-3話
予鈴が鳴ると忙しなくかける足音が廊下に響く。柔らかい10代の笑い声が溢れる校内は平和そのものだ。レインはマックスは共に次の授業が行われる教室に移動していた。
レインが突然歩みを止める。一歩先で止まったマックスはふわりと甘い匂いが漂っているのに気がついた。
「ヨーク」集団に声をかけると、すれ違ったうちの一人が振り返った。「おはよう」先に挨拶したのは丸い瞳でこちらを見上げるシンリーだった。
「おはよう……。これから授業だぞ」シンリーが向かっているのは一年生の教室とは別の方向だった。「うん。サボるけど?」あっけらかんに、堂々と、隠すことなくサボり宣言をする。
「サボるな。授業にはちゃんと出ろ。単位を落としても知らねえぞ」
「はいはい。君は人の面倒が見れるくらい人間ができてて羨ましいかぎりだね」
レインとシンリーはたまにすれ違った時に雑談をする程度にはお互いの態度を軟化させていた。
それだけではあったものの、レインにとってもシンリーにとっても、また、周囲にとっても大きな変化であることは明確だった。
レインはシンリーに教室に行くよう念を押し、背中が先ほどまでの進行方向と逆に消えていくのを確認する。
「レイン、最近シンリーちゃんと仲良いよね」マックスはやけににやけ顔だ。
「そうだ。友達だからな」
「とても丁寧で礼儀正しい子だよね。妹がいたらあんな感じかなぁ」と続けるのにレインの頭に疑問符が浮かぶ。
「作ってくれたお菓子も美味しかったなぁ〜。初めは怖い子かと思ったけどすごくいい子で安心したよ」「作ってくれたお菓子」レインが反復するのにマックスはうんうんと首を縦に振る。
「それは誰だ」
「シンリーちゃんだよ」
「どこのシンリーだ」
「さっきレインが喋ってたシンリーちゃんだよ。どうしたんだよ」
マックスの語るシンリー・ヨークの姿があまりにも自身の中のそれと乖離している。レインの中の彼女は、お菓子について聞いたところで「お菓子? 買ったら?」と冷ややかな目を向けてくるだけだった。
「シンリー・ヨーク、詐欺は犯罪だぞ」
「うん。知ってるけど」
たまたま夕食のタイミングが同じになったレインとシンリーは二人で夜ご飯を食べていた。シンリーは急な忠告に思い当たる節があるわけもなく、困惑する。当然である。ここ数ヶ月詐欺行為など行なっていないのだから。
「マックスに会ったらしいな」レインは、マックスから聞いた話をそのまま伝える。
「会ったら悪いの? この前のこと謝っただけだけど」
「……謝罪ができたのか」
「喧嘩売ってる?」「売ってない」とレインは否定するが、シンリーの目線が刺さって痛い。
「いい人だったよ。君は友人に恵まれてるんだね」
「そうだ。いつも助けてもらってばかりで頭が上がらない」レインが友人に対しての感情を素直にぶつけた
のに、シンリーの目線がさらに痛くなる。
「君ってさぁ……」
「なんだ」
「べつにぃ」
じっとりとした視線が気持ち悪い。レインはなぜそんな目を向けられないといけないのか、わからないままだった。
*
秋の中頃、イーストン魔法学校では神覚者選抜試験の前の前哨戦として高等部一年生のみが出場できる魔法実技のトーナメントが開催される。優勝者には銀のコインが与えられるため大抵の生徒は本気で参加する。ちなみに昨年度の優勝者はレインだった。
トーナメント戦の注目度は高く、初等部生徒から魔法局の高官まで様々な人間が観戦にくる。時には神覚者が顔を出すこともあった。
その決勝戦、優勝者が決まろうとしていた。
すでに金のコインを一枚手にしているアドラ寮生のシルバ・アイアンと、同じくアドラ寮のシンリー・ヨークが今回大会の優勝を賭けて争っている真っ最中。レインは観客席で他の生徒に混じり、試合を静観していた。
鉄の魔法の圧倒的な火力でねじ伏せるスタイルで戦うシルバの猛攻に、シンリーは防戦一方に見えた。固有魔法を操る技術。魔力量。戦闘経験。どれにおいてもシルバは一年生の中で群を抜いている。
対してシンリーは、と考えてレインの思考が詰まる。
ここまでの試合を見る限り、彼女の固有魔法がモノを上下左右を反転させる魔法であることは間違いない。応用が効けば強い魔法だが、その力を十分に発揮するには相当な訓練か実戦経験が必要だろうと言うのがレインの見解だった。
周囲には辛勝に見える試合であっても、レインには彼女に余裕があるのがわかった。シンリーがわずか16歳でその固有魔法を使いこなしていることを脅威を理解できるのはきっと本人とレイン、そして赤魔道士の教師陣のみだろう。
「おーッと! ここでアドラ寮シルバ・アイアン、劣勢だァ!!」
シルバもシンリーも、あまり学内での評判は良くない方だが、今日に限ってはシルバを応援する声が多かった。それだけシンリーは嫌われているということだ。
シルバとシンリーの形成が逆転して、ブーイングの声が強くなる。シルバの放つ魔法が全て、放った自身に向いていたのだ。シンリーの固有魔法の効果だということは見てわかった。魔法が出る方向が逆向きになる程度ならばシルバにも対応できただろう。しかし、シンリーはシルバの生み出す鉄の方向を変えるだけでなく、シルバの方向感覚や、聴力を入れ替えて遊んでいるようだった。先ほどまで機敏な動きをしていた彼がふらふらと酔っ払いのように、攻撃を避けるのに必死になっている。
壁際に追い詰められたシルバが座り込む。シンリーは教室に向かうときと変わらず、普段どおりの姿勢でゆっくり、死刑宣告のようにシルバに近づいていく。
「……こうさん」会場がシン…と静まり返る。
「は?」はじめに声を上げたのは、シルバだった。
「わたしの負けってこと。負けそうなのに勝ててよかったね」
「ふざけンな、クソ女……!!」杖を振るおうとしたシルバを教師が抑えこむ。すでに興味を失っているのか、シンリーは振り向くことなく闘技場から姿を消した。
*
「さっきの試合を見た」試合後、控え室に戻るシンリーにレインが声をかける。
「ありがとう。見てほしいなんて言った覚えないのにわざわざ見てくれて」嫌味ったらしく返されるがレインには通じなかった。
「なぜ棄権した?」
「飽きたから。この話わざわざしなきゃダメ?」
「あれだけの実力がありながらなぜ神覚者を目指さない」
今日の試合ではっきりとわかった。シンリーの力は学内全体でもずば抜けたものだ。
本気を出せば他者を圧倒できるほどの実力を持ちながら、その力を悪いことにもいいことにも使おうとしない姿はレインには怠惰なものに映った。
「……お父様に目立つなって言われてるしね。それに権威にも力にも興味ないから」「でも」シンリーの蛇のような目線が絡みつき、咄嗟にレインは構える。
「レインとは一度本気でやり合ってみたいかも」足元から心臓にかけてとぐろを巻くような敵意にレインは咄嗟に杖を掴もうとする。それを見たシンリーはふ、と吹き出した。
「なんて、冗談だよ。敵にならない限り戦わない。君強いらしいし、そういうのは勘弁だし」
「ところで」とシンリーが話を別の方に向けるのに、レインは安堵した。厄介な女だと心の底から思った。
「ねぇ、わたし、準優勝だよ。なんか奢れよ」
「そういうのはアーロさんに頼め」「あの子ケチじゃん。いや」
特に準備することもなかったため、シンリーとレインは二人で闘技場の出口に向かった。すでに試合も終わり、人がはけていく中に紛れ、二人並んで歩く。
「あっ…」闘技場の入り口でシンリーは男子生徒と肩同士があたる。ぶつかった拍子に男子生徒が倒れ込んだ。
「やだ。服汚れるじゃん。どこ見て歩いてるの?」
「ひっ…すみません」
黄色と黒の混じった特徴的な髪型がどこかの誰かを連想させるが、顔つきは険しさを体現したどこかの誰かと違って笑顔が似合う優しいものだった。背丈はシンリーと同じくらいで、中等部、もしくは初等部の学生だろうか。彼はシンリーの後ろにいる人物を見て、たちまち顔色を悪くした。
「あ…っ、に、にいさま」
「にいさま……って」シンリーが後ろに立つレインを見上げる。レインは答えない。眉間の皺をより濃くするだけだ。
「行くぞ」
「え? 行かないけど」
「……」レインはシンリーを置いて歩き出す。仕方なく後を追うことにした。
「またね」シンリーが少年に向かって手を振り、レインの後を追う。ぽかんとした顔の少年だけがその場に取り残された。
しばらく小走りに追いかけて、やっとレインに追いつく。
「弟くん?」シンリーが聞くと「……そうだ」と険しい顔のままレインが答えた。
「似てないんだね。親が違うの?」
「なぜそうなる」
シンリーはしばらく考え込んでから「なんでだろうね」と聞き返した。
「仲良くきしときなよ。家族なんだから」
「アイツは……俺には関わらせらんねえ」
「嫌いなの?」
「そんなわけねえだろ」レインはすかさず否定した後、少し考え込んでから「オレの勝手に巻き込みたくねえんだよ」とフォローにならないフォローをした。
「“勝手”ねぇ……。それって神覚者を目指してるのと関係あるの?」
沈黙が答えだった。神覚者とレインの“勝手”が関係あるというのは明白だった。今から地続きになっている目標を見据える横顔がシンリーには遠く見えた。
「そうやって遠巻きにして、なにも伝えないで、守ってるつもりになってるの、すごく面白いよ」
「……なにが言いたい」
「嫌味。嫌がらせ。君が不快になる事実を述べまくります」
さらっと言い切る口調は軽い。レインは露骨に顔に不快感を滲ませた。
「一個言っとくけどさ、どんな“勝手”でも伝えなきゃだよ。わたしは聞きたいって、思ってる」
「オレに……」
「君にじゃない。わたしの家族___ドミナ___弟にだよ」名前を口にした途端、シンリーが柔和に微笑む。よく見る人を馬鹿にするものではない慈愛のこもった笑みは、愛する人に向けられるものだった。
「仲が悪いのか?」
「まさか。でも、わたし、気がついてる。あの子が苦しんでいることに」
シンリーの瞳はこちらを向かない。どこか遠くを見ながら言葉を続ける。レインは黙って耳を傾けるしかなかった。
「彼が苦しんでるのは知ってる。寄り添いたい。でもどうしたらいいのかわからない。いっそ、抱えてること全部に巻き込んでくれたらもう少し近づけるのかなってたまに思うよ。それで、近づいたら___」
どうなるのだろうか。
風が強く吹く音で、レインは二人の間を沈黙が支配していることに気がついた。
自身も神覚者を目指す理由を話すべきなのだろうか。
シンリーが家族について話したことはおそらく彼女にとっては無自覚な信頼の証なのだろう。
だが、レインには自身ですら、自身の思いを言葉にして伝えることはできないと確信があった。
友人として報わねばならないと思い口を開く。
「オレは……オレが神覚者にならなきゃなんねえ理由は」
「いらない」シンリーがレインの唇に人差し指を押し当てる。女性の柔らかい指先と漂ってくる甘い匂いに心臓が大きな音を出す。
「わたしはレインの問題には興味ないから」
レインに向けられているのは彼の目的を否定するかのような意地の悪いものだった。
「それにお父様の夢が叶ったら、君が神覚者になってもならなくても、全部関係なくなるしね」
含みのある言い方がひっかかる。「そう考えると、君と今知り合えてラッキーだったかも」「なぜだ」レインが投げかけた質問に「君の挫折を特等席で見ててあげられるからだよ」とシンリーはくすくすと目を三日月に細める。「楽しみだなぁ」シンリーは楽しそうにレインの周りをぐるぐるまわる。レインは静かに「オレは神覚者になる」と言い切った。シンリーはそれを聞いても、「あっそう」と興味なさそうだった。
*
「ランド先輩!! オレたちと一緒にドゥエロで美しい汗を流してくれませんか!!!バンブー!!!!」
暑苦しい。もう冬も近くなっているはずなのに、この生徒が来てから急に部屋の温度が上がった。
レインがマックスと共に文化祭の実行委員として、当日の見回りルートについて打ち合わせをしていた時のことだ。
壊れるほど激しく教室の扉を開けたのは白い髪に浅黒く焼けた肌の似合う男子生徒だった。そして叫び出したのである。「バンブー!!」と。マックス、レイン、そして入ってきた男子生徒以外に人のいない空間であったことも相まって、元気な声が虚しくこだまする。
まず出てきた感想は「怖い」だ。「次に誰」そして最後に、「バンブー」ってなに?である。ツッコミのフルコースを一通り味わった二人の前にひょっこり顔を出したのはシンリーだった。
「マックス先輩、ごめんなさい。この子ちょっとアレなんです」狂ったように竹が成長するのを模した動きを繰り返す男子生徒の後ろから顔を覗かせたシンリーがいつもの世間を舐めたものとは別の表情で謝罪する。奇天烈な言動をする男子生徒を前にしているからか、たとえそれがシンリーであっても、知っている顔が出てきたことにマックスとレインは安堵した。
「熱血? がいきすぎ? 的な」シンリーが「ほら挨拶忘れてるよ」と男子生徒を蹴り上げる。男子生徒はうやうやしく「トム・ノエルズ! アドラ寮ドゥエロチームの一年生です! いつもお二人のお噂はかねがね聞いております!」と腰を直角に曲げた。なんとも体育会系らしい挨拶だ。
「ランド先輩は箒の授業での成績もいいと聞きました! 実は今怪我をした先輩の代わりに試合に出場していただける代理を探しているんです! ぜひ! ボクたちといい汗を流して青春を青春しましょう!!」トムはマックスと握手しようと腕を出す。これまた真っ直ぐに。
鼻息が荒いトムに対して、マックスは若干引き気味だ。マックスがトムと視線を合わせるために立ち上がった。
「ごめん。オレ実は、高所恐怖症なんだ」「高所恐怖症ですか」トムが繰り返すとマックスが頷く。
「だから引き受けられないんだ。それに今は文化祭の実行委員を頼まれてるんだ。
秋季のドゥエロ大会とは時期が被ってるから、引き受けると文化祭もドゥエロも中途半端になってしまう。それじゃあ、君にも失礼だろう? だからここは申し訳ないが断るよ」丁寧に茶色い頭を下げる。誠意のこもった対応に、トムはあっさりと引き下がった。
「でも話を聞いていただいてありがとうございました!」弾ける笑顔のまま、今度はレインの方を向いた。
「ではそちらの先輩は」「断る」ぴしゃりとレインが言い切る。「うおおおお!!!!なぜだ!!」と叫ぶトムにシンリーが「うるさい」とまた口を塞ぐ。
普段は人を振り回す側のシンリーが他人に振り回されている光景に思わずマックスとレインは珍獣でも見かけた気分になった。立て続けに断られたショックから奇行を繰り返すトムをよそに、シンリーはマックスにチラシを手渡す。
「気が変わったらぜひ声をかけてください。優勝したら食券とかもらえるらしいので」そこには竹の絵の上に墨と筆で「ドゥエロ部 新部員募集」と達筆に書かれていた。「あ、キミの分はないよ」シンリーが手のひらをひらひらと揺らし、レインを煽る。おそらくそのためにわざわざ一枚しか持ってこなかったのだろう。別にドゥエロには興味はないが、その態度にレインは表情に出ない程度に腹が立つ。
「お前が試合に出るのか?」
「まさか。わたし、寮のドゥエロチームのマネージャーやってるの」
マネージャーといえば、陰から選手を支える役割をしなければならないはずだ。そんなものをこの女にできるのだろうか?そんなレインの疑問に答えるよう、シンリーは「今のキャプテンに君はなにもしなくていいからその場でがんばれがんばれしてて。お金あげるからって言われた」と説明した。ツッコミどころしかない。金銭の授受に著しい問題を感じたレインが監督生に相談を___と考えたところで思い出す。
監督生その人が現アドラ寮ドゥエロチームのキャプテンだった。
「先輩たちには断られてしまったが!! 現メンバーで迎える最後の舞台だ!!!! 張り切って張り切りすぎるぞ!!」
「はいはい。じゃあ、また」シンリーはトムの背中を押して出ていく。
静観するレインの横顔をマックスは見つめていた。
マックス・ランドは心配していた。
恋愛気のないレインにはじめてできた後輩の、しかも女の子の友人だ。マックスはレイン自身も気がついていない、レインがシンリーに向ける視線の若干の和らぎに気がついていた。そんな彼女と中の良さげな同級生の存在を知った今、もしかしたらレインの胸中には言葉に言い表すことのできない靄がかかっているのでは____。
「アイツ…なんでオレにだけ敬語じゃないんだ」
なんて杞憂があっけなく打ち砕かれる。
「そこ!?」
「なにがだ」
親友の呑気な疑問に、「……色々と時間がかかりそうだな」と苦笑いした。
イーストン魔法学校祭の準備期間でどこもかしこと皆浮き足立っている。シンリーはそれを冷えた目で俯瞰していた。
「学園祭……か、興味ないな。わたしはパ」シンリーが言い切るより先に「バンブー!!」とトムが叫ぶ。シンリーは耳を塞ぎながら「うるせ〜…」とごちる。
放課後の練習がおわった後、シンリーは部活の雑事をこなしていた。洗い立てのビブスを干しながら、学園祭の準備を進めるトムと話す。
「今年はドゥエロ部で粉物屋をするらしいぞ」
「粉……?」シンリーは“粉物”に心当たりがなく聞き返す。
「お好み焼きとかたこ焼きとかのとこだ。ドゥエロ部では毎年粉物屋を出展しているらしい。設備もあるしな!」
「ああ、お好み焼きひっくり返すのなら得意だよ。魔法でこう、ひゅひゅっと」指先を振るとビブスの裏表が入れ替わる。
「そんなことに魔法を使うのか」
「家族にマウント取れるのがそこしかないんだよ。みんな脳筋ばっかりだからひっくり返すのど下手くそで……」
トムが珍しく黙り込み、じいっと一人の顔を見つめる。シンリーがむず痒さに「なに?」と聞く。
「お前が家族の話をするなんて珍しいな」
「ああ……そーだね。うん。かもね」シンリーが家族の話を意図的に避けているのはトムからしても明白だった。話したくないのならそこに踏み入るつもりはなかった。
シンリーとの距離が少し近づいた気がしたからだった。
「変わったな」
「そう?」
「前より活動への参加も増えただろう」
「まぁ…暇だしね、最近」
シンリーが問題を起こすことは、以前に比べれば随分と少なくなっていた。それはドゥエロ以外に興味の薄いトムの耳にも入るほどだった。
一部の教師は問題児が更生しはじめたと涙を流しているとかなんとか。
シンリーをそばを見る身としては、その理由は明白だった。
「エイムズ先輩のおかげだな」
「なんでそこでその名前が出てくるのさ」
「誰が見てもそうだろう。この前もランド先輩を誘いに行ったのに、ずっとエイムズ先輩を見てただろ」
「見てない。嘘つかないで」
「恋だな!! 青春だ!!」
「は……? すぐに恋だの愛だの。暇人なの」
「ウオオオ!! 青春! バンブー!」この同級生はいささかうるさすぎる。シンリーは逃げるようにトムから離れる。トムも気がついていないようだしこのままこっそり帰ろうと部屋の入り口に近づいたシンリーが箱に躓く。中身がバラバラと床に散らばる。仕方なく拾い上げたそれはウサギの耳だった。
「これって…うさぎ? なんで?」
「可愛いからだ!!」
「可愛いから」そうそうこの同級生から聞くことはないと思っていた単語に意表をつかれる。カチューシャを学園祭で使用する物品をまとめた箱から取り上げる。シンリーの頭にレインの顔が思い浮かんだ。
「はぁ!? なんでわたしが」思わず声が裏返る。
「どうした。落ち着け」嗜めるトムに、「わたしは落ち着いてるし!」とシンリーがまた一層大きな声を張る。
「そ、それで、なんでこんなものがあるの?」
「ずっと前の先輩の代から、マネージャーができたら学園祭で着てもらおうと受け継がれてきたらしい」
「キッショ〜……」
「だから!! お前がこれを着るんだ!!」
「えー……」トムはウサ耳カチューシャの下で、まだ開封されておらず、袋に入ったままの衣装を手渡される。
シンリーは衣装を雑に開封した。
「これは……」
二人の声が重なる。トムとシンリーは机の上に広げられた衣装に顔を見合わせた。
秋季ドゥエロ大会が終わると、学園祭が始まった。周囲とは対照的に、レインはその眉間に寄せる皺をより深く、おどろおどろしい雰囲気を纏っていた。文化祭にはしゃぐ生徒もレインの隣を通る時だけはもうしわけなさそうに肩を狭める。
運営側に回るレインにとって、文化祭は、それ自体がほとんど悪夢と等しかった。
生徒だけではなく教師まで浮かれて校内風紀は緩む。そのうえ、生徒だけでなく学園の関係者もやってくるのだ。
取り締まったも取り締まっても右に左に現れる校則違反者。普段よりも近くにある上厳しい父兄の目で文化祭役員をしているレインのストレスは限界値を突破、大気圏に突入しかけていた。
「じゃあオレは文化部の展示の方に見回りに行くから、各寮ドゥエロチーム展示の方の見回り頼むわ。毎年人やばいから、気をつけてな」
「はい」と短く返事してアーロと別れる。苛つきを隠せないレインから離れたかったのか、漆黒のローブはすぐに遠くへ離れていった。人混みに完全に紛れたところでレインも逆の方へ足を進める。
「お兄さん、お兄さん。粉物は要らない?」
「腕章が見えねえのか。見回り中___」
声をかけてきたのはふわふわのウサギ、それもレインと同じほどの大きさもある特大ウサギだった。フワフワの毛並みを思わず撫でる。ぴこんと垂れていたうさぎの耳が不自然に動いた。そこで、目の前のうさぎが着ぐるみだということに気がついた。
「欲しい……」
「あげないけど?」生意気な声が下から聞こえてきた。聞き覚えのある声にすぐに着ぐるみの中に誰がいるかわかった。
「ヨークか」
「……うん」返事にいつもの突き刺す雰囲気を感じない。
「アドラのドゥエロチームは粉物屋をやってるのか」
「そう。わたしがひっくり返すよって言ったけど、客引きしてこいって」シンリーが持っているプラカードには「アドラ寮ドゥエロチーム!粉物屋(選手のサイン付き)A1ブロック」と書いてある。おまけ商法はありなのだろうか。よく見るとサイン付きを謳っているおかげか、まだアドラ寮ドゥエロチームの出店の姿は見えないものの、そちらへと続く行列の最後尾が長く伸びていた。
「時間あるよね」
「ない。オレは見回りで忙しいから後に__」
「うるさい。早くこっちきて。いいから!」
シンリーに背中をぐいぐいと押されてレインは人気のない後者裏に連れ込まれる。余計なことに時間を使っている暇はないのだが、鬼気迫るシンリーの表情にレインは従うしかなかった。人混みから離れた校舎裏は、普段から森に面しているせいか人がいない場所ではあるが、文化祭が賑わっている今はますます人気がなくなっていた。おまけに太陽の具合でうまく校舎裏全体に影がかかっている。
シンリーが着ぐるみの頭をとる。季節は冬に近づいてきたとはいえ、着ぐるみの中で活動していると暑かったのだろう。湿気を纏った黒髪が、ほてった頬に張り付いていた。伏し目がちに「あつ」と短く漏らし手で顔に風を送る姿が色っぽい。
「こんなところまで連れてきて何がしたいんだ」
「せっかちは女の子に嫌われるよ。ちょっと待って」
着ぐるみの背面についたファスナーにに手をかけるが、上手く降ろせないらしい。しばらくして諦めたのが背中を目指し伸ばしていた手を下げて背中を向けてくる。
そして、「ね、脱がしてよ」と熱っぽく懇願してきた。
これはアウトではないだろうか、とレインの頭によぎる。だが、着ぐるみのファスナーを下ろすという行為のみを見ればなんら問題ある行為でもなんでもない。気まずさを振り払い、銀色のファスナーに手をかける。
顕になった白い背中には砂時計の形にコルセットピアスが開いていた。金属の縁が肌に食い込んでいるのが何個も連なっている。
「痛そうだな」
「ああ、これ……みんなには内緒ね」
そうやって着ぐるみを脱げるくらいまでファスナーを下げるとシンリーがもう一度前を向き直す。
そして顕になった格好に言葉が出てこなかった。
着ぐるみの下に隠れていたのはバニーガールの衣装だった。ツヤツヤと光沢するレザー生地は胴体のみを覆い、足は薄暗い色の網タイツでその肌の白さが際立っている。
「なんだその格好は。ふざけてんのか」
「ふざけてない!」
どこからか取り出したウサギのカチューシャをつければどこに出しても恥ずかしくないバニーガールが完成した。
「トムがこれ見て、発禁って」シンリーは昨日、試しにバニー服を着て見せたところトム・ノエルズに普段見たこともない真剣な顔で「人が死ぬから上から着ぐるみを着ろ。頼むから」と懇願されたと説明する。
「確かに発禁だ…上を着ておいた方がいい」
扇状的な姿をなるべく視界に入れないようにする。それでも脳裏に焼きついたこぼれそうな胸元。薄い腹。肉付きのいい太ももが頭から離れない。シンリーのバーニーガール姿が思春期の男子には刺激が強すぎることは流石の童貞モンスターでも理解ができた。
「しまえ」
「何を」
「……」レインの目線が再びシンリーの胸元に行く。「えっち」それを察して細い腕が胸を覆った。
「まさか、それで今から表を歩くつもりじゃねえだろうな」
「んなわけないでしょ。トムにダメって言われたし……。これは、君だから見せただけだし。レインにだけはどうしても見せたくて」シンリーはもじもじと指先をいじる「別に見てほしけないけど」と先ほどと矛盾した発言が続く。一体どちらが本心なのかは問題ではないのだろう。
「……感想とかない?」「感想」おうむ返ししたレインはじっくりと上から下まで、焼き付けるようにシンリーのことを見る。むず痒い視線に顔が赤くなったシンリーは「早く! 5秒以内!」と急かす。
「……は、か」言葉が詰まる。「はか?」シンリーがレインの言葉を反芻する。無言が続く。遠くにはしゃぐ生徒の声が響いてから、シンリーがはぁとため息をついた。
「あー、ばからしくなってきた。ちょっと肌見せてお金くれるんなら安いもんだし、やっぱこのまま接客しよっかな」
「それはだめだ」レインが強い語気で止める。
「もっと自分を大事にしろ。……お前だけの体じゃねえんだよ」
「……はぁ?」しばらく間をおいてシンリーの瞳が左右非対称に歪められる。言葉選びを間違えた。焦りのまま言い訳のように言葉を引っ張り出す。
「その……違う、ご家族……弟がいるんだろ。今のお前の姿見たら驚くぞ」
「あはは、絶対ない。『どうでもいい』って言われちゃうだけだよ」
「それでもオレが嫌なんだよ」
「君がイヤって……わたしの身体は君のものでもあるとでも言いたいの?」
「そういうわけじゃねぇ」やはりまた口籠る。言葉でなにかを伝えるのは苦手だと実感する。とはいえ、このモヤモヤとした気持ちをどう行動で示せばいいのかもわからなかった。「時間取らせてごめん。わたしもう行くね」とシンリーが元の着ぐるみ姿に戻って去ろうとする。
「ヨーク」レインに名前を呼ばれシンリーは振り返る。
「その姿はオレ以外には見せるんじゃねえ。わかったな」振り返った少女がべぇっと赤い舌を出す。絵画のワンシーンのようだった。額縁から飛び出るように軽快な足先が影の中から日の中へ移る。シンリーは「忘れていいよ」と置き去っていった。
レインは顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「忘れられるか……」
言語化は難しいが心臓に悪いのだけは理解ができた。
体の中心に集まる熱を逃すように力を入れた腕に通った文化祭実行委員の証明でもある腕章で、自身に課せられた職務を思い出す。
校舎裏から出店の立ち並ぶ通りに出たレインは走ってきた男子生徒とぶつかった。
一息にすみませんと謝った男子生徒はどこかを目指して走り出す。走っているのは彼だけではなかった。気がつけば、怪獣から逃げるように、みなが一斉に走っている。そのほとんどが男子生徒だった。
「おい!! あっちでめちゃくちゃエロいバニーガールが接客してるらしいぞ!!」
走る生徒の一人が興奮気味に叫ぶ。
レインの頭痛はひどくなる一方だった。
学園祭後、アドラ寮ドゥエロチームの面々が反省文を書かされたのは言うまでもない。