18-10
「え…ごめん。…どういうつもり?」
ウイは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ父親を無視して、ローにそれを問うた。
心を素直に表して良いのなら、ウイはローに発狂して殴りかかりたかった。
乗り越えようと、忘れようとしているのに
楽しい筈の結婚式なのに
諸悪の根元である父親を連れて来るという水を差す以外の何物でもない事をしでかしたローが信じられない。
全てを理解して包み込んでくれる存在と認識していた恋人は
父親がして来た事を知っていて尚、門出ならば肉親には出席して貰いたいだろうと
そんな見当違いな事を思ってでもいるのだろうか。
ウイの心には絶望と怒りが充満していた。
「そう出る事はわかっていた。だがこれはおまえがこれ以上くだらねぇ事に怯えねぇ為に…必要だと思った」
「はは、…なにそれ。今更この人が結婚式に来てくれて私が喜ぶとでも本気で思ってる?…ごめんロー、頭大丈夫?」
恋人の返答に、ウイは到底納得出来る筈もない。
その上で、俯き縮こまっている父親へと向き直った。
「今更何のご用ですか?」
「邪魔だったんでしょう?だから売ろうとしたんでしょう?…ここ、その不要な人間の結婚式会場ですけど?」
「…来ておいてなに黙ってるの?私が喜ぶとでも思った?父親ならどんな人間でも子供が歓迎するとでも思ってる?」
怒鳴り散らす事こそないものの、ウイの口からは非難が濃く滲む言葉が次々と溢れ出る。
その声は時折、怒りで震えていた。
「ねぇ、見てよ。凄いでしょ。明後日はここが満員になるくらいの人が私の結婚を祝いに来てくれるの」
ウイは父親を前に両手を広げた。
背景にはその両腕に収まりきらない程大きな豪華客船。
ここが明後日、ウイとローの為にここを訪れる人々で埋め尽くされる。
ただ感謝しかない。
自分達の為だけに集ってくれようとしている彼らに対して。
そんな有難い好意を
目の前の相手を貶める材料に使ってしまう事に自己嫌悪を感じつつも、それを抑える事は出来なかった。
これまで何度も心の中で唱えた眠っていた恨み言達は
つつかれた事で目を覚まし、ウイの体の中でどす黒く蠢いていた。
"適当な金額でも売り払いたい邪魔で価値のない人間"
ウイはこれまで、それに酷く縛られて来た。
「はした金でも厄介払いしたかった娘が…今更惜しくでもなった?」
常に相手の顔色が気になった。
気を回し我慢や努力を重ね、自分の気持ちや安全なんてものはいつも後回しだった。
役に立てるように
迷惑をかけないように
父親に貼られたレッテルを否定する為
どんな時でもそれが一挙手一投足にまで染み着いていた。
何度叱られようと、改善されぬそれにかえって周りが頭を抱えようと
自分が守られ周りが困る事態に陥ってしまえば
例えそこにウイの責任はなくとも、なんの意味も価値もなかったのだ。
誰を救えても
何か役に立てたとしても
それを何度繰り返そうと
選べる選択肢に人の役に立てる可能性が僅かでも存在するならば、それはウイにとって"絶対に"選ばなければならぬものに見えてしまう。
役に立てなければ、認めなければならない。
父親に捨てられた自分を自分で肯定するような真似は、例え大切な仲間に何度叱られようと出来なかった。
改善される事はなかった。
「今更父親ごっこ?…私が今どんな気持ちでいるか、言われないとわからない?」
「…すまな──
「謝らないで」
何の反論も返事もない相手を一方的に詰たウイは
ようやく開かれた口から紡がれようとする謝罪の言葉を容赦なく遮った。
「…どうせそれだって、自分の罪悪感を軽くしたいだけでしょう?」
蔑むような、生ゴミでも見るような目。
本当に嫌悪が滲み出た顔で、ウイは父親を見据えていた。
恨みもある。
憎しみもある。
過去自分を閉じ込め、母親と親からの愛情いう質を取られ
幼いウイに父親に従う以外の選択肢は見いだせなかった。
当時の父は、ウイが逆らう事等考え付きもしないほど絶対的な存在だった。
そんな狭い世界で生きていた。
この人は本当に、あの父親なのだろうか。
こんなにもちっぽけな生き物だっただろうか。
こんな叩けば折れてしまいそうな存在に
自分は逆らえず言われるがままに囚われ縛られて、飼われていたのだろうか。
それは複雑な感情だった。
「そんな自己満足な謝罪の言葉聞きたくない。自分で投げ捨てて踏みつけたもの、よく今更拾えるね?凄いね」
もうウイには、この気持ちをどうしたら良いのかがわからなかった。
この生き物をここでどんなに言い負かす事が叶っても
過ぎ去った日々は返って来はしない。
「自分がしてることが滑稽だって、エゴだって…それも解らない程頭悪いの?それとも私ならまだ利用出来るって、そこまでバカにしてるの?」
これは正解の存在しない二択。
己の愚かさか、誠意のなさか
それを選べと投げて捨てた悪意の塊。
どちらが選ばれようと、ウイの心の傷が癒される事はない。
ウイは怒りで震える手を握りしめ、目の前で小さくなるそれがどう動くのかを
試すような目で睨み付け続けた。
しかし父親は、弁明することもなく口を閉ざし
ただ下を向き続ける。
「なに黙ってるのよ。謝りなさいよ」
重苦しい沈黙。
誰も口を開けずにいるその空気のなか
場を動かしたのはアンの声だった。
「そこで黙ったら!本当に自分が楽になりたい為に謝ろうとしたみたいじゃない!!…謝りなさいよ」
その声に顔を上げたウイの父親の目には、何の光りもない。
絶望、諦め、悔い…そんな負の感情が混沌と渦巻いていた。
「なんでウイがああ言ったと思ってるの?…違うよって、許されなくても!自分の罪悪感は全然減らなくても!!それでもウイに申し訳なかったって!」
何も言えずにいた周りの人間がはっと顔色を変える。
ウイにとって、この人物とそれに関する出来事が単純で軽い物ではないことを彼らは嫌と言う程知っていた。
だからこそ、口を挟めずにただ見守る事しか出来なかった。
「そう言って欲しくてああ言ったのがなんでわからないの!!?」
似た経験をしているからこそ、解る何かがあるのかもしれない。
謝罪の言葉1つで解決出来るものではない。
だが永年苦しめられてきた存在からの謝罪は、解決法でなくとも意味をもつ。
その重さや価値は、その状況を経験した者にしか解らない。
部外者には到底、計り知れるものではない。
「私が…した事が、謝った程度で許されるとは…思っていない。だがローさんが目の前に現れて、ウイに会わせて貰えると聞いて…」
弱々しい声だった。
ポツリポツリと話し出した父親を、ウイが再度遮り黙らせる事はなかった。
「最初に思った事は、謝らねばならないと。…それだった」
しなかったのか
出来なかったのかは定かではない。
言葉を発する事もなく立つウイの手は、爪が食い込む程堅く握られ
何かを堪えるように唇はぎゅっと噛み締められていた。
「自分の保身の為ではない。ウイが怒るのも、…当然だ。結婚式も…私がその場にいるのが、目に入るだけでも不快だろう…出席はしないよ」
その様子を、周りはただ見守った。
言葉を紡ぐ男とウイに交互に視線をやりながら。
「ただ、ウイの結婚を嬉しく思ったのは…勝手かもしれないが事実なんだ。だから…これだけでも受け取っては、くれないだろうか…」
父親が娘に差し出したのは、真っ白な写真立て。
丸みを帯びた花の細工が美しい、純白のウェディングドレスを連想させる石膏のそれを
震える腕でウイの方へと差し出す。
受け取れる程近い距離ではない。
だが負い目のある父親はその距離を詰める為の一歩を踏み出せず、娘の方は先程から指先1つ動かす気配がなかった。
「こんなことを、言うどころか思う資格すらないのはわかっている。…だが今、ウイが元気で…幸せそうで…良かった」
誰一人として微動だにせずにいる沈黙。
それは恐らく、一分にも満たない時間だった事だろう。
だがしかし、誰もがそれを途方もなく長いものに感じていた。
暫しの沈黙の後、意を決して父親が一歩足を踏み出す。
それにびくりとウイの肩が振れた。
男にとっての頼みの綱であるローは先程から沈黙を守っている。
当然の事ながら、娘が許してくれる気配は微塵も感じられず
言わずもがな他の者達は皆娘の味方だろう。
ならば、祝いの品を拒絶されようと、これだけは受け取って貰えるかもしれなくとも
自分が動かねばこの地獄のような沈黙は終わらないと
男は腹をくくった。
一歩ずつ、娘の元へと歩み寄る父親の足取りは重い。
だがしかし
確実にその距離は近付いていた。
ウイの混乱しきった頭は、その存在が近付いて来る事以外を処理しきれずにいた。
謝られた所で、許すつもりは毛頭ない。
けれども
何事もなかったかのように父親として結婚式に出席するつもりでも
許される気でいた訳でもなさそうな事は、なんとなく理解出来ていた。
悲しそうな、申し訳なさそうな表情の中でも
娘の結婚を祝い目尻を下げ何とか口角を持ち上げた父親の差し出したそれは
「…おめでとう、幸せに───ガシャァアン!!!
娘の手によって床板に叩きつけられ、割れた。
砕けた石膏が白い粉となり、美しい写真立てであったそれの周りに飛び散る。
わなわなと震えるウイは一瞬、壊してしまったそれに目を向け唇を噛み締めた。
しかしすぐにギリリと父親を睨み付ける。
「ふ…ざけないで!!自分が何したか!本当に理解してるの!?してて今更こんな事出来るの!!?」
ずっと抑えて来た感情は、そろそろ限界だったようだ。
怒鳴り散らしたウイの目から堪えきれなかった涙が頬を伝う。
「ねぇ、さっきからずっと黙ってるけど自分で連れてきておいてどういうつもり?これで満足!?…何がしたいの…本当に…!!」
ウイの怒りの矛先は父親から恋人へと移る。
一度決壊した涙の堤防は、留まる事を知らず次々とそれを溢れさせた。
怒りに震える声で食って掛かるウイを、ローは動じた様子もなくただじっと見つめ返す。
謝った所で許せそうもないのは、ローに対しても同じ事。
だがそのローは謝る素振りも、動揺した仕草すらも見せない。
「もぅ、…やだ」
それは怒りを通り越した悲しみ。
両手で顔を覆ったウイは、くるりと背を向け船室の中へと走り去っていった。
「ちょ…!キャプテン何やってんの!?本当に正気!?」
「──あぁ、残念だが正気だ」
ウイの去ったその空間で、いつもの調子を取り戻した白くまが船長に詰めよった。