5-37

強情な彼女は今度はしっかりと歯を噛みしめている。
流石にそこから先に入り込むことはできなくて
唇の裏に舌を挿し込み歯列をなぞった。

「っ!?……んぅ。」

その行為に驚いたらしいウイが閉じられていた目を見開いた。
それに自分の視線を絡めながら、奥歯や頬の裏を舐め上げる。

頑なに歯をくいしばっていることとは対照的に
彼女の目に拒絶の色が見当たらない気がする自分は
本当に頭がどうかしているのだろうか。

歯の内側以外の消毒は終えたものの、流石にこれでは中に侵入できない。
この歯で噛みついた、ということは
あの男はこの先にも踏み入れたということだ。

「その時はこうしなかったんだな。これなら噛みつけねえもんなぁ?」

ウイは肩をビクリと震わせたあと、顔を背けた。
その動作がなんだか気にくわない。

「他に何された。」
「別に、何もされてなっ!!ちょ、ちょっ…ふ……んんっ!!」

彼女の脚を割って間に自分のそれを捩じ込むと、足の付け根に膝をぐりぐりと押し付けた。

慌てて抗議の声を上げた彼女の口を塞ぎ、今度こそ舌を絡めとる。
先ほど飲んでいた経口補水液の味がする彼女の舌を丁寧に舐めあげ、吸い上げるようにしてこちらの口内へと引き入れた。

「ふぁ……、んぅぅっ!!」


噛み付きたければ噛み付け。
これが思い上がりだと言うのなら、早くそれを思い知らせてくれ。

噛み付きやすいようにとこちらに招き入れたウイの舌を
あめ玉でも舐めるように転がしながら味わっていると、

内心動揺が走る。

彼女が手首を押さえていた自分の手にすがるように指先に力を込めている。








ああもう、本当に期待させるだけならやめてくれ。






掴んでいた手首を解放し、指を絡ませ合うように握り直すと、彼女の指が自分の手の甲を繋ぎ止めるように握り返した。

再び彼女の口内へもどった舌で、歯の裏から上顎、舌の付け根まで全てを舐めあげる。

彼女の口の中を全て自分に塗り替えたというのに
絡み合う指が、それを握り返してくれることが
想い合う恋人同士のように感じられて中々それをやめられない。

時折漏れるウイの鼻にかかったような甘い声が
その気持ちに更に拍車をかけた。

どれくらいそうしていただろう。
ウイの口端からは、飲み込みきれなかった唾液が伝い銀色の線を作っており
ぼんやりと視線をこちらに向けるウイの目には、俺を求めるような、すがるような、熱のこもった印象を感じてしまう。

最初こそこちらの舌を押し退けようとしていた彼女の舌は
今や従順にこちらのそれに絡み付く。

ずっとこうしていたい
彼女が数時間前まで死にかけていたということは重々承知しているはずなのに
それ以上を望んでしまう自分がいる。

これ以上は、本当にだめだ。
今のウイの体は、そんな行為に耐え得る体力などない。

彼女の舌先を軽く吸い上げて、それを解放した。

ウイの唇は唾液をまとい、桃色のそれはなんとも扇情的だ。
先ほどと変わらない熱の籠った視線が、名残惜しそうにこちらを見上げる。

「……噛み付か、ねえんだな。」

思っていたことではあるものの、遠回しの事実確認だ。
我ながら男らしくないと呆れてしまう。

ウイは少し遅れて目を見開くと、頬を赤らめて再び顔を背けた。
先ほどと同じ反応だというのに、今度はそれがとても可愛らしく見える。

顔を背けると同時に絡めていた指をほどかれてしまい、それを少し残念だと思ったものの

痛々しい程痩けてしまった彼女の首筋に手を挿し込み、そっとこちらを向かせた。
真正面から眺めると、ウイは今まで見た中で一番といえるほど顔を赤くしていた。

「なぜ噛み付かない。……嫌じゃ、ねえのか?」
「あのっ、えっと、お願いだからちょっと待って!!」

ウイはそう言うと両手で顔を覆ってしまった。
首筋に添えた手からは彼女の早くて強い鼓動がドクドクと感じられる。





これは本当に、期待しても良いのだろうか。





いくらでも待とう。
彼女が話してくれるまで。

ウイの細くて柔らかい髪を撫でながら
彼女が落ち着くまで、こうしていることにした。



「あの、何て言ったら良いのか分からない。」


彼女の髪を指に巻き付け時間を潰していると、顔を覆ったままの彼女がぽつりぽつりと話し出した。


「キスが、キスが嫌とか、嫌ってどういうことなのか分からない、けど!!」


彼女の顔を覆う手をどけたいとは思うものの、そうすればウイはまた黙ってしまう気がする。
仕方なく、そのままで彼女の声に耳を傾けた。


「なんで?って、びっくりするし、恥ずかしい。なんか、変な気分になるし、でも気持ち悪いとか!!そんなんじゃなくて!」

見なくても分かる。
今彼女の顔は真っ赤だろう。
纏まりのない彼女の言葉。
気持ち悪くはないと、やたら強く言う彼女が本当に可愛らしい。
先ほどの様子を見ていれば、なんとなくそれは分かっていたのだが
本人の口からそれを聞けると言うのはこんなにも嬉しい物なのか。


「本当にどうにかなりそうなくらい恥ずかしいの!だから、からかって面白がってるだけなら本当にやめて!」
「からかってるつもりも面白がってるつもりもねえよ。」


それなら、良いと
そう解釈して良いのだろうか。


「そうじゃなければ構わねえんだろ?」
「いや、あの!そういうんじゃなくて!!って、え?あの、ぇえ!!?じゃあローって、ぅええぇえっ!!?」


否定しようとしたらしく手から顔を覗かせたと思ったら、
何かに気付いたらしく、人のことを信じられない物を見るような目で見て、
再び手で顔を覆ってしまった。
これは自分の気持ちが伝わったと見て良いのだろうか。
彼女らしいと言えば彼女らしいのだが、
もう少し驚き方の方をなんとかできないものかと思う。

そんなに驚く事だろうか。
今までもそれとなく気持ちは伝えてきたつもりではいたし、ウイも自分も年頃の男女だ。

身近な異性の一人が、自分に好意を寄せているということは
そんなに珍しい事でもないだろう。

未だに驚きでわなわなしている彼女の手を無理矢理押し退けると、泣きそうな顔をした彼女の顔が現れた。


「何をそんなに驚くことがあんだよ。」
「だ、だって!!」
「お前だって父親と母親が愛し合って生まれてきたんだろうが。世の中にどんだけ人間がいると思ってる。そう珍しいことじゃねえだろ。」


物の例えで、そう口にしたつもりだった。
しかし、ウイの顔から一瞬にして表情が消えた。

染まっていた頬はその赤みをいつの間にかどこかへ拡散させてしまったらしく

驚いた表情を作っていた顔の筋肉はどれも緊張を解き、ただこちらを見上げている目からも先ほどまでのような感情は読み取れない。

自分は何かまずいことを言ってしまったのだろうか。

「ウイ?」

名前を呼ばれたことで何度か瞬きをした彼女の様子を見て、先ほどまでそれすらせずに彼女が固まっていたことに気付いた。

「あ、ごめんごめん。そうだよねえ。」

何事もなかったかのようにように笑顔を浮かべるウイ。
彼女のこの顔には正直嫌いだ。
何かを取り繕う時の、触れられたくない所から相手を遠ざけるための、そんな笑顔だ。

ウイがそれ飲みたい、とタンブラーを指差すものだから
サイドテーブルに置かれたそれに仕方なく手を伸ばすと
その間に彼女は体を起こしてしまっていた。

ありがとうとお礼を良いながらそれに口をつけ、やっぱこれ美味しいねとニコニコ笑うウイ。

先ほどまでのことは夢だったのかと思うほど、
焦りも驚きも微塵も感じられない彼女の様子。

感情に素直だった彼女は、殻に閉じ籠ってしまったようだ。

「でもロー!ああいうことはダメって前にも言ったでしょ?」
「アイツは嫌でも、俺は嫌じゃねえんだろ。」


この流れはダメだ。
彼女は自分を遠ざけようとしている。


「ロイが、キス下手だったんだよ。きっと。」


チャラ男ヤリチンのローさんにはそりゃ敵いませんわとヘラヘラ笑いながらバシバシ肩を叩かれる。


「おい。俺もそろそろ怒るぞ。」


自分でも驚くほど低い声が出た。
ウイは俺の気持ちに気付いている。
分かっていて、それを遠ざけようとしている。


「やだなぁ。自分の普段の行いを恨みなさいよ。」


口ではまだ怒っていないと言いつつも、既に苛立っているこの感情は恐らく顔にも出ているだろう。
しかしウイはそれに気付かないふりをして笑って誤魔化そうとしている。



確かにこれまで、顔も人数すらも覚えていない程の女を抱いてきた。

でもウイが好きだと自覚してからは、むしろ彼女と出会ってからは、
一度もそれをしていない。

そんなことを言われる謂れはない。

そういえばこれって何入ってるのとタンブラーを持ちながらきょとんとこちらを向くウイ。
確実に話題を逸らそうとしているウイに

お前は、俺の気持ちまで見なかったことにするつもりなのかと

怒りと焦りが入り交じったような感情が沸き上がる。


「俺はお前のことが好「ローはこれから先女の人仲間にする気はないの?」


なかったことにされたくなくて、否定でも拒絶でも良いから
彼女の本当の気持ちが聞きたくて

彼女が同じ気持ちではなければ言わまいと決めたはずの言葉がつい、口から溢れてしまった。

でも、それすらも
ウイは自分の言葉でかきけしてしまう。


「私以外で、だよ?女の人は仲間にしないの?」


ウイは困ったように、眉を少し下げながら
でもやはり笑っている。

自分の告白をかき消されたことに苛立ちを感じて黙っていると、どうなのと言いたげな彼女の視線がまとわりつく。


「男だけに拘るつもりはねえよ。仲間にしてえと思った奴がいれば、それが男だろうと女だろうと関係ねえ。」


脈絡のない質問ではあったが、実際そう考えているのでそれを素直に口にした。
ウイはその言葉を聞いて、一度目を伏せたものの
しっかりとこちらを向き直して口を開く。


「じゃあいつか、女の人が仲間になったとき、ローはその人にもこういうことするの?」
「だからそういうんじゃねえって言ってるだろ!!!」


さっきからどうにも自分の気持ちを違う方向に持っていこうとしている彼女に腹が立ち、
こんなに大声を出したのは久しぶりではないかと思うほどに声を荒立てた。
その声量にびくりと肩を震わせたものの
ウイはふにゃりと笑いながらそっかと呟いた。


「私ね、断っちゃったけど、ローが私のことを仲間だって思ってくれてるのが凄く嬉しいんだ。」


宙に目線を漂わせながらそう話すウイの様子は、いつかソニアが昔話を自分にした時のそれを思い出させた。


「ローは、凄く仲間想いじゃない?だから私も、ローにとって特別なんだっていうことが凄く嬉しい。」


そういう、ことか。
仲間にならないくせに、
随分と都合の良いところだけ仲間という言葉を使うものだ。



destruct at reality.