感情の名/後藤

鬼退治とは残酷だ。今も頭の中で生々しく残る悲劇の残滓。どれだけ経験を積もうが慣れない、逆に記憶に層となりこびりつく感覚を忘れようと一人うずくまっていた。

「何やってるんですか」

コツンと頭に衝撃が走る。反射で頭をあげると後藤さんがいた。

「今日は。良い天気ですね、後藤さん」

いつもと変わらぬ闇に紛れそうな黒子を纏った後藤さんは前に会ったときと一寸も変わらなかった。なまえを見下ろす深紅の瞳は相変わらず綺麗。ぼおっと眺めていると目つきが鋭いことに気づいた。

「怪我してるのにこんな所にいたら駄目でしょ」

周りをぐるりと見渡す後藤さんにつられ振り返る。聴こえてくるものは鈴虫が羽を震わす音だけのここは森のなかにぽっかりと開いた空間だ。人の喧騒からほどよく距離が開いている、静かな場所だ。

「いい所でしょ?」

悪びれもせずゆるりと笑うなまえに後藤さんは何か言いたげな神妙な顔をした。そのまま見つめ合うこと数秒。何も言わないなまえに後藤さんはぱっと目をそらし、がしがしと頭を雑にかきため息をついた。何を言っても意味がないと悟ったようだ。

「はぁ‥‥ほら手出してください」
「手?」
「怪我してるでしょ、早く」

目線をたどれば黒い隊服の右腕部分が裂け血が滲んでいた。気がつかなかった。

「大丈夫ですよ」

ヒラヒラと手をふれば、険しい顔になる。ぐっと真っ直ぐに見つめられ心臓が跳ねた。一瞬固まった隙に手のひらを取られる。

「確かにあんたにとっちゃ大したことなくても……、俺にとっては大事なことなんですよ」

真正面から赤い瞳に見つめられ、昔読んだ西洋の童話のように動けなくなった。固まるなまえに了承の意をとったか、そのまま腕を捲られた。

「はいよっと」

手際よく、綺麗に巻かれた包帯にほおっと息を洩らす。

「処置が上手いのですね」
「‥‥どうも」

横を向きぼそっと返された言葉。赤く染め居心地の悪そうな様子は思春期の少年のよう。なんだか可愛い。

「は?」

驚いた表情で固まる後藤さん。目を見開き口をポカリとあける表情は面白い。新たな顔を見れたとほくほくしていると

「なんで俺の頭撫でてるんですか?」
「え?」

己の手に視線を向けると確かに後藤さんの頭にあった。

「なんででしょうね?」

自分でもわからない、無意識の行動。首をひねるなまえに後藤さんはふはっと声を出した。くしゃりと細くなった目。

初めて見た笑みだ。あ‥‥この顔好きかも

もっと見ていたいと心が望む。だが運命は無情だ。遠くから後藤さんの名が聞こえた。

「では俺は戻りますね」

宵闇に溶けていく背中。胸の中にほわりと温かな感情が流れた。

この感情の名を私はしらない


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