16-24
まぁ、適当になんとかするか。
「ちょっとおまえの“能力”を借りてェんだが…一緒にいいか?」
「あら。デート?嬉しい♡」
瓶底並に分厚い眼鏡をずらし上目遣いで見上げてくるモネはどこか妖艶。
人を手玉に取れる人間のそれ。
決して心からの言葉ではない。
御託はいらねぇ。結果乗るのか乗らねぇのか。
聞きたい答えをただ待つ俺に、モネの口角が更につり上がった。
「ふふ…愛想のない人。…なに?」
「行けばわかる」
敵でしかねぇ相手に、色恋めいた駆け引きを楽しもうと思う気持ちは微塵も起きねぇ。
要件さえ話せれば良かった。
「いいわ。退屈してたから」
筆を置き、大きな翼がバサリと空気を扇ぐ。
それを見届け扉の方へ踵を返した。
この結構な羽ばたく音を聞くたびに、歩いた方が楽じゃねぇのかと思わなくもない。
鳥ならまだしも。
その翼で風をきり、宙に浮かせるのは人の体。
労力も負担も、そう少ないものじゃねぇだろうに。
まぁ良い。
それよりも問題は用事の方だ。
…能力を借りてぇとは言ったものの特にアテがねぇ。
ちらりとソファーに放った荷物袋に目を向ける。
意外と思える程にピクリとも動かねぇ中身にほっと息を吐きつつ、研究室を後にした。
「ねぇ、ここを出たらどこに…?」
「さァな。アテが外れた。どこか知らねぇか?珀鉛病についての研究資料がありそうな場所」
少し後ろを着いてくるモネに、パンクハザードを訪れた設定上の目的を仄めかす。
興味がなくはない。
だがそれを今調べたところで無意味。
この世にもう珀鉛病の患者はいない。
「知らないわ…存在するか自体怪しいところじゃないかしら。…ところでどこに向かっているの?」
「来ればわかると言っただろう」
一人分の足音と、羽ばたく音。
薄暗い廊下をただ進んだ。
取り敢えず研究室から少しでも遠くへ。
そこで適当な用事でも頼んで時間を稼ぐ。
最低限以下の明かりしかない通路は、闇に覆われ果ても見えない。
「ふふ…サプライズ?…楽しみ」
見えないせいだけじゃねぇ。
続く道の先に、なにか嫌な気配を感じた。
進む度に
それに近付く度に
呼吸がしにくくなる。
気のせいかと思い深く息を吸い込んでも、それは改善されるどころか胸に苦しさまで感じ出した。
「……!?…ハァ、ハァ…、……!!!……誰だ…」
「ロー?どうしたの?」
これはもう確定だ。
気遣うように覗き込んで来るモネに目をくれることもなく、闇の先を睨み付ける。
この気配も
息苦しさも
良い展開じゃねぇことは確か。
「ハァ…………!!!ハァ…」
「大変…、苦しそうね…」
遂に立っている事すらもままならなくなり、膝をついた。
せり上がってくる鉄の味。
口の端から伝い落ちる鮮血に自分の身に起こった事を悟った。
シーザーは外の騒ぎを見物に行った筈。
例えそれがモネの憶測で外れていようと、薄暗い通路の先に居るのはアイツじゃねぇ。
アイツの気配はもっと騒がしい…!!
「……そこにいんのは…」
「誰だァ!!!」
進行方向、暗闇の中に感じる重く禍々しい気配。
シーザーじゃねぇなら誰だ。
俺の心臓を手に行く手を阻むのは……!!
「俺だ」
カツン、カツンと
冷たい靴の音が廊下に響く。
聞き覚えがあるようで、ない気もする男の声。
体内にはない自分の心臓
それを強く圧迫された事による吐血が床を染める。
自らの血で頬を汚す。
血がなくても屈辱だ。
床に顔を付けざるを得ないダメージ。
それを敵の前で晒す等恥以外の何物でもない。
カツン、カツン
どこのどいつだ。
徐々に近付いて来る足音に目線だけでもそっちへ向ける。
「!!?」
カツン、カツン
「ぅ……!!!ハァ…、ハァ……!!何…で!!おまえが…ハァ、ここにいる……っ!!!」
暗闇の中から現れたのは、想定出来る中で
一番かその次に起こって欲しくなかった出来事。
「何年振りだろうな。大きくなったな、ロー」
地に頭を伏していたせいか
そいつはガキの頃よりも大きく感じる。
何年経とうと変わらねぇ。
「…ヴェルゴ……!!」
ドンキホーテファミリーの
最高幹部の一人だ。
仁王立ちで立ち塞がる男は、角刈りにサングラス、そしてふざけてんのか頬に食べ掛けのハンバーグを付けていた。
こういうヤツだ。
わざとかどうかは知らねぇが
麦わら達とは違った意味で理解不能な行動と言動の目立つ男。
「ハァ…、ハァ…ッ!」
「“彼”が何も知らないと本気で思っていたのか?我々とてシーザーを信用してはいない。──だから彼は周到に潜り込ませていたんだ。モネをな」
…ンなこと百も承知。
“ジョーカー”に言うなと忠告したのは、それが本当に叶うと思っての事じゃねぇ。
密告していない体裁を取り繕う為に、誰もこっちに寄越さねぇ状況を作りたかっただけだ…!
「今では“王下七武海様”か…偉くなったもんだ…」
「いつここへ…!!ヴェルゴ!!!」
それによっては作戦を立て直す必要がある。
俺との交渉を維持する必要性がなくなったのはいつなのか。
大分前から気取られぬよう潜んでいたとしたら、俺の行動は監視されていた可能性が出てくる。
「──つい今しがたさ…ちょうどドレスローザにいてな…SADのタンカーが出るというので乗って来た。正解だったよ」
「ハァ…ハァ…!!何が、正解だ…!!ハァ…っ!…俺がおまえらに危害を加えたか!!?」
今…
セーフか?
全てを知っているのならば、俺はコイツらにとって害を成す者。
ただ俺は今のところ、過去に己の体を蝕んだ珀鉛病の文献を漁りに来ただけの人間だ。
出会そうと対立する理由なんてねぇ。
「既に実害が出ていたらおまえはもう今生きていない。大人に隠し事をしてもバレるものだ…ロー」
「うふふ」
妖艶に笑うモネと“隠し事”というワードを口にするヴェルゴに
こっちの手の内がバレている事を悟った。
「──じゃあ…消えて貰うしかねェな!!!」
鬼哭を手に覚悟を決める。
例え敵の手中に己の心臓が握られていようと
全面交戦以外道がねぇなら、やるべき事はただ一つ。
「ああ…一つ言い忘れてた」
「ウウウァアーッ!!!!」
さっきまでとは比にならねぇ程の激痛が胸を襲った。
「訂正しろ…」
命の要の臓器。
それを握り潰そうとする力はこれ程までに耐え難いものなのか。
掠れつつある視界に映ったのは
相変わらず頬にハンバーグを付けたふざけた野郎。
「ヴェルゴ“さん”、だ…」
「シーザーは…何を始める気だ…」
「…さァ。彼のペット“スマイリー”を起こしたという事は…大きな実験でも始めるんじゃない?」
シーザーのメイン研究所。
その応接ブースのソファーに腰を降ろすのは、海軍G-5基地長、中将のヴェルゴ。
「ヴェルゴ、あなた今朝ハンバーガーでも食べた?」
「?なぜわかった。…好物だ」
海軍の上の機関。世界政府にとっての大罪人、シーザー。
そしてこのパンクハザードはなにびとたりとも立ち入りが禁止された島。
“そんな人物”が治める“この島”に出入りしているヴェルゴ。
そう、この男。
裏がある。
「お口の横にハンバーグの食べカスが……」
頬にハンバーグを付けていながらそれに気付かない人間などいるのだろうか。
モネが食べカスと称したそれは、食べカスにしては余りにも大きい。
頬の半分を覆うほどのハンバーグを、言われて初めて気付いたとばかりにもぐもぐと咀嚼するヴェルゴは
普通の感性を持ち合わせてはいないらしい。
「その実験は是非見ていきたいものだな…外のヤツらは全員死ぬのか?」
「多分ね。この研究所内にいれば安全よ」
彼は知っている。
シーザーの実験も、それによって犠牲になる“外のヤツら”がどんなな人物かを。
「おいヴェルゴ!!外にいるのは全員G-5の海兵!!おまえの部下だぞ!!!」
「ああ、そうだな…───しかし、一つの檻に入るにはあまりに豪華な顔ぶれだな…良いながめだ…」
ローによって中身を入れ換えられたスモーカーとたしぎ。
たしぎの体で、スモーカーはヴェルゴに食って掛かった。
彼らG-5にとって、ヴェルゴは上司。
それが一体これはどういう事だろう。
研究所の一角。
金網で覆われた檻の中には、スモーカーとたしぎ以外にも“豪華”と称されるだけの面々が収容されていた。
表でシーザーにしてやられたルフィ、ロビン、フランキー。
そして、ヴェルゴに直接捕らえられたロー。
「スモーカーさん私…!!この気持ちとうすれば良いのか…!!!ウゥ…!!」
捕らえられていることより受け入れられぬのは
己を捕らえた側に、ずっと信じ着いてきた上司が平然と居ること。
たしぎは唇を噛んだ。
その胸中は悔しさか、悲しみか
腹立ちか。
「──つまり…シーザーがガキ共を連れ去った“誘拐事件”はこいつの手で“海難事故”にすり替えられていたというわけだ」
能力者が多数含まれる檻の中。
ただ収容しているだけでは捕らえた側も安心出来ない。
海籠石の鎖で更に体の自由を奪われた彼らは、大人しく捕まっている他為す術がなかった。
「──よりによって基地のトップが不正の張本人とは“G-5”らしいと言やあそうだが…軍の面子は丸潰れだ」
たしぎほど取り乱してはいないものの
スモーカーとてこの事態に動揺せぬ筈がない。
ずっと近くに居たのだ。
例え荒くれ者の集まりと外からの評判が悪かろうと、共に悪と戦ってきた。
それがこの有り様だ。
「おまえらが気付かねぇのも無理はない…!!ヴェルゴは海軍を裏切った訳じゃねぇ。元々ヤツは海賊なんだ」
歯を食い縛るスモーカーに、口を開いたのはローだった。
同じく鎖で自由を奪われた彼は、眈々と言葉を紡ぐ。
「名を上げる前に“ジョーカー”の指示で海軍に入隊し、約15年の時間をかけて1から階級を上げていった」
ローもまた、このヴェルゴには因縁がある。
それはまだ彼が幼い頃。
海兵に渡してくれと恩人に託された物。
瀕死の恩人を助けようと必死のローの前に現れた海兵はこのヴェルゴだった。
「“ジョーカー”にとってこれ以上便利で信頼できる海兵はいない。──ヴェルゴは初めからずっと“ジョーカー”の一味なのさ…!!!」
コラソンが調査したドンキホーテファミリーの悪事の証拠。
その記録が行き着いた先が、なんとも皮肉な事に海軍に潜入したファミリーの元。
ドフラミンゴの次にローが倒したい相手
それは恐らくこの男
ヴェルゴが海軍に潜入していなければ
あの時目の前に現れたのが他の海兵だったなら、コラソンは死なずに済んだのではないだろうか。
ローの胸の内には、そんな後悔が未だに根付いている。
「“ジョーカー”…確か裏社会の仲買人の名だな…自分が情けねぇ…こんな近くのドブネズミの悪臭に気付かねぇとは…!!」
「そう悲観せず…優秀な“白猟”の目をも掻い潜ったドブネズミを誉めてほしいもんだ、スモーカーくん。おまえが本部から転属して来た日から最大限に警戒網を張ったよ」
様々な思いを抱え揺さぶられる捕虜たちとはうってかわって
ヴェルゴは落ち着いた物腰を崩さなかった。