18-39



一瞬、椅子に腰掛け笑顔を浮かべる女がウイに見えた。


過去の写真。
年齢が合わない。

それに写真でも伝わる程、ウイより穏やかそうな雰囲気がその女からは漂っている。


顔は母親似だったのかと、暗い気持ちで満たされた胸の中にあたたかい物が灯った。


その母親の膝に手を置き満面の笑顔を浮かべている幼い少女こそ、ウイ本人だ。







…アイツかわんねぇな。







まだ4、5歳だろうか。
昔のウイのその姿は、思わずふと笑ってしまう程今と同じで、可愛らしいものだった。


母親のかける椅子に手を添えて立つ男。
穏やかで優しそうな良い父親にしか見えないこの男が、数年後この幸せそうな家族をぶち壊した。


思い描いていた人物とは違った。
もっと突き抜けた頭のイカれた男かと思っていた。


病に侵され写真とは大分変わり果てたあの男は
自分の犯した罪を理解し、悔いていた。


当事者じゃねぇから何とも言えない部分ではあるが
あれもあれで被害者はやりきれねぇんじゃねえかと、ふと思う。


「持っていっても良いわよ、それ」
「いや、今は良い」


案内が済んでも居座り続けるアイリーンの申し出は、遠慮する事にした。


母親の形見を今も大事に持ち続けるウイは、写真があれば喜ぶだろう。
火拳屋の手配書も未だコルクボードに貼られたままだ。


だが、あの父親が話す真実がどんなもので
それを聞いたウイがどう出るかがわからない今、これを持っていくべきではない気がした。






この幸せそうな家族写真は、綺麗な思い出の品になるとは限らない。
それにベッド脇に置かれたこれは、当時のウイを励まし続けた反面
嫌な思い出の象徴でもあるだろう。








誰も居ないこの部屋で一人、ベッドに腰掛けこの写真を眺めるウイの姿が
見えた気がした。

寂しさや不安、心細さや悲しみを宿した顔で
必死で幸せだった頃を取り戻そうと耐えるウイの姿が。


「…おまえはあの時、父親に会わせる為にウイを連れ戻しに来たのか」
「そうよ。病気になってからあの人、ずっとそれを悔やんでたから。だから何?」


見るものも大してない部屋を後にする前に、この女にあの時の真相を
聞いてみたくなった。





「なぜ本当の事を言わなかった」
「…病気のこと?あの人が言うなって。あの頃はまだ今程酷くはなかったから、伏せたまま謝りたかったんじゃないのかしら」


だとしても、他にやりようがあったんじゃねぇだろうか。

素直に謝りたいから探していたと言えば、もっと早くに…
いや、微妙なところだな。


「言っておくけど、私はあの人を愛してる。金や身分に目が眩んだのは本当よ。でもそれだけじゃない」
「興味ねぇよ」


本当に心底興味がない。
あの時の真相さえ聞ければ、この女に用はなかった。


「ただあの子と母親は大嫌い。閉じ込められてたから何よ。目の前で母親を殺されたから何なのよ。ヒューマンショップに売られそうになった事はそんなに気の毒なこと?」


それなのにアイリーンは話をやめない。


言っておきたいのか聞いて欲しいのかは知らねぇが、ウイをどう思おうがそれは好きにすれば良い事だ。


「私はその日生き延びるだけで必死な世界で生きてきた。スラムの人間に人権なんてないわ。盗みがバレて仲間が目の前で殺された事だって何度もある。私だって自分を売って生きてきた」


そんな世界が存在する事も
貴族って身分が恵まれたものであることも、十分知ってる。


「恵まれている癖にそれに感謝もせず当たり前とでも思ってる人間が、苦労も知らずに我儘放題の人間が、私は嫌い。可哀想とも思わない」


苦労をしらねぇとか我儘放題ってのは
どの部分を言ってんだろうな。


ヤカンの原理と同じだ。
同じものでも、見る方角が違ければそれは全く別物に見える。


アイリーンは、俺がそんな世界の存在を知らねぇとでも思ってるんだろうか。
誰がどんな立場から見たとしても、必ず良く見える人間が存在するとでも思ってるんだろうか。


正直、だから何だと聞きたいのはこっちの方だ。


この女の立場から見れば、ウイはそう見えてもなんらおかしくはない。

そんな聞かなくとも分かりきった事を
このタイミングで俺を相手に
さも崇高な考えとでも言いたげに堂々と言い放つその意味が、わからなかった。







「おまえがアイツをどう思おうが、それはおまえの自由だ。生まれや育ちの違いで、理解し合えねぇ人間ってのは存在する」


言いたい事を言って気が済んだのか
俺の返答を待っているようにも見えるアイリーンに言葉を返す。


「良かったな、理解し合える男と出会えて。金も身分も手に入って。…俺はおまえらに、感謝してる」


この女との口喧嘩に勝とうが負けようが、この女が幸せだろうが不幸だろうが欲しい物を手に入れようが入れまいが
俺には何の関係もない事だ。


「おまえやあの男のした事が良いこととは言えねぇな、流石に。…だがそれがなければ、俺はウイに出会えなかった」


あの事件はウイを傷付けた。
苦しめた。

でもそのおかげで、俺はアイツに出会えた。


「俺は俺が愛した女がこれからの人生を前向きに生きていく為にここに来た。アイツの傷が甘ったれたものであろうと、本人が贅沢で我儘だろうと、俺が良ければ問題ねぇ」


他人がウイをどう思おうが、それを聞いて揺らぐ程浅い付き合いじゃねぇ。


アイツの事なら全部知ってる。
面倒臭ぇのも、調子に乗り過ぎんのも、ぶちギレればネジが飛んだかのように怒り狂うのも
優しすぎるのも、人を笑顔にするのが得意なのも
考え方が独特でそれが悪くないのも、全部。


良い面も悪い面も全部ひっくるめたウイが、俺は好きだ。


「おまえが誰と愛し合おうとウイをどう思おうと、咎めるつもりもねぇから好きにしろ」


平静を装いつつも、ひくりと顔が引きつったのは見逃さなかった。


この様子じゃ、引っ掻き回したかったみてぇだな。


まだここに居るつもりらしいアイリーンを残して、使わせて貰う部屋へと戻った。








きっとあの女も、ああなるだけの理由があった。
持って生まれた人格に、環境が、生きてきたこれまでが肉付けされて性格が形成される。


俺とあの女は相容れない、ただそれだけの話。
かと言ってあの女が誰にも受け入れられない訳じゃねぇ。


良いじゃねぇか、今満足してんなら。
好きにやってくれ。







どこかが変というか、慣れない不思議な心地だった。


ウイの父親の体は、さっき動かして来た心臓がその体内に酸素を届けて回ってる。
だが心臓だけじゃねぇ。
循環の悪い血液に曝された腎臓も肝臓も、大分傷んでいた。







恐らく
本当に当日まで持つかが怪しいライン。


これはもう手遅れだ。
正常な心臓を移植しても、それだけではあの体は持たない。

俺がここに来るまで命を繋いでいた事が不思議な程の状態だった。






こんな状況を、前にも経験した。
頂上決戦で受け取り治療した麦わら屋。

あれはウイの父親以上に、なんで生きていられるのかが謎でしかない中身をしていた。


思えば
やはりあの時、俺は何かに呼ばれてあの場所へ行ったんだろうか。


自分でも理解出来ない衝動が、俺を動かした。
だが結果、麦わら屋はドフラミンゴを撃ち落とした。
ウイの心を解かすものを、託されていた。

あそこに俺がいなければ、麦わら屋が死んでいれば
今はない。



結果論でしかねぇそれをあれこれ考える程に、今の自分は暇らしい。


明日からはまた、地獄の大移動だ。
自分一人じゃねぇ。
死にかけた重病人を抱えてのそれは、行き以上に過酷を極めるだろう。









コンコン


「あの…よろしいでしょうか」
「……何だ」


そんな中聞こえてきた、扉を叩く音。
アイリーンではない女の声が、その扉越しに聞こえてきた。


静かに開かれた扉の先に居たのは、見るからに使用人という成りをした
初老の女。


「あの…失礼を承知で参りました。お嬢様の、ウイ様と、結婚されると…伺いまして…」


俯きしどろもどろに言葉を紡ぐその女に、悪い印象は抱かなかった。


「あの…元気にしておられますか?お嬢様。新聞でしかお顔を拝見出来ませんので…どうしておられるかと…その、気になって」
「…いつも煩ぇくらい笑ってる」


あの施錠された部屋が埃を被っていなかったのは
この女の仕業だろうと、直感がそう伝えた。


きっとこの女が、ウイの母親に危険を知らせた人物。
間違いねぇと、そう思った。





「手の届かぬ方となられてしまいましたが…、今でもきっとお嬢様はどんな者へも優しい声をかけておられるような、そんな気がします」
「…あれは昔からか」


肯定を示す俺の言葉に、使用人の顔が綻ぶ。


昔バラの棘で怪我をさせてしまった時に、自分が悪いから責めないでと庇ってくれた事
何かの折に、いつもありがとうと笑顔で労ってくれていた事
お茶の時間には肩叩いてあげると、無理矢理椅子に座らされた事もあったようだ。


あの件のせいで
嫌われる事を恐れ周りを気遣い、人の感情に敏感になったのかと思えば
それはウイ元来のものだったらしい。


「お嬢様のお写真が新聞に載る度に、日に日に奥様に似て来られるのを…嬉しさと申し訳なさが…!」
「アイツはおまえを責めちゃいねぇ。寧ろ恐らく…感謝してんじゃねぇかと思う」


閉じ込められる前#Name1#は
きっと幸せに暮らしてた。

主が戻ってくるかも知れぬ部屋を、新たな女主人の目を盗んで掃除し続けるような者達に囲まれながら。


ウイの様子を聞きたがる使用人に、上手く伝えられた気のしない話をいくつかしてやった。
表現力に欠ける断片的なその話を、その女は嬉しそうに聞いていた。














来て良かったと思う。
あの男を新世界へ連れていく目的以外でも。

治療の為とは言え、この部屋を許された事で
俺は知る筈もなかった事を知る事が出来た。


アイツがそれをどう思うかは、また別の話だな。













翌朝、ウイの父親の体は浮腫が綺麗に取れていた。
小さな荷物と、体積が減ったその体を受け取り


「──シャンブルズ」


俺はその島から姿を消した。



















船での移動より、途中やや過酷な地点を経過してでも
移動はオペオペの実の能力で行われた。

移動と治療を行うローの消耗も激しければ
共に行く者は休息が必要な身。








行きよりも大分時間をかけて、二人はブラーヴェの結婚式場ともなる豪華客船に辿り着く。


ローが新世界を離れたひと月の間には
そんな出来事あった。






destruct at reality.