4-3
月の光が照らす夜の海は薄明るく、見通しの良い甲板に人の姿がない事は一瞬で判明した。
しかし外からは丸見えのガラス張りのサンルーム、その中央に置かれたリクライニング式のソファーの上に
彼女は居た。
ガラガラガラ
「ぅっわ!びっくりしたぁ…」
静寂の中突如響いた引き戸の音に、ウイは飛び起き視線を向ける。
「なにしてんだおまえ」
「…お月見?」
ウイが指した指の先には、夜空に浮かぶ丸い月。
サイドテーブルには琥珀色の液体の入ったグラスと氷、酒瓶が置かれており
彼女が月を見ながら酒を飲んでいたらしい事が伺えた。
「見当たらないから探した」
「ごめんごめん。どしたの?」
別にとだけ返事をしたローは、引き戸を閉めて彼女の隣に腰を降ろす。
用もないのに探されていたという謎な状況。
ウイはそれを不思議に思いつつも横の棚から取り出したグラスに氷と酒を注ぎ
共に月を愛でるつもりであろう彼にそれを渡した。
「結構キツいから気をつけてね」
そう言うなり、彼女もグラスをカラカラと回し口をつける。
それはりんごの甘い香りとは裏腹に、一口含めば痺れる程のアルコールが口内を刺激する度数の酒。
「これも、お前が作ったのか」
「そだよ。しっぽり飲むなら炭酸よりこういう方が好き」
16才が言う言葉ではない。
しかし何度か酒を酌み交わし彼女の飲みっぷりを知っていたローは、ウイの年齢を忘れただそれに納得した。
「昼間は…うちのクルーが悪かったな」
「あはは!そういうの聞くとローってやっぱり皆のキャプテンなんだーって思うね」
ふふ、と笑う彼女の言う通り、普段の彼らの関係はそういうものが見えづらい。
「ペンギンから、話は聞いた」
「そっか」
盗み聞きしていた事は明かさない方針らしい。
別にと誤魔化した割には早い段階で、ローはウイを探していた目的を果たすべく動いた。
「俺としても、お前を仲間にしてぇと…思ってる」
「…あんなに疑ってたのに?」
そう話すウイの顔は、からかうように意地悪く笑っていた。
「あれは…悪かった」
「あはは。なんかローに素直に謝られると気持ち悪いね」
中々に失礼なウイを睨み付ければ、冗談だよと笑い混じりの返事が返ってくる。
「聞いたなら知ってると思うけど、気持ちは嬉しい。でも…私は海賊にはならない」
そう話すウイにこんな顔もするのかと驚いた。
普段のふざけた様子の全くない目が、こっちを見据えていたから。
「皆を船に乗せたのは軽い気持ちだったんだ。楽しそうだなって。こんなに…別れがたくなるとは思わなかったな」
自嘲気味に笑うウイの横顔が寂しそうに見えるたのは、思い過ごしだろうか。
あまり物にも人にも執着しなそうに見えるこの女の事がふと、気になった。
「お前、なんで海に出たんだ」
「…私?」
間の抜けた顔がぱちくりとまばたきをしながら見上げて来る。
それに頷いて月を見上げた。
「…なんとなく、かなぁ…」
「は?」
とても予測出来たものじゃねぇそれに耳を疑った。
顎を親指で支えながら握った人差し指で下唇を押さえ、考え込むように唸るこいつは
本気でそれを言ってるんだろうか。
「うーん…そう言えばなんでだろ。海に出て良かったと思ってるけど…なんで?うーん…」
本当に、この女はなんなんだ。
この時世、いくら海で生きる者も居るとは言え
陸で暮らす者に比べればそれは少数派。
格段に暮らし難く危険も多いそこに
目的があって生まれ故郷を飛び出す事はあったとしても、思いつきでホイホイ出て来た等とてもじゃねぇが正気の沙汰とは思えねぇ。
「ローは?ローはどうして海賊になろうと思ったの?」
その答えにこっちは愕然としてるってのに、そんな事はなんとでもないように振る舞うウイにそれを聞かれた。
少し、考えた。
隠す事でもねぇが、あまり口外せぬ方が良い事には違いねぇ。
だが、仲間にしてぇと思ってる。
それは本気だ。
ならば答えるのが道理か。
「討たねぇとならねぇヤツがいる」
話した。
恩人の仇が王下七武海のドフラミンゴである事を。
自分の生まれとそこで起こったこと、故郷を出た経緯と一時その仇の一員であったこと。
命の恩人、コラさんのこと。
ウイは、ただ黙ってそれを聞いていた。
途中口を挟むことも目立つリアクションの一つも、しなかった。
「話が逸れたか。…俺はもう何からも縛られるつもりはねぇ。自由にやりてぇ事をするために海に出た」
なぜ、ここまで話した?
海賊になった理由に故郷の話やコラさんの話まで必要だっただろうか。
話し出したら止まらなくなった。
なんとなく海に出たこいつにとっては、ここまで重い話等聞きてぇもんでもねぇだろうに。
散々話しておいて、今更ながら気恥ずかしさのような物が襲って来る。
聞いて欲しかったみてぇじゃねぇか、これじゃ。
「ローは…強いね」
俺が話し始めてから、ウイがまともな言葉を口にするのはこれが初めて。
それは安易に想像のつく同情や慰めとは違った。
「強ければ、失わず…守れただろ」
「それは違うよ」
普段と様子の違ぇウイに調子が狂う。
きっぱりと言い切るその言葉には、それこそどこか凛とした強さを感じた。
「強い人が無傷な訳じゃない。逃げないから、だから強い人程沢山傷ついてる」
月明かりに照らされそう口にするウイを、まだガキと言って差し支えないコイツを
不覚にも綺麗だと思った。
コイツも訳有りか。
ただ平穏なだけの人生を歩いて来た人間から、この言葉は出て来ねぇ。
ウイにもあったんだろう。
逃げたくもなる何かが。
「ローが決めた事なら私があれこれ言うのも変だし、どうせ聞かないんだろうけどさ」
空になったグラスに、ウイが瓶から琥珀色の液体を注ぐ。
気付けば飲み干していたらしかったグラスを、氷と混ぜるようにカラカラと回した。
「あんまり無茶、しないでね。強くたって無敵って訳じゃないんだから」
聞き入れねぇと言いながら、それを言うにはそこにも何かがあるんだろう。
涼しげな音を立て、何への乾杯かは解せねぇものの#name1#がグラスを合わせて来た。
「でもやっぱりそういうの聞くと…尚更一緒には行けないよ。私足手まといだもん」
同じ北の海出身と言うこともあり、ドフラミンゴが率いるドンキホーテファミリーの力や残忍さは
海賊事情に詳しくないウイですら知っているようだった。
「その話だが。お前今まで以上に商売の方、真面目にやれ」
「いや、私なりには真面目にやってるつもりだけど。なに急に」
急に飛んだその話題。
それを何故今言われたのかが理解出来ぬ様子のウイはぽかんとした表情を浮かべた。
「さっさとここでも、グランドラインでも通用するような商人になれ」
「え?あぁ、こっちでどの位知られてるんだろうねウィング。それは頑張るけど…」
駆け出しの頃よりは成長したウイも、無名ではまた大人達に舐められる可能性は多分にある。
そこを思い合点がいったものの、急に応援され出した事に彼女はどこか釈然としないようだ。
「海賊になっても商売が続けられれば問題ねえんだろ。なら先にそれを世間に認めさせろ」
「なんか、分かったような…分からないような…」
ローの言いたい事をなんとなく把握したウイは、あまり喜ばしくはなさそうなそれに表情が堅くなった。
彼女の予想があっていれば、彼らは諦めた訳ではないのだから。
「お前の酒は世間の偏見に負けねぇ価値がある。だから戦う土俵を整えろ」
「あ、りがとう。それは…嬉しいんだけど!でもそれだけじゃなくて!私、足手まといとかお荷物にはなりたくない」
予想通りの展開に、仲間になれない他の理由を慌てて口にするウイの腕を
「お前何か勘違いしてねぇか。俺は海賊だ」
ローが掴み引き寄せた。
向かい合う二つの顔の距離は、呼気に含まれるアルコールを感じる程に近い。
「欲しいものは奪ってでも手に入れる。意志を尊重してやってるだけ有り難く思え」
ローの瞳は言っていた。
逃がしはしない、と。
「信用する人間を間違えたのは、おまえの方だったみてぇだな」
勝ちを確信したように、ローは口角をつり上げ不敵に笑う。
それを瞳に映しながらも、ウイは唖然としたまま動けずにいた。
確かに随分お優しい海賊だ。
奪う物の都合を配慮するのだから。
断っても聞き入れられぬ事が濃厚そうな状況に、ウイは俯き口元を歪めた。
その表情は何かに、葛藤しているようにも見えた。
「珍しいな。おまえでも悩む事なんてあんのか」
その言葉にウイの体はビクリと震えた。
掴んでいる腕に感じたその反応はローにとって予想外のもの。
普段あっけらかんとしている彼女は何かに動じる事も珍しければ、今のように塞ぎ込む素振り等見せた事がなかったから。
「おいお前…本当に、どうした」
視線を上げたウイに、ローの心臓はドクリと音を立てる。
憂いを帯びたその姿は、彼の庇護欲を擽った。
そして同時に真逆の衝動が沸く。
下半身へと向いた意識に、数秒後我に返ったローはそんな自分を驚いた。
仲間にしようと考えている、ガキと称した相手に
自分はなにを考えているのかと。
いくら欲しいものは奪ってでも手に入れると公言したとは言え、彼の中で疼くそれは例外だったようだ。
ウイの腕を離し少しばかりの距離を取ったローが、グラスの中身を一気に煽る。
「本気で…言ってるの?」
ウイは真剣な顔でローを見つめていた。
邪な考えが頭に犇めくローは一瞬、それが何に対しての言葉かと内心焦る。
真意を問うようなウイの視線に蔑む感情は微塵も感じられず、それを頼りに会話の流れを思い出したローはなんとかご自慢のポーカーフェイスを貫く事が出来た。
「冗談でんなめんどくせぇ事言うか」
「はいそうですかって、納得する訳にはいかない」
そう言い切る#Name1#の瞳はもう、怯えや動揺で揺れてはいない。
それはこちらも引かないとでも言うような、強い意思の宿る目だった。
途中変な方向に思考が飛んだローはその様子に、弛んでいた頭を引き締め直す。
「ならどうする。商売辞めて抵抗でもするか?…やめんならそれはそれで一件落着か」
ハッと笑うローはサイドテーブルの酒を手酌でグラスへと注いだ。
氷をトングで掴みグラスの中へと放ると、彼の腕に何かが当たる。
そこに視線をやれば、それは伸ばされた手に握られた空のグラスで
その手の持ち主は不満気に唇を尖らせながら無言で訴えた。
私の分も作れ、と。