浴室に連行していく。
洗い立てのタオルの匂いも
湯船から香る入浴剤の匂いも
どれも暖かすぎてまた涙が滲んだ。
「おまたせしましたベガス聖、ロレイシル嬢をお連れいたしました。」
「ご苦労だえ、シードルと…適当につまみでも持ってくるえ。」
久しぶりに人にお風呂に入れられた。
もうあの時みたいに子供じゃない。
微妙な顔見知りになりつつあるメイドさんに裸を見られるのは恥ずかしかったけど
なんかもういいやって、全部洗って貰ってしまった。
髪の毛まで入念にブローされて、保湿まで完璧。
さっぱりして良い香りに包まれて
お風呂は人生の洗濯とか言われてるのが分かった気がした。
「どぶねずみが可愛らしい天使になったえ。こっち座るえ!」
天使は…
言い過ぎだろ。
お風呂上がりに着せられたのは白のワンピースとカーディガン。
確かに天使を連想する色なのかもしれないけど。
ベランダに面した大きなソファー
ベガス聖の隣に、ちょこんと腰を降ろした。
外はいつの間にか雨が止んでて
まだ厚い雲の漂う空からたまに顔を出す月の光が、ぼんやりとマリージョアを照らしていた。
「風呂上がりは泡に限るえ!」
ふんふんとお酒が届くのを待ちながらベガス聖がパラパラと捲っていたのはグルメ本。
世界中の食べ物を知り尽くしてるんじゃないかって思うこの人が知らない物なんてあるんだろうか。
“普段通り”
そんなベガス聖になんだか肩の力が抜けた。
「後は自分でやるえ。ありがとう、下がって良いえ。」
「かしこまりました。」
いつの間にかソファーの前のローテーブルはお洒落な飲み屋さんみたいに姿を変えた。
背の高いシャンパングラスに、色とりどりピンチョス、小皿に盛られた沢山のアラカルト。
これはもう、食事だ。
「乾杯!」
「…乾杯。」
なんだか今更断るのも気が引けて、差し出されたグラスと対になるそれを合わせる。
涼しげな音を立てて重なるガラスの音が、底から立ち昇る細かい気泡を誘った。
飲み慣れた酸味と炭酸、一瞬広がる林檎の香りと甘味、アルコール感、
この子も良い出来だ。
シュウ達は本当に優秀だな。
これはいつものシードルだ。
「これはグランドライン老舗の燻製屋から取り寄せたえ!ベーコンもサーモンもチーズも!メジャーなのも良いけどこの蠣が一番おすすめだえ!」
あれこれと皿の上の料理達の説明をしてくれるベガス聖。
食材によってチップを変えてるらしい燻製の説明は、元来食べることが好きな事を差し置いても、職人としても
楽しい話に聞こえてしまうから困る。
「こっちも旨いえ!これは酪農園の主人が趣味で作ってるチーズだえ!趣味な癖にここのは一番旨いんだえ!!」
まだ食べ物にまでは手を伸ばせてないのに、ベガス聖は次から次へと取り皿にお薦めを載せてしまう。
ゴルゴンゾーラにかける蜂蜜までお気に入りの物らしくて。
もうどれだけの食べ物知識がこの頭に詰まってるんだろうって本当に関心してしまった。
流石に目の前にこれだけ準備されたら手を着けないのも悪いなって思って
薄く削られたチーズに手を伸ばす。
「…美味しい。凄い濃いね、これ。」
「そうだえ!?分かるえ!?流石ウイだえ!そのままでも旨いけど削ってボロネーゼにかけるのも…──」
ベガス聖は無邪気で、いつも色んな話をしてくれるから会話に困ることはない。
特に上手く相槌も打てない私なのに、あれこれと話してくれるその時間は不思議と気が休まった。
「ロイに何か言われたかえ?」
「…なんで?」
何本目になるか分からないシードルのコルクを抜こうとしてたら、ふとベガス聖がそんな事を言い出した。
「気にしてたえ。ウイのこと、凄く心配してたえ。」
「ごめん…なさい。」
キュポン、と音を立ててあいた瓶の口からは白い霧とリンゴの香り。
「ウイ、これは私の母親が言ってた事だえ。」
シャンパングラスの底に少しだけ残ってるシードルを注ぎ足しながら、目も合わせずにただベガス聖の話す言葉を聞いていた。
「人が亡くなった後の価値は、遺された人間が形作るものらしいえ。」
「…どゆこと?」
抽象的過ぎてよく分からない。
きっとベガス聖の顔を覗きこむ私の顔は怪訝な表情を浮かべてたと思う。
「エースは死んだえ。でも最初から居なかった訳じゃないえ。ウイがいつまでもそうしてたいなら、私は別にそれでも良いえ。」
ベガス聖は穏やかな顔で、注ぎたてのシードルに口をつける。
散々塞ぎ込んでたところを励まそうとしてくれてたのに、別にそのままで良いとか言われると益々意味が分からない。
このままじゃ駄目だって、人に言われなくても私だって分かってる。
こんなこと続けてて良い訳ないんだ。
迷惑かけて、変えられない現実に不満を喚くだけの毎日が、それで良いなんてある訳ない。
「でもそれはウイにとってエースは…悲しさとつらさ、それだけを遺した人間になるえ。」
「エースがウイに遺したものは、エースがくれたものは、本当にそれだけかえ?」
「違う!!そんなんじゃ…絶対ない。」
エースは沢山のものを私にくれた。
沢山助けられて、救われた。
エースに出会えて、私は良かった。
悲しいけど、つらいけど
それは今ここにエースがもう居ないから。
居て欲しいのにもう、会えないから。
だからだ。
エースは沢山の人を笑顔にしてた。
優しさをあげてた。
いるだけで周りが明るくなるような、そんな人だった。
面倒見が良くて
バカみたいに騒いでるけど些細な事に気付いてくれて
いつでも笑ってたけどエースはつらさを知ってるから
きっと誰よりも人の気持ちに敏感だった。
それを然り気無く汲み取って、掻き消して、気持ちを明るく変えてくれる。
エースはそんな人だった。
「ならそれを、ウイが証明するえ。」
「証、明…?」
私が?
どうやって…
意味が分からな過ぎて自然と首が傾いた。
お酒のせいなのか
最近考える事を放棄していたせいなのか
それとも聞く側の私のせいじゃなく
ベガス聖の言ってる事が脈絡が無さすぎるのか
考えてもわからない。
続きを聞こうと顔を上げれば、優しい目は更に細められた。
「人の人生の意味や価値、それを考えるのはいつだって他人だえ。本人は終わった後から振り返って語り継ぐ事なんてできないえ。」