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「あ、いらっしゃいませ。ワンワン〜」
「ワンワンってなんだよ‥」
「お巡りさんのワンワン」
そこの喫茶店で名前は住み込みで働いてるようで、出窓ではよくシロがにゃあにゃあ日向ぼっこをしていた。
「名前ちゃんはここの看板娘でねぇ。なんでも最近いいとこの呉服屋の店主に交際を迫られてるらしい」
「名前ちゃん可愛いもんなぁ」
名前の笑顔目当てに来る客は多かった。
喫煙室ではタバコをふかしながらよく名前の話を耳にした。
「ちょっと〜人の噂しないでよ〜」
コーヒーを運びながら名前が客をたしなめる。
「あれ、名前ちゃん聞こえた?」
「もう適当なこといわないで」
「呉服屋の話は本当だろ。昨日マスターが言ってたぜ」
「‥あーもう」
「名前ちゃんもそろそろいい年だしなぁ」
「うるさいなぁ。年の事は言わないでよ」
はぁとため息をつく名前は確かにガキの女にはない美しさがあり、名前目当てに来る客が多いのも頷けた。
「あれ、ワンワン。もう帰るの?」
「あぁ、ごっそさん」
「あ、あのさ、今日飲みにいかない?」
夜に名前と会うのは初めてだ。
そもそも名前にこんな誘いを受けること自体初めてだった。
「いいけどよ」
「じゃあ仕事終わったら店に来て」
なんとなくソワソワしてしまい午後の仕事ははかどらなかった。
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夜仕事終わりに屯所を出るとシロがいた。
「ん、お前迎えに来たのか」
「にゃー」
賢い猫だと思いつつ一緒に店へと歩いていく。
「あれ、ワンワン隊服じゃなーい。何か若くみえるね〜」
「お前こそ」
店の前にいた名前は普段着ている仕事着ではなく、可愛らしい色の着物をきて、いつも結んでいる髪もおろしていた。
「なに、若くみえる?」
「‥あぁ。年下に見えるわ」
名前の頭をガシガシすると「生意気〜」と笑われた。
近所の居酒屋で日本酒を飲む。
シロは店までついてきて牛乳をもらっていた。
「‥名前お前飲み過ぎじゃね?ヤバくね?」
「全然だよぉ〜」
もの凄いペースで日本酒を口に運ぶ名前。
「あーこんな飲むの久しぶり。ねぇ私って結婚した方がいいと思う?」
「‥なんだよ急に」
「結婚しようって言ってくれてる人、お金持ちでね、あのお店の地主さんなんだわ」
「ほぅ」
「私店主には住みこみで働かせてもらって、恩返ししたいんだけど‥」
「‥‥ 」
「断ったらお店潰されちゃうかな」
ポツリとお猪口を見つめながら名前は呟いた。
元気がないと思ったが原因は噂の結婚のことらしい。
「十四郎くん‥」
「‥え」
いつも名前にはワンワンとおちょくられるか副長さんと呼ばれていて、名前を呼ばれたのは初めてだ。
酒のせいかどうか分からないがドクンと自分の心臓が鳴ったのが分かった。
「昔ね江戸に来たばっかの時にシロを拾ったんだけど。その時天人に絡まれてね」
「‥」
「瞳孔開いたお巡りさんが助けてくれた」
名前は酒のせいか顔を真っ赤にしながらへらっと笑った。
いや、きっとオレの顔も負けずに赤いとは思うけど。
「きっとお巡りさんは自分の仕事をしただけだけど。私もう一回会いたいなって思ってたんだ。ビックリしちゃった。」
うつむいていた名前は顔を上げてじっとオレの顔をみた。
名前の瞳がみるみる濡れていくのが見え息をのんだ。
しばらく時が止まったのかとさえ思う。
そしてゆっくり名前の口が開いた。
「シロが‥連れてきてくれた‥」
名前はいつも笑顔だ。
オレはその笑顔が好きだ。
オレだけじゃない。
きっとあの店に来る客みんなが好きだ。
でもこの瞬間は、笑ってほしくなかった。
こんな時にどんな言葉をかけたらいいんだろう。
どんな言葉があれば、コイツの心を守れるんだろう。
「無理に、笑うなよ‥」
今のオレにはこんなありきたりで陳腐な言葉が精一杯だった。
名前よりもっと年上だったら、もっともっといろんな言葉を知れていたのだろうか。
目の前の名前の頬をつたう涙を拭い、自分が言葉に出来ない気持ちごと抱きしめた。
初めて触れる名前は小さく、少し震えていた。
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