5-28
「これは、おいしい」
朝に不味いと言われた紅茶のリベンジは、無事勝利を納めた。
しらみ潰しに探し出した紅茶好きの乗組員から分けて貰ったお勧めのアールグレイの茶葉は、やはり備え付けの物とは別物らしい。
「キミは商人なんだもんね、凄いな。僕は紅茶なんてどれも同じに感じる」
返事は返ってこない。
相変わらず口数は極端に少なくても、少しずつ前に進めてる気がする事がこれまでの気苦労を消し去った。
「何か…何かない?食べられそうなもの、船にあれば持ってくるよ」
「…りんご」
「ちょっと!待ってて!!」
彼女が食べてくれるかもしれないそれを求めて、厨房へと走った。
「何なのあれ。…変な人」
ロイが慌てて出ていった部屋の中で、ウイは一人呟いた。
船室の小さな窓から見える海に、彼女は彼らを探していた。
あるはずもないフリーウィング号の姿を。
無事に逃げ切れただろうか。
ひどい怪我を追っていた彼らは無事だろうか。
突如ガラリと変わった生活の中、どこに向かっているとも知れない船の中で
ウイが思うのは自ら手を放した友人達の事ばかり。
ウォーターセブンには着いたのだろうか。
まだ、途中だろうか。
何日も考える以外何もない時間を過ごせば
同じ事の堂々巡りの末、他の事に目を向けなければという思考が働きもする。
ちょうどウイの頭の中で引っ掛かったのが
あの、いつも食事をはこんで来る変な人物だった。
身の上話を始めたかと思えば、無理矢理口移しで水を飲ませて来たり
紅茶の好みに文句を言えばそれを改善しようとしてきたり、好物を伝えれば準備しようとしてみたり。
ウイにとってロイは謎でしかなかった。
ただあの水飲まされ事件に関しては、彼女も思う事があった。
無理矢理なのは同じ筈なのに、同じ事をされた筈のウイは今回のそれに確かな嫌悪感を感じていた。
あの時もこうだっただろうかと唇に触れれば、頭の中にいつかの記憶が甦る。
それなりに怒って、その報復にと関係者を潰して回ったというのに
今も彼女の中ではそれは楽しい思い出。
その頭は絶望しつつも混乱していた。
あの時もこの位嫌だったのかと。
でもその答えは、彼女の中では出なかった。
皆に会いたい。
どうせ凄いお説教が待ってると思うけど、それでも良いから皆に会いたい。
思うだけなら何でも許される気がした。
自分でこうしたのに、どちらにせよいつか別れるつもりだったのに
本当、どこまで勝手なんだろうな私は。
ガチャッ!!
「りんごあったよ!!」
そんな中ロイがお皿を片手に戻ってきた。
息も切れ切れなこの様子だと、走って来たんだと思う。
お皿の上には可愛らしくウサギにカットされたりんごが乗ってて
そのひと手間を掛けてくれただろう誰かに嬉しさと申し訳なさが沸いた。
いつも折角準備してくれた食事を手も付けずに返してる。
そんな私へのお気遣い。
出されるのも下げて貰うのも一瞬のあの食事に込められた気持ちや労力を、このりんごが伝えてくる。
罪悪感に苛まれながらそれにフォークを刺した。
一口噛れば、甘くて酸っぱい。
美味しい筈なのに、大好きな筈なのに味気ない。
やっぱり何だか…食べたくなかった。
「りんご好きなんだね。あ、ウイって呼んでも良い?」
嬉そうにこっちを見てるこの人はまた、謎な事を言い出した。
この人は果たして、自分と私の立場を本当に理解してるんだろうか。
内心呆れてる。
引いてる。
でも無言は肯定と受け取ったらしいこの人は更に嬉そうに笑った。
こんな無害そうな人懐っこい雰囲気撒き散らしてる癖に、この人はペンギンに血塗れの大怪我をさせた。
私がした事とは言え、そうせざるを得ない状況を作った組織にこの人は所属してて今もその命令に従ってる。
「やっぱり目、少し腫れちゃったね」
馴れ合うつもりはないって改めて思ったのに、その言葉は昨日の事を思い出させる。
この人の、こんな人の胸で
私は昨日バカみたいに大泣きしてしまった。
「明日には治るよ」
別にもうどうでも良い。
一生腫れてても構わない。
だって腫れた目を見せたくない人とはもう、会うこともないだろうから。
キスされて、嫌だった。
水飲まされる為でも嫌だったのに、それ以上の事をこの人はして来て
気持ち悪くて、やめて欲しくて
それをこの人にされてるって事が堪らなく嫌で
気付いたら涙が出てた。
泣き出したら止まらなくなった。
色んなことを引っ張り出して、またそれが悲しくて悔しくて
無限かと思う程涙は溢れて来た。
それからも毎日ロイはりんごと美味しいアールグレイの紅茶を持って来た。
そして何の為にそれを話されてるのか理解出来ないような、他愛のない話をしては帰っていく。
ご飯は相変わらず食べてない。
最初は食欲がなかっただけ。
食べる気が起きなかった。
でも途中から、このまま栄養失調で死んでも良いかなって。
逃げる事も出来なければ、暴れたところで海軍はそんなに困らないんだろうなって思ったら
これが一番効果的な反抗に思えて少し食べたい気のする時もあえて食べなかった。
もう今は空腹なんて感じない。
麻痺してるんだと思う。
少しのりんごと紅茶だけを口にする生活が、もうどれくらい続いてるのか
これからどれだけ続くのかわからない。
まぁ良いや。
どうでも。
皆は元気にしてるかな。
私の事、まだ覚えててくれてるかな。
忘れて欲しくはないけど
ずっと責任とか感じてるなら、それはやだな。
「そういえばウイは他の覇気も使えるの?」
ロイが居たのをすっかり忘れてた。
いつの間にか自分の食事を持ってきて一緒に食べるようになったこの人は、昼食のおにぎりを頬張りながらそんな事を口にした。
おにぎり。
誰かの大好物。
ロイはローと同い年で、同じように妹さんを亡くしているらしいけど
ローはおにぎり食べながらこんな風に話す事なんてしない。
普段だってこんなに喋らない。
「何、覇気って」
「?知らないの?使ってるのに?」
?
何言ってんだこの人って思ったのは顔にも出てたみたいで、ロイはあの不思議な力が覇気っていう事を教えてくれた。
その中でも恐らく、覇王色の覇気っていう珍しいものだって。
私マジカル人間なのかもとか思ったこともあったけど、あれは珍しくてもちゃんと確立されたものらしい。
「でも覇王色の中でも特殊だと思う。普通相手を圧倒するっていうか…気絶させたりするものだから」
気絶させた事はあったけど、他の事が起きた事もあった。
確かに特殊なのかも。
「でも覇王色持ってるなら鍛えれば武装色とか見聞色も使えると思うよ。ウイは見聞色っぽいね」
見聞色っぽいって何。
とりあえず世の中には覇気っていう能力があって、メルビスもこれを使いこなしてて
だから私の覇気も効かなかったしローも歯が立たなかったらしい。
「おいお前ら。…覚悟はできてんだろうな」
ベポに担がれて戻ったフリーウィングが島を発つと、やっと手錠が外された。
重傷のペンギンの処置を終え自分のそれも済ませ、シャチとベポを呼びつけた。
「俺は船長だよな。なぜ言うことが聞けねぇ」
「悪かった」
「ごめんなさい」
反論できないんじゃねぇ、こいつらもこいつらで落ち込んでる。
分かってる。
あのままあそこでどう足掻いても、どうにもならなかったことくらい。
「くそっ…!!」
ダイニングテーブルに拳を思い切り打ち付けた。
助けに行きてぇ。
最後に見た顔は、あのいけすかねぇ取り繕われた笑った顔。
だが本音は違う筈。
怖ぇ筈。
心細い筈。
不安な筈。
だが今それをしたところで、それが実現し得ねぇ事はちゃんと理解してる。
ああして捕まってまで俺らを助けたアイツの行いを無駄にするだけ。
メルビスに自分は敵わねぇ。
捕まって終わり。
わかってる。
わかってるでも…!!!
久しぶりに無力さを痛感した。
ドンキホーテファミリーを離れてから、敵わねぇ相手にぶつかった事はなかった。
ウイが思い付いたシャンブルズの新しい活用法を聞いた時、自分が己の能力に傲り向上心を失っていた事に気がついた。
それを習得して、これで良いと満足していた。
違ぇ。
そういう事じゃねぇ。
上には上がいる。
ドフラミンゴはメルビス以上に強かった筈だ。
そして今も尚、強くなり続けてるんだろう。
こんなことではアイツに勝てねぇ。
ウイのことも守ってやれねぇ。
守ってやるどころかまた俺の方が守られた。
俺が負けなければウイは捕まることもなかった。
アイツにあんなこと、させずに済んだ…!!
膨れ上がるばかりの苛立ちを椅子を蹴り飛ばしぶつける。
バカデケぇ音を立てて倒れるそれを見ても、全く気は晴れなかった。
「キャプテン。落ち着けよ、まぁ」
処置の後寝ていた筈のペンギンが地下から顔を出す。
命に別状はねぇものの、顔色は良くねぇ。
「今回は全員の責任じゃねぇの?アイツもアイツだけど…実際助けられた。アイツがいなきゃ俺ら今頃、皆仲良くあの世行きだ」
傷が痛むのか、顔をしかめ話すペンギンは
傷に響くんだろうがそれをやめなかった。
「今ここでシャチとベポを責めんのは違ぇだろ。頭に血ぃ昇ってんのも、キャプテンが自分を責めてんのも分かる。俺も同じ」
あのペンギンに諭される日が来るとは思わなかった。
「シャチはあれか。どうせ体張らずにウイを置いてきたのに負い目感じて何も言えねぇんだろ」
図星なのか、シャチが唇を噛みしめ俯く。
「言えよ。何か考えあんなら今後どうすべきか。キャプテン今興奮し過ぎて使い物になんねぇし、そういうのは俺よりお前の方が得意だろ」
指名されたシャチは深く息を吐いた後、顔を上げこっちを睨み付けながら口を開いた。
「キャプテンごめん…俺のミスだ。ウイを連れて来ちまったのも、まずベポを呼びに行ったとこからだな…本当にごめん」
「なんで俺?こっちはお気になさらず。…俺がこうなったのはただの力量不足」
俺だけじゃなくペンギンにも頭を下げるシャチに、ペンギンは謝られる事が理解出来ねぇとでも言いたげな顔で頭を掻く。
「助けに行こう。ウイを」
「…どうやって」
見捨てたことにぶちギレておいて、助けに行くと言えばケチをつける俺は一体何がしてぇんだと
自分でもその傍若無人さに呆れる。
「移動させられんじゃねぇかな、ウイ。あそこの海軍支部が手配の大元とか出来過ぎた話はねぇと思う。海軍支部から離れる機会があれば可能性…あるよな、うん」
確かに。
支部は守りが堅ぇし、何よりメルビスが居る。
それに栄えた島とはいえ10億は一海軍支部が動かせる額じゃねぇ。
「海の上なら、船の中なら。護送する相手にもよるけど…キャプテンならウイを取り戻せんじゃねぇか?」
「いいじゃん名案。誰かさん好きだし、シャンブルズタクシー」
護送中の船では、侵入者のいねぇ状況において常にメルビスが傍に居るとは考えずらい。
なぜか能力が効かねぇあの男が邪魔をしなければ、シャンブルズでウイを救い出せる。
周りが海なら陸よりも逃げ切れる可能性は高い。
「おい、ウイのでんでん虫持ってこい」
なんで今それが必要なのかを理解してねぇベポは不思議そうにそれを持ってきた。
かける先は、出来ることなら関わりたくねぇ相手。
だが仕方ねぇ。
背に腹は変えられねぇ。