17-38
「モモ!!大丈夫かしっかりしろ!!」
「うわぁ!!頭、頭がっ…!!」
思っていた以上に、モモの助くんの容体は深刻だった。
まだ本当に幼い、小さな子供。
そんな子が頭を押さえて泣き叫んでる。
「スキャン…特に昨日と変わりはねぇな」
「なら一時的で良い!!とにかく何とかしてやってく──
「誰だ!!お主は一体、誰でござる!!?拙者に何をしろと…っ!!」
誰かと話してるようなモモの助くんは、頭痛だけじゃなく幻覚とか幻聴もあるのかなって思った。
私はローが治療するところを、実はあんまり見たことがない。
でもきっと、摩訶不思議なオペオペの実の能力で普通の治療とは別の何かが出来るんだろうなって思った。
チョッパーがローを呼びに来たって事は、今はそれが必要でこれからそれが起こるんだろうなって。
「やめろ…!!もうやめてくれ…っ!!拙者には…!!」
「大丈、夫?」
大丈夫な訳なんてない。
でも、そうせずにはいられなかったの。
布団を握りしめて、魘されながら泣いてるこの子に。
「なにが、起こったでござ…る…?」
痛いって言ってるその頭を撫でてあげるくらいしか私には出来ない。
ただそうしてあげたいって思ったんだけど、でも何だか
体が自然と動いた気がした。
「…お主が、ウイか…?」
額に触れた手が、驚く程の力で握り返される。
あれ。
私、この子に名前…
「お主だ…!!お主の母君が…もの申しておる…!!」
え…
「おい、そういやこいつ、ゾウの時にもこんななってなかったか」
「ズニーシャのアレか!!?」
ローとチョッパーが何か話してたけど
よくわからないそれを理解するようには頭は働かなかった。
「拙者を…、拙者をお主の船へ連れて行くでござる…!ここではよく、聞こえぬ…!!ぅわぁああっ!!」
小さいって言っても、何てことなく抱えられる重さじゃない。
後になって考えたら、ローにシャンブって貰った方が楽だったし早かった。
でもなんだか、必死で。
そうしなきゃって凄く思って。
モモの助くんを抱えあげて必死で走った。
走ってるからだけじゃない動悸が、ずっと頭に響いてた。
「あれ?ウイどうし──
「ごめん!!──急いで、る!」
モモの助を抱え一心不乱に駈けるウイが目的地の途中ポーラータングへ差し掛かった時
ハートの海賊団のクルー達はその身を鍛える為甲板に出ている者が多く居た。
そんな中、勝手にライバル認定した敵にまたもや持っていかれたと密かに苛立つ白熊が
思いの外早くにウイが戻ってきた事に顔を輝かせる。
がしかし
ウイは今それどころではない。
幻覚に魘されているかと思われたモモの助が、自分の名を知っていた。
更にはモモの助が口にした、"母君"という譫言。
散々自身の作り上げた空想と2年間を共にしたウイは、実のところ死後の世界を盲信している訳ではなかった。
それが存在するのであれば確実に会いに来てくれるだろう人物は、何度その存在を泣きながら求めても
応えてくれる事はなかったから。
それを知っているからこそ、蓋をした。
否定したくなくて、見ないふりをした。
空想の中の恋人に心酔していたウイの無意識は知っていた。
死んだ者がこの世に漂う事はないことを。
それがつい先日、覆された。
死者の想いはこの世に残る。
形は違えど、まだ存在していると。
「どしたのウイちゃん」
「本当に、ごめん!どいて!!」
その声はきっとこう言ったから。
"フリーウィングに行け"と。
あの、船主であるウイ以外を拒み
ウイを思うところへ安全に運んでくれる、不思議な船に行けと。
昔、その不思議な船と出会った造船所で聞いた話。
その船が港へ着いた時、若い女がそこから降りてきたと。
ウイが想像する自分には聞こえぬ声の主は、記憶を掘り起こす限り
いつも美しく若々しかった。
恋人が別れを告げに来た時、心のどこかで思った。
こんな事が起こり得るのであれば、その人も傍に居るのではないかと。
「ごめん、ね。こんなに、揺らし、ちゃったら、頭、痛いよ、ね」
「大丈夫で、ござる。少しずつ、良くなって来た気が…」
腕の中の幼子を抱えながら、ウイはただ
走った。
「一つ、聞きたい。お主は死者で、ござるか…?」
慣れた船へとやっとの思いでたどり着いたウイは、モモの助を甲板へと降ろしその荒い息を整える。
あまり身体機能が優れてはいないその体はあちこちが悲鳴をあげ、限界を越えて尚走りぬけた事による代償が
喉に血を滲ませる形で現れる程だった。
「死者は全て、この世に残るでござるか!?拙者にも、どうしても会いたい者がいる…!!」
酸欠で霞む視界が色を取り戻し始めた頃、モモの助が誰かと話している一方的な声を
ウイは認識出来るようになる。
つい、気にもかけずに置いて来てしまった恋人や
様子の可笑しい彼女を心配した友が船へと駆けつけたのも
丁度同じ頃。
「そうか…。…拙者は何をすれば良い。どうすればお主の力になれる」
「モモの、助くん…」
見えぬ相手と言葉を交わす幼い侍の名を、ウイは期待を込めて呼んだ。
「ウイ、運んでくれてご苦労であった。…お主に伝える事がある」
神妙な顔をしたモモの助がウイへと向き直る。
その目には光るものが滲んでいる気がした。
「そのまま、伝える…!心して聞くが良い…!」
聞けと言われたウイには、返事が出来なかった。
それを了承出来ない訳ではない。
ただ──
あまりの事に声を出す事はおろか、頷く事でさえも
出来ずにいたから。
そんな恋人の姿に、同じく状況を悟ったローが駆け寄る。
ぺたりと座り込むウイを気遣いながらも、彼こそが更に状況を理解していた。
ローはゾウで、自分には聞こえぬ声を聞くモモの助を目の当たりにしていたから。
死した人物がこの世に霊障を起こす事を、二度も体験していたから。
謎のままそういうものだと納得せざるを得なかった船がウイだけを守り
その船が昔、ウイの危険を察知しては荒れ狂い
助ける為に力を貸せと言う己の言葉に耳を貸した覚えが
確かにあったから。
ローの中で結論は出ていた。
モモの助を苦しめている声の正体は
フリーウィングに宿るウイの母親であると。
「母様…そこに、いるの…?」
「『ずっと居たわ。母様はずっと、この船と一緒にあなたを見守ってた』と申しておる」
その言葉を聞くや否や、ウイの目からは大粒の涙が次々溢れだす。
「母様、あの…ごめんなさい!私がヘマしたから。だから母様は…!」
「『ウイは何も謝らなければいけない事なんてしていないわ。謝らなければいけないのは寧ろ…母様の方』と申しておる」
父親に捨てられたウイは
その理由の在りかを自分に求めないことを決めた。
だがしかし
母親の件はまた、別の問題。
自分が父親に気付かれなければ、庇われなければ
母親は死なずに済んだという後悔がずっと心の底にあった。
「『私のせいで、あなたには随分辛く寂しい思いをさせてしまった。それは私がこうなる前も、その後も』──
「母様のせいなんかじゃない!!母様はいつでも優しかった!私の為にいつも──力になろうって、頑張ってくれてるの、知ってた!!」
思い起こすのは生家で過ごした日々の記憶。
つらい事の多いその中で、確かに存在する楽しかった思い出。
そこにはいつも、母親の笑顔があった。
「母様のこと私…大好きだった…!!!」
「『…ありがとう、ウイ。ずっと見てたからそれはもう痛い程解ってたんだけど…こうして言葉で聞けて、母様凄く嬉しい』」
大好きな母親はいつも自分の味方だった。
ただ無条件で愛されている事を信じられる、ウイの唯一の拠り所だった。
「フリーウィングがずっと私を守ってくれてたの、母様だったの…?」
「『ええ。傍に居られない代わりに、寂しいって泣くあなたを抱きしめられない代わりに。母様頑張っちゃったわ』」
言葉として鼓膜を揺らすのは、昔聞いた母の声ではなくモモの助のそれ。
だがしかし、覚えのある口調は更にウイの涙腺を緩ませた。
「『少しだけ、だけど。船から離れたウイを助ける事も出来たわ。…だからこれからは、母様をアテにして無理したりしちゃダメよ?』」
「…!!!待って!これからって、母様も行ってしまうの!?」
ぞっとするなにかがウイの体を駆け巡る。
その名前は、喪失感。
それは恋人であった者が旅立つ事を告げた時の何倍もの深さで、ウイに打ち寄せた。
亡くなった母親が、死後もずっと傍らにいてくれた事を知り
これまで不思議でしかなかった船の謎と不思議な力の正体を知り
母の愛の深さを知った途端、噛み締めて過ごす時間すら与えられずにそれは去っていくと言う。
現実とは時に、残酷だ。
「『エースくんにも聞いたでしょう?私は人が赦される時間以上に、ここに留まってる。もう時間がないのよ。こうやって話せて本当に──
「嫌!!絶対嫌!!…私ずっと、我儘なんて言わなかったじゃない…!だからお願い母様…」
ウイは幼い頃から、大人を困らせる我儘を言わない子供だった。
顔色を伺い、それを嗅ぎ分け
困らせない程度の自己主張をしてきた。
「行かないで…ぇ…」
ウイは泣き崩れた。
彼女は本当はわかっている。
それが決して聞き入れられる事がないことを。
これはきっと、最初で最後の叶う事のない我儘。
「『母様はもう、満足よ?あのままあの邸に居ても、あの時二人で逃げきれたとしても。…きっと今以上の幸せを、あなたにあげられなかったもの』」
我儘とは難しいもので
時に人を困らせ、喜ばせもする。
我儘は嘘のない、ありのままの本音だから。
叶う事のないその願いは、実体を持たぬ母の胸を強く打った。
「『あの日、父様から逃げる為にあなたを迎えに行った時──私は誓ったの。この子の翼になろうって』」
そんな娘の我儘を、母は叶えてあげたかった事だろう。
もっと言わせてあげたかった事だろう。
互いが互いを想う気持ちは痛い程伝わっているというのに
無情にも世の理がそれを阻む。
「『なぜ抱き締めてあげられないんだろうって、悔しくて仕方なくて。…あなたの隣で一緒に泣いた事もあったのよ?ウイは気付いていなかったでしょうけど』」
ウイの頬を伝う涙は、何の感情が生み出しているのか。
様々な想いの混じり合ったこの涙に名前をつけてしまうのは恐らく
不粋としか言えないだろう。