13-24
「うわーーーーん!!辛い!辛い辛い!!痛い!水!!水!!!」
辛い!
なんだこれ!!!
口の中が痛い
これを口に留めとくのは危険だって、すぐ飲み込んだら今度は胃まで熱い
そんなに長く口の中にいた訳じゃないハバネロに触れた部分が熱くて痛い
じわりと湧き出てくる汗が尋常じゃない。
これはヤバい。
ヤバ過ぎる。
衝撃で悶えてた間に、いくつか出ていたコップは同じく犠牲になった仲間達に奪われていた。
くそっ…!
女性を労る心意気が足りない…!!
キッチンに回って水を入手しようと駆け出せば、すっと伸びてきた手が腕を掴んだ。
「ウイちゃんそんなに慌ててどうしたの」
「──っ!!離して!!水!!死ぬ!!つーか離せッ!!!」
ダイニングの椅子にニヤニヤしながら腰かけてるペンギンは、私のこの緊急事態なんて理由を聞かなくても分かってるくせに水道への道を阻みながらも呑気に笑ってる。
「辛い時水飲むと余計辛くなっちゃうよ」
「嘘付けッ!!良いから離せッ!!とにかく離せッ!!水!!」
ぶんぶん振り回しても、掴まれた腕が解放されることはない。
冷やすことも薄めることも叶わない口の中がもう悲惨!
こめかみを伝う汗とヒリヒリが尋常じゃない!!
水!!
水だ
水を寄越せ!!!
半泣きになりながら掴まれてる指を剥がそうとするけど
一本剥がしてその次を剥がしにかかると剥がした筈の指がまた元に戻ってる。
無意味!!
「ねぇペンギン!!ほんとに!!これ本気のヤツ!!水!!離して!!」
「ちゅーしてくれたら離してあげる」
「ひゅーひゅー!早速熱いねお二人さん!」
「どうぞどうぞ!キャプテンには一応黙っとくんで!!」
…ぶっ殺すぞてめぇら
こっちは本気で死にそうな程痛くて辛いのに
そんな私をからかって遊んでるペンギンにも
面白がって囃し立てる外野にも
本気で殺意が沸いた。
掴まれていない方の手が握り拳を形作る。
狙う先
それはこの、人をおちょくることが大好きで仕方ないふざけた男の顎。
下からガスっと一発。
怒りと痛みでわなわな震える拳に力を込めた。
「流石にそれはくらわない」
「わぁ!!ちょっ…!!なに!やだ!!」
アッパーを繰り出そうとした拳は難なくいなされる。
ペンギンの顎に向けた勢いはそのまま引っ張りあげられて
ぐるりと反転した視界の先に映ったのは、殴り上げる予定だった顔。
「水より甘いの食った方がマシになるよ」
「水飲んでから考えるから!本当に!!これ本当にヤバいヤツ!!離して!」
ペンギンの膝の上に着地した私が給水地点に向かうのを阻むのは腰周りをホールドしてる腕。
重心の定まらないこの体勢じゃ、片腕一本ですら剥がせない。
そうこうしてる間にも
マシになってくどころか口の中のヒリヒリはビリビリに、いやじんじんする程に増してる気がした。
マシと増し!!
親父ギャグ!!
いやそんなこと言ってる場合じゃない。
「ん」
「は?」
汗だくでじたばたもがいてる私に向けられたペンギンの顔。
その口に咥えられた、クレープ。
え、どうしろと。
「ん」
「いや…あの、じゃあいただく!それ貰うから!普通に!ちょうだい!!」
細められた目には悪戯心が滲んでる。
まるで聞いてないこの人はそんな事お構い無しに口元にクレープを寄せて来た。
水じゃなくても、確かに甘い物だったらこのヒリヒリは中和されるかもしれない。
でもこれを口にするには、ペンギンと仲良くクレープでポッキーゲームか。
流れる汗と口の中の痛み、ヒューヒュー煩く囃し立てる周りの声と、切羽詰まってる私をさも面白そうに見てるペンギン
それと、この痛みから救ってくれる筈の救世主、クレープ。
「くっ…!!」
分が悪すぎる。
これは私が仕掛けられた側だ。
「ん?」
「───ッ!!くそっ!!」
ペンギンのつなぎの胸元を掴んで顔を寄せた。
それと同時に首を伝う汗。
白々しく目を見開いて驚いたような顔を浮かべるペンギンには、後できっちり説教だ。
唇同士が触れないぎりぎりのとこでクレープを噛みちぎる。
覆っていた膜が破られたせいで
重力に従順なカスタードと苺ジャムが溢れてきては口元を汚した。
ピリリ、と
ほっぺを汚すクレープの中身が熱と刺激を伝えたのと
よくなる予定だった口の中が大炎上したのは
ほぼ同時だった。
「あー、こりゃ確かに痛いわ」
「─────ッ!!」
ほぼ皮だけの脱け殻クレープでもこれか。
腕の中で声にならない声を上げてはのたうち回ってるウイの口内事情がなんとなく伺えた。
うん。
辛いなこれは。
頬や口の周りを汚してるクリームとハバネロを指で拭って、いつもより赤みとボリュームが増してる唇にそれを捩じ込んでみた。
面白そうだし。
俺は流石にこれ、食べたくない。
「んー!!っぎゃーーーーーッ!!最低!!最悪!!っていうかこれ!!辛い方じゃん!!」
「誰もこれ甘いヤツだなんて言ってないじゃん」
瞳に溜まりかねた涙をぼろぼろ溢しながら口元を抑えてキッチンへ走っていくその姿が必死過ぎて
笑う。
本気でヤバいんだろうけど、笑う。
野次馬達も腹を抱えてげらげら笑ってたけど
これの威力を知ってる罰ゲーム当たっちゃった組の連中は
人でなしとか鬼とか、そんな事を呟きながら生ゴミでも見るような目で俺を見てた。
「ごめんって。つい」
「ついってなに!本当に死ぬかと思った!!まだ痛い!!明日絶対お腹ぴーぴー!!」
やたらと口を濯ぎまくっては水を飲みまくり
それでも足りなかったらしく氷を口に含んでみたり。
そんなこんなでやっとある程度落ち着いたらしいウイちゃんはさぞご立腹だった。
「生きてて良かった」
「どの口がそれ言うの!ペンギンのせい!!あー…もぉ…まだ痛い…」
ギロリとこっちを向く大きな瞳。
まだ紅みが強い唇はぶつぶつ文句を唱えてた。
「チョコバナナカスタードとキャラメルのりんごどっちが良い?俺優しいから作ったげる」
「信用ならん!!自分でやるもん!!」
怒ってますよアピール全開でふいっと逸らされた顔も。
怒ってる筈なのにクレープを包みだした途端、いそいそと楽しいのが隠しきれてないそんなとこも。
…なんでこんな可愛く見えちゃうんだろ。
りんごのコンポートを山盛り包み込んだクレープ。
蕩けるような顔でそれを口一杯に頬張ってるウイを見て
ふっとため息が鼻を抜けた。
俺やっぱ、この子好きだわ。
お昼ご飯も兼ねてのクレープパーティー。
水中バレーの前に仕込んでたのか、甘いの以外にもサラダとか、チキンとか、ソーセージとか。
沢山並んでる具を皆思い思いに包んでて
テーブルに置かれたホットプレートでは、誰かしらがクレープの皮を焼いてて
バターの香りと賑やかな声が絶えない、そんな昼下がり。
「え…ちょっと寝たの?」
「寝ちゃってるー。副船長が泣かすからっすよ?全く…」
「運動不足がはしゃぎすぎたんでしょ」
隣でなんてことない話を一緒に楽しんでた筈なのに
腕にもたれ掛かって来た存在はすやすやと寝息を立ててた。
人を惹き付ける不思議な魅力のある瞳を覆う瞼は、ペンギンのせいでまだ少し赤く腫れてて
暴言も吐かなければ喧しくもない眠りに落ちたウイは、ただの可愛い女の子。
絶対調子に乗るから本人には言わないけど、妖精とか、天使とか、そっちの雰囲気すら感じさせる。
寝てれば。
喋らないで大人しくしてればって話だけど。
「ウイ!ドボンやるんでしょ?」
クレープパーティーが一段落したら、最近ハートの海賊団で一世を風靡してるトランプゲーム、ドボンをやろうって話をしてた。
ドボンのルールをウイは知らないらしいけど、きっと得意だと思うし気に入ると思う。
ゆさゆさと体を揺すっても、俺の毛並みに顔を埋めるようにすり寄ってくるこの眠り姫は完全に夢の中。
これはもう、起きない。
「これ朝まで起きない感じっすか?まだ3時っすよ?」
「どうだろ。起きなかったら明日にすれば良いでしょ。どうせキャプテンまだ折れないみたいだし」
ペンギンに任せても良かったんだけど
ペンギンの方があんな悪戯働いたりもするけど、ウイのこと幸せにしてくれるんだろうなって思うんだけど
やっぱりこの困ったお姫様にはキャプテンなんだろうなって
あの頭でっかちなキャプテンにはウイなんだろうなって
思っちゃってる自分が居る。
「部屋に置いてくる」
「りょー」
この気のない返事を返す副船長も、きっとそう思ってるんだろうなって
なんでか思う。
周りの思惑なんて露知らず、すやすや眠りこける問題児を抱き上げた。
軽すぎて、中身入ってないんじゃないかって心配になる。
本当に困ったヤツだよね。
ウイは。
まただ。
また真っ白。
ここは、あそこだ。
気が付けばそこは見覚えのある空間で
どこまでも続く白が遠近感を狂わせる。
これはどこまでも続く空間なのか
それとも白い壁が近くにあるのか
他のものが何も見えないから、不安になる。
狭くて封鎖された場所は嫌い。
あの家の、外から鍵をかけられたあの部屋を思い出すから。
でもただ広い所に自分以外何も存在しないのも
冷たくて寂しくて、恐い。
「じゃあ誰に居て欲しい?」
聞こえてきた声にびくりと肩が震えた。
それはこれまで私の鼓膜を一番多く震わせて来た声。
振り向けばそこには、予想通りあの子がいた。
目が合うと、どうなの?とでも問いかけるように
傾げた首と共に揺れる色素の薄い長い髪。
「ねえ、今誰を思い浮かべた?またそうやって…────」
表情のない顔が紡ぐその言葉の先を
キキタクナイ
耳を覆って踞った。
私はあの子達が恐い。
でもあの子達の言葉はこうしていれば聞こえなくて
暫くたてばどこかへ行ってくれる。
恐いけど
見たくないけど
聞きたくないけど
こうしていれば大丈夫。
込み上げてくる涙が瞬きに拭われて地に落ちる。
目も瞑ってしまおう。
そうすれば何も見えない。
この不思議な白い世界は、急にナニカが現れる。
瞼の裏の闇の中には、私が嫌なモノは出てくることは出来ない。
大丈夫
…大丈夫
一人耳を塞ぎ
瞳を閉じ
小さく踞るその姿を
少し離れた場所で見守る影があった。
青年は手を伸ばす。
孤独にうち震える彼女に寄り添いたいと。
同じ痛みを感じているかのような表情。
戻かしい思いを噛み殺す、そんな顔。
青年は躊躇するようにその手を納めて、悔しそうに己を見つめた。
声も掛けず
その体を腕に抱くこともせずに。
『支えてやりてぇけど、それじゃダメだ』
やりきれぬ想いを胸に
青年は踞る小さな背中を見つめた。
立ち去る事はできない。
でも何も出来ない。
きつく瞑られた青年の目元には、太陽の恵みを存分に受けた証が散っていた。