トラオム/煉獄

太陽が真上から照りつける正午過ぎ、過酷な稽古の後なまえは走っていた。稽古の終わりが予定より延び、約束していた時刻をとうに越していたからだ。熱気でむせかえりながら駆けていると、陽炎の向こうに待つ人を見つけた。

「煉獄さん!お待たせしました」

ぼんやりと彼方を見ていた煉獄は掛けられた声にハッとし、すぐに笑みをつくりこちらに振り返った。

「いや、そんなに待っていない!一旦落ち着け!」

太陽のように輝く笑顔が眩しい。煉獄さんの後ろから陽が射し込んでいるからなおさらだ。膝に手をついてぜーはーと息を荒げるなまえの姿に苦笑している煉獄さんを感じた。

「髪が乱れてるぞ」

息を整えようと必死になっているとふいに低く柔らかい声が耳元で聞こえた。声の近さに驚き後ろに飛び退くと、先程までなまえの頭があった空間に手を伸ばす煉獄さんの姿があった。どうやら髪を直そうとしてくれていたみたいだ。

「やめてください!先輩にそんなことさせられませんよ」

煉獄の手が何もない空を切った。
煉獄さんは二個上の先輩である。とある任務で一緒に戦ってから今では一緒にご飯を食べる仲になった。煉獄さんの寂しそうに自分の手を見つめる姿が胸に引っ掛かった。しかしその胸のつっかえを無視して飯屋の暖簾をくぐる。

「煉獄さん、何をしているのですか?先に入っちゃいますよ」

なまえの言葉に煉獄さんはハッとし手を後ろに隠すとこちらに笑顔を向けた。

「!‥‥ああ!」



「最近調子はどうだ?」

隣で鰻の蒲飯を掻きこむ煉獄さんに投げかけられた。相変わらず食べるスピードが早い。もう三つ目だ。大きなお重箱に詰められた蒲飯をなまえも負けじと食い張る。

「ぎりぎりですね。生き延びているのが不思議なほどです。そう言う煉獄さんは絶好調でしょ」

煉獄はガツガツと動かしていた箸をすっと下ろし前を向いた。

「そんなことないぞ。任務の後は反省す
ることが多い」

笑顔から打って変わった、前を見据える表情はどこまでも真っ直ぐだった。その顔から彼の本心の言葉でそこに嘘は含まれていないことが見てとれた。

「またまた‥‥私なんて任務中は必死でそんなこと考えられません」

そうだ、なまえは煉獄さんほど強くない。初めて会った時、私は壬で煉獄さんは庚だった。それが今ではなまえは壬のまま、煉獄は五つ上がり乙。この調子だと柱になるまで時間はかからないだろう。所詮私は凡人並みの者なのだ。彼とは土台が違う。天と地ほど差があるのだ‥‥彼と私の間には。

「何を考えているんだ?眉間にシワが寄ってるぞ」

俯いた眉間に指が当てられ勢いよく顔をあげる。不意打ちのことに裏返った声が出た。

「なっ‥‥何をするんですか!?」
「いやはや、君には似つかわしくないものがあったからなあ」

はははと笑った次の瞬間、煉獄さんは顔をしかめた。眉間にはこれでもかという程深いシワが刻まれ、目は寄り目でくっつきそう。突然の変顔に噴き出してしまった。これは笑わざるを得ない。くすくすと笑うなまえの頭にぽんっと大きな手のひらがのせられた。

「そうだ、君には笑顔が一番似合う。いつもそう笑っていなさい」

そう言い目を細める煉獄さんからは優しさが溢れていた。じんわりと広がる暖かい空気。なんだか気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまった。

「っ早く食べないとご飯冷めちゃいますよ!」
「ああ、そうだな」

なまえの明らか様な変わり身に横で煉獄さんが笑った気配がした。私は更に胸がこそばゆくなり、掻きこむことで紛らわそうとした。

ーずっとこんな日が続けばいいのになあ

当たり前の幸せな日々。横で笑う煉獄さんと一緒にいたいなあと願わずにはいられなかった。

ーーーー

はっと目が覚めた。見慣れた天井の木目が目に入る。

「私‥‥何を見て」

ポタリ、と布団に水が落ち、小さな染みになる。頬に手を当てると自分が泣いてることに気づいた。

「随分と懐かしい夢を見たな」

誰もいない部屋でぽつりと溢す。煉獄さんが死んでから三年も経った。急だった。彼が柱になり、継子も柱になった。まだまだこれからという時だったのに。なぜ私が生きているのか。現実に苦しめられた。
貴方がいなくなってからも季節は巡る。この当たり前の事実がどうしようもないほど辛い。
庭で牡丹の花が崩れ落ちた音がした。私もあの牡丹のようになれたらいいのに。そしたら貴方と一緒にいられる。地に転がる牡丹にそう思わずにはいられなかった。


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