15-5



さて。
どうする私。

この格好いい海賊のお医者様をどうすれば良い。






ただカウンターで座ってるだけなのに
手汗が凄かった。


もしかしたらこの地獄のような生活から解放されるかもしれない。
今待合室にいる人だけじゃなくて、効きもしない薬を飲みながら酷い咳で苦しんでる島の人達に
これからは本当の治療をしてあげられるかもしれない。


高揚感?
緊張?


こんなにそわそわするのは生まれて初めてかもしれなかった。





…でもどうやって?

この人はそもそも、“こういう事”をどう思う人なんだろう。
どうやって見極めれば良い?


普通通りに先生に見て貰って
あの効きもしない薬を出せば気付いてくれる?


…ん?
待って。


特に会話もしないでただ、目を瞑って壁によりかかるその人に目をやった。


…なんでこの人、医者なのに自分で治療しないの?














薬がないとか?
それともこの感染症がこの島独特のもので、治療方法がわからない?

看護師として知識はつけたけど
私には診断なんて出来ない。

病名がわかって薬があればある程度の処置は出来る。
私はこの流行り病に先生が処方してる薬が効かないことは知ってるけど
これの本当の病名も治療方法もわからない。



…実は本当に難病だったりするんだろうか。



考えが纏まらないまま
たまにその綺麗な顔を覗き見ては顔が熱くなって

そうこうしている内に彼らの順番が来てしまった。













「アン」
「はい、どうされました?先生」


診察室から呼ばれたのは、丁度海賊の彼がそこを出てきたタイミング。
反対側の扉から診察室に入れば、先生は私に小さな紙袋を渡して来た。


「あの患者にはこれを渡しなさい。余所の人間に悪事がバレたら大変だ」


そう耳打ちして、先生は次の患者の名前を呼ぶ。


「先生…ごほっ!…咳がまだおさまらなく…げほげほっ!…て。薬を飲んだ後は少し…げほっ!…良くなるんですけど…げほげほっ!」
「今回の流行り病は少ししつこいようだね。薬を変えてみよう。別の抗生剤を出しておくから安静にして下さい」


よく言う。
全く同じ紛い物を別のカプセルに入れただけのものをいくつも用意してる癖に。


先生にすがるように体調不良を訴える患者は
いつ見ても哀れだ。







「朝と夜。1錠ずつ服用して下さい」
「あぁ、助かった」


お会計と薬を受け取りにカウンターに来たのはトラファルガー・ローの方だった。


さっき渡された普通の薬を処方してしまったら何事もなく終わってしまう。


賭けだった。


薬を渡す前に
目の前で小さなメモを折って薬袋に入れる。
普段皆に処方してる薬と一緒に。


この海賊のお医者様は、元からそうなのかわからないけど
少し目を細めて訝しげにそれを見てた。


この人が悪事を何とも思わなかったとしても、しないよりマシだ。
海賊でもなんでも、医者を志そうと思った気持ちがこの人の中に今もある事を願いたい。






薬を手渡した時、少しだけふれた彼の手に心臓が跳ねた。


「世話になった」
「…お大事に」








凄く、体が熱い。
ドキドキする。


きっとアレだ。
この毎日が変わるかもしれない一歩を今、踏み出したから。






あの人にドキドキしてるとかじゃ…ない。
きっと。


診療所の扉の外に消えていく後ろ姿を
こんなに名残惜しく見送ったのは初めてだった。













その日の夜。
相変わらず先生は診療所を閉めた後に私を抱いた。


いつもこの時間が嫌だった。
日が傾いてくるだけで憂鬱になる。


一般的には、男の人だけじゃなく女の人も気持ち良いらしいこの行為。
本来は愛し合う男女の愛を確かめ合う行為。


それが私にとっては
毎日訪れる拷問でしかない。


こんな汚い体じゃ
きっと私は愛する人が出来ても、もうこの行為は綺麗とは言えないんだろうなって

私は愛を確かめ合う事なんて、もう出来ない体なんだろうなって


気持ち悪くしかない時間をそんな悲しい事を考えてやり過ごす。


馬鹿だな。
あの人が何とかしてくれる可能性なんて、実際は極僅か。


このままこの日常が変わらなければ、私には人を愛する人生なんて…一生訪れない。






吐き気がするような荒い息遣いと
自分に侵入してくる異物をただ受け入れながら


目を閉じて頭の中で昼間の彼を思い浮かべてみた。


これはあの人。
あの海賊のお医者様。






少しだけ、その時間がマシになった気がした。


なんて虚しい事をしてるんだって思ったけど
このくらい、許されても良い筈だ。





「じゃあアン、戸締まりはしっかりな」
「はい、…先生」


出すだけ出してそそくさと帰っていく。
もう何年も会っていない、奥さんの待つ先生の家に。


今更だけど奥さんは先生の悪事だとか
私に毎日こんなことをしてる事を知ってるんだろうか。


美味しいご飯を作ってくれる、優しい人だった。


知ってれば最悪過ぎるし
知らなければ気の毒過ぎる。


まぁ良いや。
私には関係のない事だ。





言われた通り診療所の鍵を閉めようとしたの。


でも錠のつまみを回す前に
動く筈もないそれは、先に、奥に消えたんだ。


それと同時に感じる外の空気と夜の闇。
斑の入ったデニムに包まれた長い脚
それは昼間に見た気がする映像だった。








「毎晩毎晩ご苦労なこったな」
「…う、そ…」





声も、昼間聞いたそれ。
顔を上げて目に映ったのも、昼間見たあの端正な顔。





「っく…ひっ…!」





ただ涙が止まらなかった。


嘘みたいな事は続くもので
急に泣き出してしまった私の肩にかけられた、温かいパーカー。


ここ、町から離れてるから。
今の私の格好なんてそれはそれは酷いものだったから。

先生に抱かれた後の、乱れたままの格好。
こんな格好で外の空気に触れても
誰も何も気付いてはくれないって、誰にも助けて貰える筈もない私の小さな当て付け。


先生が出ていって間もなく扉は開いた。
それに私のこの有り様。

何があったかなんてわかりきってるだろうに
こんな惨めで、汚ならしいことなんて

ないだろうに。


そんな私に、労るようにかけられたパーカー。


私ちゃんと人なんだって。
こんな姿で人前に出るべきじゃなくて、それをどうにかしようと思って貰える、人間なんだって

思えたの。


パーカーから香る先生とは全然違う男の人の香りに

嬉しい
恥ずかしい
ほっとする

色んな気持ちが胸の中で咲き乱れた。


涙も止まらなかった。


海賊のお医者様は、診療所の扉を閉めて中に入った後
何も言わずにただ扉に背を預けてた。


涙でぐしゃぐしゃの顔を覆う指の隙間から覗き見たその顔が、何を考えてるか読みとれない。


腕を組みながら、ただそうしてるこの人はきっと
私が泣き止むのを待ってくれてる。


そう思ったらまた、涙が溢れてきた。







「落ち着いたか」
「…はい、…すいません取り乱して」


ぐすぐすと鼻を啜りながら、大きすぎるこのパーカーの温もりが嬉しくて仕方なかった。
まだこの人が何をしにここを訪れたかなんてわからないのに
なんだか幸せ過ぎてどうにかなってしまいそう。


「単刀直入に聞く。…おまえはどうしたい」
「え…?」


意外な言葉だった。
きっと想像してた選択肢の中のどれよりも良すぎるそれ。
付き合わせ合ってる向かい側の顔は、そんな夢みたいな言葉を吐く割に真剣な表情だった。


「あの…凄く、厚かましいかもしれないんですけど…あなたには何が出来ますか?」


それを聞かなきゃ始まらない。
私には叶えたい理想はあっても、その叶え方なんて思い付きもしないから。


「やろうと思えばなんでも」
「ははっ…かっこ、良いこと仰いますね…」


見栄張ってイキってるようには見えない。
本当なんだろう。その嘘みたいな言葉は。


私も一度で良いから、そんな事を言ってみたい。


「大体の状況は把握した。放っといて今日明日にもくたばりそうなのは一人。八百屋のガキだな」
「…!診て…いただけたんですか…?」


あんなメモ一つで、まさか島中を往診してくれたんだろうか。


何なのこの人。
顔だけじゃなく行動まで格好いい。


この人が挙げた患者は、私が把握している中で一番容態の悪い人だったから。


「そういう問答は今は良いだろ。どうすんだ。さっさと決めろ」
「そう、言われても…」


そんな魔法使いが急に現れて願いを叶えてあげるよ、的な事を言われても困る。
夢みたいだけど困る。


「島の皆を…ちゃんとしたお医者様に診せたい」



この魔法使いさんは黙って聞いてくれてる。
あとはなんだろう。



「今だけじゃなく…ちゃんとしたお医者様に、この島に来て欲しい」



それと…












「…ここから、逃げ出したい…」



最後の方は、自分でもちゃんと声に出てたかわからないくらいか細い声だった。
海賊とは言え、医者だとしても

それはこの人に頼む理由のないことだから。


でも正直、それが一番の願いだ。


「あとは。…それだけで良いのか」


事も無げにそう言うこの人は、本当に何者なんだろう。


…叶えてくれるの?


本当に
私を…助けてくれるの?







「あと、これは本当に出来たら!出来たらで良いんですけど!先生に罰を…与えたい。あの人、これまで沢山人助けしてるふりして殺して来た…!」


違う。
それもあるけど、私が一番許せないのは…


「両親も、殺された。…私だってこんなこと…好きでしてる訳じゃない!!」


我が物顔で借りてしまってるパーカーごと、自分の体を抱き締めた。
力を込めすぎた手が、カタカタ震えてる。


私をこんな目に合わせた先生が
この先この島でこの悪行を続けていけないってだけじゃ気が済まない。


「殺すか」
「は?」






まさかの言葉に開いた口が塞がらなかった。


「死ねば満足かと聞いている」
「いや…えっと、そこまでは…」


忘れてた。
この人海賊なんだった。








“死”

確かにそれは罰かもしれないけど、どこか私が想像してたそれとは違う気がする。


「もっと、こう…島の皆に今まで自分がしてきた事が、バレちゃって、信用を失う、みたいな…」
「…となると打つ手も変わるな。明後日だ。明後日まで辛抱しろ。じゃあな」


はい?


何事もなかったかのように出ていこうとするこの人に焦る。


「あの!ちょっと待って!!…なんで?なんで見ず知らずの私を助けてくれるんですか?」


どんな手を打つかなんて知らない。
でもこの人は何かしようとしてくれてる。


助けを求めたよ。
この人に。


でもこの人が私を助けるメリットなんて何もない。


理由のない、身に覚えのない親切が
私は怖かった。

騙されてるんじゃないかって
昔先生にそうやって裏切られたあの恐怖が忘れられない。


「理由があれば満足か」
「え?」


ついTシャツを掴んで引き留めてしまっていた事に今更気付いて
慌てて手を離す。


「なら…断れねぇ相手に頼まれた。もう良いだろ、俺は帰る。…シャンブルズ」
「ちょっ!……え?」


全く意味がわからない。
それにパーカーも返さないとって思ってたのに

あの海賊のお医者様は、いつの間にか目の前から跡形もなく消えていた。











「本当に…魔法使い…?」


私はこの日
とても不思議な体験をしたんだ。





destruct at reality.