16-12
「あ、の…」
「またあの話か?おまえもしつけぇな」
げんなりした顔のローに誓って否定するけどそうじゃない。
そこはもう諦めた。
戻ってきてくれたら、ドフラミンゴの事が片付いたら聞いて貰うの。
そうなった時は、もうどんなに怖じ気づいても逃げられない。
逃げたりしない。
ただ、それは本当に起こる未来の話だよね?
これは約束だよね?
寒かったけど、コートを握る手を離して手袋を外した。
マフラーでぐるぐる巻きの首。
そこにいつも身に付けてる、金のチェーン。
「…約束。ちゃんと必ず返しに来て」
「俺がどこ行くか分かってんのかおまえ」
突き出した手の先で揺れるのは、ルビーとダイヤが輝く母様の指輪。
いつかもローに預けて、返して貰って
それをまた預ける。
「手!寒いから早く受け取ってよ!」
「大事なもんだろ。落とさねぇ保証も無くさねぇ保証もねぇ」
大事だよ。
母様の唯一の形見だよ。
私の大事なものって、ローはそれを誰よりも分かってるから。
だから持って行って欲しい。
返す為に、絶対に無事で戻って来て欲しい。
「やだ!持ってって!」
「自分で持ってろ」
絶対に引くつもりはなかった。
どんなに呆れ果てた目で見下ろされようと
風に晒された手がかじかみ過ぎて震えが止まらなくても
…結局、私が安心したいだけなんだ。
「早く!寒い冷たい受け取って!!」
「…ったく」
盛大なため息は
この気温だと目で見て分かる。
白い吐息。
「そんなに俺が心配か」
「大丈夫…なんでしょ?返しに来てくれるでしょ?」
受け取って貰えた私の宝物。
それだけなのにほっとした。
ローは約束を破らない。
きっと
『あぁ大丈夫だ』って
私を安心させてくれる。
「…なるほどな」
「…なによ」
嫌な笑みだ。
人がこんなに心配してるって言うのに。
なにかを企んでそうなローが、母様の指輪を眺めながらニヤついてた。
「…俺に死んで欲しくねぇと、生きて返って来て欲しいから約束で縛ると。そんなとこか」
「うっさいハゲ!毎日帽子ばっかり被ってたらいつかムレてハゲるんだからね!!」
なんかからかわれてるみたいで恥ずかしくなった。
実際ローの言う通り。
でもなんだかそれにニヤついて悪い顔してるローが面白くない。
ハゲねぇよって、白い吐息と一緒に不貞腐れた返事を返すローを思い切り睨み付けた。
「ねぇ、大丈夫なんだよね?絶対大丈夫だよね?」
「本当にしつけぇなおまえも」
呆れ顔のその奥に
私の反応を面白がってるローが居るのをちゃんと知ってる。
なんで一言、『大丈夫だ安心しろ』って言ってくれないの。
なんだか段々腹立って来た。
私は純粋に、大事な友達の身を按じてるのに。
なんでこんな面白がられなきゃいけないんだ。
不謹慎でしょ。
鼻の脇がぴくぴく引きつる程には苛ついてた。
でもそんな顔をローに見られるのも、ムキになってるみたいでなんだか癪で。
顎を引いてマフラーの中にそれを隠す。
もう知らない。
良いもん渡したもん。
返しに来なかったらローが悪いもん。
「やっぱこれはおまえが持ってろ」
腕を引かれて、傾いた体を立て直す前にコートのポケットにするりと消えていく赤い輝き。
「心配しとけよ。そのままずっと、俺の事だけ考えてろ」
耳元で囁かれた低い声。
「行ってくる」
頭に乗せられた大きな手と
腰を曲げて屈んでるせいで私の目の前には不敵に笑うローのドアップ。
ぼっと顔に熱が集まった。
半分マフラーで隠れてたけど、そんな私を見て更に口角を吊り上げたローは
私がドキマギしてしまった事なんてお見通しなんだろう。
もう…
なにが心配してろだ。
人の気も知らないで。
なんでこういう時はシャンブらないんだろう。
いつまで見送るべきか
いつ船を出航させるべきか、悩むじゃない。
吹雪で霞行くその後ろ姿が、こっちを振り返ることは
結局一度もなかった。
近付いて来る。
「うわーぁ…、なにあれ…まるで光の雨だね」
越えなければならない壁の、入口の島。
パンクハザード。
ドフラミンゴの裏をかくために
四皇の機嫌を損ねて慌てふためかせるために
シーザーとここをどうにかしなきゃいけねぇ。
ずっとここを目指してた。
実際にその一歩を踏み出せるこの日を
13歳だったあの頃からずっと、待っていた。
向かう先は果ての見えない闇。
動き出す事を決めたとは言え、見通しが明るい訳では決してない。
先が見えなかろうと、進むべき道はこの先に続いてる。
“今”、“この方向に”、進むしかねぇんだ。
差し込む光を待っていたら
それは恐らく、一生訪れねぇ。
その間に足元を掬われる。
仲間に、ウイに
作って貰った道しるべ。
やれるだけの事をやった上で、それは今だと判断した。
辿り着く為に。
“幸せ”
その定義はなんだ。
腹の底から笑ったこともある。
良い仲間に恵まれたと感謝もしてる。
幸せにしてやりたい、守りたい女にも巡り会えた。
俺は“幸せ”なんだろうか。
家族も友達も故郷も
全てを奪われた。
それを世界は“仕方のない事”で片付けた。
どす黒く染まった心を
照らしてくれる人が居た。
どん臭くて色んな事が下手くそで
でも真っ直ぐで…
だから信じられた。
救われた。
でもそんな希望でさえも、踏みにじって手の届かない場所へと葬り去った“悪”がある。
我ながら悲惨な人生だ。
でも
進みたいと思う未来がある。
それを見せてくれた仲間達が、俺には居る。
償えた気がした事など一度もない。
あの人の“これから”を奪ってしまったことへの罪悪感。
あの人こそ
生きてこの世を照らすべき人だった。
だからこそ、コラさんの願いは俺が成し遂げる。
血を分けた兄弟だろうと
優しすぎるが故に、あの時その引き金を引けなかったとしても
コラさんは止めたかったんだ。
あの男の危険極まりない野望を。
俺が止める。
俺が引き受ける。
義務を果たさずして、権利を享受する資格はねぇ。
あの時コラさんが、人差し指に力を込めて引き金を引く事が出来れば
悲しむ人間は今より何人減っただろう。
あの不気味とすら言える程の満面の笑み。
もし今もあの人が生きていれば、それは暗闇に沈む何人の心を救っただろう。
悪を絶つ事より、自分の命の終わりを
捨てきれない優しさで選んだ人が居る。
優しさだけじゃどうにもならねぇ。
何も改善しねぇ。
でもそんなコラさんだから、俺は救われたんだ。
コラさんが描いた理想は俺が守る。
必ず実現させる。
それが俺の、“生かされた”意味だ。
「勝手に連れて来といてアレだが…帰れるか?」
「それは大丈夫…だけど。…ねぇ本当に行くの?」
今さらそれを聞くか。
実際目の当たりにして固唾を飲んだものの、ここがこんな島だと分かっていた。
自分の我儘で
危険を承知でこいつに連れて来て貰った。
「その為にここまで来たんだろ」
心配そうな顔。
俺を気遣うが故に歪む顔を見て感じるのは
こんな顔させたい訳じゃねぇのと、どうでも良い存在じゃねぇことの満足感
半々だ。
「巻き取る時。手、気を付けろよ」
こんなに低い気温。
悴んで麻痺したこの細い指が鎖に挟まりでもしたら、怪我させちまう。
危ない目に合わせたくないと思ってる。
連れて来といてそれを俺が言うのもアレか。
エゴイスト。
利己主義者。
他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを追い求める者。
自分のそれを、自覚している。
こいつにとってすれば
知らない所で知らない内に、これが解決していた方がどれだけ精神衛生上マシか。
それを分かってやってる。
「荷物、纏めてくる」
「…はーい」
悪いとは思っていても、頭の中を俺への心配で埋め尽くしているだろうこの状況に
満たされるものが確かにあった。
あれは相当…不貞腐れてたな。
さっきのウイの返事の仕方に、ふと苦笑いが込み上げた。
この船の、俺の部屋。
当然のように自分の為にあるこのだだっ広い空間で、深く息を吸い込む。
踏み出せば、後戻りは出来ねぇ。
恐らくドフラミンゴは俺の動きを感知する。
先に攻めた方が有利。
対応に回る為の思考に取られる時間。
そこでこっちは次の一手を考えられる。
頼んでおいた、“corazón”の名が入ったコート。
今朝受け取ったばかりのそれを、荷物の中に入れた。
それはちょっとした
決意の儀式。
ここを乗り切れてこそ、先が開ける。
これを身に纏うその時はきっと…本当に腹を決める時。
どんなに先が見えなかろうと
雲行きが怪しくても
明日は誰にも見えない。
だからこそその明日を自由に思い描く権利も
世界中の人間が当然と思う明日をぶっ壊す権利も
誰にだってある。
するかしねぇかの問題だ。
ドアノブの回る音に、感傷的なナニカが込み上げた。
これまで、この船で
色んな事があった。
意味のわからねぇ不快感に襲われて
それが何かを自覚して
踏み込もうとして、拒まれて
死にかけたアイツを必死で治療した事もあった。
目覚めれば強烈な頭痛に襲われて、やらかしたと自分を責めた日もあれば
ただ、その日の朝飯はなんだろうとぼんやりそれを考えながら体を起こした事もあった。
でもどんな時でも
朝っぱらから喧しいくらいの笑顔を浮かべて、迎えてくれるウイが居た。
一生、毎日でも
日に何度あっても良い。
あの笑顔をこれからも見続ける為なら俺は
何だってする。
絶対に乗り越える。
例え立ち塞がる壁がどんなに高くとも。
それを越えた先の景色は、きっと絶景。
これは賭けだ。
自分次第、俺の采配が物を言う。
そんな一世一代の博打を打ってでも欲しい対価が、これにはある。
決意を胸に踏み出した。
その一歩を。