5-33

「僕は医療のことは素人だ。ただ、軍の医者は彼女が弱りすぎて、血管に針が入らないと頭を抱えていた。」

キミはそれができるんだから、本当に名医なんだろうねと申し訳なさそうにロイが話す。

確かに、これだけ水分の抜けた体では体内の状況が詳細に分かる自分でなければ
彼女の血管に針を刺すことすら難しいのかもしれない。

一応助けようとは頑張ったらしい顔も知らない軍の医者。
同じ医者としてこんな極限情態の患者に適切な処置を行わないことに怒りを感じていたのだが、
無能だとは思いながらも責めるのを辞めた。

「まあ、とりあえず大丈夫なんだよな?」

しつこい程に確認してくるペンギンに頷いて返事をすると、ペンギンは分かりやすく息を吐いて安堵の表情を浮かべた。

「っつーか何?こいつ一っ言も喋んねぇってマジで?俺逆に起きてるウイが黙ってるとこの方が想像できねえんだけど!!」

助かるなら良いよなとばかりに、笑いを堪えるような表情でロイの肩を叩くペンギン。
一応空気は読んだらしいが、結局言いたい所はそこなのかと呆れて物も言えない。

「まるで、人形みたいだったよ。少しずつ、話したり反応してくれるようにはなったけど。」
「人形って!!こんな邪悪な人形需要ねえよ!」

ペンギンはロイに、いつか酔い潰された話やトランプや麻雀でひどい目に合わされた話をひでぇだろと話している。
確かに、あんな機能の人形を欲しがるのは相当な物好きかドMだろう。

話を聞いているロイも、顔が引きつってきている。

シャチやベポもウイの普段の様子を話し、逆にウイのこれまでの様子の詳細を聞いたりと
割と打ち解けているようだ。

「シャチ、粥作れるか?相当薄めたやつだ。重湯からだな。」
「あ?分かった。」

シャチはキッチンへ向かうべく部屋を出ていった。

「スープでも受け付けなかった。多分吐くぞ?」
「誰が食わせてやると思ってんだ。慣れるまでは俺が無理矢理消化させる。」

いつまでも点滴を刺している訳にも行かない。
高濃度の投与が可能な中心静脈は、その分感染のリスクが高い。
ある程度は細菌を取り除けるとは言え、今の彼女は少量の細菌にも勝つことはできないだろう。

無理矢理胃液を分泌させてでも、食べさせるしかないのだ。


点滴の栄養が回ってきたのか、先ほどよりウイの手は温かい。

雑談を終えたらしいロイも、なぜか帰る様子がない。
本当に騙し討ちなどする気がないことも
先ほどの話やこの男の様子から分かった。
もはや借りを返す気も失せた。

だが、あまり気のおけない気配が近くにあるのは居心地が悪い。

「おい。後はこっちに任せろ。さっさと帰れ。」
「え?目が覚めたらウイに色々伝えなきゃいけないことがあるんだ。」

ベガス聖への連絡手段や納期等、伝える前に倒れてしまったらしいウイ。

「また後日来ればいいだろう。」
「僕のこの行動は完全に独断なんだ。あんまり何度もここに出入りしていてはキミ達のことがバレ兼ねない。」

確かに、正論だ。
しかしそうなると、この男はウイが目覚めるまでずっとこの船に居るのだろうか。

ウイは点滴のおかげで意識が保てる位の血糖には回復している。
しかしだからと言って彼女がすぐ意識を取り戻すとも限らない。
人の体はまだ、未知な部分が多い。

「キャプテーン。ある程度冷まして来たけど良かった?」

シャチがトレーに器をのせて部屋へ戻ってきた。
さすがシャチだ。
ペンギンになぞ頼もうものならぐらぐらに煮たった粥を持ってきたであろうと思うと
湯気が立たない程度に冷まされた重湯を運んできた彼を抜擢して良かったと思う。

で?どうすんの寝てるけど、とペンギンがウイの顔を覗きこむ。

「ウイ。起きれるか?ウイ。」

そのまま胃に流し込んでも良いのだが、意識のある情態で口から食べる方が消化の面から見ても都合が良い。
彼女の肩を軽く揺すって声をかけると、ウイは眉を寄せ顔をしかめた後、うっすらと目を開けた。

「ウイ!!俺だ!!分かるか!!?」
「ウイ!!しっかりしろ!!」
「よ"がっだー!!本当に"良がっだー!!」

クルー達は近くにいるこちらの耳が痛くなるほどの声量で身を乗り出してウイに声をかける。
覚醒には適切かもしれないが
急にこれではさすがのウイも可哀想だ。

「あ……れ?みんな、どして?」
「ここはフリーウィングだぜ!?帰ってきたんだ!!」
「ロイが運んできてくれたんだよ!」
「お前大丈夫かよ!!しっかりしろ!!」



弱々しいけれど、ウイの声だ。
久し振りに聞くその声が耳に染み込むような気がした。

「良かった。ペンギン無事だったんだね。」
「あたりめぇだろ勝手に殺すな!!」

人のことばかり心配する所は、本当に変わらない。
死にかけていたのは彼女の方だと言うのに。

「あれ?ロー、ローは?!」

クルー達に囲まれているせいで、彼女から自分の姿は見えないらしい。
こちらからも見えないのだから当然か。

「ここに居る。」

すまん、とシャチが場所を譲るようにどけると
仰向けになった彼女から見えやすいように体を乗り出した。
ウイの視線と、自分のそれが絡まる。
ウイは目を見開き、唇を噛み締めた。
目にはじわりと涙がにじんでいるようにも見える。

そんな反応をされると、抱き締めてしまいたくなる。
彼女の体調を考えても、今は大人しく寝かせておいた方が良いのに。

頭を撫でるくらいは良いだろうと思って手を伸ばすと、衰弱しきった人間とは思えない程の力で腕を引かれた。

前屈みになっていたせいでバランスを崩し
慌てて枕に手をついて体を支えると

ふわりと懐かしいにおいと共に
首に重みとぬくもりを感じた。

「……良かった、無事で。」

耳元で彼女の声が聞こえて初めて
ウイに抱きつかれていることを自覚した。

ああそうか。
彼女と同じシャンプーを使っても彼女の香りとは違うと感じたのは
俺がウイのにおいだと認識していたのは
シャンプーのそれではなく、彼女自身のにおいだ。

温かくて、少し甘いような気がするにおい。

首もとに顔を埋めるようにしがみつく彼女の背中に手を回し、そっと抱き締めた。
背中の肉も削げてしまったせいか、以前よりも抱き心地の悪くなった彼女の体。

ウイが戻ってきた。
ここに、自分の腕の中にウイがいる。

そう思うと、優しく扱おうと思う気持ちとは裏腹に、彼女を抱き締める腕に力がこもった。






ぎゅっ






それにこたえるようにしがみついていた彼女が自分を抱き締める腕の力が増す。






抱きついてきただけでも驚いたが、
そんな彼女のらしくない反応が堪らなく嬉しくて。
彼女にだけ聞こえるようにそっと耳元で呟いた。

「会いたかった。」

気がつくと、そこは見慣れた天井で。
懐かしいにおいがした気がした。

急に同時に顔を出したシャチとペンギンとベポ。
皆が距離に適さない大声でわーわー騒ぐものだから
ぼんやりしていた意識がしっかりとしてきた。

私、帰ってきたんだ。
揺れを感じるここは、フリーウィング号で
皆が目の前にいる。

ベポは顔をぐしゃぐしゃにして泣いてるし、
シャチはいつもの少し呆れたようなそんな顔で笑ってる。
ペンギンは最後に見たときは血まみれで、本当に心配していたのに
目の前でにしし、と笑う彼はいつもの元気なペンギンだ。








あれ。ローがいない。

「ロー、ローは!?」

まさか彼に限ってそんなことはないと思うが
彼も結構な深手を追っていた筈だ。

倒れてしまった私の治療をするなら、彼がここにいる筈なのに、何でローの姿が見えないのだろうか。






「ここに居る。」

群がっている皆の後ろから、聞きなれた低い声が聞こえる。

シャチがよけると、そこにはローがいつもの仏頂面でこちらを見ていた。

ローだ。
ローが目の前に居る。














気がついたら、ローに抱きついていた。
本当にローだって確かめたくて
帰ってきたって実感したくて

温かい体温も
においも
筋肉質な体も

懐かしいそれは目の前にいるのがローだと
私に教えてくれる。

「……良かった、無事で。」

さっき見えた顔には、いつも以上にひどい隈があった気がするけど
怪我もすっかり治っているようでほっとした。

背中に回された手は、なんだかいつもの感じとは違ったけど、
抱き締められたあたたかさが、温もりが、
とても懐かしい。

鼻で深く息を吸い込むと、
ずっと恋しく思っていたローのにおいがした。

ローの腕に力が込められて、少し苦しかったけど
ああ、この感じだとその苦しさが心地良い。

もっと強く抱き締めて欲しくて、私はローの背中をぎゅっと抱き締めた。











「会いたかった。」

耳元で囁くように言われた言葉がくすぐったくて。
私と同じようにローも会いたいと思ってくれていた事が嬉しくて。
目の前にローがいることが、幸せだと思った。




「これは、俺の勝ちで良いんだよな?2ヶ月?俺が一番近い。」


シャチの声にはっと我に返る。
そうだ。私は一体何をやってるんだ。

「あ、あの。ロー?ごめんね急に。ついうっかり。」

いつの間にか回されていた彼の腕がしっかりと頭を押さえているので
ローの肩に埋めた顔があげられない。

目だけ動かすと、シャチとペンギンがニヤニヤとこちらを見ていて
私としたことがなんでこんなことしちゃったんだろうと今さらながらに恥ずかしくなる。

「良かったなーウイ。いや、良かったのはキャプテンか?」
「なんだよ俺の時は随分そっけねぇもんだったな。大体おせぇんだよ。ったく。」

なんだか何を話しているのか分からない部分も多いけど
とにかくこれは恥ずかしすぎる。

「ロー?ごめんって。ね?離して?」

何も言ってくれないローに
どうしたのだろうともう一度声をかけてみた。

「嫌だ。」

へ?

ローは抱き締める腕に更に力を込める。
さすがに、これはちょっと苦しくて痛い。

「あ、俺ら退散した方が良いやつ?これ。」
「じゃあウイ!今度こそ女になれ!」
「ちょっ、ちょっと待って待って待って!!ねえ!って、……ロイ?」

いつかのようにローと二人きりにしようと出ていこうとする皆を引き止めようと彼らを目で追っていたら
ローに貸していたこの部屋の中に、
ロイの姿があった。

なぜ、彼が、ここに?
そういえば、さっきロイが連れてきたとかなんとか誰かが言ってた気もする。

「ウイ、なんか元気そうだから安心したよ。良かった。」
「……ありがとう。」

ロイが困ったような表情で笑っている原因は、私が今ローに抱き締められたまま話しているっていうことも十分あると思うのだが

これはロイに助けを求めて良いところなのか?
散々素っ気なくしてきたから今さら普通に話すのもなんだか恥ずかしい気もする。

そうしているうちに、本当に皆は出ていってしまって、
ロイも居たたまれなくなったのかじゃあ後で、と部屋を出ていってしまった。




まずい。
これはまずいんじゃないか?私。

ど、どうしよう。

ローが何も言わずにただ、私を抱き締めていて
私は皆がいることに恥ずかしくなって背中に回した手を離してしまったんだけど
だからと言ってこの手をどうすれば良いかが分からなくて
そっとローの背中に戻してみた。



destruct at reality.