17-39
「『だからもう泣かないの。母様は笑ってるウイが、一番好きよ』と…申して…おる!!」
代弁者を務めあげるモモの助の目からは、大粒の涙が溢れていた。
二人を、その過去を知らぬ者にとっても
母が子を想い、子が母を求めるその光景はただ涙を誘う。
モモの助もまた、親を求める気持ちに覚えがあったから。
自分にしか聞こえぬこの声は
今は亡き親が自分にかけてくれている言葉のようで、より他人事とは思えなかったのかもしれない。
「『ローくん。ちょっと破天荒な娘だけど…ウイのこと、よろしく頼みます』」
「…当然だ」
それを任された男は、無愛想に返事をした。
頼まれなくともそのつもりだとでも言うように。
「『皆もありがとう。あなた達と笑ってるウイを見てるのが、私本当に大好きだったの。これからも、ウイと仲良くしてあげてね』」
言葉をかけられる前から、白熊をはじめとする何人かのハートの海賊団のクルー達は泣いていた。
涙は見せぬ者達も、神妙な面持ちでそれに頷く。
「『ウイ、…最後に。私はあなたの父様をもう、恨んではないわ。だって私今、こんなに幸せで誇らしいもの』」
最後と称された母からの言葉。
鼻を啜りながらそれに耳を傾けるウイの視線は、その姿を探すように宙を彷徨う。
「『形は違っても、誰よりも近くであなたの成長を見て来れた。寧ろ、感謝したいくらい』」
しかしそれは
どんなに探しても、見つけられはしない。
「『それに──あなたって娘に恵まれたのは、他でもないあの人との間に生まれた命が、ウイだったから』」
泣き止もうと
最後は好きだと言ってくれた笑顔で見送ろうと試みはしても、聞こえてくる言葉は次々と新たな涙を生む。
「『本当に感謝してる。ウイ、私の娘に生まれて来てくれてありがとう。いつか生を全うして、これまで以上に沢山のお土産話を準備したあなたが来るのを…向こうで待ってるわ』」
笑える訳などなかった。
「『そうそう。モモの助く…』ん?拙者にでござるか?─────そうか、伝えるでござる」
そんなシリアスとしか言えぬ雰囲気は、何やら様子を変えつつある。
ウイは母親と話しているだろうモモの助を、涙で朦朧とした頭でぼんやり眺めた。
母と子の離別の時
そこに立ち会う誰もが胸を熱くし、心を打たれた。
まだ泣き止む事の出来ぬウイに
無情に突き付けられるもう1つの別れ。
「──という事らしく、『ウイの荷物をシャンブって』と申しておる」
「……」
ウイの母親は、フリーウィングと共に行くらしい。
これまで過ごして来た船には、ウイの私物が積み込まれている。
それを運び出す手伝いを申し付けられる事に、ローは何の不満もなかった。
だが、その物言いに
恋人の母親の人となりを何となく感じ取っては言葉を詰まらせる。
「それも、でござるか?…『一度で良いから言ってみたかったの』と…笑っておる」
「…血は争えねぇな」
呆れたように頭を掻いたローが巨大なルームを展開する。
その後ろで、ウイは納得がいかないように唇を噛みしめながらその様子を眺めていた。
例えもう母はそこに居なくとも、船さえあればその寂しさを少しはまぎらわせる事は出来た。
それ以外にも、このフリーウィング号には沢山の思い出が詰まっていた。
心が空洞にでもなってしまいそう。
そんな空虚な気持ちに苛まれたウイはふと、何かに気付いて顔を上げた。
「母様、あの…フリーウィングってどこから来たの?」
「…『隣の島の造船所から失敬して来ちゃったの。あなたこういうの好きそうだと思って』と、得意気に申して…おる」
窃盗じゃねぇか…
その場にいる者達はあんぐりと口を開け、心の中で同じ言葉を呟いた。
ウイもまた、面食らったように目を見開き
そして笑った。
どうやら彼女の周りには、盗みを厭わない者が集まるらしい。
ローにかかれば、一瞬で終わってしまう引っ越し作業。
傍目にはわからないそれをローが告げる前に、声はモモの助に語りかける。
「皆の者、隣に移るでござる。もう、行くらしい」
終わりは容赦なく訪れる。
どんなに名残惜しかろうと、それは待ってはくれない。
ぞろぞろとフリーウィングを後にする者達の最後尾を、恋人に支えられながら頼りない足取りで着いていくウイは
何度も何度も後ろを振り返った。
もう何年も過ごした船。
ここで自由を知り、孤独と戦い、大切な人達に出会った。
他人との共同生活。
それは会いに行くというイベントではなく、日常の一部。
どんなに顔を合わせたくなくとも、喧嘩しようとも
同じ場所で眠り、目覚める。
簡単には切り離せないからこそ深まる絆がある。
家族と縁の薄かったウイは、それをこの船で学んだ。
仕事という社会での役割を全うし
出会いと別れを繰り返し
成長していくウイの傍らには、いつもこの船がいた。
自分の壁を打ち破ったのも
愛する者と結ばれたのも、全てこの船の上での出来事。
そしてそれは、母の愛の結晶でもあった。
ウイの頭を、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
ウイの最後の一歩がフリーウィングから離れたその時
ゆっくりと船が動き始めた。
「ウイ、…母、ぎみ…が!!『愛してるわ』と…っ!!」
込み上げて来る物が震わせる声を何とか堪え、モモの助が本当に最後の言葉をウイへと伝える。
「ありが…とう…っ!!母様…、私も…愛して、る…!!」
泣き腫らしたその顔はもう、涙でぐしゃぐしゃだった。
何とか言葉となった娘のそれを聞き届けると、フリーウィングは水平線へと向かって速度を上げる。
まだ日も高い時刻。
空は快晴。
雲ひとつない空は溌剌としていて
更に深い青を日の光で輝かせる海は、時に波立ち白い模様を作りあげる。
そんな中を進む一隻の帆船が
徐々に、徐々に小さくなっていった。
それをウイは、唇を噛みしめじっと見つめる。
「我慢すんな。泣きたきゃ泣け」
隣から降ってきた声にびくりと震えた細い肩。
「───うぅ…っ!ひっく、うぇ…!!」
ただ、波の音と混ざり合う咽び泣く声が、潜水艦の甲板に響き渡った。
止めどなく流れる涙を、ウイは拭おうとはしなかった。
一秒でも惜しいとでも言うように船影を見つめ続けるウイの手を
大きな骨ばった手が、握りしめた。
気が済むまで泣いた。
もうフリーウィングの影が点にも見えない程に遠ざかっても、その方向に母様がまだ居る気がして
ただその方角を見つめては泣き続けた。
その間、ローは何も言わずにずっと手を握ってくれてた。
何もかもを失ってしまったように思えた中で、それがただ心強かった。
一人じゃないって、そう思えた。
どのくらいそうしていたかわからない。
あの時はどうだったかな、この時はどうだったかなって
母様が傍にいてくれた事を付け加えた思い出巡りも終えて。
色んな事を考えて。
考え尽くした結果、何だか心が空っぽになった気がした。
寂しい気持ちはまだあるけど、なくなって欲しくなかったもの達は、重苦しいものも一緒に消してくれたかのように
そう思えた。
「ごめん…もう大丈…ぶ!?」
びっくりした。
ローにありがとうって言わなきゃって思って横を向いたら、視界の端にずらりと並ぶ皆の姿が見えたから。
皆は私が泣いてる間中ずっと、誰一人欠けずに残っていてくれてたから。
「ご、ごめん!待っててくれたの?何にも聞こえないから戻ったとばかり──
「俺らがいるよ」
真剣な顔でそう口にするベポに
しんと静まり返った心の中で、何かがバウンドしたような、そんな心地を覚える。
「もう、家族みたいなもんでしょ?俺たち」
「血の繋がりはねぇけど、…何年だ?人並以上の付き合いだろ」
なんで、そういう事…言うかな。
「4年前にもう決まってたしね。必ず迎えに行くって」
人が折角、泣き止んだのに。
「ウイが帰る場所なら、ここがあるじゃん」
もう泣かないって
湿っぽいのはおしまいって、──そう決めたのに。
「おかえり、ウイ」
「うわーんっ…!ベポぉー!!!」
もう耐えられなくて、体当たりで抱きついた。
ベポはそれを軽々受け止めてくれて、よしよーしって頭を撫でてくれた。
周りの皆が笑顔でいてくれるのも、うんうん頷いてくれてるのも
そんな些細な事が堪らなく嬉しく感じた。
心が温かいもので満たされていく。
空っぽだったから、それは本当に
芯まで染み渡るような、そんな幸せな心地だった。
「さて。今日もするのかしら?宴。誰かさんの歓迎会?それともおかえり会?」
解散、とでも言うようにパンパンって
アンさんが両の手を打つ音が響く。
「珍しいじゃん、酒飲めねぇアンが宴やろうだなんて。おまえ何だかんだでウイのこと──
「この酒瓶の山が見えない?どうするのよこんなに」
「あはは…ごめん、なさい」
よく見てみたら、船室に入りきらなかったと思われるお酒の山が
黄色い潜水艦の甲板を埋め尽くしていた。
「よっしゃ!!野郎共宴だー!!」
「なんでシャチが仕切ってんの?別に良いけど」
一際大きな声をあげたシャチに、冷静なベポの突っ込みが突き刺さる。
なんかスベらされたみたいになってるけど、少しの間のあとぽつぽつ吹き出す声は増えていって。
結局最後は皆がゲラゲラ笑ってた。
私の為に、こうして集まってくれる人が
笑顔を向けてくれる人が沢山居る。
いつもそこにあったものが、今は凄く貴重なものに感じた。