15-13
どこまでも続く水平線。
果てのない夜空。
世界は広い。
そんなのは当たり前。
今に始まった事じゃない。
でもアンニュイな気分のせいかな。
いつでもあるその景色に世界の広さを、自分のちっぽけさを思ったのは
島を出たあの日以来だった。
カタン
無音って訳じゃなかった。
船に打ち付ける波音は規則的に癒しの音を奏でてる。
ちょっと耳に煩い皆のイビキも。
でも、違う音。
鼓膜を震わせたそれに私はびくりと固まったんだ。
こっちかなって
音の出所と思わしき方角に目を向ける。
そこには
複雑な想いを抱くあの子が
自分の船の船縁に頬杖を付いている後ろ姿があった。
何してるんだろう
最初に思ったことはそれ。
こんな時間に
あの子も結構飲んでたのに
私みたいに感傷に浸るような事なんて何もなさそうなのに。
目を凝らしてみれば
その背中はたまに手に持ってるものを傾けてて
まだ飲んでるのかって
若干引いた。
いや本当に。
本当に引いた。
お酒飲めるのは羨ましい。
でも私が確認してる中で、きっとキャプテンの次に飲んでたのはあの子。
お酒の力なのか元からの性格なのかはわからないけど
あの子は宴の間、終始楽しそうだった。
顔色一つ変えずに。
具合なんて全然悪くなさそうに。
世の中って本当に不公平。
飲まされもしないのに、あれだけ飲んだのに
なんでまだ飲んでるのよ…
お酒の事は置いておくとして。
あの子は本当に
こんな真夜中に一人でなんでこんなとこに居るんだろう。
海と夜空に向いたその顔は
きっと笑顔ではないと思った。
変な子だけど
流石に夜の海を眺めながら一人で笑ってるような気違いではないと思う。
認めたくはない。
でも既にね、
わかっちゃったから。
なんでキャプテンがあの子を好きなのか
なんで服船長があの子を好きなのか
なんで皆が、あんな顔してあの子の話をしてたのか。
…わかってしまったから。
あなたみたいになれば
キャプテンに好きになって貰える?
理不尽なルールをキャプテンに突き付けられて
それで皆を乗せて笑わせて
キャプテン本人も、文句言いながら楽しそうで。
ああいうのが出来るようになれば良いのかな。
でもそうなるには、…どうしたら良いの?
私本当は最初の頃
この子の事を色々聞くまで、直接会うまで
勝てる気でいた。
どんなにキャプテンがこの子を好きでも
毎日顔を合わせて一緒に居るのは自分だって。
過ごした時間じゃ勝てない。
でも
私を知らないキャプテンが
私を知ってくれたら、何かが変わるって。
奇跡が起こるって
本気で思ってた。
皆がどんなにキャプテンとあの子を公認カップルみたいに言おうが
副船長に無理だあり得ないって切り捨てられようが
そんなの覆せるって、本気でそう思ってたんだ。
全然なってなくても
ただがむしゃらに鍛練した。
キャプテンに頑張ってるって思って欲しくて。
医学書のわからないとこを聞きに行くときも
調べるだけ調べてわからないとこだけを厳選してた。
頭悪いって思われたくなくて。
正直そりの合わないクルーもいる。
でも気付かれないように笑顔で接した。
心が狭い女って思われたくなくて。
他にも沢山、出来る限り頑張ってた。
そんなに頻繁にではないけどね
キャプテンが、頑張ってるなっていう目をしてくれる時があるの。
口では勿論言わない。
そういう人だってわかってる。
でもそんな些細な事が私の頑張る活力だった。
でも今日キャプテンがあの子と話してる時の顔は
“おまえは本当にしょうもねぇな”とでも言いたげで。
どんなに立派じゃなくても、あの子はキャプテンの特別で。
虚しくなった。
キャプテンが恋愛に求めてるのは立派である事じゃない。
私のしてた事は無駄だった。
私の目指してた“立派”とは違うベクトルの魅力が
あの子にはある。
私だってあたたかい家庭でなに不自由なく幸せに、愛されて育っていれば
あんなに無邪気に笑えた。
可愛いわがままだって言えた。
私だって天竜人の後ろ楯があって、あんな企業でバリバリ働いてたら
もっと自信を持って人付き合い出来た。
バカで良いなって思うよ。
天然。
あの子は色んな汚い感情を知らないから
人間の醜さを知らないから
だからあんなにずいずい人の懐に入り込めるんだ。
悪意がないから、寧ろ悪意なんてもの知らなさそうだから。
だからきっと許されるの。
わがままも理不尽も、笑いに変わる。
私、キャプテンに好かれる為ならどんな事だってするけど
あの子みたいになるのは無理だと思う。
なんでも出来る完璧な人間より、私にとってそれは難しい。
宴の余韻に浸って、前を向きかけてた気持ちが後ろを向く。
考え事整理して、眠れる筈だったのに。
完全な八つ当たり。
あの子が私に何かした訳じゃない。
でも私が眠れそうもないのも、こんな気持ちなのも
それは確実にあの子のせいで。
気付かれてないのを良いことに、思い切りその華奢な背中を睨み付けた。
あなたがどんな人か、私はよく知らない。
でもキャプテンを
あんな癖の強い副船長を虜にしてしまうだけの魅力を持っているでしょう?
私にはキャプテンしかないの。
ここしかないの。
お願い、私から生きる希望を
ここしかない居場所を奪わないで。
キャプテンが居なくても
あなたには立派な仕事がある。
幸せに憧れる気持ちなんて
あなたにはわからない。
そんなに持ってるなら
少しくらいこっちに…分けてよ。
時折酒瓶を傾けるだけだったその背中が、空を見上げた。
すっとそこへ伸ばされた腕が、何も掴む事なく宙をきる。
何を考えているかわからないその後ろ姿に
言えもしない想いを心の中でぶちまけてた。
私がこんなこと思ってるって知ったらあの子はどんな顔するかな。
傷付くのかな。
可哀想にって嘲笑うのかな。
それとも何にも思わないのかな。
こんな気持ち、キャプテンだけじゃなく誰かにバラされたら私は一環の終わりだ。
私の気持ちは誰にも支持されない。
どんなにずるくても
周りは皆あの子の味方。
私だって好きでこんな風になった訳じゃないのに。
本当、不公平。
「何か要望とかは?何かない??」
「要…望…?特には…」
採寸するって言われたからこの子の船にお邪魔してる。
ここは恐らく私室。
「採寸してサイズ通りには作るんだけどね、こここうしたいとか!こんな感じが良いとか!」
「特には…」
採寸をさっさと終えて
潜水艦に戻ろうとしたら引き留められた。
お茶でもしようよって。
1分1秒でも早くこの劣等感を刺激し過ぎる人と離れたい気持ちと
キャプテンの好きな人がどんな人なのかって興味。
葛藤してたけど
きっとそんな時間は無駄だった。
この子の強引さには敵わない。
お茶なんて一緒に飲んで何話すんだろうって思ってたら
この子はスケッチブック片手に目を輝かせてそんな事を聞いてきたんだ。
「普段はどんな服が好き?アンさんスタイル良いからなんでも似合いそう!」
何も言ってないのに鉛筆を走らせ出すこの子は
キャプテンに私の話を聞いてるんじゃないんだろうか。
服どころか
その日食べるものも、休みの日に何をするかも
私は選んだ事がない。
この子が頼んだんじゃないの?
…私の事を助けるようにって。
知っててそれを聞くの…?
「あの…ウイさんは──「呼び捨てで良いですよ?」
「…聞いてないんですか?私のこと」
「アンさんのこと?」
きょとんと首を傾げるこの子は天然なのかな。
それともしたたかなの?
何も知らなそうに見える気もする、けど…でも
キャプテンは言った。
“断れないヤツ”に頼まれたって。
「私…好きな服を選んだこととかないから…そういうのあんまりわからない…です」
「そうなの?…んー、ちょっと待ってて!」
テーブルを挟んで向かい合ったソファーの裏側。
そこに回り込んでごそごそ何かを漁ってるこの子は、あったあった!って嬉しそうな声を上げてはこっちに戻ってくる。
「この中とかだったら好きそうなのある??」
手渡されたのは分厚いファイル。
なんだろうって思ってたら、そんなことより重大事件。
この子、元居た向かい側の席じゃなく
私の隣、それも凄い近い距離に腰を降ろした。
「これとか、これも似合いそう!!ねぇ!どうかな」
「…素敵、だと思います」
ああ、きっとこれは
この子が作ってる洋服のカタログだ。
服なんて正直本当にわからない。
今まではナース服と、パジャマくらいしか持ってなかった。
それも先生が用意してくれる与えられたもの。
つなぎが貰えればそれがあるし、服に困る事なんてない。
こんなお洒落な服は、私には不要だ。
ペラペラとカタログを捲っていても
それは自分が着ているのを想像すら出来ないようなものばかり。
…でもこういうの着てたら
キャプテンは何か思ってくれたりするのかな。
あ、これ…
目に留まったのはキャミソール?のワンピース。
何柄なのかは分からないターコイズや黄色の不思議な柄と、胸元から裾までを縁取る黒いレースにふんわりとしたフォルム。
格好良い女の人がさらりと着こなしてそうなイメージ。
いかんいかん。
こんなのどこに着て行くんだ。
他にもストライプのロングスカートとか、暖かそうなコート。
可愛いな、好きだなって思うものはいくつもあったよ。
「ごめんなさい、やっぱり…良く分からないです」
でもなんだか
私が良いなって思うものが一般的に見てどうなのか自信がない。
それにそんなことこの子に言ってどうなるんだ。
「そっかー…。体のライン出るのは嫌?皆のは結構だほってしてるから!」
「同じで良いです。本当に。…皆と同じで」
近すぎる距離が何だか落ち着かなくて。
ファイルを突き返して淹れて貰った紅茶を飲み干した。
「あの、私…鍛練とかあるので。戻りますね」
「あ!忙しいのにごめんね!時間ある時またお喋りしましょー!」
凄い素っ気なく返事したつもりだったのに
この子には通用しないんだろうか。
にこにこ笑いながらソファーの上で手を振ってるその姿に
手を振り返すことも返事もせずに部屋を出た。
「?採寸終わったのか」
扉を閉めて、一息つけた。
やっと気を緩められるかと思ったのも束の間
鼓膜を揺らしたのは、階段を登って来たキャプテンの声だった。