17-14



ただ無言の見つめ合いが続いた。

冷蔵庫に手を突いて私の行く手を阻むローと
視線も逸らせなければ指先すらも動かせずにいる私。

ほんの少しの動きでさえも、そこから何かを読みとられしまうんじゃないかと思うと怖くて
辛うじて出来た事と言えばぎこちない瞬きだけだった。


ローは私の返答待ちなのか、黙ってこっちを見下ろしてる。


















きっと、もう誰もこの場をぶち壊しに来てくれる人なんて居ない。


ハートの海賊団の誰かが宴に誘いに来てくれるなら、もうとっくの前に来てるだろうし
多分ここに来る前にローが手を回したんだと思う。

マルコとはもう、さっき十分話した。
今は私をそっとしておこうとしてるように見えたし、来てくれる見込みはほぼない。

待ってるって言ってくれた、この状況を打破してくれる可能性のある唯一の人物はきっと今
宴の席でお肉に夢中だ…














いつまで黙っててもローは見逃してはくれない。
自分でなんとかするしか、ない。


「…そもそも、なんでエースの事を吹っ切ったら次は自分って思うの?…凄い自信だよね」
「──今も俺が好きだろ、おまえ。火拳屋からの伝言を聞く前から。ただ何かが引っ掛かって踏み出せずにいる。俺にはそうとしか見えねぇ」


軽く打ったジャブへのカウンターは、鋭すぎる急所への右ストレート。

ふざけてるのか、実は度を越えた自惚れ屋だったのか…
それ以外はとても正気では言わなそうな台詞に面食らってしまう。


「…もしかして女なら誰でもローの事好きになるとか思ってるの?確かに──「誤魔化すな。俺はもうおまえに遠慮はしねぇ」


笑い話にして誤魔化そうとしたのに、華麗に先回りされたせいでそれも叶わなかった。






「0か100かだろ、どうせ。聞かずに逃げられて終わるぐれぇなら、言いてぇ事は全部言うし、知りてぇ事も全部聞く」


真っ直ぐな視線が、痛い。


今日のローは冷静そうに見えたの。
言葉の切り返しは冴え渡ってるし
声のトーンも表情も、熱くなってる様子なんて微塵もなかった。

だから余計に、上から目線に見えたのかもしれない。
諭されてる気がして嫌な感じがしたのかもしれない。


でも今、一見恥ずかしい以外の何物でもないこんな言葉を吐くローの顔は真剣そのもので
行く手を阻む腕の先で、握られた拳は指先が白くなってた。


分かりにくいだけできっと、ローも冷静なんかじゃない。


「だからお前も、本気で俺に諦めさせてぇなら──俺を拒む"本当の"理由を正直に話せ」


さっきから人の懐を無遠慮に覗き込んで来る、この恐ろしい水晶玉。
そこに閉じ込められた女の子がね、不安げな顔でこっちを見てたんだ。


助けてって、訴えかけられてるような気がした。












飛び込む勇気がなくて
諦めて欲しくて
でもどうして良いかわからなくて。


時間があれば
考える時間さえあればって、取り敢えず逃げる事ばっかり考えてたけど
きっとそんな時間は貰えない。

それに──例え貰えたとしても、見覚えのありすぎるあの子を助けられはしないんだろうなって思った。
















深く息を吐いて、伏せていた目を開く。












そうだね。
0か100だね。














これまで何度も見上げたその顔は、今日も例外なしのポーカーフェイスで
愛想笑いなんて見せる気配は微塵もなかった。













ローが諦めてくれるならば
私たちはもう、会わない方が絶対良い。

どうせ会わないなら
いつか忘れられてしまうローの思い出の中でまで、良い格好する必要なんてないか。

ローもそれを望んでるなら、もう良いや。











全部話してしまおう。


いくらローにだって、こればかりはどうにも出来ない。


それに
ありのままを話せばきっと──こんな私を嫌いになる。

そうすればこの押し問答もすぐ、終わる。



「…怖いから、ローの気持ちは受け入れられない」
「──何を今更。おまえが"俺に"ビビッた事なんてただの一度もねぇだろうが」






「つくならもっとマシな嘘を──「そんなことない。ずっと、…ずっと怖かった。ローを好きって気付いた時から」


さっき笑い話で流そうとした事の延長とでも思っていたらしいローの表情が変わった。


「好きって思えば思うほど、ローが大事にしてくれればくれるほど」


見開かれた目が少しだけ動揺で揺れてる。
薄く開かれた口も、そこまで意識が届かないことを物語ってた。


変なの。
話せってあれだけ迫っておいて、実際話し出せば驚くってどういうこと?


「いつかそれが変わっちゃって、なくなっちゃうんじゃないかって思ったら…怖くて手なんか伸ばせなかった」


ずっと口に出来なかった言葉は
口から溢れていく程に私を冷静にさせていく。


怖かったのは話したくなかったから。
話すと決めた以上、同時に嫌われる覚悟も全部した。
こうなってみると、そっちの方が全てがうまく纏まる気すらする。


「きっと凄く幸せで、幸せすぎてどうしようもないんだろうなって。そう思えば思うほど…それを失うなんて想像しただけで怖すぎる」
「その失う前提で話が進むとこはどうにかなんねぇのか」


ちょっと待てとばかりに入った横槍。
それを投げ入れた本人の顔は凄く不服そう。


そうだね。
未来なんてどうなるかわからないし。
もしかしたら失わないかもしれないね。






でもさ──


「…じゃあ失わない確証ってある?」














私はどうやら本当に、話すと決めた時点で開き直ったらしい。

残念だったね、ロー。
私が話すと決めたならそれは即ち、ローの負けだよ。


「ないでしょそんなの。私、死ぬまでずっと怯えてなきゃいけないの?…明日嫌われるかもしれない、明後日かもしれないって」


何年も何年も"私"を負かそうと頑張って来たのは、負かしたかったのは
他でもない"私"だ。

何度挑んでも、どんなに知恵を振り絞っても勝てなかった。


「今、どんなに好きでいてくれたって…!明日、明後日、5年後、10年後も…絶対そうだとは限らないじゃない!」


どんなに頭が良かろうが口が上手かろうが、今回ばかりは勝てないよ。
だって不可能なんだもん。
勝てるロジックが存在しない。


ほら何とでも言ってきなさいよって強気で見上げた先に居たさっきのあの子が
泣き出しそうな顔でずっと、こっちを見てた。






「おまえそれは──おまえの父親と、母親の事を言ってんのか」


遠慮はしないって言った癖に、それを聞いてくるローはどこか慎重そうに見えた。


「…それも、ある」


実際、きっとそうだ。
私がこんなに人の好意を信じられないのは、父様のせい。


「一緒にすんな。俺とおまえの父親とは別の人間だろ」


そんなこと…私だってわかってるよ。
わかってるからこそ、何度もそれは私も言ってきた。


父様が変なだけ。
他の人は、この人は違うって。


実際そうだと思う。
父様は特別頭がおかしい。
そうそうあんな人いない。

でも
それでも
そうは思っても──消えてくれないの。


不安の糸は絡み付いたままで、いつだって耳元で恐ろしい物語を囁き続ける。
それはきっと


「母様は…!凄く綺麗な人だった。優しくて穏やかで…非の打ち所のない人だった!!それでもダメだったのに、私がそうならないって言える?」


私が自分に、自信がないから。


「私は綺麗でもなければ、胸だってないし…ガサツだし飲んだくれだし、口も悪ければ人の言う事も聞けない」


父様が特別おかしな人だったとは言え、多かれ少なかれ人の気持ちは時と共に変わっていく。
母様ですらダメだったのに、私がそうならないなんて有り得ない。


「言わなかっただけで、私いつだってこんな事グチグチグチグチ考えてた…!それに…」


開き直った筈なのに
それを言うのに一瞬、躊躇した。

ローは知ってる筈なのに
あの人が全部話してしまったから、父様の事も私の事も全部聞いてしまっている筈なのに。


「実の父親が…捨てようと思うような子なの、私。一番愛されるべき人にすら邪魔者扱いされるような…そんな人間なの…!!」


私は父様の娘なんだから
愛されているからこそ厳しいんだって
寂しい気持ちもつらい気持ちも、全部騙して頑張ってた。

だからこそ裏切られた反動は大きかった。
何の為に生きてたんだろうって。


あの部屋で過ごしたのは、そう短い期間じゃない。
今考えればよく耐えられたと思う。

それが出来たのは
頑張れたのは
取り上げられる前に読んだ沢山の物語の中で、子供は親に愛されるのが"普通"で"当然"な存在だったから。


"普通"も"当然"も出来なかった私に
親以上に縁の薄い相手に愛され続ける事なんて、ハードルが高すぎる。






この扉の向こうにキャプテンといるのは、本当にあの子なの…?
声は間違いない筈なのに、普段のあの子からは想像も出来ないような発言ばかりでどうにも疑わしくすら思えて来る。


「その失う前提で話が進むとこはどうにかなんねぇのか」


でもキャプテンがこんな面倒そうな会話に付き合ってあげてるんだから、相手はあの子で間違いない。


こう言ったら失礼なのかもしれないけど、あの子が何かを怖がるなんて不似合いが過ぎる。
深く考えずに楽しければいいや!みたいな人の典型だと思ってたから。


「…じゃあ失わない確証ってある?」


でもどうだろう。
どんな顔して話してるのか知らないけど、口調も声色もふざけてるようには聞こえない。


「ないでしょそんなの。私、死ぬまでずっと怯えてなきゃいけないの?…明日嫌われるかもしれない、明後日かもしれないって」


喧嘩腰にすら聞こえるこの言葉達は
本当にあの、何もかもを持ってる恵まれた子から発せられたものなんだろうか。


「今、どんなに好きでいてくれたって…!明日、明後日、5年後、10年後も…絶対そうだとは限らないじゃない!」


立ち聞きを始めた時は正直、聞こえてくる言葉達に胸が踊った。
あの子の言う『応援してる』はその場を取り繕うだけの嘘だと思ってたから。


あれは嘘なんかじゃなくて、本当にあの子はキャプテンを振ってくれる。
そうすれば私にもチャンスはある、って。


けどなんだかそれは、そんなに単純な話しでもなかった。


火拳のエース。
2年前に死んだゴールド・ロジャーの息子。

それがあの子の恋人で?
キャプテンを振る理由はそのエースだった筈が、エースも死後はキャプテンとあの子がくっつく事を望んでて?

結局纏まるのかと思われた恋模様は、なんだかおかしな方向へと走り始めた。


『なんであの子、そんな途方もないこと気にしてるの…?』


純粋に思ったのはそれだ。


人の気持ちの移ろいだなんて、そんな事を気にしていたらこの世に"恋愛"っていう関係は成立しない。
気にするだけ無駄でしょうに。








私の声は聞こえてる筈なのに
シャチさんもベポも副船長も、私と同意見ではないみたいで。

私と違って深刻そうな顔をしてる彼らを見てたら、私って実は凄く軽薄な人間なのかもって
そんな事を思ってしまうくらいだった。




destruct at reality.