18-40




「ねぇ!どう、したの?何か、あった?」
「…」


腕を引かれて走りながら、ベポに理由を聞いても返事は返って来なかった。

前を走るその顔は見えない。
けど、遊びや冗談の部類ではない事は伝わってきた。


ポーラータングの甲板と、ブラーヴェの船を経由して客室への階段を降りる。








行き先には、結構早く検討が着いた。
そこに、色んなピースがはまっていく。


少し感じた違和感。
何の欠片かわからなかったそれは、全体がそうなのかもしれないと思えば思うほど
ピタリと噛み合って出来上がっていく。


ローの言葉の節々。
父様の様子、言ってた事。
ガリガリに痩せてたその姿。
ベポのこの焦りよう。

ローは戻って来てから、定期的に私とは別行動をしたがった。

式場の船が見たいって言ったのも
前の晩アンさんの部屋で寝るのを快諾してくれたのも
今思えばおかしかった。









ローは、私と離れて
私に内緒で
何をしていたの?


今、何してるの?










いるんでしょう?
この先に。




父様の部屋に。














数日前、弱い私が父様と向き合う為の盾となってくれた重厚感のある扉。
矛盾する気持ちを行動に移せたのは、物越しでも父様にすがりつけたのは
この扉があったから。


あの時開けなかった扉を、ベポを押し退けて思い切り開いた。


















「父…様…?」













そこにはベッドに横たわり眠る父様と、神妙な顔でこっちを振り向いたローが立っていた。


まだ眠ってる。
昨日は父様も、疲れたと思うし
そんなに遅い時間でもない。










良い夢見てるのかなって思えるような
幸せそうな寝顔だった。























…違う。
そうじゃない。











ここに着くまで私が考えた事は
きっと思い違いじゃない。














本当に寝てるようにしか見えなくても
違和感の欠片はどれもピタリとはまった。







だって
なんでローが今、ここに居るの?

なんでそんな、私以外でもわかってしまうような
やりきれない顔をしてるの?






「ついさっきだ。急に血圧が低下した」
「…どこか、悪かった…の?」


触れた頬はまだ温かい。


信じられない気持ちと裏腹に、ただ寝てるだけの父様にはこんな事出来ないって心のどこかで気付いてしまって
あぁ、もう起きないんだって
それを私も受け入れているんだって、思った。


「末期の慢性心不全。俺がおまえの家に着いた時には、既に大分進行していた」


淡々と告げられる、それ。

















そっ…か。
















昨日の父様の笑った顔が
場面を変えて何度も何度も浮かんでは消えた。

体が、震えてた。




















知っていれば…
病気だって、そんな命も危うい状況だってわかってたら…


わかってたら?
わかってたら私、どうしたんだろう。


「これ、おまえに」


涙は、出てこなかった。
相変わらず震える手で、革のカバーのついた分厚い手帳を受け取る。


いつから使ってたんだろう。
最初の方の紙はもう、よれて黄ばんでる。


留め具を外せば、そこには一通の手紙が挟まってた。
真新しいそれはきっと、私宛のもの。

目を閉じたままの父様の顔と手紙を交互に見て、それを開いた。











"親愛なるウイへ

結婚おめでとう。
とても素敵な式だった。
ウェディングドレス姿、とても綺麗だった。
本当に素晴らしい友人達だった。"


それは、文字を書くのもおぼつかなかったのか、綺麗とは決して言えない、線の震えた大きな文字で綴られていた。

式の事が書いてあるってことは
これはあの後、書いたもの。


"ありがとう。
まさかあんな事を言って貰えるとは思わなくて
嬉しさと後悔が込み上げたよ。

もっと父親らしい事をしてやりたかった。
こんな事以外で、ありがとうと言わせてやりたかった。
なぜあんな事をしたのだろうと、この病を患ってから
後悔しない日はなかった。
こうなって初めて、自分の事以外に考えが及んだ。
未熟で、愚かで、ダメな人間だった。
謝る事しか出来ないが、本当にウイには申し訳ない事をした。"


自分の命がもう長くない事を、父様は知っていたんだもんね。


これはそんな父様が私に遺した、最期の言葉。






"父親らしい想いを抱く事すら許されないようなこんな私の夢が叶ってしまう事は、不公平だな。
ウイにはこの世で一番幸せになって貰いたいと、そう願った時があったんだ。

それを叶える筈だった私は
結果誰よりもウイを苦しめ、つらい思いばかりを与えてしまったな。
私が身の程を弁えぬ無謀な事をせずとも、ウイは自分で幸せになれる力をもっていた。

夢が叶って、自分で幸せを掴んだ娘の頼もしさを見ることが出来て。
私は本当に幸せだった。

私の元へ娘として生まれてしまった事を、ウイは望んでなかったとは思うが
私は感謝している。
最後まで勝手ですまないが、私の元に生まれて来てくれてありがとう。
こんな私にも、最高の孝行をしてくれてありがとう。"








"これを今ウイが読んでいると言うことは、私はもうこの世にはいないのだろう。
ローくんのお陰で、もっと前に尽きていた命が長らえた。
ローくんのお陰で、もうこの人生に思い残すことはない。

黙っておいてくれと、私が頼んだ。
彼を責めないでやって欲しい。

死にかけているからという特殊な状況で、裁かれたくはなかったんだ。
何の責任も取れない私ではあるが、どんな言葉も受け入れるつもりで来たのに
ウイの優しさに、自分の情けなさがまた浮き彫りになったよ。

あの世がどんな場所かはわからないが、いつまでもウイとローくんの幸せを願ってる。

本当にありがとう。


父より"


















その文字を目で追い終えても
頭は働かなかった。
何も、考えられなかった。





言えないけど
言える訳なんてないけど

なんで教えてくれなかったのってローを責めたい、心の隅で騒いでた身勝手な気持ちは
父様に先手を打たれてしまった。


そうじゃなくても私にそんな資格はない。


私は全てを許して再会を喜ぶなんて事を選ばなかったから。
母様を殺した事に関しては、父様を許さないと決めたんだから。


そんな私に
知らせて欲しかったなんて言う権利はない。












まだ実感のわかない頭で、父様の顔をもう一度眺めた。


もう、この目は開かない。
言葉を発する事もない。


…全て、終わったんだ。








「ベポ、悪かったな。戻ってろ」
「…うん」


私を呼びに来てくれたベポは、何も言わなかったけどずっと傍に居てくれた。














「悪かった」


ベポが出ていった扉が閉まった後
ローがそう言ってベッド脇のソファに腰をおろした。


「…何、が?」
「色々、だ」


黙ってた事以外にも何かあるの?


珍しく歯切れの悪い物言いをするローの隣に、私も腰掛ける。


「もう少し、もたせられればおまえも混乱せずに済んだだろ」


あ、そういうこと。


こうやって式の翌日これが開かれるだなんて、父様も想定してなかったんだろうなきっと。


確かに落ち着いてからなら、父様と無事別れた後で
亡骸を見ることなくそれを知れていたら
もっと違ったとは思う。

けど、どんな場所でそれが起ころうと
どう知ろうと

これが何よりも正確な現実だ。


それに…


「ローで無理ならどうしようもない事だよ。…ごめんね、迷惑かけて。ありがとう」


ローが謝る事なんて何もない。
ローが頑張ってくれたから、私は父様と話せた。


「後悔の1つもねぇ人間なんていねぇって、話したろ」
「話したね」


つい最近の話だ。

ローに似合わないその後悔が何なのか、私は面白がって聞こうとしてたね。


「俺はこの男の望む通りにこれをおまえに黙っていて良いのか、あの時点で既に、後悔する気がしてた」
「…ちゃんと全部話せたし聞けたよ?それもローのおかげだよ」


ローに後悔なんて、本当に似合わない。
そんな事、私のせいでさせたくない。


私が笑えば済む。
話したかった事なんてもうないって、全部話せたって。
父様の死期が近い事を知っていたとしても、何も変わらなかったって。

父親だけど、普通のそれとは違うって。


かけたい言葉も労りも、そんなのなかったって。








やだなぁって、ローの肩を叩いた。


ちゃんと笑えてる。
気にしてないふりが出来てる。


良かった。
父様の顔見て涙が出てこなくて。
あの日扉越しにすがり付いたのを誰にも見られてなくて。
纏まらない相反する気持ちの片方を口にしなくて。


ほら、ちゃんと今までの私の行動も
そうしてしまってもどこも矛盾はない。


私は父様の事なんて、そこまで大事に思ってないよって
そんな私がまた笑った。






「そのツラ、やめろ」
「え?」


生まれてこのかたずっとこの顔なんですけどって、今度はバシバシローを叩いた。


でもローの声はどこか、怒ってるように聞こえた。













「…泣けよ。泣きてぇんだろ。責めてぇんだろ、黙ってた俺を」
「そん…な訳ないじゃん。この人が私に何したか忘れたの?」


きつく抱き締められて、そっとその背に手を回した。


取り繕う為だけど、口にした言葉は自分で言って自分で納得出来るものがある。

ベポもアンさんも、そう言ってたじゃない。
この人は私に、父親としてあるまじき事をした。

父様が死んでしまったところで、だから何だ。
当然の報いだ。
普通の親みたいにそれを悲しんで貰えると思ったら、大間違いだ。


「式に出るの許したのだって、素敵な結婚式と皆を自慢したかっただけだし!あの挨拶も!ローが好きになっ──
「随分スラスラ出てくるもんだな。どうでも良い相手の事を」


抱き締められたまま、ローの肩に顎を乗せたままなのに
顔も見えないこの人がどんな顔をしてるのかが容易に想像出来る。


疑われてる。
私の押し込めた気持ちは、気付かれてる。





余計に焦った。
必死でローが勘違いだったって、勘繰りすぎたって思える材料を記憶の中で探した。


「一緒に話して、決めたじゃない。私に一番しっくりくる答え出すのに、ローも付き合ってくれたじゃない。母様の事は許してないし…気持ちがわからなくもないって言っても、あんな事した相手──
「理屈が通らなきゃ不安か」













その一言は、私から息の仕方を奪った。
















「自分の言った事、した事に一貫性を持たせるのが…そんなに大事か」


それは

ローに後悔を背負わせない為に今してるこれだけじゃなく
私がよくしてた事だったから。






間違えちゃいけない。
矛盾してはいけない。


嫌いだから、私。
言ってる事に行動が伴わない人が。

口だけ達者な人が、嫌いだから。


自分が嫌悪感を抱く、そんな人にはなってはいけないって
大好きな人達が離れて言ってしまわない為に
私はそこを常に気にかけてた。


そうしているうちに、いつの間にかそれが癖になってた。




destruct at reality.