18-38





「…自業自得ってのはこの事か?似合いのツラしてんじゃねぇか」
「!!?なん…であなたがここに!!?」


ひと月前、ローがウイの生家を訪れたその日
ローの目に飛び込んで来たのは予想外の光景だった。


パンパンに膨れ上がった顔や体。
血色も微塵もない顔色。

そこに付き添う見目麗しい見覚えのある女性。


ローは何を思うより先に小さなルームを展開し、意識も朦朧としているであろう男の体をスキャンした。






そこでローは全てを知り、悟る。


男の体は機能しない心臓が停滞させる血液で、溺れていたから。
摂取した水分を排出出来ぬ事で体を浮腫ませ、いつ息絶えても可笑しくない状況の重症患者。
それが目の前にいる目的の人物であった。


「玄関から入った方が良かったか?生憎こっちはてめぇらの都合に付き合いに来た訳じゃねぇ。──そこのジジイに用がある」


それでもまだ息はある。
その意識を保ってこの世に存在している。


放っておけば、いつ死に絶えても可笑しくはない病状。


しかしこの男にはそんな患者をも延命する力があった。
そうしなければならない理由が、この男にはあった。


「悪いけど…そんな状況じゃないのが見てわからない?あなた医者でもあるんでしょう?」
「俺はウイと結婚する。おまえにウイの幸せを願う気持ちが少しでもあるなら…その寿命を伸ばそう」


慢性心不全。
ウイの父親の体はその病魔に侵されていた。
普通の医療では利尿剤を投与してその命を繋ぐまで。


しかしこの男にはそれ以上の治療を施す術がある。
それをするかしないかは、本人の意思による所ではあるが──。


老いぼれた男はゆっくりとした動作でローの姿に目を留め、その言葉に力ない目を見開き
こくりと頷いた。


洞察力に優れた海賊は、自分の支配下であるその空間に存在する人間の心臓を
悪魔の実の力で動かした。





「何が…起こったんだ…?息が…楽に…」
「お前がウイの役に立つのなら、その命…俺がもたせる」


自ずと機能する事のない心臓を、ローは動かした。








ローが愛する女は、これまでずっとこの男に縛られて来た。
彼女の心には大きく深い傷がある。
常時痛む訳ではないそれは、触れなければ目立たない。

ローはその傷を
触れずにいれば、いつか治ると思っていた。
他の事で心を埋め尽くせば、問題ないと思っていた。


しかし何かがそこにぶつかれば、耐え難い程の痛みが彼女を襲う。
ふとした時に、それは疼く。


所詮は対症療法。
それは、痛まぬ時もいつでも
ウイの中に巣食っていた。


「お前はウイを今、どう思ってる」
「…息をする事だけで必死だった私には、それを上手く答えられるだけの気持ちの整理が付いていない。…それがもう二度と会えないと思っていた娘だからこそ、尚更」


ローのオペオペの実により蘇生された命は、死にかけたからこそこの世に残す未練を語りだした。


「謝りたい。許されなくとも、この心に思う気持ちを伝えられるのであれば伝えたい…!!そうなればもう、私は何も思い残す事はない…」


少しずつ引いて行く浮腫み。
そんな中語られる男の言葉に、ローはこの男を生かす事を決めた。


どんな錠もそれに見合う鍵がなければ開かない。
ウイの心の傷を治療するには、この男の存在は不可欠。


「…来てるの?あの子」
「いや。…これは俺の独断だ。アイツは何も知らずに新世界で式の準備をしてる」


病人の横たわるベッドの脇で、美しい女性が怪訝そうに声をあげた。


彼女の名はアイリーン。

ウイの父の後妻で、過去この屋敷で起こった悲惨な事件にも深い関わりを持つ人物。
そして数年前、天竜人お抱えの職人となったウイを連れ戻しに
グランドラインに乗り込んで来た女。







捨てさせたこの家の一人娘を、欲深さ故に連れ戻そうとした。
当時の彼女は誰の目から見てもそうとしか映らなかっただろう。


「まさかとは思うけど、この人をそんな遠くまで行かせる訳じゃないわよね?無理よ、この体じゃ」
「俺が居る。…どこまで持つかは知らねぇが、ここに置いておくより長く持つ事は確かだ」


ローにまで色目を使った女だ。
それはウイだけにとどまらずその父の事すらも、自分の利益の為の道具としか思っていないかのような振る舞いだった。


しかし、これはどういう事だろう。


「私も行くわ。ここで一人待ってなんていられない」
「アイリーン…すまない、私一人で行かせてくれ」


女は夫の身を按じ、負担のかかる事はさせまいと立ちはだかる。
それが叶わぬのなら、せめて傍で看病をすると申し出る。

いつ容態が急変するとも知れない夫を、離れた場所で何も出来ずに待つ事等出来る筈がないと。


来訪者が訪れた時ですら、ただ安静にするしかない病人の傍らにも
この女はずっと付き添っていた。


「大丈夫…かは私にもわからないが、もし生きてウイに会えた時…私一人の方が少しは何かが伝わる気がする」
「安心しろ。そこの女を連れてく気はさらさらねぇよ」


そして一人で行かせてくれと望む夫の意思を、唇を噛みしめながらも受け入れる。
浮腫みの引いて来た手を握りしめながら。


「明日、ここを発つ。それまで準備しとけ」
「…待って。ここに泊まっていきなさい。…部屋を準備させるわ」


踵を返し部屋を出て行こうとするローを、アイリーンは引き止めた。
振り返ったローの顔には、嫌悪の色が濃く滲む。


「あなたの医者としての腕が良い事はわかったわ。少しでも近くに居た方が、何かあった時早く対応出来るでしょう」


立ち上がり使用人の元へ向かうアイリーンも中々の顔付きをしていた。


あなたを気遣っての事じゃない、勘違いするなと。


長い睫毛に縁取られた大きな瞳が、そう言っていた。







「すまない。こんな見苦しい姿で…大分楽になってきた。ありがとう」
「…よく生きてたな。いつ死んでもおかしくねぇ状況だぞ、お前の中身は」


アイリーンが出て行った後、二人きりになったその部屋で新婦の父と新郎は言葉を交わす。


「もう、これを患って5年になる。…天罰だな」
「そこは否定しねぇよ」


天に罰せられる程の事を、この男はした。


実際そんなものはこの世に存在しない。
迷信を嫌うローもその上で言葉を返した。


5年。
それはウイがこの屋敷を飛び出して数年後。
完治する事のないこの病は、徐々に悪化していく。

アイリーンがウイを連れ戻しに来たその時も、既にその体は病魔に蝕まれていた事だろう。





ローは1つの可能性を考えたかもしれない。

性懲りもなくまたウイを利用しようとしたかのように見えた者達には、別の思惑があったのではないかと。


「きみは…」
「ローだ。トラファルガー・ロー。海賊で医者だ」


父親はその男を知っていた。
しかし、普通の関係性では到底ない自分が
馴れ馴れしくその名を呼んで良いものかと思いあぐねていた。


「ローくんは…、なぜ私をウイに会わせようと、思ったんだい?アイリーンが以前ウイを迎えに行ってくれた時の様子を聞く限り…あの子がそれを望んでいるようには思えなくてな」
「望んでねぇよ、アイツは。…だが必要だ」


恐る恐るといった様子で紡がれる言葉は、この男としては当然の疑問。
ウイの幸せを願っているにしては、些か辻褄の合わぬように聞こえるそれ。


「おまえが付けた傷に、ウイは今も苦しめられてる」
「そう…か。本当に、私は取り返しのつかない事を、した」


何年経った事だろう。
男が悔いているそれが起こってから。

しかしそれは、終わった事ではなかった。
悔いてこそいても少しずつ風化されるその思いとは違って、傷を受けた側は今もその痛みに苦しみ続ける。


「聞こえの良い嘘はいらねぇ。知らなきゃ良かったと思う事実で良い。…なぜウイがあんな目にあったのか、それを知らねぇままじゃアイツはそれを乗り越えられねぇ」
「…そうか」


謝りたいとは思っていても
己の罪を自分の口で語るのは、それはそれでつらい事。


しかし男は…それを決めた。







「この部屋を使ってちょうだい。必要なものがあれば準備させるわ。使用人を呼んでも良いし、私はあの人の部屋にいる」
「…あいつの部屋が、見たい」


案内された部屋は、流石貴族様と言わざるを得ない広い客間。
家具や調度品も値が張りそうな、そんな部屋だった。


「…構わないけれど、気分の良いものじゃないわよきっと」


部屋を出ていくアイリーンの後を、黙って付いていった。


赤い絨毯の引かれた広い廊下。
額縁に飾られた絵画。

幼き頃、ウイが過ごした家。


本人は思い出したくもねぇかもしれねぇが、そこをこうして見るのは何とも言えない感情が疼く。


まだ出会う前のアイツは、ここで育ったのかと。











ガチャリ、と聞こえて来た音で
そういえば外から施錠されていたと聞いた事を思い出した。


「ここよ」
「ああ、助かった」


ウイの父親への尽くしようは、正直驚いたし意外だった。
だが嫌そうな顔を隠しもしないこの様子では
主なき部屋にすら鍵をかけていた所をとっても、この女は#Name1#を良くは思っていないんだろう。


薄暗い部屋に明かりをつけても、どこか寂しさの感じる空気は消えなかった。


施錠されていたにしては、埃っぽくない。
そして物がない。

何も納められていない本棚。
ベッドにサイドテーブル、申し訳程度のぬいぐるみ。


まるで生活感が感じられなかった。







母親の件も、売られかけた事も
それはトラウマにもなるだろうとは思っていた。

だがこんな何もねぇ空間で、アイツは一人
何日も何ヵ月も…下手したら何年か?

短いとは決して言えない時間を過ごして来たのかと思うと
あの引きずり様にもただ納得してしまった。


煩ぇくらい騒がしい女だ。
好奇心が旺盛過ぎて、見たことのないものに目を輝かせる。


そんなヤツがこんな所に閉じ込められていた事に
やりきれねぇ思いがただ込み上げた。







そんな中、ベッド脇に置かれた写真立てが目を引いた。


それを覗き見れば、そこにはどこから見ても幸せそうな
家族写真が収まっていた。





destruct at reality.